熊本熊的日常

日常生活についての雑記

須賀敦子

2008年06月27日 | Weblog
須賀敦子という人の書いたものを、何故、自分は今まで知らなかったのだろうと不思議に思った。須賀敦子という文筆家を知ったのは、3月に休暇で東京に帰った時、宿泊先のホテルで手にした日経新聞の文化面に特集記事が出ていたからだ。新聞を読むという習慣を失って久しいのだが、その日の朝はたまたまロビーに積んであった新聞を手にしたのである。

その記事で、須賀敦子が「静かなブーム」だと書いてあった。記事の中央左側にコルシア・デイ・セルヴィ書店で撮影されたという若き日の須賀氏の写真があった。この書店がただの書店ではないことは、その時はまだ知らなかった。興味を持った本をアマゾンのサイトで検索し、読みたいと思ったものをカートに入れ、カートの中身が送料も含めて2万円くらいになると発注することにしている。さっそく河出文庫に収められている須賀敦子全集全8巻をカートに入れた。その全集は他の本とともに5月21日に手元に届いた。届いた本を一冊ずつ読んでいき、6冊目に手にしたのが須賀敦子全集の第1巻だ。

不思議な本である。これまでに自分が出会ったことの無い種類の本だ。内容が面白いわけではない。作者の個人的な出来事が淡々と綴られただけのものだ。ミラノという場所もイタリア人という人たちも、自分にとっては全く無縁である。作者が生きた時代にしても、自分にとっては現実感の伴わない過去のことに過ぎない。それなのに、ひとたび読み始めると、その文章の流れから目が離せなくなってしまうのである。他人の書いた文章をとやかく言える立場にはないのだが、それにしても、美しいというのか、好ましいというのか、その文章によって描き出される風景のなかに引き込まれてしまう、とでも言えばよいのだろうか。

以前にも書いたと思うが、本を読むときはいつも付箋を手元に用意して、気になったり気に入ったりしたところに貼っていく。この本に貼られた付箋の数はわずかなものでしかない。それなのに、読み終わった後の満足度が異様に高い。文庫とはいえ、400頁を超えるので、一気に読み通すというわけにはいかないが、それでも全8巻を読み終えるのにそれほど時間はかからないような気がする。