熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「生きがいについて」

2008年06月15日 | Weblog
神谷美恵子の「生きがいについて」を読了した。「生きがい」ということばが、これほど重いとは思いもよらなかった。ハンセン病治療施設での経験を基に書かれているので、その一字一句の重みに圧倒された。「生きがい」もさることながら、宗教というものに対する見方も少し変わった。

外国で生活していると、言葉とか宗教について考えさせられることが多い。特に宗教については、なぜあのようなものを信仰する人がこれほど多いのか素朴に疑問に感じていた。しかし、血で血を洗うような歴史を重ねてきた民族にとっては、そうした極限状態のなかで精神の安定を守るには、現実世界とは異次元の精神世界を創造する必然性があったということなのだろう。

日本は、歴史をどこまで遡っても日本人の国でしかないのだが、欧州では単一民族の国家というのは、たぶん無いのではなかろうか。例えば、イギリスの正式名称はThe United Kingdom of Great Britan and Northern Ireland(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)であり、その名からして複数の国家の連合体であることがわかる。言語にしてもスコットランド、ウエールズ、アイルランドには独自の言語があり、つまりイギリスは多民族国家ということなのである。最近は落ちついているが、ベルギーではワロン語系住民とフラマン語系住民の対立というものがあるし、ドイツやイタリアがほぼ現在のような姿に統一されたのは19世紀のことにすぎない。バルカン半島で旧ユーゴスラビアの内戦があったのは1990年代のことである。

表向きは平和に見えても、欧州はいまだに潜在的な民族間の緊張状態を抱えているのである。しかも、そこへ非欧州地域からの人口流入が続いている上に、昨今はテロの脅威も増している。平和を維持するというのは至難のことなのだ。現在ですら微妙なバランスの上に日々の生活が成り立っているのである。歴史の大部分が闘争で占められているというなかでは、やはり絶対唯一の存在という精神の拠り所がないと、生きて行くことが困難なのではないだろうか。

ひとりひとりがそれぞれの精神世界を構築し、それぞれの絶対者を信仰するというのでは精神の安定は得られないだろう。自分だけの絶対者、というのでは存立基盤が脆弱に過ぎる。自分の置かれた状況が変われば、絶対者の位置づけも変わってしまうだろう。それでは「絶対」にはならない。そこには権威が必要なのである。ところが、権威というのは、その裏付けが無ければ権威として存在できない。そこに権威の存亡をかけた新たな闘争が生まれるのである。強力な権威というのは、わかりやすくなければならない。教義が明快で、強力な武力を持ち、権威という権力を支える経済力に恵まれている、というのがさしあたり必要なことではないだろうか。

現実世界に対する不安から精神世界の体系を作り上げたのに、その権威付けのために新たな闘争が展開される。結局、人間の存在は矛盾から抜けられないということなのだろう。

ところで「生きがいについて」であるが、自分にとっては内容が重く、衝撃が強かったので、すこし読後感の咀嚼が進んでから改めて何事かを語りたいと思う。

祝 副都心線開業

2008年06月14日 | Weblog
今日は東京メトロ副都心線の開業の日である。東京の場合、地下鉄の新線を建設するには既にある建造物の地下構造、地下鉄、水道施設などを避けなければならないので、工事の難易度は上がり、費用や工期が多めにかかる。副都心線の場合は、主に明治通りの真下を通るので、比較的恵まれた工事環境であったとはいえ、地下は掘ってみなければわからないことも多々あるで、開業を迎えるまでは心配であった。

実はこの日を待っていた。何年か前に、副都心線の開業を見込んで、副都心線につながる既存線の駅近くに投資用の物件を購入したのである。人の流れというものは、事前に予測できるものではない。新線が通るからといって、それが即、その場所の価値の向上には結びつくものではないだろう。それでも、おもしろいかなと思ったのである。

商業施設では、新線開通の影響を様々に試算するが、その試算は当たらないものらしい。天体の三体問題あるいは多体問題というのがあるが、地上の人の動きとなると一体ですら身勝手で予測不可能だというのに、多体では予測しようと考えるだけ無駄というものだろう。下馬評では池袋の旗色が悪いようだが、これとて実際にどうなるかわからない。尤も、子供の頃から池袋も新宿も渋谷も馴染みがあるが、現時点では私も下馬評に一票投じておきたい。

それにしても、東京メトロの新路線図を見て驚いた。よくもこれだけ穿り返したものである。今朝、東北地方で大きな地震があったが、東京で同規模の地震が発生した場合、この地下鉄網は無事でいられるものなのだろうか。

地震以外にも地下を巡る不測の事態というものはあるだろう。例えば、成田エクスプレスや総武線が発着する東京駅地下は、地下水位の上昇で構造物が損傷を受ける危険性が高くなったため、水圧に対抗すべく駅構造物と地下地盤を130本のアンカーで固定するという工事を1999年に実施している。ホームの床のタイルを見ると所々色が違っており、アンカーが打設された場所がわかる。また、新幹線ホームがある上野駅地下も地下水圧対策として1995年から1997年にかけて、ホームの下に約37,000トンの鉄塊を敷設するという工事を実施、さらに2004年に東京駅と同様のアンカー打設工事を実施している。上野駅や東京駅で対策が必要なのに地下鉄は大丈夫ということはないだろう。なにはともあれ安全第一である。

バブルと私

2008年06月13日 | Weblog
所謂「バブル」というものが10年周期で発生している、という話を聞いた。直近では2000年、その前が1990年だとういのである。はっきりと定義はされていなかったが、ここで言う「バブル」は株価のことを指しているようだった。

2000年は「ITバブル」と呼ばれた。コンピューターの「2000年問題」があり情報システムへの投資が増加、同時に情報通信におけるブロードバンド投資も活発化し、そうしたIT投資の動きを反映した株式投資が加熱した。1990年をピークとする株価バブルは、1985年のプラザ合意、1987年のブラックマンデーに象徴される金融市場の不安定化に対処すべく実施された低金利政策が産み出したと言ってよいだろう。1980年や1970年がどうだったのか、という話はなかったのだが、1980年は経済が第二次石油危機からの回復途上にあり、1970年は大阪万博の年だったので、少なくとも世の中の雰囲気としては高揚していたかもしれない。

世の中のことはさておき、自分が1990年や2000年のときにどうしていたのかということが気になった。すくなくとも、バブルで儲かった、というような経験はない。1990年の前も後も、2000年も自分の生活水準には顕著な変化は見られなかった。しかし、世の中が好景気を謳歌したということは、その世の中で暮らす自分にも有形無形の影響はあったはずだ。

1990年はイギリスへの留学から帰国した年だ。勤務先の社費で留学していたのである。これはバブルの恩恵と言えるだろう。当時の勤務先で留学制度があり、その対象者は年間1人とういう、文字通り形だけの制度だった。それが、1986年に2人になり、1987年に5人になったのである。おかげで私は1987年に留学生の対象者に引っかかった。同業他社も方向性は似たような状況だが、規模は比較のしようもない。同業の最大手企業では1987年は40人であり、業界2位の企業でも15名ほどだった。桁が違ったが、私の勤務先としてはそれなりに「バブル」だったということだ。

2000年は初めて管理職になった。といっても、最初に組織ありき、というのではなく、ある外資系企業の日本での拠点構築に関わったのである。これも一種のバブルだろう。管理職といっても部下は無い。部下は自分で採用するのである。本国ではそれなりの規模であっても、日本では無名の企業が、それなりに使えそうな人を採用するというのは至難の業である。結局、採用できたのは2人だった。3人目の採用が決まりそうなところで、状況が突然変わり、採用どころか自分の職を失った。所謂リストラが決定したのである。2001年のことだった。

好景気のなかで気分が高揚するほどの経済的恩恵を受けるという体験は無いが、おそらくその「バブル」が無ければあり得なかったであろう体験ができたという意味では、その恩恵は十分に受けている。留学することや管理職になること自体が恩恵なのではない。20代後半、30代後半という時期にそのような体験ができたということが恩恵なのである。今、たとえチャンスがあったとしても、留学などしたいとは思わないし、管理職というものにも今更興味はない。物事には旬があると思う。

10年周期でバブルが発生するとしたら、これからどのようなことが起こるのだろうか。なにがどうなるにせよ、生きている限り、そこで生活をしなければならない。少なくとも、そのような前提で今を生きなければならない。今、念頭に置いている自分の中でのキーワードは「継続性」である。自分の心身の状況を考えれば、瞬発力が要求されるようなことは、もはやできない。地道に細く長くどこでもどのような状況下でも続けていけそうなことを生活の軸にしたいと思っている。そんなものは無いかもしれない。無ければ自分で作ればよい。そうした自分の生活史と世の中の周期とが、うまい具合に重なればきっと楽しいだろう。

ナイト・ミュージアム

2008年06月12日 | Weblog
ロンドンの生活で良いと思うのは、入場無料の美術館が夜遅くまで開館していることである。毎日というわけにはいかないのだが、National Galleryなら毎週水曜日、Victoria and Albert Museumなら金曜日、British Museumなら木曜日と金曜日が夜遅くまで開館している曜日である。ただし、残念ながら昼も夜も全館開館というわけにはいかない。

昨日は仕事帰りにNational Galleryに立ち寄った。National Galleryの場合、夜はメインの出入口から遠いエリアは公開されないので、例えば、「アルノルフィーニ夫妻像」とか「ヴァージナルの前に立つ女」などは観ることができない。それでも1時間やそこらでは観きれないほどの作品が公開されているので、その時の気分に応じて楽しむことができる。

美術館に着いて、まずはカフェで腹ごしらえをする。チキンパイとハウスブレンドの紅茶で5.90ポンド。パイは自家製ということになっている。日本でも博物館や美術館のカフェやレストランの質が向上しているが、ロンドンも同様のトレンドにあると見てよいと思う。National Galleryのカフェとレストランは、どちらも評判は良いようだ。ここのカフェのケーキはロンドンでも指折りだ、という声も聞いたことがある。私もこれまでに何度もここでケーキ類を頂いているが、全般に濃厚な味である。少し濃い目の紅茶とよく合う。

適当に展示替えも行われているようで、いつ来ても、何かしら発見がある。やはり英国人画家の作品は充実している。既に英国人作品のかなりのものはTATE Britainへ移されているのだが、それでもターナーやコンスタブル、ゲインズバラの作品はここでも十分堪能できる。私が好きなのはジョージ・スタッブスの作品だ。この人の作品は遠くから見てもすぐにそれとわかる。なぜなら、描かれている作品世界のなかで馬だけが妙にリアルなのである。そのバランスの妙というか悪さというか、それが面白いと思うのである。おそらく、馬がとても好きな人だったのだろう。極めつけは大作「Whistlejacket」だ。縦も横もそれぞれ2m以上ある大きなカンバスに馬が一頭、大きく描かれているだけ。背景も何もない。でも、描き終えた画家の得意げな表情が目に浮かぶようだ。残念ながら、今、そのデカ馬は他の美術館へ貸出中なので、11月にならないとここには戻ってこない。尤も、貸出先は英国内なので、どうしても見たければ出かけて行けばよいだけのことだ。

スタッブスは、存命中はsporting painterという範疇に入れられ、芸術家としては認められなかったのだそうだ。それどころか、少し軽蔑されていたらしい。それでも、馬を解剖学的見地から徹底的に研究し、描き続けたのだそうだ。この手の話を聞くと、彼の作品にますますひきつけられてしまう。彼の馬に対する思いの表現としては、やはり「Whistlejacket」が代表作と言えるのだろうが、個人的には「The Milbanke and Melbourne Families」のような、馬と人間と風景があり、そのなかで馬が突出してリアルという作品のほうが楽しくてよいと思う。

なんとかノート

2008年06月11日 | Weblog
古い日記を読み返していたら、そこに書かれていた目標のようなことのいくつかが、きちんと実現されていた。いい加減な人生を歩んでいると思っていたが、堅実なところもあるものだと、我ながら妙に感心した。実現していることについての記述に共通していたのは、実現の時期を明記していることだった。手帳で、夢に日付をつけましょう手帳、のような商品があるが、個別具体的な願望というのは、それなりに行動すればかなうものであるようだ。

今年の年賀メールに「2007年は激動の年でしたね」と書いてきた奴がいた。なにかと個人的な事件が多い年というのはある。しかし、それは自分にとっては2001年だったと思う。当然なのだが、災厄は突然やってくる。しかも、不思議と災厄は2つ3つと続くのである。厄年というものがあるが、思い返せば自分にとってはこの年が厄年だったと言えそうだ。それに比べると2007年の「激動」は取るに足らない。そもそも不測の事態というものはひとつもない。以前から続いていたことが計画や予定に従って推移したというだけのことである。

2008年も既に半分が過ぎようとしているが、今のところは、特に問題なく推移している。囚人のような生活というのは想定の範囲内であるし、足腰の故障は自分の年齢を考えれば、あって当然というものだろう。隠遁生活に近いので人間関係の煩わしさもない。「岡目八目」という言葉があるが、自分の生活基盤がある場所から遠く離れることによって、それまではよく見えなかったことが、かえってよく見えてくることもある。以前、今回のロンドンでの生活はミニマリズム実現の試み、というようなことを書いたと思う。現状はまさにその通りだ。小さな不満はいろいろあるが、自分に我というものがある限り、不平不満から完全に解放されるとうことはあり得ない。

ただ、冒頭に書いたように、日記に記した目標が実現されているということには少し驚いた。自分がそんなものを書き記していたということが意外だったし、書いたことが実現されているということがもっと意外だった。言葉には言霊というものがあるという人もいるが、言葉にすることで考えが整理され、行動に移しやすくなるということはあるのだろう。この一ヶ月ほどの間に今年後半のイメージを描くことができたので、そろそろ来年へ向けて、次の手を考えなければならないと思っている。

あの世はどこに

2008年06月10日 | Weblog
「三途の川」という言葉がある。実際に「三途川」という名前の川もいくつかあるらしい。「三途の川」のほうは、この世とあの世を分ける川としてしばしば人の口にのぼる。一般論として日本人はこの世とあの世を水平軸で認識しているのではないかと思う。「暑さ寒さも彼岸まで」という時の「彼岸」は「彼岸会」のことで、春分・秋分を中日とする雑節、あるいはこの期間に行われる仏事のことを指す。仏事とは、要するに川の此岸の人々と彼岸の人々との交流行事と言えよう。日本人にとって、この世とあの世は、川で隔てられいるとはいえ、連続したものとして認識されているのではないかと思うのである。

「天国」という言葉がある。これはギリシャ神話のオリンポス、北欧神話のアースガルズ、ユダヤ・キリスト教の天などが混合した概念だそうだ。いずれにしても西洋の世界観である。西洋では、この世とあの世との位置関係が垂直軸で認識されている。つまり、この世とあの世は連続していないのである。

以前から事あるごとにこのブログに書いているが、私の基本認識は全ての物事は連続している、というものだ。別の言葉で表現すれば、世の中は容易に白黒つけることができるものではない、ということでもある。白黒は無理につけるものであって、最初から白かったり黒かったりするものは無い。見る側の価値観の問題と言ってもいいだろう。

しかし、人は白黒はっきりさせたがるものである。そうしないと不安なのだろう。特に、英語、たぶん他の欧州の言語も、物事を明確に区分するようにできている、ような気がするのである。物事をカテゴリーに分類し、それらを比較対照することによって理解をしようというのが、こちらの人々の基本的な姿勢であるように感じる。「比較対照」というと穏やかだか、「対立」と表現したほうが実感に近いかもしれない。自分と他人、同盟者と敵対者、聖と俗、現在と過去、白と黒。あらゆるものを、とりあえず二元論的に分類するのである。そこには自ずと緊張が生じる。そこで、社会のなかにその緊張を緩和させる装置が必要になる。

個人の生活のレベルでは、それがユーモアだと思う。日本の笑いとは明らかに笑いの中身が違う。私の語学力の貧困という事情を考慮しても、こちらの笑いはつまらない。他人の弱さや欠点を平気で笑いの種にする。自分がどこか高いところに立って、他人を見下ろす視点の笑いが多いように感じるのである。そうして自分以外のものを笑い飛ばすことで緊張が緩和されて安心する。そういう精神を感じるのである。実は笑いの正体というのはよくわからないものだ。笑いを極めようとして、鬱病になり、自殺してしまった落語家すらいる。

その二元論的対立を止揚し、緊張関係を超越するという発想もあるように思う。所謂、発明とか発見も、止揚の一形態と見ることができるのではないだろうか。未知の世界へ航海に出る、空を飛ぶ、新たなものを作り出す。そうした発想は、今、ここにある世界、緊張関係で硬直した世界から、未だ見ぬ世界へ跳躍する試みだと思うのである。

私のように、物事を一連の流れとして捉える考え方では、独創とか創造というものは生まれない。創造というのは、二元論的対立の緊張から生まれるものなのだと思う。よく、日本人は創造は苦手だが、改良は得意だ、などと評されたりする。その背景には、こうした思考の構造が関係しているのではないだろうか。

あの世がどこにあるのか。その答えに思考の構造、その人が属する文化や文明の構造の一端が示されているように思う。

聖書を買う

2008年06月09日 | Weblog
新約聖書「マタイ伝」第5章39節にある「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」という言葉が脳裏に浮かんだ。私は信仰は無い。ただ、この言葉くらいは知っている。本来の意味はともかくとして、やられたらやり返す式の論理には救いが無い。怨念の連鎖はどこか早い段階で断ち切らないと、もともとの火種からは想像もできないような深く大きな憎悪が生まれてしまう。争いや憎悪が幸福をもたらすことはない。どれほど屈辱的なことに遭遇しようと、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶことで、その先に光明が現れるかもしれない。人生は一回性のものである。過ぎ去った時間は取り戻しようがない。過去のある部分が憎悪の感情で塗り込められ、それを後からきれいにしようと思ったところで、それはもうどうしようもないのである。憎悪や屈辱を感じたら、それを自分にとっての教訓に切り替える発想の転換が生きる上での智恵というものだろう。物事は決して一面的ではない。表があれば裏があり、光があれば陰がある。よくよく見つめれば、どんな逆境にも自分にとって好ましい側面というものが見つかるはずである。

その「右の頬…」が気になり、ついでに聖書は一冊手もとにあってもいいだろうと思い、仕事帰りに職場近くの書店で購入した。キリスト教系のサイトを開けば、聖書は無料でダウンロードできる時代だ。しかし、敢えて本になっているものを購入した。本のほうが、なにかと便利である。

聖書というと、「ペーパームーン」を思い出す。あれは自分のなかでは常にベストテンの上位に位置する作品である。この映画のなかで、ホテルの食堂で朝食を食べているライアン・オニールのもとへ、テイタム・オニールが走り込んで来て、何事かを告げるというシーンがある。このとき、テイタムは何度も台詞を間違え、OKが出るまでの間に、ライアンはパンケーキを50枚近く食べることになってしまったのだそうだ。しかし、彼はにこやかにテイタムを励まし続けていたという。大人というのはそうでなくてはいけない、とその話を聞いた時に思ったものだが、自分は未だそういう大人にはなっていない。たぶん、5枚くらい食べたところで切れてしまいそうだ。やはり人としてそういうことではいけないのである。「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す」くらいの人間にならなくてはいけないと思うのである。

言葉の力

2008年06月08日 | Weblog
かなり以前からこうしてブログを書いているが、4月14日以降は毎日書いている。ずるをして、何日か分を一度にアップすることもあるが、とにかく毎日書いている。書くのが好きだから書いているということもあるし、自分が想定している読者に伝えたいことがあるから書いていることもある。

残念ながら言葉は万能ではない。言わなければわからないこともあるが、言ってしまったために余計にわからなくなることもある。言っても通じないことも少なくない。ただ、どのような言葉にも必ず意味がある。言葉自体に意味があることもあれば、言葉を発する行為に意味があることもある。言葉を発すべきときの沈黙にも意味がある。しかし、そうしたことの意味がきちんと相手に伝わることは殆どない。そう思っている。だから、伝わったと感じたときの喜びが大きい。そんなことは滅多にないので、なおさら嬉しい。

通じるか通じないかというのは、結局は話し手と聞き手双方の努力と確率の問題だと思う。確率の問題でもある以上、通じないかもしれないと承知の上で、言葉を発し続けなければ、永久に何も通じない。宝くじは、買わなければ永久に当たらない。尤も、宝くじを当てたいと思うか否かは別の問題だ。人はそもそも孤独なのだと達観してしまうことだってできるだろうが、それでは生きている意味がないだろう。生きることに意味があるのかという話はさておき、人生は楽しむためにあるものだと信じたい。それなら、生きている限り言葉を紡いでいこうと思う。誰かとキャッチボールをするのは楽しいけれど、一人で壁にボールを投げて、跳ね返ってきたボールを取るという遊びだってある。どちらがより楽しいということではなく、どちらもそれぞれに楽しい。

ところで、昨日、フィリップ・クローデルの「灰色の魂」を読み終えた。読み終えて、これほど気持ちの高ぶりを覚えたことは、記憶にある限り、同じ作者の「リンさんの小さな子」以来かもしれない。彼の作品はこの2冊しか読んだことがないが、どちらも自分の中では永久保存版である。人間の心を腑分けするように、一見ばらばらの個別具体的細部から人生や人間を語ってみせる作品だ。私は、一度で良いから印税というものを頂いてみたいと思っている。しかし、彼の作品を読むと、そのような自分の身の程知らずの願望が、木っ端微塵に打ち砕かれる。価値のある文章というのは、こんなブログにあるようなものではない。こんなものはしょせんゴミだ。そんな気分になる。しかし、徹底的に打ちのめされる感覚というのは不思議と心地良い。中途半端に殴られるのは痛いだけだが、完璧なまでに打ちのめされると夢見心地になるということだろう。昨夜、「灰色の魂」を読み終えた時、思わず「すっごいなぁ」とつぶやいてしまった。小説が人生を語るべきものだとするなら、この作品は小説のなかの小説だ。生きることの喜びも哀しみも全て語り尽くしている。世の中に完璧ということは無いと信じているが、完璧な小説というものがあるとすれば、この作品ではないかとすら思う。

いつも本を読む時は、付箋を貼ったり、線を引いたりしながら読む。尤も、その数はあまり多くはない、と思う。「灰色の魂」の付箋箇所のなかからいくつか拾うと以下のようになる。

突然の死は美しいものを奪い去るが、同時にそのままの状態で保つ。それこそ、真の偉大というものだ。(36頁)

人間を理解しようと思うなら、根っこまで掘り返さなければならない。そして、時間に肩入れするだけでは、時間はいい顔をしてくれない。その裂け目をほじくり、膿を吐き出させてやらなければならない。手を汚すことだ。(93頁)

ろくでなしだろうが、聖人だろうが、そんなのは見たことがないよ。真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。(118頁)

互いにあまりにかけ離れているときは、話すことなど何の役にも立たない。私は口をつぐんだ。(147頁)

ときに人は、教わったわけでもないことを不意に知ることがある。(186頁)

答えなど信用してはいかん、そうありたいと願った言葉などけっして出ては来ない、そう思わんかね?(202頁)

われわれは、他人が自分にとってどういう存在であるかはつねに承知しているが、他人にとって自分がどういう存在であるかはついにわからないものだ。(231頁)

死がこのように訪れるとは妙なものだ。短剣や銃弾、あるいは砲弾だけではないのだ。短い手紙の一通が、善意と同情にあふれる素朴な手紙が、武器と同じくらい確実に人を殺すことがあるのだ。(241頁)

以上、フィリップ・クローデル著、高橋啓訳「灰色の魂」みすず書房(2004年10月12日印刷 2004年10月22日発行)より。

コーヒーの愉しみ

2008年06月07日 | Weblog
ロンドンに来て困ったことのひとつは、まともなコーヒー豆が手に入らないことだった。ようやく焙煎しながら売っている店をCamden Townに見つけたが、気軽に行ける距離ではない。次善の策として、職場近くのWaitroseで調達している。先日、両親の観光案内をしていた時、偶然Greenwich Marketでコーヒー豆を売っている出店を見つけた。ちょうど住処にあるコーヒー豆が残り少なくなってきたので、散歩がてら、その店にコーヒー豆を買いに行って来た。どの豆も227グラムで4.5ポンドと、Camden Townの店に比べると4割高だが、交通費の負担を考えれば割安かもしれない。

豆を買うと、さっそく住処に戻り、淹れてみた。欠陥豆が多いのは想定の範囲内である。Old Javaという深煎の豆を買ったのだが、果実性の香りがする。コーヒーはそもそも果実なので、ものによってはほのかに甘い果物のような香りがするものだ。湯を投じるとおもしろいように反応する。鮮度が良い証拠である。コーヒー豆は焙煎した瞬間から品質の変化が加速する。農作物であるから、生豆の状態でも品質は刻一刻と変化しているのだが、その変化の度合いは小さい。これが焙煎されると、活性酸素の影響もあり、豆の状態が顕著に変化するのである。「おいしい」状態というのは人によって様々な思い入れがあるようだが、大雑把に言うと、焙煎4日目がおいしい、という説から21日目説まである。確かに焙煎直後は、口腔から喉にかけてからみつくような旨味に欠け、コーヒーの色と風味がついた湯を飲んでいるような物足りなさがある。逆に焙煎から長期間を経たものは、脂ぎっていて、旨味はあるが不健康な感が否めない。

「おいしい」というのは、あくまで主観の問題なので、いろいろ試して自分の好みというものを発見すればよいと思う。私の場合、欲を言えば、焙煎から自分で手がけたい。ただ、そうなると豆の入手経路はより限定されて、東京ですら特定の場所でしか入手できなくなるし、焙煎自体も手間暇がかかる。今のところ、コーヒー一杯にそこまで時間をかける気はないので、焙煎された豆を買ってきて、そのハンドピックからが自分の領域ということにしている。抽出はハンドドリップだ。できればネルドリップにしたいのだが、やはり手間暇の限界というものがあるので、ペーパーフィルターを使っている。東京で暮らしていたときはコーノ式を使っていたが、こちらではコーノ式のペーパーが手に入らないのでメリタ式を使っている。

豆の鮮度が良いと、湯を投じた時にドームと呼ばれる隆起がある。よく見ると、ドームのなかで豆の粉が踊るようにうごめいている。この状態の時は、湯の投入を微量ずつにして意識的にドリッパーのなかの粉を蒸らさないといけない。湯の投入量が多めだと、蒸れる前にコーヒーがドリッパーから落ちてしまい、豆の持つポテンシャルが十分に湯に溶け出さないのである。しかし、鮮度の良い豆の時は湯一投毎にドリッパーの中の粉がぶくぶくと反応して気持ちがよい。コーヒーと会話をしているような気分になる。

豆の鮮度が悪いと、ドームはできない。少しずつ湯を投じるのだが、なかなか落ちない。落とすのに時間をかけすぎると、雑味が増えてしまい、後味が悪くなる。しかし、個人的には落とすのに苦労するくらいの状態のほうが好きである。できの悪い子供ほど可愛いというが、そんな感じかもしれない。

さて、今日購入したOld Javaだが、鮮度が良く、味は南国の島を彷彿とさせるものだ。香りは甘く、ボディは軽く、朝のコーヒーに良いのではないだろうか。しかし、個人的な好みとしては、むせ返るような香りと、フル・ボディの豆が好きである。

金曜の定番

2008年06月06日 | Weblog
勤め先の社員食堂では、毎週金曜日にフィッシュ・アンド・チップスのコーナーが出現する。これがなかなかの人気である。フィッシュ・アンド・チップスといえば、この国の国民的な食べ物なのだそうだが、白身魚とジャガイモのフライである。毎日食べていたら病気になってしまう。それで、週に一回なのかもしれない。現在は、健康志向が強まり、英国でも人気が下降中とのことだ。確かに、街中のフィッシュ・アンド・チップスの店は、以前に比べて少なくなったような印象はある。それでも、金曜の社員食堂ではかなりの人気である。

今日は、午後になって、急にフィッシュ・アンド・チップスが食べたくなった。通勤経路上には店が無いのだが、どこかにおいしい店はないかと、終業後、職場を出る直前にパソコンで検索してみた。少し遠回りをすればあるのだが、そこまでして食べなくてもいいかと思い、いつものように行きつけのスーパーに立ち寄った。やはり、フィッシュ・アンド・チップスが気になり、冷凍食品のハドック(鱈の一種)のフライとフレンチフライを買って、家でオーブンで加熱して、酢をたくさんかけて食べた。やはり、食べたいと思ったものを食べると満足感が大きい。

神聖にして侵すべからず

2008年06月05日 | Weblog
先日来、聖地ということが気になっている。聖地とは何か、ということを考えると、それ以前に宗教とは何か、という問題に突き当たる。

以前、ミッション系の学校を出たという人と話をしていて、倫理観の話題になったことがある。善悪の基準を何に求めるのか、というのである。その人はキリスト教徒というわけではないのだが、幼年時代からキリスト教の倫理観に慣れ親しんだ所為で、そこに行動規範の拠り所のようなものがあるという。自分はそのようなことを考えたことがなかった。よくよく話を聞いてみると、そのような立派な教育をしている学校でもいじめはあるらしい。個人的な経験から言うなら、いじめられる人にはある共通した特長がある。それが何なのか、ここでは書かない。ただ言えることは、いじめというのは、いじめる側からすれば、ある種の自己防衛反応だと思う。倫理以前に、生物として自分の脅威となる対象の排除を図るということだ。イエスが当時の権力者に迫害された(ことになっている)のは何故か、ということに通じることでもある。千利休が切腹させられたのは秀吉の気紛れではないだろうし、イラクのフセイン政権が殲滅されたのは、ブッシュ米大統領の浅薄な思慮によるものでもないだろう。学校の学級という数十名単位の集団であろうと、国際社会という数億人の集団であろうと、それぞれの集団の単位で、その集団を防衛しようとする集合的意志が働いている。この集合的意志というのが曲者なのである。ある集団の性質は、その構成要素の性質とは独立に規定されるものである。人徳のある人々の集団が、必ずしも集団として人徳を備えたものにはならないのである。

宗教も政治も人々の生活を支える原理的なものとして存在し、しかも、そこには常に白黒つけがたい領域が残される。その解釈が分かれる領域がある限り、そこに権力闘争の舞台が見出される。そもそも我々の生活現場に白黒つけられるものなど無い。物事は連続したものとして存在するからだ。その闘争を制するのは、権威の確立に成功した勢力である。自分が何を「正しい」と考えるか、ということではなく、自分をさておいて多数の他人が何を「正しい」と考えるか、ということを予想し多数の支持を集める営みが権力闘争である。

人の気持ちや考えというものは時々刻々と変化する。自分自身さえ時間が経てば赤の他人と同じである。そうした不安定な状況において、多数の人々から支持を集め続けるには、その主義・主張がわかりやすくなければならない。絶対的存在というのは、わかりやすいのである。どんなことも、その絶対的存在の思し召しという結論にすればよいのである。だから、実体のあるものを絶対者としてしまう考え方は必ず破綻する。それは現実の変化に耐えないからだ。実体の無いものなら、解釈次第でいくらでも「存在」させ続けることができる。

現在の社会において、そうした絶対者というのは、例えば「民主主義」とか「自由」あるいは「福祉」といったことではないだろうか。環境問題も、正解の無い領域である。つまり、環境ネタの権力闘争はこれからいくらでも起こるだろう。それが、天然資源の再配分問題と関連づけられるかもしれないし、単純に覇権主義と結びつくのかもしれない。どのような形であるにせよ、「環境」と名のつくものには日毎にきな臭さが強くなっているように感じられる。

ところで、聖地だが、そこは絶対的存在を感じさせる雰囲気がないと聖地として認知されないだろう。その昔、エルサレムを訪れた英国人画家が落胆したのは、彼等がイメージする聖なる雰囲気がそこに無かったからだろう。

はるか昔、ドイツのアウグスブルクという町で一人暮らしの老婦人の家に居候をしていたとき、その婦人がエルサレムに遊びに行ったという話をしてくれた。彼女は一応カトリックらしいのだが、特に信心深いというわけでもないようだった。教会には殆ど出かけることもなく、神父の説教は退屈だと公言して憚らない。そんな人でも、エルサレムという場所には感じるものがあったようで、たいへん感激していた様子だった。彼女に言わせれば、本当に神がいるとすれば、神は異教徒に対しても寛大であるはずだというのである。だから、エルサレムがユダヤ教やイスラム教にとっても聖地であるなら、そこで共存すればよいだけのことだという。むしろ、キリスト教系の新興宗教の排他性や狭量さを嫌悪していたのが印象的だった。そんな人だったから、普段は教会などにあまり足を運ばないのだが、私が居候をしている間は、私を市内のあちこちの教会に案内してくれた。

それよりももっと昔、インドのヴァーラーナスィーを訪れたことがある。ここはヒンドゥー教の聖地だ。この地で死んだ人は輪廻から解脱できると信じられているそうだ。だから、喜捨に頼りながら、ここで死を待っている人たちもいる。あくまで死を待つのであって、勝手に自ら死んではいけないらしい。そうした人たちのための宿泊施設がいくつもあり、聞いた話では、出身地によってそうした施設が分かれているとのことである。迷路のような街路を通りぬけてガンジス川に面したガートと呼ばれる場所に出ると、人々が沐浴をしている。ガートの階段に腰掛けて、そんな風景を眺めていると、沐浴をしている人たちが私に手招きをして、一緒に沐浴しろという。いいよいいよ、と断っていると、やがて子供たちが走りよってきて、私の手を取り、川に入ろうとせきたてる。言葉はわからないのだが、そう言っているように聞こえた。さすがに居づらくなって、声をかけてくれた人たちに笑顔で手を振って、その場を後にする。彼らも笑顔で手を振ってくれる。彼等にとっては、一見して私は異教徒に見える(はずだ)が、聖なる場所での聖なる行為に誘ってくれるのである。

聖なる場所、というのは排他性を伴うわけではなさそうだ。おそらく、聖なる力への信頼が厚いほど、他者に対して寛容になることができるのではないだろうか。逆に、狭量さは自信の無さの一表現形態と言えるのだろう。神聖にして侵してはいけない場所というのは、神聖さの根拠がそれだけ希薄であるということを象徴するものなのだろう。

やっぱり行列は嫌、らしい

2008年06月04日 | Weblog
日本に本を送ろうと、昼休みに職場近くの郵便局へ出かけた。

先日、地下鉄の駅に村上春樹の「アフターダーク」のポスターが貼ってあるのを見かけた。昨日、美術館に行く途中、腹ごしらえにエキナカのフードコートでやきそばを食べたついでに、やはりエキナカにある書店を覗いたら「アフターダーク」とその他の数冊の村上作品が並んでいた。しかも、1冊買うともう1冊を半値で購入できるという販促を実施していた。これは買わないといけないと思い、「アフターダーク」とその近くにあった本を購入した。彼の作品を読む人で、最近、英語の勉強に目覚めたという人がいるので、その人の英語教材によいのではないかと思い、頼まれもしないのに、その「アフターダーク」を送ってみることにしたのである。

郵便局には、いつものように長い行列ができているが、今日は普段に比べると人の回転が遅い。無理難題抱えた客がたまたま重なっているのだろう。その郵便局には9つの窓口があり、昼時のような繁忙時間にはそのうちの6つほどが稼動している。その6つの窓口で、それぞれに時間をかけたやり取りがある。すると、そのうちの一つの窓口で客が怒り出した。間もなく、別の2つの窓口でも客が大きな声を立て始めた。このような光景を見るのは初めてである。問題が解決したのか、単に埒があかないのかわからないが、最初に怒り出した人は郵便局から出ていってしまった。あとの2人は相変わらずである。窓口には透明のアクリル板の仕切りがあり、私が立っている場所からは局員の声は聞き取れない。ある間を置いて、客の苛立つ声が響くだけだ。何故か知らないが、自分とは関係ない世界で他人が怒っている姿は滑稽に見える。これは私に限ったことではないらしく、列に並んでいる人々はふたりの客の様子に興味津々であるようだ。時折、抑えた笑いも起こる。と、ふたりが同時に半身で列を振り返り、顔は局員へ向けたまま片手で列を指差し、ほぼ同時に「またこの列に並べだって?」

で、妙に納得した。よく、英国人は何にでも行列を作る、というようなことが言われる。行列が好きなのだ、という声も聞く。しかし、やはり待たされるのは嫌であるようだ。なんだかほっとした。

聖地の幻

2008年06月03日 | Weblog
仕事帰りに「The lure of the east - British Orientalist Painting」という美術展の内覧会を覗いてきた。ここでの「east」とは、地中海の東、中東と呼ばれる地域のことである。17世紀から20世紀初頭にかけて、英国人画家によって、この地域を題材にして描かれた作品の展覧会である。何故、英国人にとって中東が特別な地域であったかと言えば、それは、そこが聖地だからなのである。

聖地とは何だろう。この企画展でもエルサレムを題材にしたものだけでひとつの部屋が設けられている。尤も、そのイメージとは裏腹に、画家たちはエルサレムの現実を目の当たりにして失望したという。おそらく、それが何の変哲も無い中東の一都市であったからだろう。聖地には期待された姿というものがあるということだ。

それでも、19世紀になり、この町の人口構成においてユダヤ人の割合が大きくなると、英国人の間ではユダヤ文化への注目度が高くなったそうだ。そこにイエス・キリストが生きていた時代を想像させるものがあったのだという。一方で、イスラム文化への関心も高くなったという。エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの聖地である。しかも、これらはどれも一神教である。そうした多義的な空間に、神性を見たのかもしれない。

今回の企画展でも、多くの作品の題材になっているのはイスラム風の風景や文物である。自分の価値観の基盤を成す宗教の聖地は、自分の生活圏の風景とは異質の世界であったということである。つまり、それが異教のものであれ、聖なる場所というのは日常と乖離していなければならないということだろう。

となると、不思議に思うことがある。英国は島国だが、欧州大陸に渡れば、そこから地続きで中国や朝鮮半島にまで到達する。勿論、国境はあるにせよ、人々の生活は風土に結びついているはずなので、国境を越えたからといって急激に変化するものではないだろう。しかし、その僅かの変化を積み重ねることで、聖と俗という二元的な世界の違いを作り出すのである。

かつては、長い距離を移動するのは一大事だった。今は簡単に世界を回ることができる。となると、世界各地の文化の違いというのは、これからますます小さくなるのだろうか。それとも、習慣は容易に変わることはないのだろうか。変わるとしたら、我々の世界は、やがてひとつになるのだろうか。

まさかの遅延

2008年06月02日 | Weblog
今日は両親が日本へ帰る。12時に宿泊先のホテルに旅行会社の担当者が迎えに来ることになっている。それまでにチェックアウトを済ませておかなければならないのだが、英語を全く解さない2人が、一体どのようにしてチェックアウトをするのだろう? そう思ったので、旅行会社の人が来るまで待って、その人にチェックアウトの手続きをしてもらうようにと両親には言っておいた。

職場では、時々、PCで航空会社のサイトを開いて、チケットのステイタスを確認する。午後1時半頃に開いたら、発券済みとの表示だったので、搭乗手続きが無事に終わったことがわかり一安心する。しかし、帰国便の場合の関門は乗客以外が立ち入ることのできないエリアで、自分が搭乗する便のゲートに無事にたどり着くことである。出発予定時刻は午後3時45分だが、4時過ぎに航空会社のサイトで運行状況を確認したところ、遅延との表示。その遅延の原因が、自分の両親なのではないかと心配になる。心配というより、他の乗客に対し申し訳ない気持ちになる。その後も頻繁に航空会社のサイトを確認していたら、ようやく午後4時31分に離陸したことがわかった。46分間の遅延である。職場の電話にも、携帯電話にも連絡が来ていないところを見ると、乗り遅れたということはないようだ。いずれにしても、自分の親が、その遅延の原因になっていないことを祈るだけである。

家庭訪問

2008年06月01日 | Weblog
今日、両親は私の住処を訪れた。宿泊先の最寄駅のひとつTempleから地下鉄に乗り、途中一回乗り換えて私の職場がある地域を歩く。日曜なので閑散としているが、商店街のカフェはいくつも営業しており、そうした場所でのんびりと新聞を読みながらコーヒーを飲む人の姿もある。ここから軽便鉄道でGreenwichへ移動し、そこで昼食にする。ここは観光地なので、日曜でも営業している店が多い。最初、以前から気になっていたベトナム料理屋を覗いてみたが、宴会で貸し切りだという。昨日も結婚披露宴らしいパーティーがあちこちのレストランで開かれていたが、今日も似たような状況であるようだ。仕方ないので、中華料理屋に入る。ロンドンの中心部に比べると格段にお手頃な値段だが、一見して冷凍食材使いまくり、という感じで、食べてみて、それが「感じ」ではなく「事実」であることを確信する。冷凍が美味しくないというわけではない。ただ、日頃利用している中華食材店で馴染みのある味だというだけのことである。

この中華料理屋で食事をしている時、隣のテーブルに東洋系の若い男女がやってきた。ふたりの間には殆ど会話がない。これは初めてのデートか、逆によほど親しい間柄であるかのどちらかであろう。なんとなく気になったので、観察していた。料理が運ばれてくる。別々のセットメニューだ。相変わらず静かなまま、それぞれに食べ始めた。全体の四分の一ほど食べたところで、女性のほうが男性の前にある料理に自然に手を伸ばし、それに呼応するかのように男性のほうも女性の料理に手を伸ばす。それでも相変わらず静かである。そうして食事を終えると、一言二言、にこやかにやりとりがあり、店を出ていった。たぶん、とても親しい間柄なのだろう。確信は無いが、なんとなくそう思った。

腹ごしらえをしたところで、Greenwich Parkを横断して徒歩で私の住処へ向かう。Greenwich Parkのなかに王立天文台がある。グリニッチ天文台、と言ったほうがわかり易いかもしれない。ここが子午線の基準点である。現在は天文台としてではなく天文博物館として存在している。入場無料だ。ついでなので、ここに立ち寄る。母は、建物の古さにひたすら感心しているようだ。恐らく、子午線と言ってもなんのことかぴんとこないのだろう。

公園を抜けると閑静な住宅街が広がる。こちらの不動産事情や、家の造りについて説明しながら、その住宅街を歩く。鉄道の線路を越えると、それまでセミデタッチト・ハウスが殆どだった家並みが、テラスハウスに変わる。通りの雰囲気も少し荒れた感じになり、やがて私の住処に着いた。

コーヒーを淹れ、昨日、フォートナム・メイソンで買ったクッキーとマカロンを茶菓子にする。一度に3人分のコーヒーなど淹れたことがないので、要領を得ず、少し濃過ぎてしまった。湯で割って味を調整する。クッキーもマカロンも好評だ。それなりの値段なのだから、これで美味しくなかったら詐欺だろう。

一服したところで、いつも買い物に利用しているスーパーを案内する。まずは中国食材の専門店であるSeeWooから。店の入口に中国野菜のコーナーがあり、その角に、今日はドリアンがゴロゴロと積んである。その向かいはいつもの通り鵞鳥の卵と鶉の卵。ドリアンと卵の通路を抜けて米や粉のコーナーへ。ここは業務用のエリアなので、パレットの上に積み重ねられた米や粉が高々と積み上げられている。味の素の60?入の袋も並んでいる。醤油や食用油は一斗缶に入ったものが積み上がっている。食料品の他に、食器や調理器具、洗剤、店内に飾る置物や仏壇まで売っている。冷凍食品のコーナーに行くと、餃子や焼売が50個ほど入った大きな袋がケースのなかに奇麗に並んでいる。粽や饅頭もあるし、魚介類や肉類もある。その物量の豊富さに圧倒される。店の奥には生簀があり、海老だの蟹だのがうじょうじょしている。鶏を丸ごと薫製にしたものも当然ある。私が生まれた頃、両親は精肉店を営んでいたので、このような業務用の世界を目の当たりにすると未だに血が騒ぐらしい。

次に、すぐ近くにあるショッピングセンターの中核店舗であるSainsbury’sを訪れる。両親は規模の大きさには感心するものの、欠品が目立つ棚や、並んでいる商品の品質に、なにか引っ掛かるものがあったらしい。それでも、興味深げに歩いていた。

一旦、私の住処に戻って一休みした後、宿泊先のホテルへ移動した。これで、今回の旅行の日程は終了である。明日は12時に旅行会社の担当者がホテルに迎えに来て、ヒースローまで送ってくれることになっている。1週間の旅行というのは、旅慣れた人にとっては物足りないだろうが、両親にとっても私にとっても、ちょうどよい期間であった。とにかく、無事に予定されていた日程を終了できてほっとした。