きのうは
帰宅してみると
ナッちゃんからの
誕プレがポストに
投函されていた。

アマゾンからの
直送だったので、
何かと思って開けてみたら、
音符柄の洒落たネクタイだった。

大学生・院生時代には、
わざわざ新潟から来てくれて、
2018年と2019年の
『復興支援リサイタル』の
裏方を手伝ってくれ
ファイナル(6回目)では、
ステージ・マネージャーを
務めてくれたりもしたので、
頼もしく思ったものである。
お母さんが二階席で
ビデオ撮りをし、
息子がステージ袖に控えてると
あたかも家族ぐるみの
文化行事のような気がして
安心して演奏に専念できた。
商業的でない
入場無料での
「復興支援」目的だったが、
家庭的な手作り感も伝わって
ハートウォーミングな
コンサートになったのかもしれない。

ミカちゃんが送ってくれた
リク坊の写真を
カミさんと眺めては、
「可愛いねぇ・・・」
とふたりで
目尻を下げていた。
フミのことを
「パパ」と
呼ぶようになったそうで、
「うちは、みんな、
オトーサン、オカーサン
だったのにねぇ・・・」
と言って笑っていた。
お正月の孫の帰省が
楽しみでならない。
今日は給料日なので、
ピン札の『お年玉』を
ポチ袋に入れて
用意しておこうっと・・・(笑)。
ほんに、爺馬鹿だなぁ・・・。
カワ(・∀・)イイ!!

日曜の新聞書評に
「面白い」
とあったイタリアの
理論物理学者ロヴェッリの
新刊『世界は関係で出来ている』を
アマゾンに注文した。
長らく、魂理学的な
思索と思考実験をしてきて、
たどり着いた「仮説・試論」が、
まさしく「関係性と多様性」という
キーワードに収斂したので、
その量子力学的な世界観を
まとめたものとして
到着を楽しみにしている。
きのうも、
学年トップクラスで
抑うつ状態に陥っている
中3男子が
「なぜ自分は
生きなければならないのか…」
という実存的問題で
頭を悩ませて、希死念慮もあり、
受験勉強が手につかない・・・という、
"哲学病"に憑りつかれているので、
2時間ちかくカウンセリングをした。
彼との問答は傍目からは
あたかも禅問答のようでもあり、
それでも、
自分が魂理学的命題として
悩み考え抜いてきた事でもあるので、
60代の今、辿り着いた
腑に落ちる仮説を開陳すると、
彼にも通じたみたいで
納得した表情だった。
30代の頃、
毎日、通勤の車内で
小林 秀雄の『講演』テープを
何本も聞いて耳学習していたが、
そこでベルクソンの
生の哲学(Lebensphilosophie)を知り、
現在は毎日、車中で
中村 元先生の『仏典』の講義を聞き、
「生きるとは」という大命題を
今もって模索している。
なので、
「哲学病」の生徒が来ても、
びくともしないし、
むしろ、自分のお仲間が来た(笑)
と嬉しく思うくらいである。
お母さんにお会いすると
「難しい事を訊かれて
応えられないと、
馬鹿にされるんです…」
というので、
それも困ったものだと
笑い話になった。
なので、きのうは
ハッタリこいて(笑)、
「先生には、この宇宙で、
分らない事は何一つないから、
なんでも、聞いてみな」
と大言壮語を
口から出まかせで言ってみた(笑)。
すると、
【敵もサルもの引っ掻くもの】で(笑)、
質問事項をビッシリ書いた
メモ用紙を出して
「これこれ、こういうのは、
どーいうわけなんですか?」
と禅坊主みたいに問う(笑)。
先生
「ワカランッ!!」
生徒
「・・・・・・」
二人
(大笑い)
こんな、トリックスター的な
やりとりで、実存的命題に
憑依された子は
ツキモノが落ちることがある(笑)。
これは、ブリーフ・セラピーの
"コンフュージョン・テクニック"
(混乱法)ともいう。
帰宅してみると
ナッちゃんからの
誕プレがポストに
投函されていた。

アマゾンからの
直送だったので、
何かと思って開けてみたら、
音符柄の洒落たネクタイだった。

大学生・院生時代には、
わざわざ新潟から来てくれて、
2018年と2019年の
『復興支援リサイタル』の
裏方を手伝ってくれ
ファイナル(6回目)では、
ステージ・マネージャーを
務めてくれたりもしたので、
頼もしく思ったものである。
お母さんが二階席で
ビデオ撮りをし、
息子がステージ袖に控えてると
あたかも家族ぐるみの
文化行事のような気がして
安心して演奏に専念できた。
商業的でない
入場無料での
「復興支援」目的だったが、
家庭的な手作り感も伝わって
ハートウォーミングな
コンサートになったのかもしれない。

ミカちゃんが送ってくれた
リク坊の写真を
カミさんと眺めては、
「可愛いねぇ・・・」
とふたりで
目尻を下げていた。
フミのことを
「パパ」と
呼ぶようになったそうで、
「うちは、みんな、
オトーサン、オカーサン
だったのにねぇ・・・」
と言って笑っていた。
お正月の孫の帰省が
楽しみでならない。
今日は給料日なので、
ピン札の『お年玉』を
ポチ袋に入れて
用意しておこうっと・・・(笑)。
ほんに、爺馬鹿だなぁ・・・。
カワ(・∀・)イイ!!

日曜の新聞書評に
「面白い」
とあったイタリアの
理論物理学者ロヴェッリの
新刊『世界は関係で出来ている』を
アマゾンに注文した。
長らく、魂理学的な
思索と思考実験をしてきて、
たどり着いた「仮説・試論」が、
まさしく「関係性と多様性」という
キーワードに収斂したので、
その量子力学的な世界観を
まとめたものとして
到着を楽しみにしている。
きのうも、
学年トップクラスで
抑うつ状態に陥っている
中3男子が
「なぜ自分は
生きなければならないのか…」
という実存的問題で
頭を悩ませて、希死念慮もあり、
受験勉強が手につかない・・・という、
"哲学病"に憑りつかれているので、
2時間ちかくカウンセリングをした。
彼との問答は傍目からは
あたかも禅問答のようでもあり、
それでも、
自分が魂理学的命題として
悩み考え抜いてきた事でもあるので、
60代の今、辿り着いた
腑に落ちる仮説を開陳すると、
彼にも通じたみたいで
納得した表情だった。
30代の頃、
毎日、通勤の車内で
小林 秀雄の『講演』テープを
何本も聞いて耳学習していたが、
そこでベルクソンの
生の哲学(Lebensphilosophie)を知り、
現在は毎日、車中で
中村 元先生の『仏典』の講義を聞き、
「生きるとは」という大命題を
今もって模索している。
なので、
「哲学病」の生徒が来ても、
びくともしないし、
むしろ、自分のお仲間が来た(笑)
と嬉しく思うくらいである。
お母さんにお会いすると
「難しい事を訊かれて
応えられないと、
馬鹿にされるんです…」
というので、
それも困ったものだと
笑い話になった。
なので、きのうは
ハッタリこいて(笑)、
「先生には、この宇宙で、
分らない事は何一つないから、
なんでも、聞いてみな」
と大言壮語を
口から出まかせで言ってみた(笑)。
すると、
【敵もサルもの引っ掻くもの】で(笑)、
質問事項をビッシリ書いた
メモ用紙を出して
「これこれ、こういうのは、
どーいうわけなんですか?」
と禅坊主みたいに問う(笑)。
先生
「ワカランッ!!」
生徒
「・・・・・・」
二人
(大笑い)
こんな、トリックスター的な
やりとりで、実存的命題に
憑依された子は
ツキモノが落ちることがある(笑)。
これは、ブリーフ・セラピーの
"コンフュージョン・テクニック"
(混乱法)ともいう。
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