熊本熊的日常

日常生活についての雑記

リカバリーショット

2011年11月22日 | Weblog
ゴルフというものは、これまでの生涯で1度だけしか経験がない。英国に留学していた時に、友人に誘われて、友人の道具を借りて、友人にいろいろ教えてもらいながら1ランドを果たした。楽しくはあったが、凝るほどの魅力は感じなかった。もともとスポーツには関心が薄いので、特別にゴルフがどうこうというわけではない。ゴルフ用語で「リカバリーショット」というものがある。これはミスを挽回する一打という意味らしい。

今日も陶芸で壷を挽いた。これまでは、壷ひとつと碗をふたつみっつ、という組み合わせが続いたが、今日は壷をふたつ挽いた。一つ目は小振りということもあって、無事に挽き終えたのだが、二つ目は大き目にしたところ、途中で縒れてしまいそうになった。今までなら、そのまま崩れてしまっていたのだが、今日は見事に立ち直らせることができた。もちろん、縒れそうになったりせずに淡々と挽くことができればそれに越したことはないのだが、技量がまだまだ低いのでなかなか上手くはいかないのである。しかし、これまでなら崩れてしまったような事態に直面したときに、落ち着いて対応して回復させることができたということが嬉しい。こういうささやかな嬉しさを重ねることも貴重な経験だと思う。

以前どこかで、病気というものの本質はエラーからのリカバリー能力の低下だということを聞いた記憶がある。人体は60兆とか70兆とかの細胞から成り立っているのだそうだが、一部の細胞を除くと、これらが時々刻々と生成を繰り返している。その際、DNAが転写されることである細胞が新たな細胞を生み出していくのだそうだが、なんといっても莫大な数の細胞でありDNAであるから、時として転写にエラーが発生することもあるらしい。これがエラーと認識されて修復が行われれば問題ないのだが、エラーが増幅すると、あるところでカタストロフィックな事態に陥るのだという。つまり病気になるのである。

物事に臨んで首尾よく対処するに越した事はない。しかし、我々が生活している世界というのは不確実性の上にあるのだから、予期せぬ事態は程度や頻度の差こそあれ必ず発生する。自分の力量が試されるのはそのときだろう。意図せざる事態をどのように収めるか。逆境をどう克服するのか。生きていくことの適性のようなものがそういう場面で試され、そうした課題を乗り越え続けることが生きるということなのではないだろうか。もちろん、それは辛いこともあるし、乗り越えたとしても疲弊してしまうこともあるだろう。しかし、どう乗り越えようか、と考える意欲や工夫があるということが生命力の原動力でもあるだろう。逆境のなかで、そうした意欲が起こらないとすれば、ゲームから下りるよりほかにどうしょうもない。