昔はベルトの上に被さるように腹が迫り出した中高年を見て醜いと感じたが、あれはある程度はやむを得ないということが、齢を重ねてみてわかった。何年か前から人間ドックでウエストの計測が始まった。ここ数年はロンドン滞在中を除いて同じ施設で受診しているので、過去のデータも併せて結果が送られてくる。それを見ると体重が減少してもウエストが増加するという現象が近年になって見られるようになった。おそらく、筋力が低下して肉を保持できなくなったのだろう。
10月一杯で欧米の夏時間が終わった。それを機に、これまでそれほど負担のなかった職場での作業で、急に負荷が大きくなったものが現れた。そのおかげで食事をする時間が極端に少なくなった。ちょうどよい機会なので、年内を目処に5キロほど体重を落とすことにした。9月下旬に受診した人間ドックでは体重は標準圏内だったが、前年12月に比べて3キロほど増えた。これを前年未満にして、ウエストを一昨年並みに落とすのである。体重計を持っていないので、どの程度意図通りになっているのかわからないが、ズボンが明らかに緩くなったので体重もウエストもこの半月ほどの間に減少したのは間違いないだろう。
何をしているかというと、単純に食べる回数と量を減らしている。人間が一日三回食事をするようになったのは産業革命以降のことだそうだ。それ以前は腹が減ったら食べるという、当然といえば当然の習慣だったという。それが機械工業の誕生とともに、機械の稼働を効率的に行うのに都合が良いように労働者の食事時間を一定間隔に定め、それが社会全体に広まったのだそうだ。それが可能になったのは、照明が普及して外の明るさに関係なく人間が活動できるようになったからだ。文明開化とともに、そうした習慣が日本にも導入され、今日に至っているという。
つまり、本来は時間が来たから食事をするのではなく、腹が減ったから食事をするということになっていたのである。日の出とともに起き出し、布団を片付け、ついでに掃除もして、ひとしきり身体を動かしたところで腹が減るから朝食のようなものを摂る。それからそれぞれの仕事をして、昼過ぎくらいに腹が減る。「おやつ」という言葉が今でもあるが、これは元来は時間を表すものだ。江戸時代の時間は、現在のように一日を24時間の等間隔で刻んだのではなく、日の出から日没までを六等分して昼の一刻(いっとき)とした。同じように日没から翌日の日の出までを六等分したのが夜の一刻。つまり、一刻は昼と夜とで違う長さであり、季節によっても変化したのである。当時は現在のような強力な照明がなかったので、人間の活動時間は日中に限られた。だから、これで都合が良いのだ。当時は時計が無かったので、時刻は鐘を鳴らして知らしめた。日本の場合は南北に長いので、蝦夷と薩摩では事情が異なっただろうが、江戸と上方とではそれほど大きな違いは無かっただろう。また、日本くらいの緯度なら、夏至と冬至の差もさほど大きくはないといえる。ざっくりと言えば、一刻はだいたい現在の2時間くらいの見当だ。そして、やはりざっくりと日の出が現在の午前6時くらいで、日没が午後6時くらいといったところだろう。この日の出から日没までを六等分して、日の出が「明け六つ」、午前8時頃が「五つ」、10時が「四つ」で、12時は「昼九つ」となる。そして午後2時頃が「八つ」。午前中に働くと、だいたいこのあたりで腹が減るので何かを食べるのである。それで、その食事のことも「八つ」、食べ物なので少し丁寧に「お八つ」と呼ぶのである。「おやつ」は子供が食べるお菓子のことではなく、もともとは今の昼食のようなものだった。
さらに時間が進み、午後4時頃が「七つ」、そして日没時でもある午後6時頃が「暮れ六つ」となる。ついでに言うと、当時の時刻は9で始まり4で終わる。これが2回転。では、怪談で登場する「草木も眠る丑三つ時」というのはどうなのだ、ということになるだろう。「丑」は辰刻法という時刻の単位で、一日を12等分して十二支を当てたものだ。「八つ」というやつと並行して使われたそうだ。やはり単位は現在の2時間だ。これがそれぞれ4等分されて、例えば「丑一つ」「丑二つ」「丑三つ」「丑四つ」となる。十二支は「子」で始まるので、これまたざっくりと深夜0時が「子一つ」の起点。となると、「丑三つ」は午前3時から3時半にかけての時間ということになる。確かに、今でも田舎のほうへ行けば、何かが出てきてもおかしくない時間ではないか。
いつものように話は大きく脱線したが、要するに腹が減ったら食べるようにしたのである。時間が来たから食べるのではない。となると、もういつ死んでも不思議ではない年齢なので、それほど腹が減らないのである。「ダイエット」などと妙なことを考えなくとも、自分の身体に素直に向かい合うだけで、体型は自然なものに落ち着くということだ。
10月一杯で欧米の夏時間が終わった。それを機に、これまでそれほど負担のなかった職場での作業で、急に負荷が大きくなったものが現れた。そのおかげで食事をする時間が極端に少なくなった。ちょうどよい機会なので、年内を目処に5キロほど体重を落とすことにした。9月下旬に受診した人間ドックでは体重は標準圏内だったが、前年12月に比べて3キロほど増えた。これを前年未満にして、ウエストを一昨年並みに落とすのである。体重計を持っていないので、どの程度意図通りになっているのかわからないが、ズボンが明らかに緩くなったので体重もウエストもこの半月ほどの間に減少したのは間違いないだろう。
何をしているかというと、単純に食べる回数と量を減らしている。人間が一日三回食事をするようになったのは産業革命以降のことだそうだ。それ以前は腹が減ったら食べるという、当然といえば当然の習慣だったという。それが機械工業の誕生とともに、機械の稼働を効率的に行うのに都合が良いように労働者の食事時間を一定間隔に定め、それが社会全体に広まったのだそうだ。それが可能になったのは、照明が普及して外の明るさに関係なく人間が活動できるようになったからだ。文明開化とともに、そうした習慣が日本にも導入され、今日に至っているという。
つまり、本来は時間が来たから食事をするのではなく、腹が減ったから食事をするということになっていたのである。日の出とともに起き出し、布団を片付け、ついでに掃除もして、ひとしきり身体を動かしたところで腹が減るから朝食のようなものを摂る。それからそれぞれの仕事をして、昼過ぎくらいに腹が減る。「おやつ」という言葉が今でもあるが、これは元来は時間を表すものだ。江戸時代の時間は、現在のように一日を24時間の等間隔で刻んだのではなく、日の出から日没までを六等分して昼の一刻(いっとき)とした。同じように日没から翌日の日の出までを六等分したのが夜の一刻。つまり、一刻は昼と夜とで違う長さであり、季節によっても変化したのである。当時は現在のような強力な照明がなかったので、人間の活動時間は日中に限られた。だから、これで都合が良いのだ。当時は時計が無かったので、時刻は鐘を鳴らして知らしめた。日本の場合は南北に長いので、蝦夷と薩摩では事情が異なっただろうが、江戸と上方とではそれほど大きな違いは無かっただろう。また、日本くらいの緯度なら、夏至と冬至の差もさほど大きくはないといえる。ざっくりと言えば、一刻はだいたい現在の2時間くらいの見当だ。そして、やはりざっくりと日の出が現在の午前6時くらいで、日没が午後6時くらいといったところだろう。この日の出から日没までを六等分して、日の出が「明け六つ」、午前8時頃が「五つ」、10時が「四つ」で、12時は「昼九つ」となる。そして午後2時頃が「八つ」。午前中に働くと、だいたいこのあたりで腹が減るので何かを食べるのである。それで、その食事のことも「八つ」、食べ物なので少し丁寧に「お八つ」と呼ぶのである。「おやつ」は子供が食べるお菓子のことではなく、もともとは今の昼食のようなものだった。
さらに時間が進み、午後4時頃が「七つ」、そして日没時でもある午後6時頃が「暮れ六つ」となる。ついでに言うと、当時の時刻は9で始まり4で終わる。これが2回転。では、怪談で登場する「草木も眠る丑三つ時」というのはどうなのだ、ということになるだろう。「丑」は辰刻法という時刻の単位で、一日を12等分して十二支を当てたものだ。「八つ」というやつと並行して使われたそうだ。やはり単位は現在の2時間だ。これがそれぞれ4等分されて、例えば「丑一つ」「丑二つ」「丑三つ」「丑四つ」となる。十二支は「子」で始まるので、これまたざっくりと深夜0時が「子一つ」の起点。となると、「丑三つ」は午前3時から3時半にかけての時間ということになる。確かに、今でも田舎のほうへ行けば、何かが出てきてもおかしくない時間ではないか。
いつものように話は大きく脱線したが、要するに腹が減ったら食べるようにしたのである。時間が来たから食べるのではない。となると、もういつ死んでも不思議ではない年齢なので、それほど腹が減らないのである。「ダイエット」などと妙なことを考えなくとも、自分の身体に素直に向かい合うだけで、体型は自然なものに落ち着くということだ。