熊本熊的日常

日常生活についての雑記

コーヒーの愉しみ

2008年06月07日 | Weblog
ロンドンに来て困ったことのひとつは、まともなコーヒー豆が手に入らないことだった。ようやく焙煎しながら売っている店をCamden Townに見つけたが、気軽に行ける距離ではない。次善の策として、職場近くのWaitroseで調達している。先日、両親の観光案内をしていた時、偶然Greenwich Marketでコーヒー豆を売っている出店を見つけた。ちょうど住処にあるコーヒー豆が残り少なくなってきたので、散歩がてら、その店にコーヒー豆を買いに行って来た。どの豆も227グラムで4.5ポンドと、Camden Townの店に比べると4割高だが、交通費の負担を考えれば割安かもしれない。

豆を買うと、さっそく住処に戻り、淹れてみた。欠陥豆が多いのは想定の範囲内である。Old Javaという深煎の豆を買ったのだが、果実性の香りがする。コーヒーはそもそも果実なので、ものによってはほのかに甘い果物のような香りがするものだ。湯を投じるとおもしろいように反応する。鮮度が良い証拠である。コーヒー豆は焙煎した瞬間から品質の変化が加速する。農作物であるから、生豆の状態でも品質は刻一刻と変化しているのだが、その変化の度合いは小さい。これが焙煎されると、活性酸素の影響もあり、豆の状態が顕著に変化するのである。「おいしい」状態というのは人によって様々な思い入れがあるようだが、大雑把に言うと、焙煎4日目がおいしい、という説から21日目説まである。確かに焙煎直後は、口腔から喉にかけてからみつくような旨味に欠け、コーヒーの色と風味がついた湯を飲んでいるような物足りなさがある。逆に焙煎から長期間を経たものは、脂ぎっていて、旨味はあるが不健康な感が否めない。

「おいしい」というのは、あくまで主観の問題なので、いろいろ試して自分の好みというものを発見すればよいと思う。私の場合、欲を言えば、焙煎から自分で手がけたい。ただ、そうなると豆の入手経路はより限定されて、東京ですら特定の場所でしか入手できなくなるし、焙煎自体も手間暇がかかる。今のところ、コーヒー一杯にそこまで時間をかける気はないので、焙煎された豆を買ってきて、そのハンドピックからが自分の領域ということにしている。抽出はハンドドリップだ。できればネルドリップにしたいのだが、やはり手間暇の限界というものがあるので、ペーパーフィルターを使っている。東京で暮らしていたときはコーノ式を使っていたが、こちらではコーノ式のペーパーが手に入らないのでメリタ式を使っている。

豆の鮮度が良いと、湯を投じた時にドームと呼ばれる隆起がある。よく見ると、ドームのなかで豆の粉が踊るようにうごめいている。この状態の時は、湯の投入を微量ずつにして意識的にドリッパーのなかの粉を蒸らさないといけない。湯の投入量が多めだと、蒸れる前にコーヒーがドリッパーから落ちてしまい、豆の持つポテンシャルが十分に湯に溶け出さないのである。しかし、鮮度の良い豆の時は湯一投毎にドリッパーの中の粉がぶくぶくと反応して気持ちがよい。コーヒーと会話をしているような気分になる。

豆の鮮度が悪いと、ドームはできない。少しずつ湯を投じるのだが、なかなか落ちない。落とすのに時間をかけすぎると、雑味が増えてしまい、後味が悪くなる。しかし、個人的には落とすのに苦労するくらいの状態のほうが好きである。できの悪い子供ほど可愛いというが、そんな感じかもしれない。

さて、今日購入したOld Javaだが、鮮度が良く、味は南国の島を彷彿とさせるものだ。香りは甘く、ボディは軽く、朝のコーヒーに良いのではないだろうか。しかし、個人的な好みとしては、むせ返るような香りと、フル・ボディの豆が好きである。