熊本熊的日常

日常生活についての雑記

日曜日

2011年11月13日 | Weblog
今から20年以上も前のことだが、2年間ほどイギリスのマンチェスターという町で生活をしたことがある。そこでは、日曜日というと街中の商店は休業で、ぽつりぽつりと営業しているのはインド人や中国人が営んでいる店くらいのものだった。その当時、数ヶ月間をドイツのアウグスブルクという町で過ごしたこともあったが、こちらはマンチェスターよりも街が小さいということもあり、カトリックの街であるということもあり、日曜日はマンチェスターよりもさらに静かだった。日本では週末といえば商店にとっては書き入れ時で、日曜に休業するのは銀座の和光くらいのものだと思っていた。しかし、週に一度、街が静まり返る風景というのは、慣れてみれば心地よいものだった。

今日、ちょっと気になっていることがあって、実家に行くついでに、少し早く住処を出て蕨に立ち寄った。以前にも書いた通り、私はこの町で生まれた。日本で一番小さな市であり、日本で人口密度が最も高い市でもある。生まれてからイギリスに留学する25歳まで、ずっと蕨と隣接する戸田を生活圏にしてきた。27で留学から帰国し、30で結婚するまでの間もここで暮らしていたので、人生の前半をこのあたりで過ごしたことになる。

子供の頃は、蕨駅西口から国道17号に突き当たるまでが商店街で、かなり賑わっていた記憶がある。今、この商店街を歩くと、そうした歴史を知らない人の眼には奇異に映ると思われることがいくつかある。例えば、銀行は駅周辺に立地しているのが一般的だが、ここでは埼玉りそな銀行が駅からかなり離れた場所にあり、さらに駅から遠ざかったところに川口信用金庫がある。妙な立地だと思われるだろうが、かつては商店街のど真ん中だったのである。蕨はその昔は中山道の宿場で、街の中心は駅のあたりではなく、市役所や郵便局がある旧道のあたりだ。蕨駅が開業したのは明治26年なので、駅と旧市街の間に人の動線が形成され、それに沿うように商店街ができることに何の不思議も無い。マルエツというスーパーがあるが、この本社が1974年からダイエー傘下に入る1981年まで蕨にあった。東証一部上場の宝飾メーカーでツツミという会社があるが、この本社も蕨で、かつての商店街から少し外れた場所にある。データを持っているわけではないが、この商店街を歩くと、和装店が多いことに気付くだろう。茶を扱う店もそこそこあるが、おそらく、昔ながらの人の交流が比較的続いているのではないだろうか。それで着物や宝飾品を扱う店が比較的多く立地しているということではないだろうか。

今は商店街も虫食いのように空き店舗やコインパーキングが点在するようになってしまったが、まだかろうじて商店街の風情が残っている。ここにある商店のなかで、食品関係の店を中心に今日が休業日のところがけっこうある。本来は、このような地域密着型の商店街は日曜が休みというところが少なくなかったはずだ。土日の買い物は繁華街の大型店舗で楽しみ、普段の買い物は地元の商店街、という棲み分けが機能していたように思う。それがいつの頃からか、小売店は休むことなく営業を続けるのが当然のようになってしまった。そうなると休業することで機会損失を発生させることへの不安が蔓延するのだろう。休むに休めなくなり、それが店舗運営に無理を生じることにつながり、営業の継続が困難になるという悪循環を生んでいるのではないかと思うのだが、どうだろうか。

どうせ週末の人の流れは都内の繁華街へ向かってしまうのだから、こうして日曜は休むというのが合理的であるように思う。そして英気を養ったり、商売のアイディアを考えたりするほうが、長い目で見ればよほど生活に得るところが大きいのではないだろうか。今日は私のお目当ての店も休みだった。せっかく足を運んだのに残念、と思うような小さな人間では生きていてもろくなことにはならないだろう。だいぶ荒廃しているが、よく眺めれば、まだまだ子供の頃の家並の断片が残っている面白い街並みだ。そういうところをゆっくりと歩くことができたのは、商店街に休みの店が多く、人出も少なく静かだからだろう。そういうことを有り難いことだと、負け惜しみでもなんでもなく、素直に思えるようになったことがなにより嬉しかったりする。

落語会にて

2011年11月12日 | Weblog
落語は、もういいかげんにしておこうと思っているのだが、予約サイトからの案内メールについつい反応してしまう。今日は小三治の独演会を聴きに草加まで出かけてきた。

席が前から6列目だったので、落語らしく聴くことができた。小三治はいつから正座椅子を使うようになったのだろうか。噺のほうはともかく、噺家が正座していられないとなると、やはり心配になる。私も、このブログに書いたと記憶しているが、ロンドンにいた時分に左下半身に痛みを覚えるようになり、その痛みから解放されるまでかなり長いことかかった。その痛みが完全に退く前に茶を習い始め、痛みが退いた後も、茶は苦行としか感じられない。とにかく、正座が辛いのである。

左下半身の調子が悪いのは、若い頃からだ。大学生の頃、酒を飲むようになり、酔うと何故か左脚が妙に重く感じられるようになった。普段はなんともないのだが、酒が入るとそうなるのである。そのうち下肢静脈瘤が現れた。重苦しさと静脈瘤との因果関係はわからないが、日常生活に支障はないのでそのままにしておいた。それから20年ほど経て、先ほど書いたような痛みの経験になるのである。静脈瘤のほうをなんとかすれば正座が少しは楽になるのか、そういうことは関係がないのか、考えてみたところで始まらないのだが、そのうち加齢で体力が落ちれば、どの道正座は辛くなるので、結果は同じことだろう。

ところで落語だが、開口一番は〆治の「ちりとてちん」。一般に落語会の開口一番は前座なのだが、〆治は小三治一門の惣領弟子だ。少し風邪気味なのか、出だしは喉をかばうかのような喋りだったが、噺が進むにつれて調子が上がり、聴いているほうとしてはほっとした。開口一番でこういう噺を聴くと、得をしたような気分がして嬉しいのだが、前座の噺も楽しみにしているので手放しでは喜べない。というのは、私も年を取ったので、確率として自分よりも長生きする人の芸の変化を楽しみたいのである。もちろん、完成形を感心して味わうのは嬉しい心持ちがするものだ。大袈裟な言い方をすれば、時として生きていてよかった、と思うことも、あったかもしれない。しかし、物事が変化していく様子を眺めるというのも楽しいものだ。落語会では前座のときの会場の雰囲気と、お目当てが登場したときのそれとは明らかに違う。その変化を体験することも愉快だし、なんとなく「前座だからねぇ」というような緩い雰囲気のなかで独り食い入るように聴いている感覚というのも、自分で勝手にそう思っているだけということは承知の上なのだが、愉快なのである。

もひとつところで、映画「小三治」のなかで、小三治の独演会に同行した禽太夫が開口一番として「ちりとてちん」を演じている。この一門はそういうことが多いのか、単なる偶然なのか、少し気になった。ついでに気になったことを続けると、会場である草加市文化会館ホールの緞帳だ。「草加市金融団」と刺繍がしてある。この施設の建設に関与した金融機関が共同でこの緞帳を贈ったということなのだろうが、「金融団」という名称に引っ掛かりを覚えてしまう。もう少しさらっとした名前を考えることはできなかったのだろうか。

以前にも書いたかもしれないが、「一眼国」は深い噺だと思う。自分が「まとも」と思っていることが、いかに根拠薄弱か、もっと言えば、正しいとはどういうことなのか、というようなことを考えさせられる。「厩火事」にしても、結論が同じであっても、そこに至る道筋は幾通りもあるということを雄弁に語っている。古典落語が時代を超えて存続しているのは、そこに普遍性があるからだ。噺のなかに登場する小道具類がわからなくとも、笑ったり泣いたりできるのは、たぶん噺家の力量に負う部分が大きいだろうが、噺そのものが語り継がれるのは、語り継がれる必然性があるからに他ならない。それは受けるとか受けないというような皮相なことではないのである。

落語に限ったことではないが、同じことを見たり聞いたりしたときに、そこから何を思い描くか、どのような発想をするか、というのは見る側、聞く側の世界観の問題だ。ある人にとっては面白いことが、別の人にとっては退屈であるのは当然のことで、例えば今日の落語会にしても、私の右隣の人と左前の人は寝ている時間のほうが長かったが、真後ろの人はマクラの一言一言に「あ、なるほどね」などと感心している様子だった。私の身体を中心にして、私の腕の長さを半径とした限られた範囲においてすら、同じ噺に対してこれほど異なる反応を示すのである。寝ている人とは今日の噺について語り合うことはできないだろうし、相槌を打ちながら聴いている人と語り合えば、自分が思いもしなかった発想に出会うかもしれない。しかし、仮に同じメンバーで別の体験をすれば、落語会で寝ていた人は雄弁に何事かを語るのかもしれないし、相槌の人は沈黙するのかもしれない。「厩火事」のマクラのなかで人の縁について語られていたが、自分にとって大事なことについて会話が成り立つ相手との出会いというのが縁というものではないかと、ふと思った。ここで「大事」というのは大小様々な流動的なイメージだ。自分のなかで「大事」なものというのは、状況により様々に変化するもので、その一瞬の状態が、誰か別の人の「大事」と反応した瞬間に何かが生まれるのではないだろうか。逆に、その人の「大事」が自分にとっては箸にも棒にも掛からないものばかりということが続くと、否定的な感情に捕われてしまうのだろう。尤も、それもまた縁のひとつだ。ひとつひとつの縁を大事にしていけば、生活はもっと豊かになるだろうか。

本日の演目:
〆治 ちりとてちん
小三治 一眼国
(仲入)
小三治 厩火事

開演:13時30分
終演:15時50分
会場:草加市文化会館

バターは抽選

2011年11月11日 | Weblog
生協の宅配の今週のカタログではバターが抽選だ。昨年夏の猛暑と今年の震災の影響で日本全体として乳製品が品薄になっているらしい。乳製品に関しては一年を通じてヨーグルトをほぼ毎日食べており、夏場を除いて牛乳も愛飲している。どちらも生協の宅配を利用しており、北海道産の原乳だそうなので、震災のときも比較的早い時期から流通が回復した。その生協ですら、バターは未だに供給が不安定なのである。街中の小売店に行けば、それでも品物は手に入るのだろうが、生協を利用する理由のひとつは、産直品を愛用することで、日本の農業に微力ながらも参加したいという気持ちがあるからだ。

消費者を馬鹿にした経営を続けたあげくに破綻した破廉恥で有名な乳業組織もあったが、農業やその関連事業というのは、本来、真面目に取り組まなければ継続できない性質の事業だ。土地や家畜や作物は正直なもので、手入れするべきときに適切に手を入れなければ収量は増えないし、翌年、翌々年の生産にも支障をきたしてしまう。助平心を出して農薬や化学肥料を多用すれば、その時は生産性が上がるが、化学物質が過剰に蓄積されることにより、消費者の健康を蝕む物質を産み出したり、生産現場を汚染して再生が困難になるなどして、最悪の場合は事業そのものを継続できない事態に陥ってしまう。

市場原理のなかで生活しているのだから、事業の存続のためには生産性の向上を常に考えなければならないのは当然だ。しかし、市場の参加者は人間だ。価格というのは購買行動を左右する重要な要素であることには違いないだろうが、特定のパラメータだけに反応するような単純なものではない。熟慮を重ねた上で主義主張を持って行動すれば、必ず賛同者は現れるものだと思う。殊に食というのは生命維持に直接関わることである。現に産直により生産者と消費者が結びついている事例は生協だけのことではない。市場原理においては、マスにばかり関心が向かいがちになるが、それが世界の全てではないのである。

もちろん金銭は大事だ。それなしに生活はできない。しかし、それが主であるような生活が幸せなこととは、自分には思えない。主張のある生活、主張のある行動を常にこころがけていきたいと思っている。

体重はたぶん減っている

2011年11月10日 | Weblog
昔はベルトの上に被さるように腹が迫り出した中高年を見て醜いと感じたが、あれはある程度はやむを得ないということが、齢を重ねてみてわかった。何年か前から人間ドックでウエストの計測が始まった。ここ数年はロンドン滞在中を除いて同じ施設で受診しているので、過去のデータも併せて結果が送られてくる。それを見ると体重が減少してもウエストが増加するという現象が近年になって見られるようになった。おそらく、筋力が低下して肉を保持できなくなったのだろう。

10月一杯で欧米の夏時間が終わった。それを機に、これまでそれほど負担のなかった職場での作業で、急に負荷が大きくなったものが現れた。そのおかげで食事をする時間が極端に少なくなった。ちょうどよい機会なので、年内を目処に5キロほど体重を落とすことにした。9月下旬に受診した人間ドックでは体重は標準圏内だったが、前年12月に比べて3キロほど増えた。これを前年未満にして、ウエストを一昨年並みに落とすのである。体重計を持っていないので、どの程度意図通りになっているのかわからないが、ズボンが明らかに緩くなったので体重もウエストもこの半月ほどの間に減少したのは間違いないだろう。

何をしているかというと、単純に食べる回数と量を減らしている。人間が一日三回食事をするようになったのは産業革命以降のことだそうだ。それ以前は腹が減ったら食べるという、当然といえば当然の習慣だったという。それが機械工業の誕生とともに、機械の稼働を効率的に行うのに都合が良いように労働者の食事時間を一定間隔に定め、それが社会全体に広まったのだそうだ。それが可能になったのは、照明が普及して外の明るさに関係なく人間が活動できるようになったからだ。文明開化とともに、そうした習慣が日本にも導入され、今日に至っているという。

つまり、本来は時間が来たから食事をするのではなく、腹が減ったから食事をするということになっていたのである。日の出とともに起き出し、布団を片付け、ついでに掃除もして、ひとしきり身体を動かしたところで腹が減るから朝食のようなものを摂る。それからそれぞれの仕事をして、昼過ぎくらいに腹が減る。「おやつ」という言葉が今でもあるが、これは元来は時間を表すものだ。江戸時代の時間は、現在のように一日を24時間の等間隔で刻んだのではなく、日の出から日没までを六等分して昼の一刻(いっとき)とした。同じように日没から翌日の日の出までを六等分したのが夜の一刻。つまり、一刻は昼と夜とで違う長さであり、季節によっても変化したのである。当時は現在のような強力な照明がなかったので、人間の活動時間は日中に限られた。だから、これで都合が良いのだ。当時は時計が無かったので、時刻は鐘を鳴らして知らしめた。日本の場合は南北に長いので、蝦夷と薩摩では事情が異なっただろうが、江戸と上方とではそれほど大きな違いは無かっただろう。また、日本くらいの緯度なら、夏至と冬至の差もさほど大きくはないといえる。ざっくりと言えば、一刻はだいたい現在の2時間くらいの見当だ。そして、やはりざっくりと日の出が現在の午前6時くらいで、日没が午後6時くらいといったところだろう。この日の出から日没までを六等分して、日の出が「明け六つ」、午前8時頃が「五つ」、10時が「四つ」で、12時は「昼九つ」となる。そして午後2時頃が「八つ」。午前中に働くと、だいたいこのあたりで腹が減るので何かを食べるのである。それで、その食事のことも「八つ」、食べ物なので少し丁寧に「お八つ」と呼ぶのである。「おやつ」は子供が食べるお菓子のことではなく、もともとは今の昼食のようなものだった。

さらに時間が進み、午後4時頃が「七つ」、そして日没時でもある午後6時頃が「暮れ六つ」となる。ついでに言うと、当時の時刻は9で始まり4で終わる。これが2回転。では、怪談で登場する「草木も眠る丑三つ時」というのはどうなのだ、ということになるだろう。「丑」は辰刻法という時刻の単位で、一日を12等分して十二支を当てたものだ。「八つ」というやつと並行して使われたそうだ。やはり単位は現在の2時間だ。これがそれぞれ4等分されて、例えば「丑一つ」「丑二つ」「丑三つ」「丑四つ」となる。十二支は「子」で始まるので、これまたざっくりと深夜0時が「子一つ」の起点。となると、「丑三つ」は午前3時から3時半にかけての時間ということになる。確かに、今でも田舎のほうへ行けば、何かが出てきてもおかしくない時間ではないか。

いつものように話は大きく脱線したが、要するに腹が減ったら食べるようにしたのである。時間が来たから食べるのではない。となると、もういつ死んでも不思議ではない年齢なので、それほど腹が減らないのである。「ダイエット」などと妙なことを考えなくとも、自分の身体に素直に向かい合うだけで、体型は自然なものに落ち着くということだ。

足で考える

2011年11月09日 | Weblog
もういつ死んでもおかしくない年齢になったのに、今頃になって初めて知ることがいくらもある。身の回りの些細なことに昔から関心があって、身体に関することでは手足とか脚に興味がある。といっても、研究するというようなことではなしに、漠然とした興味だ。例えば、日本では屋内に入ると靴を脱ぐが、そうではない文化もある。その違いが何に起因するのか、それが社会のありかたのどのような側面にどのように反映しているか、など考え出したら際限が無いだろう。

月刊「みんぱく」の11月号は「かんがえる足」という特集を組んでいる。そのなかで民博の名誉教授である野村雅一氏が「ふしぎな足」という文章を寄せていて、そこにこう書かれている。
「ともあれ、そんな足は隠すべきもので、他人にみせてはならないという社会も少なくない。西洋人の靴ももともと足を隠すためなのか、歩く足を保護し、蹄のかわりに踵をつける一種の身体加工だったのかはっきりしないが、人前て靴を脱いで足をだすのは今もマナー以前の不作法、ほとんどスキャンダルだ。」
もうさんざんスキャンダルをまき散らしてしまった。こういうことは留学前に知っておいたほうが良かったし、留学中に知るべきだったのだが、そういう機を逃してはや23年。尤も、留学中に暮らしていた寮の同じ階にいたのはエチオピアとかキプロスとかエジプトからの人たちで、私の不作法をスキャンダルと捉えたかどうかわからないし、たまに部屋に遊びにきていたシンガポールやマレーシアの中国人も素足にサンダルという出で立ちだった。そんなことより、女性はどうなのかという疑問が湧いた。勝手な印象だが、女性の洋装は総じて肌の露出度が高い。足も紳士靴のようながっちりしたものではなく、サンダル、せいぜいパンプスが一般的だろう。女性は別枠ということなのだろうか。

同じく「みんぱく」に都留文科大の山本芳美氏がこう書いている。
「いずれにせよ、ルイ14世のころには宮廷でヒールつきの靴を履くことが流行した。タイツで脚線美を強調する男性の足下の靴は、優美な曲線を描くヒールがつけられ、派手なリボンやバックルで飾られていた。対して、ドレスの奥深くに隠されたのは女性の足と靴である。ところが、近代になると、女性のスカート丈が上がり、足のおしゃれに関心が集まる。反対に、男性の足はズボンでくるまれ、装飾性の薄い靴を履くようになった、というのが大まかな靴の歴史である。」

人間の歴史において、身体をどこまで隠すか見せるかということの基準は一定ではないように思う。その変化がどのようなことと関連しているのか、というようなことは、服飾を研究している人は知っているのだろうから、調べるのはそれほど難しくはないのかもしれない。尤も、人間の歴史が闘争の歴史でもあるということは、そういう文化への理解が浅いことの証左のような気もする。

先日、勤め先で同僚とK-Popのアイドルグループの話題になった。私はテレビを持っていないので、週末に実家へ出かけるときとか、ネット上の動画でしか観たことはないのだが、集団としての動きとか個々人の動作のキレのようなものが、日本人のアイドルグループとレベルが違うように感じている。会話のなかでそのことを指摘し、「あれはやっぱり、マスゲームの伝統と関係あるのかな? あれ、結局あのマスゲームと一緒だよね?」と言うと、その同僚が答えて曰く「国策という点では関係あると思います。」というのである。韓国のエンターテイメント市場の規模は日本の40分の1しかないので、それだけ競争力が強くないとプロとして存在できない、というのが彼の弁だった。

「みんぱく」の編集後記には庄司博史氏がこう書いている。
「1日の調査を終え、ストックホルムのあるカフェーのテラスで、行きかう人々を眺めていた。目は自然と女性の方に行ってしまうのだが、足の運びが日本とは違うことにあらためて気がついた。つま先まで伸ばし颯爽と踏み出す足に腰とからだがついていくような歩行は、膝を伸ばしきらず小股で歩く日本とは確かに違う。とはいえこの違いは人種的なものではないようだ。明らかに中国人とわかる観光客はここでも日本人を凌ぐほど増えたが、老若を問わず、背筋をたて足を伸ばして歩く様子はむしろこちらの人に近い。日本のはやりの少女チームの踊りをチキンダンスと評した人がいたが、韓国のチームとの歴然とした差もひょっとすると足の使いかたという深淵なところに起因するのかもしれない。」

見せる見せないは使い方とも関係する。身体の運用は社会の運営にも通じているのではないだろうか。そこには核となる思想も含まれるだろうし、その時々の状況に対応して変化する部分もあるだろう。自分の身体の使い方とか、日頃の服装の傾向を見直せば、自分のことだけでなく、自分が生活している場全体についての発見があるかもしれない。

参考:
 月刊みんぱく 2011年11月号
  ふしぎな足  野村雅一 民博 名誉教授
  ハイヒールから透けて見えるもの おしゃれか健康か  山本芳美 都留文科大学准教授
  編集後記  庄司博史

鬼の嘲笑

2011年11月08日 | Weblog
来年の話をすると鬼が笑う、などと言うが、11月に入り、しかも今日は立冬だ。来年3月のことを考えるのは、むしろ当たり前のことだろう。今時分に手元に届く案内状やメールの類には、3月頃のイベントが紹介されている。ちょうど3月3日に行きたいものが重なってしまった。ひとつは坂田和實氏の講演会、もうひとつが小三治の独演会だ。時間がずれているので、行徳で小三治を聴いてから、駒場で坂田氏を聴くというのは不可能ではなさそうだ。しかし、時間を気にしながら落語を聴くというのも野暮なので、今回は坂田氏のほうだけに足を運ぶことに決めた。

予約の電話をかけるとき、ひょっとしたらまだ受付が始まっていないかもしれないと思った。電話口の人に「はぁ?」というような対応を受けたら、どのように説明しようかなどとも考えて、少し緊張した。電話がつながってみると、「もう受付は始まってますよ」とのこと。ほっとするところもあるし、がっかりするところもある。たいした意味はないのだが、一番乗りだったら嬉しいかもしれないとの期待もあった。告げられた受付番号は一桁台後半。案内状を手にして直ぐに行動したわけではないので仕方ないのだが、微妙な気分になる番号だ。

来年の予定をあれこれ悩むといって、こういうことであるということが鬼に知れると、やはり笑われるような気がする。

いけばな

2011年11月07日 | Weblog
友人と日本橋高島屋で開催中の草月流いけばな展を観て来た。午後1時に高島屋の正面入り口で待ち合わせ、まずは腹ごしらえと、たいめいけんへ行ってみるが、行列ができているのでコレドのなかで済ませることにする。あれこれと話しをしながら食事をしていると1時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。それから改めて高島屋へ行き、8階の会場までエスカレーターで上がっていく。

あまり花を観に出かけた経験がないのだが、作品を観て驚いた。噂には聞いていたが、生け花というよりはサイボーグ花という風情だ。花を使って立体像形を作ることに主眼があるような印象を受けた。要するに花がどのように咲いているかということよりも、草花の色や形に注目し、それを素材にして自分が想定するテーマを表現しているのだろう。色や形だけが問題なので、例えば上下逆さにして使うということも当然にあり、季節感は二の次で、いかに独創性に富んだ表現をするかということが追求されているわけだ。生け花というのは、野にある花を摘んできて、それを花器に生けるのだから、野から切り離した時点で人為的な世界のものと化していると言える。それなら、「自然」であることにこだわるほうがむしろおかしいわけで、自由にその「美しさ」を見出し、あるいは再構成する、ということにこそ生け花の本分がある、というのなら、これでもよいのだろう。むしろ、こうあるべきなのかもしれない。しかし、あまりにあざとさが過ぎると、観ていて痛々しさを覚えてしまう。こういうものを美しいと思う感覚に対する痛々しさ、こうまでして己を見せたいのかということに対する痛々しさとでも言うのだろうか。「いけばな」というとき、「いけ」るのは何なのだろうか。

「ディスタンス」

2011年11月06日 | Weblog
オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日のこと。当時の勤務先は都内数カ所に本社機能が分散しており、そのひとつの最寄り駅が地下鉄茅場町駅で、事件当時、サリンがばらまかれた列車のなかで最大の被害を出した日比谷線(上下線合わせて死者9名、重傷者約3,000名)の停車駅だったので、当時の同僚のなかにこの被害に遭った人もいた。「ディスタンス」が制作されたのは、その5年後の2000年のことだった。さらにそれから11年が経っているが、サリン事件の実行犯のなかには未だに逮捕されていないのがいる。映画のほうはカルト教団によって東京の水源に新種のウィルスがばらまかれ、多くの死傷者を出したということになっていて、その実行犯5人は教団の手によって殺害され、彼等の灰が信州の湖に投げ捨てられたという話になっている。この作品は、その殺害された加害者の遺族たちの1日を描いたものだ。

登場するのは殺害された5人のうち4人の遺族。彼等と加害者との関係としては、以下のようになっている。
アツシ:姉が加害者、姉は2つ上、独身、花屋に勤務
マサル:兄が加害者、兄は医師、独身、学生
ミノル:妻が加害者、妻は専業主婦、今は再婚して1歳半ほどの子供あり、建設会社勤務
キヨカ:夫が加害者、夫は教師、子供がいるが自分の親に預けている、予備校講師

この4人が命日とされる日に遺灰が捨てられたとされる山奥の湖に集まって供養をする、という設定だ。舞台となるのは3回目の供養の年。4人のうちミノルとキヨカは鉄道でJR小海線の八千穂駅まで来る。そこで車で来たアツシとマサルと合流する。車はアツシのRVで、彼は渋谷でマサルを乗せてそこまで来た。あとは車で湖まで行く。湖といっても山奥の池のようなもので、周囲には何も無い。林道の路肩のような場所に車を停め、そこからしばらく山のなかを歩いて湖畔まで行く。湖については具体的な場所を示すものは作中には登場しないが、特典映像によると長野県の雨池だ。この日は湖に先客がいた。路肩にバイクが停まっている。4人は供養を済ませ、山道の途中にあるベンチで弁当を広げ、帰ろうとして林道まで戻ると車が無くなっていた。先客のバイクも無くなっている。この先客はそのカルト教団の元信者で、事件の実行犯に選ばれながら、犯行直前に潜伏場所から逃亡した。その潜伏場所はこの湖に近いロッジ。移動手段を失った登場人物たちは、とりあえずそのロッジで一晩過ごすことになる。

そこは警察の家宅捜査も行われ、事件から3年経過しているとはいいながら、その後は空き家になっており、実行犯たちの生活の痕跡が感じられる。しかも、彼等と事件直前まで生活を共にしていた元信者が共同生活の様子を尋ねられるままに話す。遺族は否応なく亡くなった人やその人との時間を想うことになる。

4人は年に一度こうして集まるだけで、普段は交流が無い。むしろ、故人にまつわる記憶の扱いに苦慮しており、できることなら故人とかかわるようなことからは距離を置きたいと考えている。それでもこうして縁があるのだから、人として当然抱く相手に対する好奇心はあり、それを封印するほどかたくなではない。そういう4人と元信者という5人が山奥のロッジというある種の密室で一晩過ごすことで、改めて自分と故人との関係やその破綻について、それぞれに思い巡らすことになる。配偶者や肉親という自分に近いはずの相手が社会に敵対するに至るということは、それを止めることができなかった自分も同罪なのか。それとも、近いとはいいながらも本人ではないのだから、そういうことになってしまったことに巻き込まれてしまった自分は、むしろ被害者なのか。単純に白黒のつくことではないが、当事者にしてみれば一生背負わなければならない思い苦悩だろう。同じ苦悩を抱える者どうしがこうして集まったところで、それを分かち合うわけにもいかず、互いの関係を扱いあぐねている。

この4人の苦悩を象徴するかのような存在がアツシなのではないか。彼の姉が実行犯のひとりということになっているが、それは姉ではなく恋人か何か別の関係だろう。作品の冒頭で彼が入院中の老人男性を病室に見舞う場面がある。その老人のベッドには「田辺康太郎」とある。看護師もアツシを老人の息子だと思い込んでいる。しかし、アツシは田辺アツシではない。彼が湖を訪れたときに、水面に供える花も象徴的だ。それはヒナギクで、「姉さんが好きだった」花だという。それを自分が勤める花屋から持ってくる。花屋で買ったものなので、透明のビニールが巻いてある。ロッジで一晩過ごすことになったとき、窓辺に乾燥したヒナギクの匂い袋を見つけ、それを他の人に「たぶん姉さんが作ったんだと思う」と語る。彼の回想シーンのなかで、亡くなった彼の「姉」である夕子と日本橋を歩く場面がある。そこで夕子はビニールに巻かれたヒナギクの花束を手にしている。橋の袂でふたりは何事かを語り、夕子は手にしたヒナギクをばらばらにして川に落とす。ところが、警察の事情聴取のときには、彼女が好きなのはユリだと言う。ユリは教団のシンボルでもある。命日の後、彼がひとりで湖を訪れる場面がある。そのとき彼が手にしているのはユリだ。ビニールには巻いてない。作中で線路の脇の崖の上にヤマユリが咲いている場面がある。彼が手にしているのは、途中で摘んだものではないだろうか。たぶん、花屋で買ったヒナギクにも道中で摘んだユリにもそれぞれに意味がある。元信者によれば、夕子には弟がいたが何年か前に自殺してしまったと語っていたという。彼が本当は何者なのか、最後まではっきりとはわからないのである。彼にまつわるシーンのなかで、古いアルバムの写真を焚き火で燃やす場面がある。そのアルバムは冒頭の病院のシーンで老人と一緒に眺めていたものだ。燃える写真がアップになる。それは両親と姉と弟らしき4人が並ぶ家族写真だった。

自分が何者なのか、ということは実は誰もわからないのではないだろうか。自分というものの座標軸が決まらなければ、相手との距離も決めることができない。多くの人はとりあえず「自分」という確たるものがあると思い込んでいる。座標軸があり、その中心もわかっている、つもりになっている。しかし、その座標軸は勝手な思い込みにすぎない。だから、自分が想定している相手との距離と、相手が思い描いている自分との距離が一致しない。最愛の相手であると思っていた人がカルト教団にのめり込んでいくのを止めることができない、というのは極端な例であるとしても、人間関係にまつわる誤解は日常茶飯事だろう。そこには、他人のことはわからない、ということもあるが、それ以前に自分の座標軸の設定に問題があるということなのだろう。そんなものが決められるわけはないのである。刻々と変化を続ける状況のなかで、人の意識という形の無いものに枠を与えるということ自体が所詮は不可能なのである。しかし、便宜上、そういうものがないと関係性というものが落ち着かないので、そういうものを空想しているだけなのである。つまり、絶対というものは無いのである。無いものを在ると思い込むことに狂気の源泉がある。逆に、無いままに浮遊し続けていても、そうした不安定に耐えるほど人の精神は強くない。自分の座標軸をどのように設定するか、そこに身の回りの関係をどう位置づけるか。社会生活はそういう位置づけの絶えざる調整の連続であり、それを続けることができなくなったとき、精神が破綻するということなのではないだろうか。

「空気人形」

2011年11月05日 | Weblog
哀しい物語だ。ささやかな誤解が交錯して人の生活が破綻する。空気人形は自分が信頼し好意を寄せる相手には、自分が空気人形だということを告白する。あるいは期せずして人形だということがばれてしまう。それに対して、相手は自分も同じだと答える。それは人形だという意味ではなく、心の有り様を表現した比喩なのだが、人形のほうは文字通りに受け取ってしまう。そこに自分の同類がいる、しかも一人や二人ということではないと認識してしまう。親しくなったと思った相手が自分と「同じ」だというので、その空気を抜いて自分の空気を吹き込もうとして、結果的に刺殺してしまう。愛情表現として彼のなかに自分の空気を送り込もうとして穴を開けたつもりだったのだ。傷自体は大きくなさそうだが、刺した場所がまずかったのか、おそらく失血死だろう。そして彼女、いや、その人形は漸く確保できたと思った自分の居場所を失うのである。

空気人形に対して人が「自分も同じ」と語るとき、そこで語り手がイメージしているのは何らかの喪失感なのだろう。程度の差こそあれ、それは誰もが自覚していることではないだろうか。人が関係性のなかを生きるかぎり、喪失感や虚脱感を軽減するのは他者との関係よりほかに有効なものはないだろう。それは目には見えないものだから「空気」という表現で伝えようと思うのは自然なことだ。空気人形はなかにある空気が抜けてしまえばただの樹脂でしかなくなってしまう。人もまた、他者との関係がなければ食べて排泄するだけの奇怪な物体でしかない。作中で吉野弘の詩が使われている。私は知らなかったのだが、人気のある詩人だそうだ。「空気人形」の公式サイトにも紹介されているが、このサイトは少なくとも私が使っているマックではエラーになって見ることができないので、その詩をここに引用させていただく。

「生命は
 自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
 花も
 めしべとおしべが揃っているだけでは
 不十分で
 虫が風が訪れて
 めしべとおしべを仲立ちする
 生命は
 その中に欠如を抱き
 それを他者から満たしてもらうのだ
 世界は多分
 他者の総和
 しかし
 互いに欠如を満たすなどは
 知りもせず
 知らされもせず
 ばらまかれている者同士
 無関心でいられる間柄
 ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
 そのように
 世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
 花が咲いている
 すぐ近くまで
 虻の姿をした他者が
 光をまとって飛んできている
 
 私も あるとき
 誰かのための虻だったのだろう
 
 あなたも あるとき
 私のための風だったかもしれない」
 
 (吉野弘「生命は」より:「空気人形」公式サイトより引用)

人は誰か他の人のために生きてこそ人なのだと思う。直接に人のためにどうこうするということではなく、それこそ空気のように誰かのためになるとか、知らないうちに誰かの何かの代用品になっているとか、誰に感謝されるということもなしに、それどころかその存在に気付かれもせずに生きてこそ、人は人たりうるのではないだろうか。それを哀しいと感じるかどうかは、人それぞれだろうが、哀しいと思うなら、人として生きることは哀しいものなのだ。

「ワンダフルライフ」

2011年11月04日 | Weblog
ほんとうにこんなふうなら、私は成仏できない。作品の舞台はこの世からあの世へ向かう中間地点のような場所。1週間かけて「人生のなかから大切な思い出をひとつだけ」選び、それを映像にして1週間目に観て、その「大切な」想いを胸にあの世へ行くというのである。そこは古い宿泊施設のような病院のような学校のような施設だ。そこを訪れる人は20人ほどの単位にまとめられ、月曜日にやってくる。水曜日までに思い出を選び、それをもとに施設の職員が映像を作成し、日曜日に映写室で上映される。映写室は映画館のような造りになっていて、みんなで他人の分も含めて上映される映像を観るらしい。上映が始まり、自分の番がきて、そこに映し出された映像に刺激されてその思い出が鮮明に蘇った瞬間、その場から消えてしまう。ということは、成仏するだけなら鮮明な記憶のあるものというだけでよいのである。「大切な」ものでないといけないというのは、成仏するとその「大切な」もの以外の記憶は全て無くなってしまうから、ということらしい。

では、その施設の職員はどのような人たちなのかというと、その「大切な思い出」を選ぶことができなかった人たちだ。こっち側に想いを残した相手がいて、その人を見守りたいというような事情のある人もいれば、選び出すような思い出が無い、という人もいる。死んだ後もこっち側にいた頃と同じように働いているが、死んでしまっているので、そういう人どうしが深い関係になるということはないらしい。関係性というのはこっち側だけのことのようだ。

職員のひとりが、あの世に旅立つことになった。面接をした相手の思い出に、自分が密かに抱えていた思い出のなかにいる人と同じ人が登場したのである。その職員は大正生まれだが、太平洋戦争に従軍中、フィリピンで負傷し、日本へ送られて昭和20年5月に病院で亡くなった。当時、婚約者がいて、その彼女が後に結婚した相手を面接で担当したのである。その相手は本人の言葉を借りれば「そこそこの学校を出て、そこそこの会社に勤め、そこそこの家庭を持ち、そこそこに出世して、そこそこに幸せ」な人生を送ったのだという。すべてが「そこそこ」で「大切」を選ぶことができないのである。そこで、その施設に保管されているその人の一生分のビデオを観て、「大切」を決めてもらうことにした。一生分のビデオは1年が1本のVHSにまとめられている。全部を観たのかどうかわからないが、その人は晩年に公園のベンチで妻と静かに語らっている風景を選んだ。その妻、つまり担当職員の婚約者だった人は既に3年前に亡くなっている。

その職員が何故その施設で職員をしているかといえば、その婚約者への想いがわだかまっていたからに他ならない。彼は彼女が亡くなって、この施設に来たときに作った映像を保管資料のなかから探し出し、上映してみた。するとそこには同じ公園のベンチに座っている姿が現れた。ただし、その隣にいるのは自分が担当した男性ではない。フィリピンへ出征する直前の軍服姿の自分自身だった。彼はその施設の責任者のような人に事情を話し、彼の映像を作ってもらう。やはりその公園のベンチでひとり佇んでいる姿だ。おそらく、そこで婚約者と別れてひとりになったときの様子なのだろう。そして、出来上がった映像が上映された。彼は消えた。

面白いなと思う。人と人との関係は必ずしもシンメトリーではない。むしろ、そうでないことのほうが圧倒的に多いのではないだろうか。自分の「大切」と相手の「大切」は、たぶん一致するほうが珍しいのだろうし、そういうズレが蓄積されることで社会に活力が与えられるという面もあるのだろう。それに、「大切」というのは、それほどこだわるほどのことでもないということだ。ましてや、死んだ後にこだわったところでどうしようもない。登場する死者たちには、俳優に混じって一般の人も何人か参加している。台詞が与えられて語っているのか、自分の思いを語っているのか知らないが、「大切な思い出」として子供の頃の記憶を語る人が何人かいたのも興味深い。おとなになってからは、ろくなことがなかったということなのかもしれないし、人は長く生きれば生きるほど、ささやかな幸福感を積み重ねるよりも、思い通りにならないことへの不平を募らせるものだ、ということなのかもしれない。それは人に我欲があるのだから、当然なのだが、それも哀しいことのように思われる。結局、生きるというのは哀しいことなのだろうか。

3日は3本立て

2011年11月03日 | Weblog
今日は、発注しておいたDVDが3本届いたので、一気に全部観てしまった。どれも面白くて満足だ。それぞれの作品については日を改めて語ることもあるかもしれないが、今日は止めておく。作品は以下の通り。
「ワンダフルライフ」
「ディスタンス」
「空気人形」
いずれも是枝裕和監督の作品だ。先日、「歩いても 歩いても」を観て以来、他の作品も観たいと思っていて、とりあえずこの3本を選んでみた。「空気人形」以外は特典映像も付いていて、それがまたよかった。是枝監督はドキュメンタリー番組の演出でキャリアの初期を築いた人でもあるのだが、特典映像のようなドキュメンタリー的色彩の強いものでは、その個性がより濃厚に発揮されるということなのだろう。「ワンダフルライフ」に収められている由利徹のインタビューは出色だ。

同じ監督の作品ということを知っていて観る所為もあるだろうし、出演している俳優が共通しているという所為もあるだろうが、それぞれの作品で語られていることの根底に流れているものは同じであるように感じられる。そこには勿論、監督個人の個性もあるだろうが、そうした個性を形成する部分として、生きて来た時代の空気のようなものも大きな影響を持っているように思える。言葉では上手く説明できないのだが、同年代の表現者の作品に触れると、そこに安心感というか、なんとなく自分と何かが通じているような感覚のようなものを覚えるのである。それは必ずしも日本という枠にとどまるものではなく、例えばフランス人のフィリップ・クローデルの小説や映画でも経験することなのである。

たぶん、私の思い込みというところも大きいはずだ。それでも、先日「歩いても 歩いても」に書いたような、映像のなかのディテールには同じ時代の空気を共有した者により強く感じる何かがあったりする。そうした小さなことの積み重ねが共感というような大きな流れに通じるというようなことは、やはりあると思う。個々の作品の中身もさることながら、こうして同じ監督の作品をまとめて観ると、作品の世界よりも、その背後にある作り手の世界観のほうに自然と興味が湧いてくる。そこに共感できるものがあるにせよ、違和感を覚えるものがあるにせよ、なんとなくわかる、という感覚に安堵とも言えるような、穏やかな喜びとでも呼べるようなものを見出すのである。それは自分自身について思いを巡らすことでもある。

マリッジブルー

2011年11月02日 | Weblog
夜勤なので、仕事の合間を見て、職場のあるビルの地下にある商店街へ弁当類を買いに行く。その時間は昼間の当たり前の時間帯に働いている同僚が帰宅する頃でもあるので、エレベーターホールでそういう人たちと一緒になることもある。今日、エレベーターで一緒になった人はもうすぐ結婚することになっていて、新生活が始まる新居に最近引っ越したばかりだ。しかし、あまり嬉しそうな雰囲気はなく、むしろ憂いを含んだ感じだ。エレベーターを降りてからしばらく立ち話をしたのだが、いざ結婚となると相手の嫌な面が気になりだして迷いが出てきたというのである。

生まれたときから配偶者が決められているような時代や文化ならそんな悩みなど起こるはずもないのだろうが、人それぞれにしょうもないしがらみが程度の差こそあれ付いて回るにしても、今は原則として当人同士で決定するのが結婚というものだ。おそらく、人生のなかであらゆる点で最大規模の決断だろう。そこに迷いが生じるのは自然なことだ。しかも、当人同士のこととはいいながら、そこは社会生活を営む者同士でもあるので、当人同士では収まりきれないことが湧いてくる。それは必ずしも個別具体的なことではなく、空気のようなものも少なくないのだが、それが関係性というものでもある。そうした空気の塊のようなものも含めて物事が動くという個人的経験は、おそらく結婚くらいしかないのではなかろうか。

大きなものは、一旦動き出すと制御が難しくなる。手漕ぎボートが自由自在に動けるのに、航行中の巨大タンカーが急には停船できないのに似ている。人の行動は八割方が習慣に依存しているという話を聞いたことがある。八割という数字がどこからどのように算出されたのかは知らないが、実感としては納得できる。当事者同士だけではなく、それぞれの社会関係がひとつの出来事についてある方向に動き出すと、それがそこに関わる人たちの思考の習慣を刺激してある方向への動きは個人だけではどうしょうもないほどに大きなものになってしまう。

しかし、何事も経験だ。人間として社会を構成しているのだから、その単位となる人間関係を取り結ぶのは自然でもあり必然でもある。近頃は結婚しない人、結婚という形どころか、パートナーさえいないというような人も珍しくはなくなった。ただ、必然を経験していない人というのは、ある種の欠落を感じさせる。人はひとりで生まれ、ひとりで死ぬのだが、その間にさまざまな物語を創り出すことで社会全体としての文化が豊潤になるものだと思う。そうした豊かさに貢献することが社会に生きる者の義務でもあろう。経済生活の側面だけでしか豊かさを語ることができないようでは、生きていても当人も面白くないだろうし、周囲にとっても迷惑だ。たとえ憂鬱であっても、自分の関係性を大きく動かすという経験は必ず自分の人生を豊かにする。結果として、その関係性を解消することになったとしても、その解消という経験もまた人生を豊かにする。人は経験によってしか発想をすることができない。たくさんのことを経験すれば、それだけ物事をいろいろに考えることができるようになる。それを豊かさと呼ぶのではないだろうか。そういう人が増えることは社会全体が豊かになることでもある。

なにはともあれ、ご結婚おめでとうございます。

割引考

2011年11月01日 | Weblog
今日は普段より少したくさんメールが届いた。今月は私の誕生月なので、商業施設やクレジットカード会社から割引クーポンの類が送られてきたのである。こういうものを集めて使わなければならないと考える人がいる。今は縁が切れたが、驚くほどそういうものに執着する人を何人か知っている。そのなかには、そういうものを自分で使うだけでなく、頼みもしないのに私に分けてくれたりする人もいた。しかし、そういうものを利用して買い物をするということは殆どない。買い物は必要だから買うのであって、安いから買うわけではないのである。それでも、近頃は多くの商業施設がポイントや様々な割引を用意しているので、自然とそういうものが貯まる。知らないうちに貯まって、知らないうちに失効するものも少なく無いとは思うのだが、気がついているもので貯まったものは金券に換えて使っている。

割引というといつも不思議に思うのだが、割り引くことができるなら、何故最初からその値段にしないのだろうか。割り引くことができるということは、その価格でも適正な利益を確保できるということだろう。期間限定で安売りだのセールだのとやかましく客引きをするというのは、普段ぼったくりをしていますと告白しているようなものではないのか。これから作ろうというのなら、数量は費用と密接に関係するので、販売の見込みによって同じ品物の価格が変動するのは当然だ。しかし、既にあるものを売る場合でも生鮮品なら時間の経過とともに品質が低下していくのだから、やはり同じ品物であっても価格は変動する。ここで不思議だというのは、そういうものではなく、日常的に取り扱いが行われていて、在庫変動の予測が比較的容易と見られるものが、無闇に「セール」になることだ。あるいは、安くもないのに「セール」という宣伝を掲げる心情だ。そういう商売というのは卑しく感じてしまい、そういうことを考える人を信用できない。一方で、そういう騒ぎに踊らされるほうも馬鹿ではないかと思い、やはり信用できない。信用できない人とは付き合うことができない。だから私は友達が少ない。それでかまわないと思っている。