『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

最後の春休み

2022-04-13 06:42:00 | 勉強
3週間あまりの
私的春休みも
今日で終わりである。

明日から、また、
激務も伴う
3校の学校臨床が始まる。

それでも、まだ、新学期は
相談件数が少なめなので、
例年だと、のんびりスタートが
多いが・・・。

でも、世は未だに、
「非常時」である。

コロナ禍は
「第七波」渦中だし、
戦争報道も日増しに
悲惨さを増している。

HSPなので
間接的PTSDになるのを危惧して、
しばらく戦争のニュースを
避けてきたが、
【外的世界は
 内的世界とシンクロする】
ので、目の前のクライエントの
心的世界を理解する上でも
サイコ・アナリストとしては
冷徹な目で現状の現象を
観察・分析せねばなるまいと
思っている。

***

きょうは
午前中にカウンセリングがあるが、
それが終わったら、
戸外ランチを兼ねて、
今季のフキノト・ハンティングの
"採り仕舞い"に
ビッキ沼に行こうかと思っている。

作り置きしていた
フキ味噌も
昨晩で食べ終えたので、
二回目の仕込み用に
ドッサリ採ってきようと思う。






きのうは、
タイヤ交換に整備工場まで
赴いたが、帰りに
裏道を通ってきたら、
思わぬ処で、ハナモモとサクラの
咲きそろった箇所に出くわした。

ピンクのグラデーションが
青空に映えて
桃源郷のような
極彩色感だった。







市内のサクラは
どこもかしこも満開となり、
春爛漫である。

サクラの古木の幹から
蘖(ひこばえ)の花が
咲いてる株もあり、
黒々とした木の皮に映える
ほんのり桜色が
妙齢女子の酔った頬を連想させ
艶冶な気分になった。









茶室に飾る白椿は
凛として潔く、
まるで、自刃した
白虎隊の少年剣士たちの
純白の鉢巻きを思わせた。









"俯き咲く"花が
可憐なカタクリも
市内では今が見ごろである。









散歩路には
ラッパスイセンが
"春の黄"を大地に染めていた。








小倉寺観音の
竹林に至る山道は
絵のような景色で、
拙著の扉絵に用いたこともある。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自意識の謎

2022-04-10 05:51:00 | 勉強
TVの予報で
「桜が満開だ」
と言うので、
三密を避けて、
土曜の朝8時に
城山に出向いてみた。

そしたら、
なーんと、まだ三部咲きで、
あらま・・・
であった。





それでも、
朝一の「ひとり観桜会」は
人出のない静寂のなかで、
じっくりと花と対峙できた。








快晴の澄んだ空気で
吾妻山の雪兎も
クッキリと望むことができた。

ここのところ、
山頂では、まだ
雪が降るのか・・・
モモリン(雪兎)も
消えたり現れたりしている。









城山にも
フキノト・エリアがあるが、
生えながらにして
茶褐色に変質してるものが多く、
採るのをやめてきた。

この時季、
フキノト・ハンターの親指の先は、
摘み取るときの灰汁成分で
茶褐色に染まり、
石鹸水でブラシ洗いしても
落ちないのである。

でも、
それが
フキノト・ハンターの
証しでもある(笑)。

┌( ̄^ ̄)┐エヘン!








うっちゃ、けぇったら、
(家へ帰ったら・・・フグスマ弁)、
佐川便が来て、
ヤフオクで廉価落札した
新品の夏タイヤを
若いおネーチャンが
両手に2本ずつ抱えて
「ウンショ、うんしょ」
運んできてくれた。

「女の子なのに、
力仕事たいへんだねぇ」
と労うと、
愛想のいい子で
「わーっ!
こんなんで、褒められたぁ!」
と喜んでくれた(笑)。

「ご苦労様ね」
と言うと
ニコニコしながら
「ありがとうございました!」
と生き生きして
帰って行った。

階段下に
お茶やアクエリアスの
ペットボトルが
箱であったので、
1本あげればよかったなぁ・・・と、
感じのいい彼女が
帰ったあとで
ちょっと後悔した。









"ぼっちフレンチ"は
『ロティ・ド・ポール』
(ロースト・ポーク)。

小ぶりのエリンギも
丸々一本ロティスールして
添えた。

ソースは
冷凍保存してある
グランマニエ風味
(オレンジ・リキュール)
のビガラードソース。








最近の
DID(解離性同一性障害/
Dissociative Identity Disorder)
の研究状況について探っていたら、
fMRIによって脳内の
血流動態反応を視覚化して
様々な新知見が得られてることを知った。

なかでも、
正常な役者による
別人格の演技との
対照実験では、
多重人格患者が
恣意的に行っている
演技ではない・・・
ということが
脳内血流像の違いによって
明らかになったのは
画期的な結果である。

自分にも、
30年ほどの
臨床経験で1例だけ、
DIDケースの心理療法を
したことがある。

10年以前のケースだが、
あの頃、たしかに、
頭のどこかでは
(これは、演技じゃないか・・・)
と絶えず疑っていた自分がいた。

さらに驚くべきことは、
盲目人格が出現したとき、
その患者には
視覚異常がないにも関わらず、
脳内の視覚野の機能がオンにならず、
じっさいに視えなくなっている、
ということが判明した。






また、患者の主人格である
A人格が出ている時でも、
B人格、C人格は
「休眠」状態にあるのではなく、
「活動」状態にある・・・
というのも驚きだった。

さらに、
DID患者の
夢を分析した研究では、
一つの夢を三人の人格が
それぞれの「主格」の視点で
見ている、という。

それゆえ、
芥川 龍之介の有名な
『藪の中』のように、
一つの現象に対して
多視点の主観的な
状況解釈が生じる
ということである。

***

この多重人格の最新知見を
「自意識」の存在に敷衍させた
哲学者がいて、それは、
古今東西の宗教哲学で
言われていた
「大いなる一つの意識」(ワンネス)
としての宇宙意識のなかで
分裂した意識が
我われの個々の自意識かもしれない、
という卓見であった。

無論、恣意的とも言える
思考実験の仮説だが、
アナロジー(類推・類比)として、
また、フラクタル的な視点として、
考えられ得る・・・と、
首肯させられた。

また、彼は、
我われの見ている夢には、
多くの人格が現れるが、
元々はそれは自分という
ひとつのマインド(自意識)が
見ているものであり、
多くの登場人物は
交代人格(Alter)に相当するのである、
という説明も加えている。

そして、
ショーペンハウエルの箴言
【全ての生き物を通して
外を眺める世界の「一つの眼」】
をも引用し、
宇宙意識と個々の自意識の
関係性を述べている。

さらに、卓見だったのは、
「I(私)」には二種あって、
「純粋に経験の受け手」として
何のコンテンツも持たない「I」と、
個人史などのコンテンツ
(内容/物語)を持つ「I」があり、
この二つを混同すると
議論が噛み合わなくなると言う。

「純粋な自己意識」は
「Pure Ipseity(イプシーティ)」
と言い、
他にも
「I-ness(自己性)」
「Pure Subjectivity(純粋な主観性)」
「与格(動作の受け手)」
とも同義である。

この内容は、
般若心経の「空」の概念に近い。

カストラップ博士は、
何のコンテンツも物語も持たない、
純粋な「視点」としての自意識が、
「純粋な経験の受け手」であり、
それが受けとる経験の特質が
開示されているのが
現実の現象であるという。

また、
個々の存在は、
一つのマインドが見る夢での
交代人格と同様であるが故に、
それぞれに共通の現実を
体験していて、そこに、
二人称や三人称が生じてくる、
というのである。

この仮説は、
永年、自然科学と
宗教哲学、心理学という
学際的アプローチで
「自意識」について
思考実験を重ねてきた
魂理学者としては
矛盾なく納得できる
仮説であった。

【我われの個々の自意識は
宇宙の眼であり、宇宙は
我われを通して自分を見ている】
という考え方があるが、
最近、そのような気がする傾向が
段々と強くなってきた。

今、コロナ禍、戦争、
自然災害、環境破壊という
壊滅的な状況の
「闇の中」にいる人類が、
人種、宗派、イデオロギーの違いを
超克して、全ては根底で繋がっている、
という根源的な理解を得れたら、
あるいは、ここから、
逆転サヨナラ満塁ホームラン的な(笑)
人類の精神史の大進化が
起こる可能性がある。

先述した、
「英雄の生涯」サイクルや
「死と再生」の通過儀礼、
シンクロニシティ
(意味のある偶然の一致)
といった仮説をもとに
現実世界を俯瞰すると、
今はまさに夜明け前の
もっとも昏い(暗い)
苦節の時季・時間帯として
布置されているのかもしれぬ。

それが、
深層心理学的、
魂理学的な
現実相の分析・解釈である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳科学者の洞察

2022-04-09 06:48:00 | 勉強
YouTubeで
『TED』という
識者による凝縮された
「20分スピーチ」を
魂理学の勉強で
よく視聴している。

脳科学者ジル・ボルトが
37歳で稀有な脳卒中体験をし、
その内面からの脳機能の
変容体験を記した本が
全米でベストセラーになった。





『TED』での
スピーチでは、
おしまいの方で
感極まって涙し、
それが聴衆に伝わって
笑顔で話し終えると
客席が一斉にして
スタンディング・オベーションとなった。

病前は
多くの科学者と同じように、
脳の機能が意識を司るものと
固く信じていたが、
言語野を有する左脳が
ダメージを受けると、
右脳のみの意識となり、
それは驚くべき
「神秘的」体験だったという。

「境界・定位」感覚が失調して、
カラダの物理的感覚が喪失し、
大いなる宇宙と一体化し、
天国的な解放感と幸福感に
充たされた・・・
というのである。

その証言は、
多くの臨死体験者たちが、
語っている事にも
通じるものがあった。

ただし、
幽体離脱は起きていない。

左脳マインドによる
「分類・同定・分析・統合」
などが機能不全になって
「Doing」できなくなると
純粋な「Being」状態となり、
「今、ここ」に「在る」
という事が意識され、
その多幸感の魅惑は
筆舌に尽くしがたいという。

開頭しての
ピンポン玉大の血種除去
という大手術の後、
左脳機能が回復してくるが、
すると「脳のおしゃべり」が始まり、
それと共に不安も生じ、
右脳マインドは後退するという。

彼女の卓見は、
脳卒中を起こさなくとも、
この右脳マインドには
アクセスできるはずだ・・・と、
「今、ここ」に「在る」ような
自分なりのアイディアを
提示してみせた事である。

その中には、
自然の中に身を置く、
音楽を演奏する、
という事もあり、
我が意を得たりと思った。







"ぼっちフレンチ"に
珍しい鶏のアバ(Abats/内臓料理)を
こしらえてみた。

「肚玉(はらたま)」
とも
「キンカン」
ともいう
産卵前の体内卵と
ヒモである。

中華麺を
ヌイユ(ヌードル)とした。









同じく
中華麺をヌイユとして、
ソーモン(サーモン)・マリネを
サラダ仕立てにしてみた。

フレンチでは
「中華風」を
「シノワーズ」という。

バディアーヌ(八角)や
コリアンドル(パクチー)
ゴマ油などで香り付けすると
シノワーズになる。








『東京古楽器センター』から
ガット弦が届いたので、
休ませていた『阪蔵(さかぞう)』の
フラメンコギターに張ってみた。







福高に合格した時に、
亡き父に
買ってもらった
当時、手工ギターの第一人者だった
中出 阪蔵によるものである。

73年作なので、
すでに50年物の
ヴィンテージ・ギターになった。








ついでに、
ウクレレにも
『アクィーラ』社の
『ナイルガット』という
ガット弦の音質に近づけた
白い弦を張ってみた。

これらの楽器で、
『リュート・マラソン』の
選曲をしてみようと
思っている。












きのうは、
ジュリアーニの
『調子のよい鍛冶屋』(ヘンデル)の
『主題と変奏』から
第三変奏と第五変奏を
抜粋してみた。

はじめは
ガット弦を張ったばかりの
ギターでやってみたが、
低めのピッチが曲想に合わず、
レキントギターに代えてみたら
生き生きとした表情になった。

やはり、
曲想に相応しい
調性や音質というのが
あるものである。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

量子力学の勉強

2021-12-29 07:12:00 | 勉強
きのうも一日
雪が降ったりやんだりで、
30㎝ほど積もったろうか。

今日は晴れるようなので
だいぶ溶けてくれるとは思うが、
また大みそかには
寒波が来るという。





国道は車の往来で
ほどよく溶けてくれるが、
それでも午前中には
まだ氷塊の凹凸で
車がガタガタ振動するようであった。






今朝の朝刊で、
また、狐狸庵先生の未発表原稿が
発見されたとあった。

先日は、
全国ニュースでも
未発表の短編が見つかり
話題になったばかりである。

偶然が二度続くと
なにやらそこに
自分にとっての意味を感じられ、
これは、全作読了した先生の作品に
もいちど当たれという
コンステレーション(布置)なのかと
深層心理屋は思ってしまう。

なので、
この年末年始には、
書棚にある全集から
なにかピンとくるものを
再読してみるつもりである。

そこに、今、自分の心に
引っ掛かっている問題への
解決のヒントが
秘められているかもしれない。





自分にとっての
「終活」の一環でもある
「たましい=原意識」の実在と
その永遠性についての研究に
現代の量子力学の知見を援用すべく
数式を用いない概説を
ダウンロードしては
その世界観を理解しようと努めている。

そして、
読んでは書きをして
『魂理学試論』を
新春には上梓すべく
執筆もしている。

オシリ痛やウデ痛で
音を上げそうになる時もあるが、
そんでも、安心して死んでいく為には
自分が納得するまで
「たましい=原意識」の解明に
命を削ってでも取り組みたいと
思っている。

独善的なトンデモ世界観に
なるやもしれぬが、
要は自分が納得できれば
それでいいのである。

それは、
自分にとっての『神話』であり、
ファンタジーなのだから…。







YouTubeの『ヨビノリ』でも
高校~大学数学程度の数式で
波動関数の収縮や
量子の確率分布についても
勉強している。

彼の解り易い講義で
ずいぶんと色んな事を
知ることが出来た。







きのうも
ツタヤ・ブラウジングで
テレマンの
『チェンバロとオルガン曲集』の
5枚組を半額セールの
750円で買ってきた。

今日がセール最終日なので、
スカルラッティの『ソナタ集』を
買って、手元にある楽譜を見ながら
いい曲がないか目を通してみたい。

なにせ、540曲あるというから、
その一部にすぎないが、
これまでも、ギターやピアノで
何曲か演奏したり発表したり
している。

いまも、『L.1』の佳曲を
チェンバロでさらっている処である。







おとつい買った
バーボンのキャップシールを
また、ラペルピンに仕立ててみた。

かなり渋い仕上がりになったので、
つけるスーツも限られてくるようだ。

とりあえず、
新学期から
モスグリーンのジャケットに
付けてみようかと思っている。

装身具も手作りだと、
着道楽にもオリジナリティが
表現できて楽しいものである。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修会

2021-06-03 06:31:00 | 勉強
きのうは
SC研修会があって
午後の半日を勉強してきた。

昨年は、
コロナ禍で中止になったので、
今年も見送りだろう…と、
思ってたが、三密回避での
開催となった。

事例検討会では、
いろいろと質問もし、
プロの心理師たちと
久しぶりに
ディスカッションができて
楽しくもあった。







グループセッションでは
変人の誉れ高いS教授と
同班になり、
相変わらずのディスりぶりに
驚きもした。

曰く
「どーせ業界の物語通りの
プロセスに帰着するんだから…」
とか
「フクシマの精神科医は
ろくなもんじゃないから…」
とか
言いたい放題だった(笑)。

何年か前には、
「カウンセラーなんて
みんな自己愛パーソナリティ障害の
集団なんだから…」
ということを
平気で言うので
洒落にもならなかった(笑)。

K中の前任者だった
別のS教授も奇人の部類で、
カルテも残ってなきゃ
申し送りも何もなかった。

どちらも
自分と同世代だが、
県教委も講師なぞに
招聘する教授様だから、
エキセントリックな人格であっても
有り難がってるのかもしんないなぁ・・・。

久しぶりに
「何様?」
「俺様!」
という
コントが思い浮かんだ(笑)。

【人の振り見て 我が振り直せ】
と、自戒せんならんなぁ・・・
とも思わされた。

もっとも、
師匠の市橋先生の分析では、
上から目線の輩(やから)は
「反動形成」で
その実、己れの小心さを
無意識的に糊塗しているという
【弱い犬ほど よく吠える】
と教えて下すった。

その実、
ご自身も
誰彼かまわず
よく吠えておられた(笑)。

***

昨日の講師は、
河合先生のお弟子さんの
A先生だったが、
こちらは同世代でも
さすがに侵襲性のない
癒し手キャラであった。

執務記録は「公文書」なので、
開示請求される対象だから、
SCの主観は記録しない方がいい、
という助言は参考になった。





休憩時間に
4階のロビーから
眼下を見下ろしたら、
弁天山と阿武隈川を借景とした
日本庭園が調和がとれていた。

ここは、かつて
矢萩財閥の私邸で、
その子が同じ小学校にいたが、
破産して一等地の
土地家屋を売り払ったことを
子どもの頃、親から聞かされた。

叔父さんと叔母さんが
旧矢萩邸がまだあった頃、
ここで結婚式を挙げたので、
その頃の白黒写真がまだ
アルバムの何処かにあるはずである。

園内には
防空壕がまだあった。

戦時中は、
この近くに爆弾が一発だけ
投下されたとも
聞いたことがある。







ツツジが見事だったが、
これを眺める
一階のレストランに、かつて、
『地鶏炭火焼弁当』というのがあって
えらく美味かったので
感激したことがあったが、
再訪した時には
メニューから外したと聞いて
ガッカリしたこともある。







5月31日に
ソーちゃんの
『叡王戦』があったのを
見逃してしまった。

幸い、
全編YouTubeにあったので、
録画で観ることができた。

相手は、
「ふたり研究会」の相手で
アベマ団体戦では
チームリーダーだった
永瀬ッチだった。

現・王座で、
豊島・渡辺・藤井
と並び棋界の「四強」とされる
タイトルホルダーである。

最終盤、
自玉を首の皮一枚残し、
相手玉の17手詰めを
ソーちゃんは
ものの1分で読み切った。

毎度のことながら、
これには驚かされた。

解説の二人の棋士も
「あ、落ち着きましたね」
と、態度の変化を
ひと眼で見て取り、
「これは読み切りましたね」
と言うから
プロどうしというのは
凄いものである。

今日も
午前10時から
恒例の順位戦がある。

昼休・夕休を入れて
14時間もの長時間戦なので、
いつも夜戦となり
11時近くに決着がつく。

なので、
1時間の長考なぞが
ちょいちょいあるので、
その間には、
夕餉の支度やら、
ピアノ練習やら、
書の稽古やら、
読書やら、
いろいろとやるようになる。

今月は、
ソーちゃん棋戦が
目白押しで、
6、18・・・棋聖戦
13・・・順位戦
29、30・・・王位戦
があり、楽しみである。

棋聖戦の相手は、
去年の雪辱に燃える
渡辺二冠で、
王位戦は
1勝6敗の宿敵
トヨピー(豊島二冠)なので、
防衛なるか・・・という
超見物である。

ワクワク (((o( ˙-˙ *))o)))




ミカちゃんから
またリク坊の動画と
スナップショットが
送られてきた。

きのうは研修会で
一生懸命に勉強してきて、
今日はオフ日なので、
名誉孫ソーちゃんの棋戦と
愛孫リク坊の動画は
なんだかご褒美を
もらったような気分である(笑)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする