熊本熊的日常

日常生活についての雑記

梵音、雑音、騒音

2008年06月17日 | Weblog
「出離者は寂なるか、梵音を聴く」
仏教の言葉だそうだ。

ひとりで暮らしていると、音に敏感になるような気がする。朝は鳥の鳴声で目覚めることが多い。煩くて目覚めるというのではなく、目がさめて最初に聞こえてくる音が鳴声ということだ。人が活動を始める前の、静寂な空気のなかに響く音は心地よい。

夜、寝る前に本を読んでいるとき、ふと世界に自分だけしか存在していないのではないかと思わせる静寂を感じることがある。それもまた心地よい。

静寂が心地よいのは、それがたまにしか訪れないからだろう。都市で生活をしていれば、聞きたくもない雑音のなかにいなければならない。煩悩から解放され、浄寂の境地に達してしまえば、どのような音も梵音のように響くのかもしれない。しかし、生きている以上、煩悩から解放されることなどあり得ないのではないか。

ある種の病気の治療に、断食療法というものがある。狂ってしまった身体本来のリズムを取り戻すため、食という生命の根源にかかわる行為をリセットするということらしい。光に関しても似たような治療があり、決まった時刻に一定の時間、強い光を浴びることで、身体のリズムを調整するのだという。音に関しても、本来的なものがあるのではないだろうか。