熊本熊的日常

日常生活についての雑記

雨に濡れてまで

2011年11月19日 | Weblog
激しい雨のなか、姜尚中氏の講演を聴きに東洋文庫へ出かけてきた。姜氏の今日のお話にはレジメがなかった。氏も冒頭でおっしゃっていたように、「東洋学」という言葉についての氏の感想を述べられたもので、特に何事かを積極的に語る講演ではない。そういうものに対し、書いたものを無造作に残さないというのは、学者としては当然の態度だ。生真面目な人なのだということが、その一点だけでもよくわかった。

アカデミズムというのは、それ自体がひとつの産業だと思う。人の社会というのは複雑極まりないものなので、どのようなことであれ、それなりのフォーマットでまとめれば、誰かしかが価値を認めるものなのだろう。それで大学とか研究機関に居場所を探し出し、そこで生活の糧を得ることになる。一応、学者という肩書きとか、大学というようなものは社会においては権威なので、その権威を活用してメディアに「文化人」とか「識者」として露出してみたり、出版物を出してみたりすることができる場合もある。つまり、アカデミズムの生産物は権威という幻想だ。これが他の産業の生産物に付加されて、その付加されたほうの生産物の価値を底上げするのに使われることになる。例えばメディアが広告媒体としての情報を加工する際に使うパーツとなったり、政策や制度の正当性を担保するための装飾に使われるのである。権威が具象化したものなので、学者やその言説はその内容にそれほど関係なく奉られることになる。宗教とよく似ている。学者や僧侶になるには、それ相応の才能と訓練が必要ではあるが、明確なコストは要していない。勿論、テクノロジー系の学問となると実験が必要になるので、巨額の設備投資が求められることもあるが、学者が個人としてそうしたものを負担することはまずないので、総じて会計的にはたいへん粗利率の高い産業と言える。

それで、今日の講演なのだが、果たしてずぶ濡れになりながら聴きに来るほどのものだったのかどうか、いまひとつ確信が持てない。聴講料は無料なので、文句は言えないのだが、無料ならなんでもあり、というもの素直に受け入れ難いことではある。ただ、物事を考える際の参考にはなった。