いつものように、生協の宅配でリンゴが届いた。秋も深まり、前回までの柿に代わって今回からはリンゴが私の食卓に乗ることになる。今回は青森の農園から複数の種類が混ざったものを注文した。包みに同梱されていた説明によると、リンゴは一般に、色付きを良くするために実の周りの葉を取り去ってしまうのだそうだ。しかし、このリンゴはそういうことをしないので色はぱっとしないが、葉が創り出した養分がふんだんに実に注ぎ込まれているので味には自信があるとのこと。確かに、蜜が溢れんばかりに封じ込められた美味しいリンゴだ。
時あたかもTPPの議論が活発だ。議論の中心は農業についてのことだろう。貿易が自由になったときに、国内で打撃を受けるとすれば、生産性が相対的に低い分野だ。世間一般の認識として、日本の農業は経営規模が小さくて生産性が低いというものではないだろうか。確かに割合とすれば、兼業農家が多いのだろうし、そうであれば経営規模に限界があるのは当然だ。しかし、実態は本当にそうなのだろうか。
作物の色艶や形が揃っているということは、本当に消費者が求めていることなのだろうか。色形が悪いと本当に売れないのだろうか。確かに、物事の表層しか見ない人は多い。それは自分が生きてきた50年近い経験のなかで感覚として納得できることだ。しかし、実際に自分で料理をするとか、単に果物の皮を剥いて食べてみる、という経験をしているならば、見た目と中身の相関関係というのはある程度は学習するものなのではないだろうか。相関関係のある作物もあるだろうし、無いものもあるだろう。外見に関係無いといいながらも、極端な場合はやはり無関係ではないかもしれない。いずれにしても、農家あるいは農協が効率よく出荷するべく導入した選別機のような設備投資を正当化するための方便として「消費者の要求」が作り上げられているということはないのだろうか。
TPPで農産物の貿易が自由化されたとき、日本の作物のほうが競争力を持つというようなものも、いくらでもあるような気がするのだが、どうだろうか。TPPが避けられないとなったとき、それでも反対を続けるのではなく、逆に海外市場に打って出ようという農家も、実はたくさんあるのではないだろうか。
こんなにおいしいリンゴはそうあるものではないと思う。人の食事というのは、畜生の餌とは違う。単に空腹を満たすだけでなく、食卓を囲む会話を伴っていたり、一人暮らしの場合でも、自分が料理をするときに食材を扱いながら、その背後にあるものについて様々に思い巡らすものである。それが人間の生活というものだろう。確かに価格は競争力の重要な要素だ。しかし、それだけで需要が決定するほど人間の生活というのは薄っぺらではないはずだ。生産性だの価格だのばかりを気にする奴は、そういう上っ面しか追えないのだから、勝手に騒がせておけばよいのである。日本ほどの歴史と文化を持つ国ならば、物事の価値を自分で考える層というのは決して薄くはないはずだ。とにかく、旨いものを作ればよいのである。尤も、それが一番難しいことなのだが。
時あたかもTPPの議論が活発だ。議論の中心は農業についてのことだろう。貿易が自由になったときに、国内で打撃を受けるとすれば、生産性が相対的に低い分野だ。世間一般の認識として、日本の農業は経営規模が小さくて生産性が低いというものではないだろうか。確かに割合とすれば、兼業農家が多いのだろうし、そうであれば経営規模に限界があるのは当然だ。しかし、実態は本当にそうなのだろうか。
作物の色艶や形が揃っているということは、本当に消費者が求めていることなのだろうか。色形が悪いと本当に売れないのだろうか。確かに、物事の表層しか見ない人は多い。それは自分が生きてきた50年近い経験のなかで感覚として納得できることだ。しかし、実際に自分で料理をするとか、単に果物の皮を剥いて食べてみる、という経験をしているならば、見た目と中身の相関関係というのはある程度は学習するものなのではないだろうか。相関関係のある作物もあるだろうし、無いものもあるだろう。外見に関係無いといいながらも、極端な場合はやはり無関係ではないかもしれない。いずれにしても、農家あるいは農協が効率よく出荷するべく導入した選別機のような設備投資を正当化するための方便として「消費者の要求」が作り上げられているということはないのだろうか。
TPPで農産物の貿易が自由化されたとき、日本の作物のほうが競争力を持つというようなものも、いくらでもあるような気がするのだが、どうだろうか。TPPが避けられないとなったとき、それでも反対を続けるのではなく、逆に海外市場に打って出ようという農家も、実はたくさんあるのではないだろうか。
こんなにおいしいリンゴはそうあるものではないと思う。人の食事というのは、畜生の餌とは違う。単に空腹を満たすだけでなく、食卓を囲む会話を伴っていたり、一人暮らしの場合でも、自分が料理をするときに食材を扱いながら、その背後にあるものについて様々に思い巡らすものである。それが人間の生活というものだろう。確かに価格は競争力の重要な要素だ。しかし、それだけで需要が決定するほど人間の生活というのは薄っぺらではないはずだ。生産性だの価格だのばかりを気にする奴は、そういう上っ面しか追えないのだから、勝手に騒がせておけばよいのである。日本ほどの歴史と文化を持つ国ならば、物事の価値を自分で考える層というのは決して薄くはないはずだ。とにかく、旨いものを作ればよいのである。尤も、それが一番難しいことなのだが。