熊本熊的日常

日常生活についての雑記

3日は3本立て

2011年11月03日 | Weblog
今日は、発注しておいたDVDが3本届いたので、一気に全部観てしまった。どれも面白くて満足だ。それぞれの作品については日を改めて語ることもあるかもしれないが、今日は止めておく。作品は以下の通り。
「ワンダフルライフ」
「ディスタンス」
「空気人形」
いずれも是枝裕和監督の作品だ。先日、「歩いても 歩いても」を観て以来、他の作品も観たいと思っていて、とりあえずこの3本を選んでみた。「空気人形」以外は特典映像も付いていて、それがまたよかった。是枝監督はドキュメンタリー番組の演出でキャリアの初期を築いた人でもあるのだが、特典映像のようなドキュメンタリー的色彩の強いものでは、その個性がより濃厚に発揮されるということなのだろう。「ワンダフルライフ」に収められている由利徹のインタビューは出色だ。

同じ監督の作品ということを知っていて観る所為もあるだろうし、出演している俳優が共通しているという所為もあるだろうが、それぞれの作品で語られていることの根底に流れているものは同じであるように感じられる。そこには勿論、監督個人の個性もあるだろうが、そうした個性を形成する部分として、生きて来た時代の空気のようなものも大きな影響を持っているように思える。言葉では上手く説明できないのだが、同年代の表現者の作品に触れると、そこに安心感というか、なんとなく自分と何かが通じているような感覚のようなものを覚えるのである。それは必ずしも日本という枠にとどまるものではなく、例えばフランス人のフィリップ・クローデルの小説や映画でも経験することなのである。

たぶん、私の思い込みというところも大きいはずだ。それでも、先日「歩いても 歩いても」に書いたような、映像のなかのディテールには同じ時代の空気を共有した者により強く感じる何かがあったりする。そうした小さなことの積み重ねが共感というような大きな流れに通じるというようなことは、やはりあると思う。個々の作品の中身もさることながら、こうして同じ監督の作品をまとめて観ると、作品の世界よりも、その背後にある作り手の世界観のほうに自然と興味が湧いてくる。そこに共感できるものがあるにせよ、違和感を覚えるものがあるにせよ、なんとなくわかる、という感覚に安堵とも言えるような、穏やかな喜びとでも呼べるようなものを見出すのである。それは自分自身について思いを巡らすことでもある。