日曜日の朝は、雨で明けました。
尤も、その雨はすぐにやみ、今も降っていませんが、
すぐにも泣き出しそうな、鬱陶しい空に変わりありません。
梅雨の真っ只中ですから、当然と言えば当然ですが、
今日も湿度は70%を越え、蒸し暑くなっています。
でも、ひとたび庭の草花に目をやれば・・。
先日頂いて来た花は切り花を楽しんだ後、(名前を聞いたのに思い出せません)
そのまま植えてみました。どうやら根付いてくれたようです。
他にも、そのようなものが2、3あって・・。
こんな風に植物が簡単に根付くのも、梅雨の今の時期だからこそ、なのでしょうね。
「梅雨」 と言えば・・。この言葉は、江戸時代に生まれたそうですね。
その説は色々あって、「梅の実の熟する頃の雨」 とか、黴(カビ) が生える時期だから
「黴雨」(ばいう) とか、およそロマンティックでないものもあります。
でも、「青梅雨」 という美しい言葉は、“青葉を濡らして降る雨” との事。
“青” には、幼く未熟という意味もあり、
そのニュアンスも含んでいると言いますから、奥行きがあります。
日本人の元来持つ、慎み深さや奥ゆかしさが、
こんな言葉から確認出来て? 何だか嬉しくなります。
その雨も、「風の実」 「磨刀雨」 「天泣」 「余花の雨」
「私雨」 等など・・。
倉嶋厚 監修の 『雨のことば辞典』 には、
“雨” だけで、千語余りも集められていると言いますから、驚きます。
日本語って、素晴らしいですね。
この事からも、日本人の暮らしと雨とは、
昔から切っても切れない関係にあった事が、分かります。
雨の恵みと災害・・。その両方と上手く付き合いながら、生きて来たのでしょうね。
そう言えば、「(雨に)濡れる」 と
いう表現にも文化的、
風俗的な繋がりが深いようです。
他にも 「濡れ衣」、
「濡れ手」 等など・・。
ところで雨の上がった
午(ひる)下がり・・。
お隣から家庭菜園で採れた
ばかりのきゅうりを頂きました。
農薬を使わないそれは甘くて、
瑞々しく・・とても美味でした。
そうそう、冒頭の写真は言うまでもなく、クローバーです。
最近、一面のクローバーの原っぱを、とんと見なくなった事に気付きます。
と言うのも、『赤毛のアン』 のこんな言葉に接したからなのです。
勿論、蛙の鳴き声も・・なのですが・・。
“ある 6月 の夕方のことだった。
果樹園には再びピンクの花が咲き、
「輝く湖水」 の上の方の沼では蛙が低い声で
楽しそうに歌っていた。
空気は クローバー の原と、樅の林の香りで、
馥郁としていた。・・・” 【「赤毛のアン」 第20章】