今日は午前中は大変良い天気でしたね、午後から雲が出てきまして曇りになってしまいました。
気温はかなり上がると予報されていましたが、言われる程では無かった様な気がします・・・皆さんの所はどうだったでしょうか??
午前中は中庭でブルーベリーの植え替えを2時間程行ないましたが3本しか完了せず・・・ウ~ン成果としては今一歩ですね。
ホイールの製作はVer.5にまで到達してしまいました、確かに手間はかかりますから仕方が無いのはわかりますが少し時間をかけ過ぎた様な気がしますね。
一応試作から量産の完了まで1週間と考えていましたから後2日間で24本のホイールを完成させなければならないのです・・・ちょっと厳しいかもね。
まだこの後量産が残っていますから・・・やっぱり気が重いですね(笑)
今日の製作は単純作業の繰り返しになります。
ホイールの量産に向けてリムやバブを削っておかなければならないのです。
まずはインナーリムですね。
インナーリムはアウターと違ってリムの内側が真っすぐにカットされていますアウターリムはスポークが出て来る部分に0.12mmのフランジが付けてありまして万が一ハンダ付けする時にハンダが流れ出ても見え難い構造にしてあります。これで24個分部品が有ります。
こちらがアウターリムです。
よく見ると内側の奥側になる部分に僅かなフランジが見えますかね~。
次はハブのスポークを通す溝を切ります。
溝はハブの端を0.1mmだけ残して溝を掘っています、幅は0.4mm深さも0.4mmですね。
昨日書いたかもしれませんがこのバイトは突っ切りを加工して作った物で薄くしていますから強度が落ちるでしょうね、自己責任で使わないといけないですね。
溝の奥側に斜めに段が有りますがこの角を少し丸めておきたいですね・・・
実車がそんな感じになっているのです・・・この部分の一手間は見た目の雰囲気に大きく違いが出ますから大切ですね。
丸めた部分がわかるでしょうか?
何となく少し丸まっている様な・・・(笑)
次は奥側のスポークが通る部分を掘ります・・・
幅は0.6mm深さも0.6mmですね・・・このサイズは標準の突っ切りバイトで出来ますから少し楽かな・・・。
丸めた角から少し距離を置いて溝を掘っています。
余りにも近いと丸めた意味が無くなってしまいますからね。
そして作った24本分のセンターハブです・・・
これで部品が全部揃いましたから明日はホイールを編んでゆきます・・・24本はとても一日で出来る数字ではないので当分の間同じ様な画像になるかもしれませんがよろしくお願い致します。
ここからは連日の余談ですね(笑)
FBつながりの友人角本さんから僕がプロになった時「キットを作るのがやっとだった」というのは信じられないと言われましたので・・・その辺りを少々書いておきたいと思います。
私がプロを志したのは40歳の時に父親が66歳で亡くなった事がきっかけでした。
体質も良く似ているのでひょっとしたら自分も66歳前後で・・・と思ったら今の内からやりたい事をやっておかないと時間が無いと感じたのです。
しかしながらガス屋さんの仕事を続けながら自分のやりたい事をするには時間が無さ過ぎる、ここはサラリーマンに区切りを付けて定年後に描いていた自営業で濃い時間を過ごしたかったのです。
41歳の時に模型を仕事にしようと考えてみましたが、その時に普通の模型屋さんは失礼ながら既に経営は難しい状態となっていました。
何とか自分で値段をつけられる仕事を・・・と言う事で模型を作る事を目標にしたのが42歳の夏前だったと思います。
たまたまメイクアップさん、さかつうさん、Mr.クラフトで模型の製作者を募集されていましたので試験を受けました。
メイクアップさんはフェラーリの200GAを1台だったかな、MrクラフトさんはベネトンB196だったかな?を2台同じクオリティーで作って下さいという事でした、さかつうさんはコンテスト形式で応募の有った中から選ぶというやり方でしたね。
さかつうさんの場合はコンテスト形式で・・・と言う割には時間が無く何を出したのか忘れてしまいましたがとにかく誰も採用が無かったらしい。
確か高知の◯藤さんだったかなトヨタS800の良いのを作っていらっしゃったからこの方が採用だろうと思っていましたが・・・以前作った物を出してきた(未発表の作品とは書いて無かったのに・・・)という事で採用が無かった様でした。
その後さかつうさんはスロットレーシングの方に力を入れられてその後の経過は皆さんのご存知の通りです。
さかつうのY崎さんはヒロに行かれましたね、あの時は色々お話をさせて頂いて参考になりました満足にお礼も言う機会が無かったから・・・今になってしまいました。
Mr.クラフトは一応試験を通過しまして採用となりました、テストで作った作品も制作料を頂いたですし製作料の振り込み口座も登録してあったのにその後の発注は無しで・・・少し後で閉店してしまいました。これも皆さんのご存知の通りですね。
メイクアップさんはテスト用の作品を送ったのですがなかなかご連絡を頂けず・・・ダメかな?と思っていましたが11月頃でしたかお電話を頂きまして採用して頂きました。
ちなみにこの時点でテスト用の作品以外に1/43キットを作ったのは3つだけでしたね。
つまりテストを受ける前にはプラモデルは作っていましたしウレタンクリアーも使っていましたがメタルやレジンのキットはBBRのフィアットクーペ、MRコレクションのランボルギーニミウラSV、SRCのフェラーリ312PBの3つだけだったのです。
タメオのキットなど地方には売っていませんでしたから見た事も無かった・・・。
その3つのキットも東京に行く友人に無理を言って買ってきてもらったものや友人にもらった物しかなかったのです。
42歳の11月にはメイクアップで採用をして頂きまして12月には初めてメイクアップからご依頼を頂きました。
確かBBRのF40とレーシング43のリアカウルのみオープンのランチアストラトスアリタリアだったと思います。
初めて作るレーシング43に手こずりながらも何とか完成しました。
ハンダゴテを当てたら一瞬の内に部品が消滅してしまったり・・・
狭い社宅の居間で作業をしていたらピンセットからピンという音と共に部品が飛んでしまい家内にも3人の子供たちにも大変迷惑をかけてしまった事も有りましたね。
当分の間は昼間サラリーマン、夜は作品の製作の状態が続きましたね。
今となっては良い思い出ですが・・・
とても冷や汗物だったと記憶しています。
しかも当時はモデルカーレーサーズで早川さんや百瀬さん鈴木さん青山さんなど巨匠と呼ばれる方々が紹介されておりまして1/43となりますと全てあの方向性の作品を求められましたから・・・結構大変でしたよ(笑)
2004年の4月30日付けで退職して翌5月1日がStudio_Rossoの創立記念日ですね。
HPを始めたのは2004年の7月からだったと思います。
こんな事だったので最初はキットを作るだけで一杯一杯だったんですよ。
決して余裕が有った訳では有りませんし今でも余裕は余り有りませんね。
キットをお預かりして作る事、またその作る事で代金を頂く事全て責任が有る事なのでね・・・そんなに余裕が有る訳は有りません。
今では笑い話の様な事なのですが、最初の頃はお客様に頼まれたキットは使わずに同じキットをもう一個用意して作っていました、それも実はストレスの回避の方法の一つだったのです、つまりそれくらいストレスを感じていた訳ですね。
幸いにしてその予備のキットが役に立った事は未だかつて無いですけどね。
しかし、今は同じ方向性を目指した作品では飽き足らず・・・皆さんの作り方を参考にさせて頂きつつも一方で独自の方向性も織り込みながら製作してゆこうと考えております。
余り格好の良いお話では有りませんがこれが事実なのです。
気温はかなり上がると予報されていましたが、言われる程では無かった様な気がします・・・皆さんの所はどうだったでしょうか??
午前中は中庭でブルーベリーの植え替えを2時間程行ないましたが3本しか完了せず・・・ウ~ン成果としては今一歩ですね。
ホイールの製作はVer.5にまで到達してしまいました、確かに手間はかかりますから仕方が無いのはわかりますが少し時間をかけ過ぎた様な気がしますね。
一応試作から量産の完了まで1週間と考えていましたから後2日間で24本のホイールを完成させなければならないのです・・・ちょっと厳しいかもね。
まだこの後量産が残っていますから・・・やっぱり気が重いですね(笑)
今日の製作は単純作業の繰り返しになります。
ホイールの量産に向けてリムやバブを削っておかなければならないのです。
まずはインナーリムですね。
インナーリムはアウターと違ってリムの内側が真っすぐにカットされていますアウターリムはスポークが出て来る部分に0.12mmのフランジが付けてありまして万が一ハンダ付けする時にハンダが流れ出ても見え難い構造にしてあります。これで24個分部品が有ります。
こちらがアウターリムです。
よく見ると内側の奥側になる部分に僅かなフランジが見えますかね~。
次はハブのスポークを通す溝を切ります。
溝はハブの端を0.1mmだけ残して溝を掘っています、幅は0.4mm深さも0.4mmですね。
昨日書いたかもしれませんがこのバイトは突っ切りを加工して作った物で薄くしていますから強度が落ちるでしょうね、自己責任で使わないといけないですね。
溝の奥側に斜めに段が有りますがこの角を少し丸めておきたいですね・・・
実車がそんな感じになっているのです・・・この部分の一手間は見た目の雰囲気に大きく違いが出ますから大切ですね。
丸めた部分がわかるでしょうか?
何となく少し丸まっている様な・・・(笑)
次は奥側のスポークが通る部分を掘ります・・・
幅は0.6mm深さも0.6mmですね・・・このサイズは標準の突っ切りバイトで出来ますから少し楽かな・・・。
丸めた角から少し距離を置いて溝を掘っています。
余りにも近いと丸めた意味が無くなってしまいますからね。
そして作った24本分のセンターハブです・・・
これで部品が全部揃いましたから明日はホイールを編んでゆきます・・・24本はとても一日で出来る数字ではないので当分の間同じ様な画像になるかもしれませんがよろしくお願い致します。
ここからは連日の余談ですね(笑)
FBつながりの友人角本さんから僕がプロになった時「キットを作るのがやっとだった」というのは信じられないと言われましたので・・・その辺りを少々書いておきたいと思います。
私がプロを志したのは40歳の時に父親が66歳で亡くなった事がきっかけでした。
体質も良く似ているのでひょっとしたら自分も66歳前後で・・・と思ったら今の内からやりたい事をやっておかないと時間が無いと感じたのです。
しかしながらガス屋さんの仕事を続けながら自分のやりたい事をするには時間が無さ過ぎる、ここはサラリーマンに区切りを付けて定年後に描いていた自営業で濃い時間を過ごしたかったのです。
41歳の時に模型を仕事にしようと考えてみましたが、その時に普通の模型屋さんは失礼ながら既に経営は難しい状態となっていました。
何とか自分で値段をつけられる仕事を・・・と言う事で模型を作る事を目標にしたのが42歳の夏前だったと思います。
たまたまメイクアップさん、さかつうさん、Mr.クラフトで模型の製作者を募集されていましたので試験を受けました。
メイクアップさんはフェラーリの200GAを1台だったかな、MrクラフトさんはベネトンB196だったかな?を2台同じクオリティーで作って下さいという事でした、さかつうさんはコンテスト形式で応募の有った中から選ぶというやり方でしたね。
さかつうさんの場合はコンテスト形式で・・・と言う割には時間が無く何を出したのか忘れてしまいましたがとにかく誰も採用が無かったらしい。
確か高知の◯藤さんだったかなトヨタS800の良いのを作っていらっしゃったからこの方が採用だろうと思っていましたが・・・以前作った物を出してきた(未発表の作品とは書いて無かったのに・・・)という事で採用が無かった様でした。
その後さかつうさんはスロットレーシングの方に力を入れられてその後の経過は皆さんのご存知の通りです。
さかつうのY崎さんはヒロに行かれましたね、あの時は色々お話をさせて頂いて参考になりました満足にお礼も言う機会が無かったから・・・今になってしまいました。
Mr.クラフトは一応試験を通過しまして採用となりました、テストで作った作品も制作料を頂いたですし製作料の振り込み口座も登録してあったのにその後の発注は無しで・・・少し後で閉店してしまいました。これも皆さんのご存知の通りですね。
メイクアップさんはテスト用の作品を送ったのですがなかなかご連絡を頂けず・・・ダメかな?と思っていましたが11月頃でしたかお電話を頂きまして採用して頂きました。
ちなみにこの時点でテスト用の作品以外に1/43キットを作ったのは3つだけでしたね。
つまりテストを受ける前にはプラモデルは作っていましたしウレタンクリアーも使っていましたがメタルやレジンのキットはBBRのフィアットクーペ、MRコレクションのランボルギーニミウラSV、SRCのフェラーリ312PBの3つだけだったのです。
タメオのキットなど地方には売っていませんでしたから見た事も無かった・・・。
その3つのキットも東京に行く友人に無理を言って買ってきてもらったものや友人にもらった物しかなかったのです。
42歳の11月にはメイクアップで採用をして頂きまして12月には初めてメイクアップからご依頼を頂きました。
確かBBRのF40とレーシング43のリアカウルのみオープンのランチアストラトスアリタリアだったと思います。
初めて作るレーシング43に手こずりながらも何とか完成しました。
ハンダゴテを当てたら一瞬の内に部品が消滅してしまったり・・・
狭い社宅の居間で作業をしていたらピンセットからピンという音と共に部品が飛んでしまい家内にも3人の子供たちにも大変迷惑をかけてしまった事も有りましたね。
当分の間は昼間サラリーマン、夜は作品の製作の状態が続きましたね。
今となっては良い思い出ですが・・・
とても冷や汗物だったと記憶しています。
しかも当時はモデルカーレーサーズで早川さんや百瀬さん鈴木さん青山さんなど巨匠と呼ばれる方々が紹介されておりまして1/43となりますと全てあの方向性の作品を求められましたから・・・結構大変でしたよ(笑)
2004年の4月30日付けで退職して翌5月1日がStudio_Rossoの創立記念日ですね。
HPを始めたのは2004年の7月からだったと思います。
こんな事だったので最初はキットを作るだけで一杯一杯だったんですよ。
決して余裕が有った訳では有りませんし今でも余裕は余り有りませんね。
キットをお預かりして作る事、またその作る事で代金を頂く事全て責任が有る事なのでね・・・そんなに余裕が有る訳は有りません。
今では笑い話の様な事なのですが、最初の頃はお客様に頼まれたキットは使わずに同じキットをもう一個用意して作っていました、それも実はストレスの回避の方法の一つだったのです、つまりそれくらいストレスを感じていた訳ですね。
幸いにしてその予備のキットが役に立った事は未だかつて無いですけどね。
しかし、今は同じ方向性を目指した作品では飽き足らず・・・皆さんの作り方を参考にさせて頂きつつも一方で独自の方向性も織り込みながら製作してゆこうと考えております。
余り格好の良いお話では有りませんがこれが事実なのです。