熊本熊的日常

日常生活についての雑記

備忘録 St Ives 2日目

2008年06月22日 | Weblog
前日は21時頃に就寝したと思うが、今朝目がさめたら7時を過ぎていた。外は快晴。初めての場所の雨天と晴天を両方体験できるとは幸運なことである。朝食の時間は8時半から9時半の間と聞いていたので、その前に宿の周りを散策する。

風景において光の影響がいかに大きいかということは、同じ景色を雨のなかと晴れの時とで比較するとよくわかる。朝8時頃なのに、砂浜には既に人の姿がある。水のなかに入っている人もいる。こちらの人にとって、夏の日というのはそれほど待ち焦がれていたものなのだろう。最初、St Ivesの市街まで9時12分発の列車に乗ることを考えたが、海岸沿いに遊歩道があるのを見つけたので、こちらで行くことにして、ひとまず宿へ朝食に戻る。

朝食はいろいろ選択があったが、せっかく典型的な英国風の宿に宿泊しているのでフル・イングリッシュ・ブレックファストをいただく。決して美味しいわけではないのだが、歴史のなかで培われた味に暖かさとか安心を感じる。

宿を9時10分過ぎに出て、海沿いの遊歩道をSt Ivesへ向かって歩く。道は鉄道とほぼ平行しており、時に線路を跨ぎながら絡まるように延びている。Carbis Bayでは遊歩道が海岸を舐めるように走り、鉄道は高架上だったが、海岸を過ぎると遊歩道は木立に囲まれた急な登り坂になり、やがて線路を跨ぐ陸橋に続く。そこで一旦視界が開けるが、すぐに木立のなかに埋もれ、木漏れ日のなかを歩くようになる。それまでは人と人とがすれ違うのも難儀な道幅でしかなかったのが、突然、車が通ることができるような幅と平坦さになる。道の左右には別荘地のような景色が広がる。さらに進むと木立が途絶え、目の前にSt Ivesの港と町が広がるのである。下手な映画を観ているよりも心が躍る。再び視界は木々にさえぎられるが、それは一瞬のことで、道は下り坂になり、再び線路を跨ぎ、目の前の海岸に向かって降りていく。

Carbis Bayに立っていた道標にはSt Ivesまで1.5マイルとあったが、St Ivesの駅がある海岸までの所要時間は約30分ほどだ。今日中にロンドンに戻らなければならないという制約はあるが、今回の旅はSt Ivesという場所を見ることが目的なので、もう急ぐ必要は全くない。そもそも、私はもはや何事においても急ぐ必要がない年齢に達している。数秒後にはこの世にいないかもしれないし、数十年後もこうしてブログを書いていて、「まだやってんのかよ」と呆れられているかもしれない。いずれにしても、心安く終わることだけを願っている。だから、今、目の前にあることをあるがままに受け容れ、甘受することが残された時間の正しい使い方だと思っている。

St Ivesはそうした、先を急がない人にはうってつけの町で、街並みの広がりといい、海岸線といい、なんともいえない風情と美しさがあり、いつまで眺めていても飽きることがない。町の大きさもこじんまりとしていてよい。人を風雨から守るかのような家並みや通りの様子が安心感を与えるし、最果てな感じと町の賑わいとの対比も面白い。人と人との距離が遠すぎず近すぎず、程良い間合いがとれそうな予感を与える。海がきれいなのもよい。

最果て、と言えば、St Ives Headという海に突き出た場所がある。そこはThe Islandとも呼ばれているようなので、もともとは島だったのかもしれない。その場所は一面芝生の丘のようになっていて、その緑の丘の頂上に小さな石造りの教会がある。この何も無い丘、その向こうに広がる海、頭上の青い空、丘の上の小さな小屋、その風景がいかにも最果てという感じがしてよいのである。

よく、老年期を迎えたら都会で暮らすのがよいのか、田舎で暮らすのがよいのか、という話題がある。あくまで個人の考え方とかライフスタイルの問題であって、どちらが良いとか悪いというような議論ではない。私はこれまでの生活の基盤が東京とその周辺にあるので、いよいよ老年期になったら住み慣れたところがよいのではないかと最近までは思っていた。しかし、今は東京にこだわることもないと思うようになっている。生活というのはその気になりさえすれば、快適であるか否かは別にして、どこでも営むことができる。特に今は生活に必要なものというのはそれほどないということが確認できたので、その時の状況に応じて決めればよいと考えるようになった。

それはさておき、この古い街並と、そこに集まる芸術家たちとのかかわりが興味深い。19世紀に鉄道がこの地にまで開通して以来、その自然の美しさもあって、芸術家が集まってくるようになったのだそうだ。ターナーの絵にもこの地の風景を描いたものがあるし、ここを活動の拠点とした画家は数知れない。日本との関わりもある。香港生まれで日本育ちの英国人バーナード・リーチは日本で陶芸を学び、1920年に濱田庄司とともに、ここで窯を開いた。英国に限らず、当時の欧州では、陶芸に対する芸術としての評価は低く、工業製品としての均整の取れた製品のほうが優れているという考え方が支配的であったという。たぶん、世間一般のレベルでは今でも手びねりで作ったような作品はこの国では評価されないのではないかと思う。このため、リーチの作品は容易に評価が得られず、1950年代になって、ようやく米国で注目されるようになったという。ほかにこの地を活動拠点とした芸術家ではバーバラ・ヘップワースを挙げることができる。彼女の住居兼工房跡はTATE St Ives別館として公開されている。彼女の名前は今日初めて知ったが、彼女の作品には見覚えがあった。ようやく作品と作者が結びついて、なんとなく自分のなかのふわふわとしたものがひとつ落ちついた感じがした。

バーバラ・ヘップワースの作品のなかには、ジャコメッティの初期の作品や、ヘンリー・ムーアの作品を髣髴させるものがある。かねがね自分の目と他人の目がどの程度同じでどの程度違うものなのか興味があった。自分と他人とが同じ風景を前にしたとき、果たして自分と同じものを彼・彼女は見ているのだろうか、という素朴な疑問が常に自分のなかにある。「群盲象を撫でる」とか「衆盲象を模す」という言葉がある。機能として視覚を備えていても、果たして自分には見えるべきものが見えているのだろうかという疑問も同時にある。例えば、本を読んだり映画を観たりしたときに、その感想を人と語り合うと、物事の受け取り方とか理解の仕方が人によってこうも違うものかと驚くことがある。それは驚きでもあるし、自分が他人と違うことへの安心でもあるし、不安でもある。一方で、こうして、美しさの造形において似たようなものが現れるというのは、人の感覚の共通性を示唆するものとして興味深いし、なんとなく安堵を覚えることでもある。

港は、昔は漁港だったのだろうが、今はヨット・ハーバーのようになっている。その港に面したところには食べ物の店や画廊が軒を連ねている。日が差し込むショー・ウインドーに絵を並べておいてよいのか、とも思うのだが、ともかくそういう店がある。港のあたりは町の繁華街の一角になっているが、そこから内陸へ向けて商店街が続く。ここで目を引くのは名物コーニッシュパイの店だ。ロンドンでみかけるものより一回り大きい。それで値段はロンドンと変わらない。そんなコーニッシュパイの店のなかで、オープンキッチンにして、通行客からパイの調理過程が見えるようにした店があった。既に昼近い時間になっていたので、このPengenna Pastiesという名の店でコーニッシュパイの”Traditional”と、スコーンをひとつ買った。パイが3ポンドでスコーンは35ペンスだった。

あつあつのコーニッシュパイを抱えて駅へ向かう。12時40分発の列車に乗って、昨日とは逆のコースでNewquayへ向かう。St Erthまでは距離が短いので遅延することはない。St Erthでも隣のPenzance駅が始発の列車に乗るので、定刻通りである。ここからParまでは1時間ほどだが、やはり定刻通りParに着く。問題はここからである。Parで乗車する予定のNewquay行きの列車は遠くロンドンからやってくる。定刻通りに着くはずがないのである。その列車は定刻を30分ほど遅れ15時10分にParを後にした。ParとNewquayの間には停車駅が無いのだが、単線であり、線路もそれなりなので速度はゆっくりとしたものである。遅れが短縮されることなく、16時15分Newquayに到着。

NewquayとSt Ivesとの違いは、結局、町の品格のようなものの差ではないかと思う。どちらも元は漁村であったのだろうが、片や芸術家が集まり、片やそれほどでもない人々が集まるという時間の積み重ねが、街並みの様相を変化させ、そこに有形無形の差異を蓄積したのではないかと思うのである。人も同じであろう。どれほど表面を取り繕ったところで、そこに至る時間の蓄積というのは隠しようがない。だから見栄はそれとわかってしまうし、付け焼き刃の知識はいかにも付け焼き刃に聞こえるのである。自分を飾るつもりのものが、結果として自分を貶めてしまうというのは皮肉なことだ。

空港へのバスは、1時間に1本である。飛行機の出発時刻は18時15分だが、小さな空港なので、30分前くらいまでにチェックインできればよいのではないかと考えた。それでタクシーは使わず、17時05分発のバスを待つことにした。バスは定刻通り17時27分に空港に到着。自分の乗る飛行機はまだ空港に姿がなかったがBAのB737が駐機している。ヒースローやガトイックで見れば小さな飛行機なのだが、ここで見ると巨大に見える。このBAは18時ちょうどに出るLondon Gatwick行きである。この空港では空港税が徴収される。出発客に対し1人5ポンドである。今日の飛行機はWOW110便。定刻通りPlymouthから到着。この便はロンドン着が19時25分と使い勝手が良い時間である所為か、満席だった。London Gatwickには定刻通り到着。19時35分発のGatwick ExpressでLondon Victoriaに出る。

ロンドンに着いてからも問題がある。今日は日曜なのであちこちの鉄道路線で工事による運休がある。普段通勤に利用している地下鉄Jubilee LineはGreen ParkとNorth Greenwichの間が運休。昨日の朝、自宅の最寄駅からLondon Charing Crossまで利用したSoutheasternも今日は運休。そこで、地下鉄District LineでMonument駅に行き、そこでDLRに乗り換えて、Cutty Sarkで降り、バスで帰ろうと考えた。

Monumentまでは順調だった。ところがDLRのホームが混雑している。電車の本数が少ないのである。外は明るいので、昼間と同じ感覚に陥ってしまうのだが、日曜の夜なので、公共交通機関はそれなりの運行しかしていない。おまけに大騒ぎをしている若者の一団もいる。厄介なことに巻き込まれたくはないので、最初にやってきた電車に乗る。King George V行きだったので、Cutty Sarkへ行くには途中のWestferryで乗り換えなければならない。ところがWestferryのホームにも別の若者の団体がいて、Cutty Sark方面へ行く電車を待っている様子だ。急遽予定を変更して、このままCanning Townまで行き、そこで地下鉄Jubilee Lineに乗ることにした。Canning Townでの乗り換えは順調だったが、保線工事のため電車が次のNorth Greenwichで折り返すというアナウンスに激怒しているオヤジがいる。手近な客をつかまえては、「なぜ、ロンドン市内までいかないんだ。おかしいと思うだろう?」と絡んでいる。日曜の夜は出歩くものではない。幸い、オヤジが私のいる場所に到達する前に電車はNorth Greenwichに到着し、難を逃れることができた。通勤ではこの駅から歩くのだが、もうへろへろだったので、停車していたバスに乗った。住処には21時10分に着いた。