棚ボタの給付金も
車検で霧散してしまい、
元の木阿弥の
ボンビー・カウンセラーに
戻ってしまい、
「土用丑の日」とあっても
「鰻は喰いたし、金はなし」で、
スーパーの中国産ワンコイン物で
お茶を濁した。
レンチンして、
ハイおわり…では、
味気ないので、
セルクル(丸型)で
くり抜いて、
アボカドのムースと合わせて
フレンチ仕立てにした。
見た目はキレイに
仕上がったが、
驚くほどに
美味しくもなかった(笑)。
単に、安もんを
文字通りキレイに
“ドレスアップ”した
ドレッセ(盛り付け)で、
“まがいもん”の
“フレンチもどき”である(笑)。
むしろ、
切り落とし部分を
一緒に炊き込んだ
「鰻めし」の方が
ふんわりして香りも立ち、
タレと山椒で美味しく頂けた。
中国産と言えど、
喰われる鰻にゃ、
罪はないもんねぇ。
フレンチ遊びで
弄りまわして、
挙句に、美味くなかったでは、
鰻も浮かばれまい。
カンベンね。
(´人`)゛
ここん処、
カラダ中に出来もんができるわ、
下痢はするわ、
ムカツキはあるわ、
メマイはするわ…で、
なんだか、
デトックスに随伴してるかのような
諸症状に付き合わされている。
背中の膿瘍も
アテロームでなければいいが…
と、祈るような気持ちでいる。
オシリ痛の処に、
これでもか…というほどに、
出来物もできて、
「おしり探偵」のホッペは
青春のニキビ状態のような有様だ。
心ん中では、
デトックス、デトックス…と、
いい聞かせて耐え忍んではいるが、
けっこう楽じゃない。
「やませ」の寒気に震えたかと思えば、
一転して、真夏日の猛暑となる、
梅雨時のジェットコースター天気にも
HSP体質が悲鳴をあげている。
毎朝、カラダの痛みで目覚め、
早朝の鎮痛剤服用が欠かせない。
金光教の教典には
教祖伝として、
「体毒、心毒は、
日頃の用便で
取ってやっている」
とあるが、
それでも取り切れない毒素が
吹き出物となったり、
体内ストレスとして
自律神経を攪乱しているのだろう。
毎日、接骨院で、
オシリ痛の治療がてら、
自律神経のツボも
電気刺激してもらってるので、
なんとかもってるのかもしれない。
⁂
森田療法の精神に則り、
「在るがままを、受け容れよ」で、
【従病(しょうびょう)】主義を
弱者としての
ライフ・スタイルとしている。
「難負け」しないように、
痛いにも関わらず、
やるべきことはやるように努めている。
「痛くとも、今日の芝は刈れ」
という言葉に
最近、いたく共感している。
そして、
「今日行く(教育)」所があるのと
「今日用(教養)」があるのは、
大事な事で、有り難きこと、
とも思っている。
⁂
そんなんで、
毎日、にわか設えの書室にて、
手習いのお稽古に余念がない。
若い頃、「書」よりも
「文房四宝」という道具に凝ったことが、
ここにきて、無駄じゃなかった
と思うに至った。
二面ある
逸品の端渓硯は、
やはり気品があり、
それで銘墨や古墨を擦って、
なにがしか書いてみたい
という気にさせてくれる。
心理学で、
道具や環境が生体に
働きかけるこのような作用を
ナンチャラと言ったのだが、
それが、なんぼしても
思い出せない(笑)。
国試にも出たはずなのに…。
ま、いいや。
気にせんとこ(笑)。
気にしたら負けや(笑)。
そ、そ・・・
「文房四宝」とは、
筆硯墨紙のことである。
「四宝」以外にも、
けっこう、小物類があって、
こういう道具を揃えるのも
ひとつの“文人趣味”である。
銘硯には「名水」を…
というので、わざわざ、
山の湧き水を汲みに行ったり、
名水百選のような井戸水をも
用いるのである。
それと、初雪を硯に受けたり、
梅雨の雨を受けて、
「紫陽花」の句を書いたりするのも
文人趣味的である。
水も、ただ、入れるのでなく、
水盥(すいう)という小壺にも凝り、
備前だ、信楽だ、琉球焼だ…と、
これも枚挙にいとまがない。
水匙にも、
彫刻を施したものなど
意匠もさまざまである。
墨に至っては、
深すぎて、語りつくせない。
大まかには、
油煙墨(菜種油)と
松煙墨(松の木)に
大別される。
「墨有五彩」
といわれるように、
墨色の違い、濃淡で
「茶墨」「青墨」とも
分けられる。
筆筒には、
『スカーレット』の主人公だった
神山清子さんの
緋色の信楽を用いている。
目の前には、
教員時代に、
三度の中国修学旅行引率で
買い集めてきた、
鶏血石や田黄擬きの貴石による
落款をズラリと並べ、
作品完成の暁には
堆朱(ついしゅ)の因泥に
押されるのを待っている。
フェイスブックには、
「○年前の今日」という
過去のメモリーが
自動的に「自分だけ」に
アップされる機能がある。
5年ほど前の、
「ボナリの森」での
教員研修会でのレクコンの様子を
久しぶりに見て、
演奏フォームが
ピタリと決まっていて、
生徒さんに教えてきた通りの
理想の形に見えて安心した。
足台ではなく、
ギター・レストという
メタル製の支持器を用いて
採り得るいちばんキレイなフォームで、
セーハのGの左手も、
右手の角度もナチュラルで
申し分ない。
ギターのヘッドこそ、
現代的なハイ・ポジションだが、
肩のラインが水平で、
前かがみにもなっていず、
ギターの押さえに
全く力の掛かっていない
「0」ストレスのフォームである。
これは、20年ほど前に、
トッププロの福田 進一さんを
大学ギター部に
10万円でレッスンに招聘し、
直接お教え頂いた
理想的な演奏フォームである。
大学ギター部の
新入生にも、
いつも、このフォーム作りから
指導しているが、
なかなか固まるまでは
そうとうの修練が要る。
車検で霧散してしまい、
元の木阿弥の
ボンビー・カウンセラーに
戻ってしまい、
「土用丑の日」とあっても
「鰻は喰いたし、金はなし」で、
スーパーの中国産ワンコイン物で
お茶を濁した。
レンチンして、
ハイおわり…では、
味気ないので、
セルクル(丸型)で
くり抜いて、
アボカドのムースと合わせて
フレンチ仕立てにした。
見た目はキレイに
仕上がったが、
驚くほどに
美味しくもなかった(笑)。
単に、安もんを
文字通りキレイに
“ドレスアップ”した
ドレッセ(盛り付け)で、
“まがいもん”の
“フレンチもどき”である(笑)。
むしろ、
切り落とし部分を
一緒に炊き込んだ
「鰻めし」の方が
ふんわりして香りも立ち、
タレと山椒で美味しく頂けた。
中国産と言えど、
喰われる鰻にゃ、
罪はないもんねぇ。
フレンチ遊びで
弄りまわして、
挙句に、美味くなかったでは、
鰻も浮かばれまい。
カンベンね。
(´人`)゛
ここん処、
カラダ中に出来もんができるわ、
下痢はするわ、
ムカツキはあるわ、
メマイはするわ…で、
なんだか、
デトックスに随伴してるかのような
諸症状に付き合わされている。
背中の膿瘍も
アテロームでなければいいが…
と、祈るような気持ちでいる。
オシリ痛の処に、
これでもか…というほどに、
出来物もできて、
「おしり探偵」のホッペは
青春のニキビ状態のような有様だ。
心ん中では、
デトックス、デトックス…と、
いい聞かせて耐え忍んではいるが、
けっこう楽じゃない。
「やませ」の寒気に震えたかと思えば、
一転して、真夏日の猛暑となる、
梅雨時のジェットコースター天気にも
HSP体質が悲鳴をあげている。
毎朝、カラダの痛みで目覚め、
早朝の鎮痛剤服用が欠かせない。
金光教の教典には
教祖伝として、
「体毒、心毒は、
日頃の用便で
取ってやっている」
とあるが、
それでも取り切れない毒素が
吹き出物となったり、
体内ストレスとして
自律神経を攪乱しているのだろう。
毎日、接骨院で、
オシリ痛の治療がてら、
自律神経のツボも
電気刺激してもらってるので、
なんとかもってるのかもしれない。
⁂
森田療法の精神に則り、
「在るがままを、受け容れよ」で、
【従病(しょうびょう)】主義を
弱者としての
ライフ・スタイルとしている。
「難負け」しないように、
痛いにも関わらず、
やるべきことはやるように努めている。
「痛くとも、今日の芝は刈れ」
という言葉に
最近、いたく共感している。
そして、
「今日行く(教育)」所があるのと
「今日用(教養)」があるのは、
大事な事で、有り難きこと、
とも思っている。
⁂
そんなんで、
毎日、にわか設えの書室にて、
手習いのお稽古に余念がない。
若い頃、「書」よりも
「文房四宝」という道具に凝ったことが、
ここにきて、無駄じゃなかった
と思うに至った。
二面ある
逸品の端渓硯は、
やはり気品があり、
それで銘墨や古墨を擦って、
なにがしか書いてみたい
という気にさせてくれる。
心理学で、
道具や環境が生体に
働きかけるこのような作用を
ナンチャラと言ったのだが、
それが、なんぼしても
思い出せない(笑)。
国試にも出たはずなのに…。
ま、いいや。
気にせんとこ(笑)。
気にしたら負けや(笑)。
そ、そ・・・
「文房四宝」とは、
筆硯墨紙のことである。
「四宝」以外にも、
けっこう、小物類があって、
こういう道具を揃えるのも
ひとつの“文人趣味”である。
銘硯には「名水」を…
というので、わざわざ、
山の湧き水を汲みに行ったり、
名水百選のような井戸水をも
用いるのである。
それと、初雪を硯に受けたり、
梅雨の雨を受けて、
「紫陽花」の句を書いたりするのも
文人趣味的である。
水も、ただ、入れるのでなく、
水盥(すいう)という小壺にも凝り、
備前だ、信楽だ、琉球焼だ…と、
これも枚挙にいとまがない。
水匙にも、
彫刻を施したものなど
意匠もさまざまである。
墨に至っては、
深すぎて、語りつくせない。
大まかには、
油煙墨(菜種油)と
松煙墨(松の木)に
大別される。
「墨有五彩」
といわれるように、
墨色の違い、濃淡で
「茶墨」「青墨」とも
分けられる。
筆筒には、
『スカーレット』の主人公だった
神山清子さんの
緋色の信楽を用いている。
目の前には、
教員時代に、
三度の中国修学旅行引率で
買い集めてきた、
鶏血石や田黄擬きの貴石による
落款をズラリと並べ、
作品完成の暁には
堆朱(ついしゅ)の因泥に
押されるのを待っている。
フェイスブックには、
「○年前の今日」という
過去のメモリーが
自動的に「自分だけ」に
アップされる機能がある。
5年ほど前の、
「ボナリの森」での
教員研修会でのレクコンの様子を
久しぶりに見て、
演奏フォームが
ピタリと決まっていて、
生徒さんに教えてきた通りの
理想の形に見えて安心した。
足台ではなく、
ギター・レストという
メタル製の支持器を用いて
採り得るいちばんキレイなフォームで、
セーハのGの左手も、
右手の角度もナチュラルで
申し分ない。
ギターのヘッドこそ、
現代的なハイ・ポジションだが、
肩のラインが水平で、
前かがみにもなっていず、
ギターの押さえに
全く力の掛かっていない
「0」ストレスのフォームである。
これは、20年ほど前に、
トッププロの福田 進一さんを
大学ギター部に
10万円でレッスンに招聘し、
直接お教え頂いた
理想的な演奏フォームである。
大学ギター部の
新入生にも、
いつも、このフォーム作りから
指導しているが、
なかなか固まるまでは
そうとうの修練が要る。
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