KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

KCF的”オタク論”

2006-01-19 00:00:02 | アート・文化

 昨日のblogのなかで、”宮○勤にはオタクの持つ負の部分を一生背負って貰わなければならない”という意味の文章を書いたが、もう少し説明が必要かな、と思い、今回はぼくが考える”オタク”についてつらつら書くことにする。

 特定のある一つのジャンルに関して造詣が深い人を指すことばとして、「マニア」とか最近では「オタク」を使うことがある。しかし衣食住、生活のすべてに(上品な)趣味性を感じる人には、これとは別に「趣味人」という称号がある。ぼくの場合は、「KouChan'sFactory」の主テーマである”鉄道・鉄道模型””グラディウス(ゲーム)””音楽”に関しては、多少普通の人よりは詳しい、とかってに自負している。ただ、どれも「趣味人」に達するほど造詣が深いわけではないので、言葉を濁した感じで”中途半端な趣味人”といっている・・・って話が少し逸れた。「オタク」の話である。

 「電車男」などの影響から、最近「オタク」の見方が変わってきた、という話を聞く。その一方で、悲惨な事件を起こしていることもまた事実だ。昔、鉄道の行先表示器(専門用語で”サボ”という、ロール状の幕)の窃盗事件が立て続けて起きた。やがて主犯格の男と犯罪に関わった者が逮捕されたが、主犯格の40代の男は携帯電話で犯行グループに指示を出し、合鍵を使って方向幕を抜き取り、それを売りさばいていたという。また最近では、ロリコン趣味や少女趣味を追求するあまり、本当の幼い子供に手を出したり、自分の欲望の赴くままに手をかける、といった残忍な事件が起きている。このときいつも世論では「オタク」を悪者扱いにする風潮があるのだが、それはどうしても納得いかない。ぼくは彼らを「趣味人」はおろか、「オタク」とも「マニア」とも認めない。それは、社会で生きるための最低限のルール、すなわち最低限の「常識」がないからだ、と思うから(”常識とはなんぞや”という議論はここでは割愛しますが)。

 宮○勤も、アニメなどのビデオに非常にこだわった男だったそうだが、己のビデオ収集欲が高じて珍しいビデオを手に入れようと、あの残忍な事件を引き起こしたという。もし彼のどこかに”常識”があれば、犯罪をくい止めることや、犯罪が起きた後もそのことを悔やむ心があれば・・・。彼は、死刑判決後も「そのうち無罪になりますから」と平然と言っているという(以上、ニュース番組で聞いた話)。

 しかし一方で、今の世の中、趣味を充実させたいという欲望が全くない、と言うひとはいないだろうと思う。生活に潤いを与えたい、充実した生活を送りたい、という目的で始めた趣味に対して、上達したい、詳しく、もっともっと知りたいという気持ちは、誰にでもあることだと思う。そのうち、自分の趣味を人にひけらかすことが出来たとき、その人は相手にとってちょっとした「マニア」あるいは「オタク」と思われることは、まず間違いないだろう。

「オタク」からその先、趣味を極めて「趣味人」となれるか、はたまた犯罪者に墜ちてしまうかは、そのことを自分の持つ「常識」と照らし合わせ、自分の頭で自分の行動を判断できるか否か、そこが境界線だろうと思う。あなたはどのように考えますか?

・・・ところで、「オタク」って言葉、コラムニストの中森明夫氏が考案したんだそうな。今日偶然TVで見たバラエティー番組で初めて知った。今までてっきり宅○郎とだ思っていた・・・。

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