だって見たいんだもん!

映画と共に生きてきた私。大好きな映画と芝居と絵画をメモします。

No.5は、こうして生まれた…

2009-12-12 21:46:53 | 映画
ココ・シャネルの映画ブームは、まだ続いていました。思い出せば、クリスチャン・デュゲイ監督作「ココ・シャネル」(08)。若き日のシャネル役をバルボラ・ボブローヴァ、15年のブランクからファッション界に復活する時のシャネルを、シャーリー・マクレーン。

アンヌ・フォンテーヌ監督作「ココ・アヴァン・シャネル」(09)では、オドレイ・トトゥが演じました。映画の題材は、孤児院育ちのガブリエルがお針子となり、姉とキャバレーで歌手として働き、その時出会った将校エチエンヌの愛人となります。

やがて生涯の恋人ボーイ・カペルとめぐり会い、同時にファッションの世界へと踏み出して行きます。公開時は古いけど、ジョージ・カッツェンダー監督「ココ・シャネル」(81)もあり、マリー=フランス・ピジェ、ティモシー・ダルトン、ルトガー・ハウアー出演。

今や世界的ファッション・ブランドの創始者として有名な、ココ・シャネルのもう1本の映画が公開されます。「シャネル&ストラヴィンスキー」(09)です。監督は、「ドーベルマン」(97)以来12年ぶりのヤン・クーネン。

1913年、パリのシャンゼリゼ劇場。ストラヴィンスキー(マッツ・ミケルセン)は、自作『春の祭典』の初演を迎えていました。しかし、革新的なその作品はパリ市民から認められることはありませんでした。それから7年。

1920年、デザイナーとして成功したシャネル(アナ・ムグラリス)は、愛するアーサー・ボーイ・カペルを事故で失いました。その頃、ストラヴィンスキーはロシア革命後、すべてを失い難民としてパリで暮らしていました。

2人は、ミシア・セール(ナターシャ・リンダンジェ)とセルゲイ・ディアギレフ(グリゴリイ・マヌロフ)の計らいで出会います。そしてストラヴィンスキーはシャネルの勧めを受け、ガルシュにあるヴィラへと移り住むのでした。4人の子供と病身の妻と…。

ロシアのイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)は、バレエ曲『火の鳥』 『ペトルーシュカ』 『春の祭典』などを作曲。ニジンスキーやジョージ・バランシンも出てくるのかしら。わくわく。

シャネルとストラヴィンスキー。この2人につながりがあったなんて!シャネルが香水“No.5”を生み出すきっかけとなった出会い…。ぜひ、知りたいです。
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