郡山に降り立った理由は、この日と明日(きょう)運転される、「SLふくしま復興号」を見に行くため。出発式は、磐越西線用の1番線で行われるようで、すでに式典の準備や物販がはじまっている。
そして列車は、駅構内のはずれで着々と準備を進めていた。
旧型客車と連結する機関車「C61 20」。C61が東北を走るのは45年ぶりという。
ちょっと脱線だが、今回C61が福島を走るのは、今思えば偶然が重なり合った結果のような気がする。高崎のD51が空焚きによる故障で予備機を探すことになり、諸々の条件に合致した、伊勢崎の公園に保存されていたこの蒸機に白羽の矢が立った。その後1年以上にわたる修理復元工事、しかし復活直前に東日本大震災が発生。ドキュメンタリー番組の影響もあるだろうが、いつしか「東北復興のシンボル」という位置づけをされたようである。
はじめて披露された、「復興号」のヘッドマーク。一般公募で採用されたものだ。
9時を過ぎると、乗車するお客さんもどっと増え、ご当地キャラクターたちが次々あらわれた。
郡山市のキャラクターで「がくとくん」(緑)と、妹の「おんぷちゃん」(ピンク)。
福島県のマスコットキャラクター「キビタン」と、ピンクの幕末剣士のような「八重たん」。この「八重たん」については後日。
楽隊の演奏が始まり、SLが入線して会場は盛り上がるところなのですが、その前に郡山を抜け、列車で先回りする。
沿線にはSL通過を待っている大勢の人がいた。SLに手を振るキャンペーンに参加してのことだが、なかにはこんなメッセージボードを掲げたものもあった。
こういう声を、この機会に届けてあげたいと思うものだが。
降りたのは、郡山から3つ目の「本宮」駅。ここはSLが最初に停車することと、停車の時間が15分と大きくとっていることから。線路の外から撮って、そのあとで駅構内に入って撮影しても十分余裕がある。
まずは到着するところを撮るために、踏切まで歩く。青いTシャツ着ているのは、ボランティアの方々だ。列車到着までまだ20分あるというのに、すでに多くの人が。
なんか、かっこいいな。
今回はこちらの親子と、近くの老人ホーの方々と一緒だった。娘さんが持っている、ホームの方々が作られたらしい手製の国旗には、「目標百才」の文字。国旗を持つこのおじいちゃん、御年96だそうだ。
上り列車を1本やり過ごしたあと、いよいよ本題のSLがやってきた。遠くから汽笛が聞こえてきた。おじいちゃん、ここで赤いちゃんちゃんこに着替え、フェンスと国旗を掴んでSLの通過を待つ。
国旗の合間から、列車が見えた。目の前を通過したその時、
「SLばんざーーーーーい!」
という野太い声が響いた。あのおじいちゃんだ。SLはそれに応えるかのように汽笛を3回鳴らし、ゆっくりとホームに滑り込んでゆく。
ここでぼくは踏切から離れて駅構内へ移動したのだが、すでにすごい騒ぎ。
列車から降りるひと、SLと一緒に撮る人、DSで動画を撮影しながらリポートの真似事をする子供もいたな。
対岸のホームでは太鼓の演奏で列車とその乗客を歓迎している。
もみくちゃになりながらも、SLに近づこうと思ったら、
ここでもゆるキャラに遭遇。本宮市のイメージキャラクターで「まゆみちゃん」という。福島のへそ、という意味の大きなヘソがチャームポイントか。
そのあと、対岸のホームの端に移動、出発シーンを撮るためだ。跨線橋の上から貨物列車を撮影。
少し見にくいが、機関車にも「がんばろう東北」のラッピングが。
出発の直前、夏の真っ青な空がSLの黒煙に覆われる。
そして10時30分、力強く、ゆっくりと列車は出発。
目の前で耳が割れんばかりの大きな汽笛が。
そしてゆうゆうと福島へむけて去っていた。
・・・書いてて思ったが、「力強い」「ゆうゆうと」とか、「声援に応えるように汽笛」というように擬人化する表現をしても違和感が少ないのは、どうやらSLだけのような気がする。SLが人の心を惹きつけたり、あるいは記憶を呼び覚ましたり、人をどうにかしてしまう、ということを、この日もたくさん実感したように思う。
SL復興号を見送ったあとは、郡山へ舞い戻ったのだが、このつづきは次回へ。
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