雨が降っている。午前7時に宿をチェックアウトする。昨日着いたManchester Piccadillyではなく、市街の北側にあるManchester Victoria駅へ向かって歩く。Victoria駅には7時20分頃に着く。駅は閑散としている。売店も閉まったままである。出発列車を示す電光表示板を見ると自分が乗るはずの列車が無い。駅員に尋ねると、6番ホームから出発すると言って、照明が落ちたままになっている3両編成の列車を指差した。今日は7時43分発のNewcastle行きに乗ってYorkで下車することになっている。
その真っ暗な列車が停車しているホームには5人の乗客がベンチに腰掛けたり寝そべったりしている。その数は少しずつ増え、10人ほどになった7時25分頃に列車のエンジンが始動する。この列車は気動車なのである。英国では幹線でも電化されていない路線は珍しくない。7時30分頃に照明が灯り開扉し、定刻通り出発。出発時刻までに乗客はそれほど増えず、3両編成でも車内も駅と同様に閑散としていた。列車は緑の丘陵地帯を、時々トンネルをくぐりながら進行する。ロンドンでもマンチェスターでも、都市部を離れるとすぐにこうした広々とした風景が広がる。日本との人口密度の違いを感じるのは、こうした郊外の風景を眺めている時だ。定刻通り9時7分にYorkに到着。
ヨークに着いてまずは腹ごしらえ。エキナカのカフェでMini English Full Breakfastというのを注文する。飲み物の選択を尋ねられたのでコーヒーを頼む。サイズをRegularとLargeから選ぶようになっていたので迷わずRegularにする。まず、コーヒーが運ばれてくる。そのカップの大きさにのけぞる。自分の中の「コーヒーカップ」の範疇を大きく逸脱した大きさだ。しかも既にミルクがたっぷり入っている。コーヒーというよりホットコーヒー牛乳という感じ。しかし、下手なコーヒーよりは、こちらのほうが美味しい。ほどなくして料理も運ばれてくる。「mini」で正解だ。ゆっくりと時間をかけて食事を頂き、駅の待合にあった自動販売機で市街地図を買って外に出る。雨は降った様子が無く、薄日がさしている。
駅舎から外に出ると、いきなり目の前に城壁がある。歩き出した途端に壁にぶつかるというのは、なんとなく自分の人生のようで苦笑してしまう。地図には城壁の内側が書かれているが、これから行こうとしている鉄道博物館は壁の外側なので、とりあえず地図は役に立たない。街の至るところに道標があり、主な施設の方向がわかるようになっているのは英国では当たり前のこと。その指し示す方向に向かって歩いていくと、ここにも大観覧車が現れた。英国では観覧車が流行らしい。博物館は10時開館で開館時間まで10分ほどあるが、すでに入り口には30名ほどの人が並んでいる。
博物館は入場無料なのだが、入場の際に登録をする必要がある。その受付でガイドブックを購入することができる。普段、博物館や美術館のガイドブックなど買ったりしないのだが、ここは特別なので迷わず購入。博物館のガイドブックと鉄道に関する知識をまとめた小冊子の2冊で5.5ポンド。
秋葉原にあった交通博物館の価値は、実物車両もさることながら、精巧に作られた模型にあると思う。少なくとも自分のなかでは、交通博物館と言えば、ガラスケースのなかに並ぶ模型である。ここNational Railway Museumの場合は実物のほうが展示の要である。ここが「世界最大」の鉄道博物館と称されるのは、30両という数の英国鉄道史を物語る動態保存車両による、と私は思う。しかし、せっかくここに来ても、そうした動態保存車両が勢揃いしている姿を見ることはできない。英国内各地の保存鉄道に貸し出されているからだ。となると、ここは「世界最大」とは呼べない状況になるのではなかろうか。それでも、実機中心の展示は興味深いものばかりで、特に第二次大戦中、兵員や兵器の輸送のために、生産資材不足のなかで工夫しながら設計・製造したという機関車は印象的だった。日本の場合、戦時に設計されたものは既存の形式のものの部材を代替品に変更するというのが主で、これほど外見を変えてしまうというのは例が無い。その発想の大胆さにこの国の人々の創造性を感じた。
ここに日本の新幹線0系の先頭車両が一両保存されている。車両の中に入ることもでき、その所為なのかもしれないが、この新幹線車両が展示車両のなかで最も人気があるように見えた。ただ、このような形で日本の鉄道が紹介される機会もあるわけだし、来日した外国人が日本の鉄道を利用する機会も当然あるのだから、車内の快適性というものを世界に誇れるような利用者本位のものへ高める必要があるのではないだろうか。新幹線普通車両の3-2という座席配置はいかにも窮屈である。英国の長距離列車は2-2が基本だし、欧州大陸では2-1という列車に乗車したことがある。確か、オーストリア国鉄の客車だったと記憶している。速くて快適で安全、というのが鉄道のあるべき姿だと思うのである。
鉄道博物館を1時間半ほど見学した後、市街へ向かう。もう見たいものは見たので、後はロンドンへの列車の時間までの暇つぶしでしかない。とりあえずヨークの象徴とも言えるYork Ministerを訪ねる。今日は日曜なので礼拝が行われている。ふと道標に"Art Gallery"の文字を見つける。George Stubbsの"Whistlejacket"がロンドンのNational Galleryからここヨークの美術館に貸し出されていることを思い出し、せっかくなのでその馬を見に行く。
York Art GalleryではGeorge Stubbs展の開催中だった。Stubbsは画家としてのキャリアの初期をヨークで過ごしていること、Whistlejacketも競走馬としてのキャリアにおいて重要なレースでの勝利をヨークで収めていることから今回の展覧会が企画されたのだそうだ。Whistlejacketを観ることも価値があるのだが、Stubbsの手による馬の解剖学の本の実物を見るのも貴重な体験だ。馬好きの画家だったということは知ってはいたが、これほどまでに馬に入れ込んでいるとは画家というよりも馬の獣医のようですらある。
この美術館は小さなものだが、常設展示のなかには興味深いものもある。コンテンポラリーのコーナーがあるのはどこの公共美術館も同じなのだが、ここで特筆すべきは陶芸作品のコレクションである。数は少ないが、世界各地から作品を集めており、日本の作品としは富本憲吉の東京時代の作品とみられる絵皿、濱田庄二の酒瓶などがある。バーナード・リーチのいかにもそれらしい絵皿もあった。こうして眺めてみると、アフリカの作品はアフリカでしか発想されないような意匠や色使いがなされ、オーストラリアの作品にはアボリジニー的なものと英国的なものが混ざり合ったような雰囲気がある。スペインの作品にはアフリカの素朴な風合のようなものが感じられる。同じ欧州大陸でも、ベルギーやデンマークの作品はモダンで、ドイツの作品には均整のとれた形式美がある。英国の現代作家によるものは、やや饒舌に過ぎる印象がある。そんなことを思いながら舐めるように眺めてしまった。
Art Galleryを出たのが12時半頃。城壁の中に入り、昼ご飯を食べる場所を探す。Art Galleryの向かいにある城門を抜け、High PetergateからLow Petergateへと進み、ごちゃごちゃとした細い路地に入っていく。昔ながらの建物が意図的に残されているのだろう。木造の歪みきった古い家屋が並ぶ。通りは狭い所為もあるのだが、観光客で溢れ返っている。昔はこんなふうに外国の町を歩いていると、なんともいいようのない微妙な不安を感じたものだが、今はどこに行っても自分がその風景のなかに溶けて消えてしまっているかのような気分になる。あるいは本当に、もうこの世にはいないのかもしれない。
人込みを抜け、少し広い通りへ出る。Parliament Streetと書いてある。やけに大きな公衆トイレが道路の真中にある。そのトイレを過ぎたところでCoppergateという通りに折れ、川のほうへ向かう。橋の手前でCastlegateへ折れ、軒を並べるカフェを覗いてみるが入る気が起こらない。そのまま進むと目の前が開ける。Clifford's Towerが立っている。この風景もヨークの絵葉書などによく登場する。この古い塔を見上げる場所にある翠園という中華料理屋に入ることにする。先客は2組。中国人の4人組と西洋人の4人組。どちらも賑やかなテーブルだが、何故かどちらからも女性の声しか聞こえてこない。男性陣はどうしたのか。ここでランチセットのメニューから、コーン卵スープと焼豚と野菜のオイスターソース炒めとバニラアイスを頂く。
子供の頃は中華料理のスープといえばコーン卵スープが自分の中では定番だった。今でも記憶にあるのは、新宿の伊勢丹のなかにあった留園という中華料理店だ。本店は芝にあり、リンリンランランという中国人姉妹の歌手がテレビコマーシャルをしていた。ここの焼売は、それまで母の手作りとか、赤羽のセキネとか、駅弁の崎陽軒の焼売しか知らなかった私の舌には革命的な味に感じられたものである。その留園のセットメニューのスープがやはりコーン卵スープだった。そういえば最近、コーン卵スープを食べていないと思い、メニューの前菜の一番最初にあったコーン卵スープを注文したのである。そもそもロンドンに渡ってきてからは中華料理を食べる機会に恵まれない。勤務先の日本人会の集まりで職場近くの中華料理店に2回行っただけである。昨日のブログにも書いたが、前回、留学でマンチェスターにいた頃はチャイナタウンの中華料理屋に出かけることもあった。当時は自炊ではなかったこともあり、米飯を食べたいと思えば、ちょっとヘンな日本料理屋へ行くか、まともな中華料理屋または韓国料理屋へ行くしかなかった。今は自炊なので、毎日のように米飯を食べており、わざわざ外食に出かける動機も機会もない。そんなわけで、久しぶりの中華料理はとてもおいしく頂いた。
中華料理屋を出ると雲がそれまでより低く垂れこめている。目の前のClifford's Towerの周りを歩いているうちに雨が降り出した。まだロンドンへの列車の時刻まで1時間半ほどあるが、このまま駅へ向かうことにした。Skeldergate Bridgeを渡り、城壁の上に登る。そこから城壁の伝いに駅近くまで行き、Station Roadに降り、そのまま通りを駅へ行く。城壁の内側は、川の東側は古い街並みだが、西側はどこにでもあるような家並みであった。雨は激しさを増し、傘をさしていたにもかかわらず、駅に着く頃には膝から下がびっしょり濡れてしまった。
駅では列車の時刻まで1時間近く余裕があった。その間に雨が上がり日がさしてきた。天気が変わりやすいのは英国内どこでも同じようだ。駅に着いたときには乗車予定の列車が15分ほど遅延している旨の表示があったが、いつのまにか定刻通りということになっている。結局、その列車は1分遅れて15時32分にYorkを発車した。車内は満席で、しかも予約したはずの席が埋まっていたりということがあちこちで起こっており、少し混乱していた。私の座るはずの席にいた人曰く、予約システムが壊れている、とのこと。確かにそうかもしれない。しかし、客のほうが、間違えて別の席を占拠し、それで玉突きのように全体の座席が狂ってしまったという可能性もあるだろう。そもそも間違いの元は車両の編成にある。長距離列車の場合、起点(この場合はロンドン)に向かって車両A、B、C、…とアルファベットが振られている。ところがこの列車はA、B、C、E、F、…とDが抜けている。私の席も車両Dにあるはずなのだが、その席が車両ごと無いのである。ところが、車両Cの乗降口近くの窓に「D」と書いた紙が貼ってある。だから私もこの車両C(D)に乗車した。そして、この有様なのである。別にたいしたことではないので、手近に空いている席を確保し、そのままロンドンまで来てしまった。列車は定刻通り17時30分にLondon King's Cross駅に到着した。
ついでながら、こちらでは鉄道の「座席指定料金」というものは無い。事前に列車の予約をすると座席が指定されるが、それによる追加料金は発生しないのである。それどころか、乗車券は当日購入するより、事前に購入したほうが安いのである。確かにこのような混乱があるから、指定料金などを設定してしまうと混乱が助長される懸念はある。追加料金が無いから乗客が席に執着せず、混乱があっても諦めがつくという面もあるだろう。
King's Crossからは地下鉄Northern LineでLondon Bridge駅へ行き、そこで地下鉄Jubilee Lineに乗り換えてNorth Greenwichに出る。Jubilee Lineに少し遅れが出ていたが、住処には18時45分に着いた。
その真っ暗な列車が停車しているホームには5人の乗客がベンチに腰掛けたり寝そべったりしている。その数は少しずつ増え、10人ほどになった7時25分頃に列車のエンジンが始動する。この列車は気動車なのである。英国では幹線でも電化されていない路線は珍しくない。7時30分頃に照明が灯り開扉し、定刻通り出発。出発時刻までに乗客はそれほど増えず、3両編成でも車内も駅と同様に閑散としていた。列車は緑の丘陵地帯を、時々トンネルをくぐりながら進行する。ロンドンでもマンチェスターでも、都市部を離れるとすぐにこうした広々とした風景が広がる。日本との人口密度の違いを感じるのは、こうした郊外の風景を眺めている時だ。定刻通り9時7分にYorkに到着。
ヨークに着いてまずは腹ごしらえ。エキナカのカフェでMini English Full Breakfastというのを注文する。飲み物の選択を尋ねられたのでコーヒーを頼む。サイズをRegularとLargeから選ぶようになっていたので迷わずRegularにする。まず、コーヒーが運ばれてくる。そのカップの大きさにのけぞる。自分の中の「コーヒーカップ」の範疇を大きく逸脱した大きさだ。しかも既にミルクがたっぷり入っている。コーヒーというよりホットコーヒー牛乳という感じ。しかし、下手なコーヒーよりは、こちらのほうが美味しい。ほどなくして料理も運ばれてくる。「mini」で正解だ。ゆっくりと時間をかけて食事を頂き、駅の待合にあった自動販売機で市街地図を買って外に出る。雨は降った様子が無く、薄日がさしている。
駅舎から外に出ると、いきなり目の前に城壁がある。歩き出した途端に壁にぶつかるというのは、なんとなく自分の人生のようで苦笑してしまう。地図には城壁の内側が書かれているが、これから行こうとしている鉄道博物館は壁の外側なので、とりあえず地図は役に立たない。街の至るところに道標があり、主な施設の方向がわかるようになっているのは英国では当たり前のこと。その指し示す方向に向かって歩いていくと、ここにも大観覧車が現れた。英国では観覧車が流行らしい。博物館は10時開館で開館時間まで10分ほどあるが、すでに入り口には30名ほどの人が並んでいる。
博物館は入場無料なのだが、入場の際に登録をする必要がある。その受付でガイドブックを購入することができる。普段、博物館や美術館のガイドブックなど買ったりしないのだが、ここは特別なので迷わず購入。博物館のガイドブックと鉄道に関する知識をまとめた小冊子の2冊で5.5ポンド。
秋葉原にあった交通博物館の価値は、実物車両もさることながら、精巧に作られた模型にあると思う。少なくとも自分のなかでは、交通博物館と言えば、ガラスケースのなかに並ぶ模型である。ここNational Railway Museumの場合は実物のほうが展示の要である。ここが「世界最大」の鉄道博物館と称されるのは、30両という数の英国鉄道史を物語る動態保存車両による、と私は思う。しかし、せっかくここに来ても、そうした動態保存車両が勢揃いしている姿を見ることはできない。英国内各地の保存鉄道に貸し出されているからだ。となると、ここは「世界最大」とは呼べない状況になるのではなかろうか。それでも、実機中心の展示は興味深いものばかりで、特に第二次大戦中、兵員や兵器の輸送のために、生産資材不足のなかで工夫しながら設計・製造したという機関車は印象的だった。日本の場合、戦時に設計されたものは既存の形式のものの部材を代替品に変更するというのが主で、これほど外見を変えてしまうというのは例が無い。その発想の大胆さにこの国の人々の創造性を感じた。
ここに日本の新幹線0系の先頭車両が一両保存されている。車両の中に入ることもでき、その所為なのかもしれないが、この新幹線車両が展示車両のなかで最も人気があるように見えた。ただ、このような形で日本の鉄道が紹介される機会もあるわけだし、来日した外国人が日本の鉄道を利用する機会も当然あるのだから、車内の快適性というものを世界に誇れるような利用者本位のものへ高める必要があるのではないだろうか。新幹線普通車両の3-2という座席配置はいかにも窮屈である。英国の長距離列車は2-2が基本だし、欧州大陸では2-1という列車に乗車したことがある。確か、オーストリア国鉄の客車だったと記憶している。速くて快適で安全、というのが鉄道のあるべき姿だと思うのである。
鉄道博物館を1時間半ほど見学した後、市街へ向かう。もう見たいものは見たので、後はロンドンへの列車の時間までの暇つぶしでしかない。とりあえずヨークの象徴とも言えるYork Ministerを訪ねる。今日は日曜なので礼拝が行われている。ふと道標に"Art Gallery"の文字を見つける。George Stubbsの"Whistlejacket"がロンドンのNational Galleryからここヨークの美術館に貸し出されていることを思い出し、せっかくなのでその馬を見に行く。
York Art GalleryではGeorge Stubbs展の開催中だった。Stubbsは画家としてのキャリアの初期をヨークで過ごしていること、Whistlejacketも競走馬としてのキャリアにおいて重要なレースでの勝利をヨークで収めていることから今回の展覧会が企画されたのだそうだ。Whistlejacketを観ることも価値があるのだが、Stubbsの手による馬の解剖学の本の実物を見るのも貴重な体験だ。馬好きの画家だったということは知ってはいたが、これほどまでに馬に入れ込んでいるとは画家というよりも馬の獣医のようですらある。
この美術館は小さなものだが、常設展示のなかには興味深いものもある。コンテンポラリーのコーナーがあるのはどこの公共美術館も同じなのだが、ここで特筆すべきは陶芸作品のコレクションである。数は少ないが、世界各地から作品を集めており、日本の作品としは富本憲吉の東京時代の作品とみられる絵皿、濱田庄二の酒瓶などがある。バーナード・リーチのいかにもそれらしい絵皿もあった。こうして眺めてみると、アフリカの作品はアフリカでしか発想されないような意匠や色使いがなされ、オーストラリアの作品にはアボリジニー的なものと英国的なものが混ざり合ったような雰囲気がある。スペインの作品にはアフリカの素朴な風合のようなものが感じられる。同じ欧州大陸でも、ベルギーやデンマークの作品はモダンで、ドイツの作品には均整のとれた形式美がある。英国の現代作家によるものは、やや饒舌に過ぎる印象がある。そんなことを思いながら舐めるように眺めてしまった。
Art Galleryを出たのが12時半頃。城壁の中に入り、昼ご飯を食べる場所を探す。Art Galleryの向かいにある城門を抜け、High PetergateからLow Petergateへと進み、ごちゃごちゃとした細い路地に入っていく。昔ながらの建物が意図的に残されているのだろう。木造の歪みきった古い家屋が並ぶ。通りは狭い所為もあるのだが、観光客で溢れ返っている。昔はこんなふうに外国の町を歩いていると、なんともいいようのない微妙な不安を感じたものだが、今はどこに行っても自分がその風景のなかに溶けて消えてしまっているかのような気分になる。あるいは本当に、もうこの世にはいないのかもしれない。
人込みを抜け、少し広い通りへ出る。Parliament Streetと書いてある。やけに大きな公衆トイレが道路の真中にある。そのトイレを過ぎたところでCoppergateという通りに折れ、川のほうへ向かう。橋の手前でCastlegateへ折れ、軒を並べるカフェを覗いてみるが入る気が起こらない。そのまま進むと目の前が開ける。Clifford's Towerが立っている。この風景もヨークの絵葉書などによく登場する。この古い塔を見上げる場所にある翠園という中華料理屋に入ることにする。先客は2組。中国人の4人組と西洋人の4人組。どちらも賑やかなテーブルだが、何故かどちらからも女性の声しか聞こえてこない。男性陣はどうしたのか。ここでランチセットのメニューから、コーン卵スープと焼豚と野菜のオイスターソース炒めとバニラアイスを頂く。
子供の頃は中華料理のスープといえばコーン卵スープが自分の中では定番だった。今でも記憶にあるのは、新宿の伊勢丹のなかにあった留園という中華料理店だ。本店は芝にあり、リンリンランランという中国人姉妹の歌手がテレビコマーシャルをしていた。ここの焼売は、それまで母の手作りとか、赤羽のセキネとか、駅弁の崎陽軒の焼売しか知らなかった私の舌には革命的な味に感じられたものである。その留園のセットメニューのスープがやはりコーン卵スープだった。そういえば最近、コーン卵スープを食べていないと思い、メニューの前菜の一番最初にあったコーン卵スープを注文したのである。そもそもロンドンに渡ってきてからは中華料理を食べる機会に恵まれない。勤務先の日本人会の集まりで職場近くの中華料理店に2回行っただけである。昨日のブログにも書いたが、前回、留学でマンチェスターにいた頃はチャイナタウンの中華料理屋に出かけることもあった。当時は自炊ではなかったこともあり、米飯を食べたいと思えば、ちょっとヘンな日本料理屋へ行くか、まともな中華料理屋または韓国料理屋へ行くしかなかった。今は自炊なので、毎日のように米飯を食べており、わざわざ外食に出かける動機も機会もない。そんなわけで、久しぶりの中華料理はとてもおいしく頂いた。
中華料理屋を出ると雲がそれまでより低く垂れこめている。目の前のClifford's Towerの周りを歩いているうちに雨が降り出した。まだロンドンへの列車の時刻まで1時間半ほどあるが、このまま駅へ向かうことにした。Skeldergate Bridgeを渡り、城壁の上に登る。そこから城壁の伝いに駅近くまで行き、Station Roadに降り、そのまま通りを駅へ行く。城壁の内側は、川の東側は古い街並みだが、西側はどこにでもあるような家並みであった。雨は激しさを増し、傘をさしていたにもかかわらず、駅に着く頃には膝から下がびっしょり濡れてしまった。
駅では列車の時刻まで1時間近く余裕があった。その間に雨が上がり日がさしてきた。天気が変わりやすいのは英国内どこでも同じようだ。駅に着いたときには乗車予定の列車が15分ほど遅延している旨の表示があったが、いつのまにか定刻通りということになっている。結局、その列車は1分遅れて15時32分にYorkを発車した。車内は満席で、しかも予約したはずの席が埋まっていたりということがあちこちで起こっており、少し混乱していた。私の座るはずの席にいた人曰く、予約システムが壊れている、とのこと。確かにそうかもしれない。しかし、客のほうが、間違えて別の席を占拠し、それで玉突きのように全体の座席が狂ってしまったという可能性もあるだろう。そもそも間違いの元は車両の編成にある。長距離列車の場合、起点(この場合はロンドン)に向かって車両A、B、C、…とアルファベットが振られている。ところがこの列車はA、B、C、E、F、…とDが抜けている。私の席も車両Dにあるはずなのだが、その席が車両ごと無いのである。ところが、車両Cの乗降口近くの窓に「D」と書いた紙が貼ってある。だから私もこの車両C(D)に乗車した。そして、この有様なのである。別にたいしたことではないので、手近に空いている席を確保し、そのままロンドンまで来てしまった。列車は定刻通り17時30分にLondon King's Cross駅に到着した。
ついでながら、こちらでは鉄道の「座席指定料金」というものは無い。事前に列車の予約をすると座席が指定されるが、それによる追加料金は発生しないのである。それどころか、乗車券は当日購入するより、事前に購入したほうが安いのである。確かにこのような混乱があるから、指定料金などを設定してしまうと混乱が助長される懸念はある。追加料金が無いから乗客が席に執着せず、混乱があっても諦めがつくという面もあるだろう。
King's Crossからは地下鉄Northern LineでLondon Bridge駅へ行き、そこで地下鉄Jubilee Lineに乗り換えてNorth Greenwichに出る。Jubilee Lineに少し遅れが出ていたが、住処には18時45分に着いた。