『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

「海」という字には「母」がいる・・・

2024-09-13 05:44:17 | 仕事

夏風邪の症状は
大分ましになったが、
「気力」が今一つ、
充実した感じがしない。

ぶっちゃけ
「元気」がない感じなので、
「気」が、まだ、幾らか病んでて、
「元」に戻ってはいないのだろう。

病理的には、気管支の
軽い炎症だと思うのだが、
自律神経系も軽く失調気味なのだと思う。

そんでも、
きのうは出勤して、
なんとか予約の相談件数をこなせた。

生徒や母親たちと
面接している間は、
その緊張感からか
背筋がピンと伸び、
体調も回復しそうな気がした。

だが、退勤前の夕方には、
ドッと疲れが出て、
カラダ中が痛くなり
具合悪い感じが再燃した。

そのままだと倒れそうなので、
やっとこ、さっとこ、
家まで辿り着いて
すぐさま床に臥せった。

あまりのシンドさに
VVR(血管迷走神経反射)が
起こりそうな気配がしたので、
アルプラゾラムを服用した。

そんなんで、
ゆんべは入浴もできず、
夕飯で栄養分を摂取後、
すぐに寝付いた。

今朝は、
大分とましで
風邪のトンネルを抜けたかな・・・
と、希望的観測を抱いたが、
「Security is the greatest enemy」
(油断は大敵)である。

*

【病は気から】
とは言うものの、
大腸に発生したポリープは
そうとも思えない(笑)。

今日から「私的四連休」だが、
火曜日から一泊入院での
ポリープ摘出の内視鏡手術である。

周囲の多くの人からも
経験談を聞いており、
検査は一度体験したので、
さほどに恐怖感はないが、
なにせ焼却・切除・クリップ
という手術には違いないから、
万が一という事もある。

手術前の説明書には
「穿孔」など不測の事態には
緊急「開腹」オペになる場合もある、
という断り書きがあった。

なので、万が一にも
「間違い」「ミス」がないように、
Tちゃん先生に
夏休み明けの始業の日に
「お届け」
「神様へのお取次ぎ」
「ご祈念」
をして頂いたが、
念のため、今朝もメールさせて頂いた。

****
****

先生におかれましては、
日々の御神勤ありがとうございます。

来週17日の火曜日に、いよいよ
入院と内視鏡手術の日が迫って参り、
いくらか不安な気持ちを抱いております。

周囲の幾人の方々からは
摘出談を伺ってはおりますものの、
いざ自分がやるとなりますと、
笑ってはいられないのが現状です(笑)。

手術の同意書には、
「穿孔などの事故があった場合は、
緊急開腹手術になる場合があります」
などと言う恐ろし気な文言もあり、
小心者としては「万一」にも
あってほしくないなぁ・・・と、
神様に御祈念致している処です。

事前の大腸洗浄剤を2ℓも呑むのも
辛い苦行のようで・・・
憂鬱でなりません(笑)。

三か所の全摘出を主治医はするつもり
との事でしたが、新生血管に覆われた
大きな箇所の発生部位が難しそうらしく、
それに手こずった時は
残りは日を改めてやる・・・との事でした。

手術万端に無事のお繰り合わせと
お陰を頂けますよう、
神様にお取次ぎお願い申し上げます。

****
****

無事、退院のあかつきには、
「お礼参り」に
行かせてもらうつもりである。

**

きのうも
手作りベントを「喰い薬」として
ありがたく頂戴し、
その後には
鎮痛剤、去痰剤、止血剤、消炎剤、
気管支拡張剤・・・と、
服薬しての午後の仕事だった。

【病む者がまた癒す】
というのは、
臨床家にとっては
座右の銘となっている
デルフォイの神託である。

そう。
セラピストの病者「元型」と
クライエントの病者「元型」が相通じ、
互いの健常者「元型」が
触発されるのである。

まことにもって、
心理療法というのは
摩訶不思議なものである。

「手当て」という
原始的な治療行為であっても、
なんのクスリもなくても
癒し手の手の温もりと
接触による繋がり感が
「病の孤独感」を癒すものである。

病の苦しみの半分は
自分独りだけが
この苦しみ辛さを体験している、
という二次的な孤独感による。

そこに、
「あなたの苦しみは解っていますよ」
「私が同伴してあげますよ」
という、キリスト的な
「目かけ・声かけ・心かけ」
をされると、
お母さんによる
「痛いの、イタイの、とんでけ~!!」
的な効果があるものである(笑)。

実際に、脳生理学的にも
エンドルフィンやエンケファリンなどの
脳内麻薬が分泌されるのかもしれない。



*

SC(スクール・カウンセラー)の
直訳は「学校相談者」となるが、
スクール・サイコロジスト
(学校心理師)でもあり、
サイコセラピスト
(心理療法家)でもあるので、
その矜持として白衣を着ている。

学部生の頃は生物学科で、
その後、生物教員になったので、
ずっと白衣を着ていたが、
SCになってからも
それが続いてる。

この夏は、初めて、
4校分の「半袖」を購入した。

これは、襟前が狭いので、
猛暑日には下着の上に
直接着てちょうどよく、
なんだか浴衣を着ているような
感触である(笑)。

*

3校に自家製箱庭を導入しているので、
また、Amazonから
無菌砂を補充用に購入した。

SC導入期の平成8年頃は、
文科相の研究事業だったので、
10万以上の予算がついていたが、
今は「3.11の緊急支援」
という用務になり予算がなくなり、
なんでも自前で揃えなきゃならなくなった。

なので、
どのカウンセリング室も
私物に溢れ、自室同然である(笑)。

さる新米オネーチャンSCは
連絡協議会で
「物置をあてがわれたんです・・・」
と哀しげに訴えていたが、
そこをどう「素敵な治療空間に変えるか」
というのがセンスを問われる処なのである。

この30年近く、幾度、
そういった目にも遭ってきた事か・・・(笑)。

【使えるものは何でも使え】
という経験則もあるので、
ギターはもとより、茶道具から
電子ピアノ、ヌイグルミ、
オーディオセット、マンガ、書籍、
テレビ、電子レンジ、家族写真・・・と、
ありとあらゆるものが
カウンセリング室にはおかれている。



きのうも、
母親カウンセリングで、
今の家族問題には意味があって、
逃げずに正面から向き合っていると
将来、必ずや娘さんが
こういう可愛い孫を
プレゼントしてくれますよ・・・と、
リク坊の写真を胸に掲げ、
明るい未来を補償してあげた(笑)。

なので、
孫の写真も家族療法の役に
大いに役立ってくれている。



*

不適応JCの父親が
原家族による虐待性の愛着障害で、
「グッド・イナフ・パタニティ」
(必要にして十分な父性性)
を提供できなかったという
家族病理を説明するのに、
いつものように、動物親子の
「二重バリア」の略画で説明した。

両親に心理的不安があると、
その子には
「安心感・安全感・大丈夫感」
といった基本的信頼感が醸成されず、
「基底欠損」という病理的な心理となり
不適応を招来する。



*

母親の自死に接して、
自我防衛機制の「現実否認」と
「抑圧」が強くかかり、
まったく悲哀感情・喪失感情が
起こらなかったJCに
ロール・レタリングという手法で
母親へ手紙を書かせてみた。

そしたら、
それを読み上げる時に、
初めて抑圧が解放されて
哀しみが噴出し、
大泣き状態になった。

人はこれほど泣けるものか・・・
と思うほど、
一生分くらいの涙を
流したようだった。

その後のセッションでは、
「母親の死」を受容したようで、
時折、現実界の「推し」の話で
笑みも浮かべるようになった。

きのうの箱庭では、
スプリットした画面の
南国の海岸風景を作っていた。

人も動物も置かれていないのが、
その「空虚」さを表わしているようだが、
すくなくも暗い印象ではなかった。

そして、彼女もまた、
キレイな蝶々をオブジェとして
リゾートホテルの入口に置いた。

蝶々はラテン語で「プシケ」。
すなわち「たましい」である。

また、それは、
「死と再生」のイニシェーションの
象徴的なアイテムでもある。

仏語で「ラメール」と発音すると
それには「海」と「母」と
両方がある。

「海」という字にも
「母」がいる・・・。


彼女とふたりで為してきた
ここまでのサイキック・ワークの
グリーフワーク(哀しみの仕事)
モーニングワーク(喪の仕事)
が、ようやく峠を越したような
安堵感を抱けた気分だった。




 

 


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