きょうは、家に身内以外の初めての来客とその対応ということで、休日なのにえらく疲れているKouChanです。
きょう遊びに来たのは、父方の親戚で、父の目線で紹介すると、従妹夫婦(叔母・叔父)とその父親(大叔父)、つまり父の叔父。叔母(大叔母)は亡き母(ぼくの祖母)の妹だというが、九十近い高齢でもあり、緊張してしまってこれなかったという。いずれにしても、ぼくは会ったことがない人たちばかり。こちらが引っ越したことで同じ市になり、家も近いというので、遅ればせながらご挨拶にとのことだった。
昔の写真、それも戦時中や戦後当時(と思われる)の家族写真や誰かの結婚写真をみて、これは誰々おじさん、誰々おばさん、○○ちゃんだねとか、最近遊びに来た孫(姪)の顔を見て、「うちの孫娘の誰々ちゃんにそっくり!」「やっぱり家系なのかしらね」なんて笑いあう場面も。
今回、談笑していく中で、今まで知らなかった、父方の祖母についていろいろ聞くことができた。記憶している限り書いてみる。
ぼくの祖母は、気仙沼の出身で、若いときに奉公という形で上京したそうだ。祖母にはきょうだいがたくさん(7人以上?)いたというが、帰省して家族が一堂そろったときに、自分の知らない弟妹を見て、叔父(叔母の父)に「あの子誰?」と訊いたそうだ。自分がいなくなってからも、兄弟が増えていたらしい。
その後、あとを追って弟妹が次々、姉(祖母)をたよって上京してきた。そしてそれぞれが結婚して家庭を築きあげた結果、親戚が近所に集まる形になったそうだ。父も4人兄弟、きょう会った叔母も3人姉妹だという。
一方の祖父については、あまり記憶がない。まだぼくが小学生のときに亡くなったせいかもしれないが。プロレスが好きだというのは知っていたが、昔は競馬(ギャンブル)に填まっていたらしく、競馬でスっては祖母と揉めていたという。それも初めて聞いた。それを見ていたからか、父はギャンブルをやらない。それは祖父の反面教師だと言っていた。そう考えると、祖母はつねに気苦労、心配事が絶えなかったのだろうと、少し同情の念を感じる。
写真の中に、祖父の葬儀の時撮った記念写真がでてきた。親戚だけで30人くらい写ってて、みな父の親族だという。ぼくはまだ小学生、従兄弟も中学~高校生、すごく暑い日だったような・・・。
ところで、最初に見ていたこれらの写真は、祖母が持っていたものだった。3年前に亡くなった後で整理をしていたら出てきたのだという。
・・・ちょっと今回はややこしくなったかな?記憶だよりの昔話なので、どこまでが本当かは不明だが、いろいろ知らなかったことも知ることができたと思っている。それはそれでよかったのだが、子供の話や孫の話はちょっと自分には耳が痛かったなぁ。まだ何にも出来てないので。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます