副都心線は開業して最初の平日を迎えた途端、遅延の連発である。原因は混雑と職員が機器類に不慣れなためだそうだ。
池袋、新宿、渋谷を結ぶのだから、混雑することくらい開業前からわかっていることだろう。開業前には試運転を何度もしているはずだろう。混雑や機器の操作に不慣れで、まともに動かない公共交通機関というものが果たして存在し得るものなのか。がっかりである。
3月28日付のこのブログで、ヒースロー空港第五ターミナルの開業時の混乱を書いたが、日本ならそんな無様な事態は起らないという意識が暗黙の前提として自分の中にあった。だから偉そうに「利用者不在」などと書いてしまった。副都心線も同じではないか。私の立場はどうなる? 恥ずかしくて穴があったら入りたい心境だ。そういうわけで、今、テーブルの下で縮こまってこのブログを書いている。
唐突だが、混雑と言えば、1978年6月の宮城県沖地震を思い出す。この時、東京も震度4を記録した。当時、私は高校生で、文化祭の準備をしていた。地震は午後5時過ぎだったこともあり、学内にいた生徒には、すぐに下校するようにとの指示が出た。普段と同じような調子で、友人と最寄の駅まで歩いて行き、そこから山手線に乗るつもりだった。ところが、震度4以上の地震では、在来線も列車の運行を止めて安全確認をすることになっている。山手線も止まっていた。外回りに乗るのだが、その駅に来る電車は渋谷、新宿方面からやって来る。間もなく列車の運行は再開されたのだが、やって来る電車はどれも超満員だった。しかも、当時はまだ、全ての車両に冷房が装備されていなかった。山手線の場合、10両編成で前後の各3両には冷房車が連結され、真ん中の4両は冷房なしの車両、というのがよくあるパターンだった。当然、夏は前後の冷房車のほうが混む。そこで、私たちは真ん中の車両に乗り込んだ。なんとか乗ってはみたものの、身動きのとれない状態で、友人は持っていた鞄を手放してしまった。電車が池袋に到着すると、乗客がどっと降りる。私は池袋で赤羽線に乗り換えるのだが、友人はそのまま西日暮里までいくはずだった。しかし、人の流れに乗って、ふたりとも池袋駅のホームに降りた。友人の鞄はない。電車の中は、池袋から乗車した人も多かったので、再び超満員である。冷房はないので、窓は全開。その超満員の車両に向かって、彼は「すいませーん。鞄ありませんかー」と大声で呼びかけた。すると、「これかー?」という男性の声とともに、窓から学生鞄が飛び出して来た。「ありがとうございまーす。」動き出した電車にふたりで頭を下げた。
6月中頃で、雨は降っていなかったが、けっこう蒸し暑い日だったと思う。地震で家路を急ぐ人たちで超満員の電車。しかも冷房なし。それでも、どこかほのぼのとしていたように思うのである。人の心には今よりも余裕があったように思うのである。確かに、時間を重ねているので、過去の日々が「古き良き時代」として自分に都合の良いように記憶されているのかもしれない。
ちなみに、1978年の刑法犯認知件数は1,540,717件、検挙件数は929,312件で検挙率は60.3%であるのに対し、2007年は認知件数が1,908,836件、検挙件数605,358件、検挙率31.7%である。(出所:警察庁「平成19年の犯罪情勢」)また、自殺者は1978年が20,788人で人口10万人あたり18.0人、2006年が32,155人で同25.2人である。(出所:警察庁「平成18年中における自殺の概要資料」)
以上、余談である。
池袋、新宿、渋谷を結ぶのだから、混雑することくらい開業前からわかっていることだろう。開業前には試運転を何度もしているはずだろう。混雑や機器の操作に不慣れで、まともに動かない公共交通機関というものが果たして存在し得るものなのか。がっかりである。
3月28日付のこのブログで、ヒースロー空港第五ターミナルの開業時の混乱を書いたが、日本ならそんな無様な事態は起らないという意識が暗黙の前提として自分の中にあった。だから偉そうに「利用者不在」などと書いてしまった。副都心線も同じではないか。私の立場はどうなる? 恥ずかしくて穴があったら入りたい心境だ。そういうわけで、今、テーブルの下で縮こまってこのブログを書いている。
唐突だが、混雑と言えば、1978年6月の宮城県沖地震を思い出す。この時、東京も震度4を記録した。当時、私は高校生で、文化祭の準備をしていた。地震は午後5時過ぎだったこともあり、学内にいた生徒には、すぐに下校するようにとの指示が出た。普段と同じような調子で、友人と最寄の駅まで歩いて行き、そこから山手線に乗るつもりだった。ところが、震度4以上の地震では、在来線も列車の運行を止めて安全確認をすることになっている。山手線も止まっていた。外回りに乗るのだが、その駅に来る電車は渋谷、新宿方面からやって来る。間もなく列車の運行は再開されたのだが、やって来る電車はどれも超満員だった。しかも、当時はまだ、全ての車両に冷房が装備されていなかった。山手線の場合、10両編成で前後の各3両には冷房車が連結され、真ん中の4両は冷房なしの車両、というのがよくあるパターンだった。当然、夏は前後の冷房車のほうが混む。そこで、私たちは真ん中の車両に乗り込んだ。なんとか乗ってはみたものの、身動きのとれない状態で、友人は持っていた鞄を手放してしまった。電車が池袋に到着すると、乗客がどっと降りる。私は池袋で赤羽線に乗り換えるのだが、友人はそのまま西日暮里までいくはずだった。しかし、人の流れに乗って、ふたりとも池袋駅のホームに降りた。友人の鞄はない。電車の中は、池袋から乗車した人も多かったので、再び超満員である。冷房はないので、窓は全開。その超満員の車両に向かって、彼は「すいませーん。鞄ありませんかー」と大声で呼びかけた。すると、「これかー?」という男性の声とともに、窓から学生鞄が飛び出して来た。「ありがとうございまーす。」動き出した電車にふたりで頭を下げた。
6月中頃で、雨は降っていなかったが、けっこう蒸し暑い日だったと思う。地震で家路を急ぐ人たちで超満員の電車。しかも冷房なし。それでも、どこかほのぼのとしていたように思うのである。人の心には今よりも余裕があったように思うのである。確かに、時間を重ねているので、過去の日々が「古き良き時代」として自分に都合の良いように記憶されているのかもしれない。
ちなみに、1978年の刑法犯認知件数は1,540,717件、検挙件数は929,312件で検挙率は60.3%であるのに対し、2007年は認知件数が1,908,836件、検挙件数605,358件、検挙率31.7%である。(出所:警察庁「平成19年の犯罪情勢」)また、自殺者は1978年が20,788人で人口10万人あたり18.0人、2006年が32,155人で同25.2人である。(出所:警察庁「平成18年中における自殺の概要資料」)
以上、余談である。