ほんとうにこんなふうなら、私は成仏できない。作品の舞台はこの世からあの世へ向かう中間地点のような場所。1週間かけて「人生のなかから大切な思い出をひとつだけ」選び、それを映像にして1週間目に観て、その「大切な」想いを胸にあの世へ行くというのである。そこは古い宿泊施設のような病院のような学校のような施設だ。そこを訪れる人は20人ほどの単位にまとめられ、月曜日にやってくる。水曜日までに思い出を選び、それをもとに施設の職員が映像を作成し、日曜日に映写室で上映される。映写室は映画館のような造りになっていて、みんなで他人の分も含めて上映される映像を観るらしい。上映が始まり、自分の番がきて、そこに映し出された映像に刺激されてその思い出が鮮明に蘇った瞬間、その場から消えてしまう。ということは、成仏するだけなら鮮明な記憶のあるものというだけでよいのである。「大切な」ものでないといけないというのは、成仏するとその「大切な」もの以外の記憶は全て無くなってしまうから、ということらしい。
では、その施設の職員はどのような人たちなのかというと、その「大切な思い出」を選ぶことができなかった人たちだ。こっち側に想いを残した相手がいて、その人を見守りたいというような事情のある人もいれば、選び出すような思い出が無い、という人もいる。死んだ後もこっち側にいた頃と同じように働いているが、死んでしまっているので、そういう人どうしが深い関係になるということはないらしい。関係性というのはこっち側だけのことのようだ。
職員のひとりが、あの世に旅立つことになった。面接をした相手の思い出に、自分が密かに抱えていた思い出のなかにいる人と同じ人が登場したのである。その職員は大正生まれだが、太平洋戦争に従軍中、フィリピンで負傷し、日本へ送られて昭和20年5月に病院で亡くなった。当時、婚約者がいて、その彼女が後に結婚した相手を面接で担当したのである。その相手は本人の言葉を借りれば「そこそこの学校を出て、そこそこの会社に勤め、そこそこの家庭を持ち、そこそこに出世して、そこそこに幸せ」な人生を送ったのだという。すべてが「そこそこ」で「大切」を選ぶことができないのである。そこで、その施設に保管されているその人の一生分のビデオを観て、「大切」を決めてもらうことにした。一生分のビデオは1年が1本のVHSにまとめられている。全部を観たのかどうかわからないが、その人は晩年に公園のベンチで妻と静かに語らっている風景を選んだ。その妻、つまり担当職員の婚約者だった人は既に3年前に亡くなっている。
その職員が何故その施設で職員をしているかといえば、その婚約者への想いがわだかまっていたからに他ならない。彼は彼女が亡くなって、この施設に来たときに作った映像を保管資料のなかから探し出し、上映してみた。するとそこには同じ公園のベンチに座っている姿が現れた。ただし、その隣にいるのは自分が担当した男性ではない。フィリピンへ出征する直前の軍服姿の自分自身だった。彼はその施設の責任者のような人に事情を話し、彼の映像を作ってもらう。やはりその公園のベンチでひとり佇んでいる姿だ。おそらく、そこで婚約者と別れてひとりになったときの様子なのだろう。そして、出来上がった映像が上映された。彼は消えた。
面白いなと思う。人と人との関係は必ずしもシンメトリーではない。むしろ、そうでないことのほうが圧倒的に多いのではないだろうか。自分の「大切」と相手の「大切」は、たぶん一致するほうが珍しいのだろうし、そういうズレが蓄積されることで社会に活力が与えられるという面もあるのだろう。それに、「大切」というのは、それほどこだわるほどのことでもないということだ。ましてや、死んだ後にこだわったところでどうしようもない。登場する死者たちには、俳優に混じって一般の人も何人か参加している。台詞が与えられて語っているのか、自分の思いを語っているのか知らないが、「大切な思い出」として子供の頃の記憶を語る人が何人かいたのも興味深い。おとなになってからは、ろくなことがなかったということなのかもしれないし、人は長く生きれば生きるほど、ささやかな幸福感を積み重ねるよりも、思い通りにならないことへの不平を募らせるものだ、ということなのかもしれない。それは人に我欲があるのだから、当然なのだが、それも哀しいことのように思われる。結局、生きるというのは哀しいことなのだろうか。
では、その施設の職員はどのような人たちなのかというと、その「大切な思い出」を選ぶことができなかった人たちだ。こっち側に想いを残した相手がいて、その人を見守りたいというような事情のある人もいれば、選び出すような思い出が無い、という人もいる。死んだ後もこっち側にいた頃と同じように働いているが、死んでしまっているので、そういう人どうしが深い関係になるということはないらしい。関係性というのはこっち側だけのことのようだ。
職員のひとりが、あの世に旅立つことになった。面接をした相手の思い出に、自分が密かに抱えていた思い出のなかにいる人と同じ人が登場したのである。その職員は大正生まれだが、太平洋戦争に従軍中、フィリピンで負傷し、日本へ送られて昭和20年5月に病院で亡くなった。当時、婚約者がいて、その彼女が後に結婚した相手を面接で担当したのである。その相手は本人の言葉を借りれば「そこそこの学校を出て、そこそこの会社に勤め、そこそこの家庭を持ち、そこそこに出世して、そこそこに幸せ」な人生を送ったのだという。すべてが「そこそこ」で「大切」を選ぶことができないのである。そこで、その施設に保管されているその人の一生分のビデオを観て、「大切」を決めてもらうことにした。一生分のビデオは1年が1本のVHSにまとめられている。全部を観たのかどうかわからないが、その人は晩年に公園のベンチで妻と静かに語らっている風景を選んだ。その妻、つまり担当職員の婚約者だった人は既に3年前に亡くなっている。
その職員が何故その施設で職員をしているかといえば、その婚約者への想いがわだかまっていたからに他ならない。彼は彼女が亡くなって、この施設に来たときに作った映像を保管資料のなかから探し出し、上映してみた。するとそこには同じ公園のベンチに座っている姿が現れた。ただし、その隣にいるのは自分が担当した男性ではない。フィリピンへ出征する直前の軍服姿の自分自身だった。彼はその施設の責任者のような人に事情を話し、彼の映像を作ってもらう。やはりその公園のベンチでひとり佇んでいる姿だ。おそらく、そこで婚約者と別れてひとりになったときの様子なのだろう。そして、出来上がった映像が上映された。彼は消えた。
面白いなと思う。人と人との関係は必ずしもシンメトリーではない。むしろ、そうでないことのほうが圧倒的に多いのではないだろうか。自分の「大切」と相手の「大切」は、たぶん一致するほうが珍しいのだろうし、そういうズレが蓄積されることで社会に活力が与えられるという面もあるのだろう。それに、「大切」というのは、それほどこだわるほどのことでもないということだ。ましてや、死んだ後にこだわったところでどうしようもない。登場する死者たちには、俳優に混じって一般の人も何人か参加している。台詞が与えられて語っているのか、自分の思いを語っているのか知らないが、「大切な思い出」として子供の頃の記憶を語る人が何人かいたのも興味深い。おとなになってからは、ろくなことがなかったということなのかもしれないし、人は長く生きれば生きるほど、ささやかな幸福感を積み重ねるよりも、思い通りにならないことへの不平を募らせるものだ、ということなのかもしれない。それは人に我欲があるのだから、当然なのだが、それも哀しいことのように思われる。結局、生きるというのは哀しいことなのだろうか。