治療を開始してから、一年を経て、ようやく圭子の鬱は完全寛解を迎えた。
女医からも、
「もう、おクスリはやめても大丈夫でしょう」
とのことだった。
カウンセラーの高梨からは、
「この一年間、よく頑張られましたね。
もし、また具合が悪くなるようでしたら、自分で悩んだり、背負ったりしないで、ドクターやカウンセラーを使う術を忘れないでくださいね」
と言われた。
「ありがとうございます」
と患者は全快を喜びながら、それぞれの治療者たちに礼を言った。
ASD(急性ストレス障害)に対して、早急に専門家の治療を受けたのが患者には幸いであった。
近頃では、フラッシュ・バックもなくなり、自責の念も大分と薄らいだ。
それでも、ふと、あの断末魔の老婆の悲しげな目を思い浮かべる時がある。
そうした時には、その場で手を合わせて
「ごめんなさい・・・」
と許しを乞うた。
圭子は、毎日の仏壇へのお勤めも欠かしてはいなかった。
それまで、まったく宗教とは無縁と思っていた人生に、あの世や神の世界、仏の世界というものを入れ込まないと、この心の苦しみからは到底抜け出せるものではなかった。
圭子はごく普通の娘であったが、3・11を契機に、あの九死に一生の生還した出来事を体験して、自分の中で何かが変わった。
それが何であるのか、うまく言語化こそ出来ずにいたが、月並みに言えば、あの老婆の分まで、自分の命を全うせねばなるまい、世と人のお役に立つ人間にならねばなるまい、という漠然とした決心を彼女にもたらした。
誰かの死の上に自分の生がある・・・という、残酷な事実に、戦慄を覚えながらも、圭子は一生これを背負って生きていこうと決意した。
贖罪も、時として、その人をして、生きるに値する人生を歩ませるのである。
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