熊本熊的日常

日常生活についての雑記

足で考える

2011年11月09日 | Weblog
もういつ死んでもおかしくない年齢になったのに、今頃になって初めて知ることがいくらもある。身の回りの些細なことに昔から関心があって、身体に関することでは手足とか脚に興味がある。といっても、研究するというようなことではなしに、漠然とした興味だ。例えば、日本では屋内に入ると靴を脱ぐが、そうではない文化もある。その違いが何に起因するのか、それが社会のありかたのどのような側面にどのように反映しているか、など考え出したら際限が無いだろう。

月刊「みんぱく」の11月号は「かんがえる足」という特集を組んでいる。そのなかで民博の名誉教授である野村雅一氏が「ふしぎな足」という文章を寄せていて、そこにこう書かれている。
「ともあれ、そんな足は隠すべきもので、他人にみせてはならないという社会も少なくない。西洋人の靴ももともと足を隠すためなのか、歩く足を保護し、蹄のかわりに踵をつける一種の身体加工だったのかはっきりしないが、人前て靴を脱いで足をだすのは今もマナー以前の不作法、ほとんどスキャンダルだ。」
もうさんざんスキャンダルをまき散らしてしまった。こういうことは留学前に知っておいたほうが良かったし、留学中に知るべきだったのだが、そういう機を逃してはや23年。尤も、留学中に暮らしていた寮の同じ階にいたのはエチオピアとかキプロスとかエジプトからの人たちで、私の不作法をスキャンダルと捉えたかどうかわからないし、たまに部屋に遊びにきていたシンガポールやマレーシアの中国人も素足にサンダルという出で立ちだった。そんなことより、女性はどうなのかという疑問が湧いた。勝手な印象だが、女性の洋装は総じて肌の露出度が高い。足も紳士靴のようながっちりしたものではなく、サンダル、せいぜいパンプスが一般的だろう。女性は別枠ということなのだろうか。

同じく「みんぱく」に都留文科大の山本芳美氏がこう書いている。
「いずれにせよ、ルイ14世のころには宮廷でヒールつきの靴を履くことが流行した。タイツで脚線美を強調する男性の足下の靴は、優美な曲線を描くヒールがつけられ、派手なリボンやバックルで飾られていた。対して、ドレスの奥深くに隠されたのは女性の足と靴である。ところが、近代になると、女性のスカート丈が上がり、足のおしゃれに関心が集まる。反対に、男性の足はズボンでくるまれ、装飾性の薄い靴を履くようになった、というのが大まかな靴の歴史である。」

人間の歴史において、身体をどこまで隠すか見せるかということの基準は一定ではないように思う。その変化がどのようなことと関連しているのか、というようなことは、服飾を研究している人は知っているのだろうから、調べるのはそれほど難しくはないのかもしれない。尤も、人間の歴史が闘争の歴史でもあるということは、そういう文化への理解が浅いことの証左のような気もする。

先日、勤め先で同僚とK-Popのアイドルグループの話題になった。私はテレビを持っていないので、週末に実家へ出かけるときとか、ネット上の動画でしか観たことはないのだが、集団としての動きとか個々人の動作のキレのようなものが、日本人のアイドルグループとレベルが違うように感じている。会話のなかでそのことを指摘し、「あれはやっぱり、マスゲームの伝統と関係あるのかな? あれ、結局あのマスゲームと一緒だよね?」と言うと、その同僚が答えて曰く「国策という点では関係あると思います。」というのである。韓国のエンターテイメント市場の規模は日本の40分の1しかないので、それだけ競争力が強くないとプロとして存在できない、というのが彼の弁だった。

「みんぱく」の編集後記には庄司博史氏がこう書いている。
「1日の調査を終え、ストックホルムのあるカフェーのテラスで、行きかう人々を眺めていた。目は自然と女性の方に行ってしまうのだが、足の運びが日本とは違うことにあらためて気がついた。つま先まで伸ばし颯爽と踏み出す足に腰とからだがついていくような歩行は、膝を伸ばしきらず小股で歩く日本とは確かに違う。とはいえこの違いは人種的なものではないようだ。明らかに中国人とわかる観光客はここでも日本人を凌ぐほど増えたが、老若を問わず、背筋をたて足を伸ばして歩く様子はむしろこちらの人に近い。日本のはやりの少女チームの踊りをチキンダンスと評した人がいたが、韓国のチームとの歴然とした差もひょっとすると足の使いかたという深淵なところに起因するのかもしれない。」

見せる見せないは使い方とも関係する。身体の運用は社会の運営にも通じているのではないだろうか。そこには核となる思想も含まれるだろうし、その時々の状況に対応して変化する部分もあるだろう。自分の身体の使い方とか、日頃の服装の傾向を見直せば、自分のことだけでなく、自分が生活している場全体についての発見があるかもしれない。

参考:
 月刊みんぱく 2011年11月号
  ふしぎな足  野村雅一 民博 名誉教授
  ハイヒールから透けて見えるもの おしゃれか健康か  山本芳美 都留文科大学准教授
  編集後記  庄司博史