『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

昭和食堂に遊ぶ

2023-04-10 08:45:59 | 昭和趣味

 

 

土曜のきのう。

夜からは
自宅カウンセリングの予約が
入っていたので、
日中のみがオフだった。

ここの処、
プチ・マイブームになってる
街中の“昭和食堂”通いをすべく、
開店時間の10時を目指し、
ブランチにしようと
出かけてみた。

毎回、いくたびに
駐車料金が200円かかるが、
1時間の街中散歩もできるので
よしとしている。



土曜の朝10時とはいえ、
駅前は閑散として、
先月の京都・大阪での
雑踏を思い返し、
つくづく田舎だなぁ・・・と、
実感した(笑)。

でも、人がいない・・・って、
寂しいけれども
ストレスがなくっていい。

車の往来がないのも
いいなぁ・・・(笑)。

やはり、
都会はたまに行くのがよく、
普段は田舎暮らしが
性に合っている。

*



駅前通りは、
偶然にも『ハルフェス』なる
イベントをやっていたが、
それとて、ささやかな規模で
歩いて3分ほどの区間であった。

手作りマーケットみたいな
いつもの雰囲気で、
たいして目の魅かれるものも
なかった。

*

なので、
10時ちょうどに
『大政食堂』についた。



かつ丼・ワンタンメン・・・と、
やってきたので、
この日は、
炒飯&餃子の
“ひとり味見会”である(笑)。

さすがに、
この時間帯は
他客はひとりもおらず、
ジモティの
「タンギー爺さん」の姿も
見られなかった(笑)。

*

餃子はすぐにできてきた。

 



ちょいと羽のはえた
こじゃれた見てくれで、
きつね色は上々の出来である。

まずは、そのまんま、
ポイと一口でやってみる。

まずまずの味。
ただ、皮は既製品の
薄っぺらなので
これの旨味はない。

その分、
羽がショリっといって、
クリスピー感を醸し出していた。

いかにも、
昭和の食堂餃子、
町中華の餃子である。

8ケ400円は適価かな・・・。
二人前の16ケにすると、
「円盤」になるようだが、
市内の全円盤を制覇した
エンバニストとしては
この餃子では食指が動かなかった。

*



卓上には
「す」とラベルされた瓶や
「タレ」のボトル、
厚紙で巻かれた「ラー油」がある。

*



8ケ平らげた処に、
タイミングよく炒飯が登場。

スープの味噌汁用の木椀は
ご愛敬である。

棚倉の『一竜』の炒飯を
これまでのベスト1としているが、
それを凌ぐものに当たりたいと
方々の食堂・町中華・ラーメン屋で
トライしているのだが、
未だにその邂逅をみない。

はたして、大政は如何に・・・。

一口目。
「おっ!! ンマイっ!!」

(これは、いけそう!)
と、プラスチックのレンゲで
ワッシワッシとやると、
ガリッと塩粒を噛み、
アララ・・・となった。

🥲

これはダメでありんす・・・。

その後も、二度、三度、
塩粒を噛んだ。

岩塩かもしれない
ずいぶんと大粒の
塩を使ってるのか・・・。

一口目の味が良かっただけに、
これは、大いにガッカリだった。

もっと粒子の細かいのを
使えばいいのに・・・と、
恨めしくさえ思った。

*



「昭和」つながりで、
ブランチ後には、
二本松の『ゆうぷら』に向かった。

歩いて2分の処にあった
『万SAI堂』が転居して
店名も変更されたが、
古本コミックが沢山ある。

「昭和レトロ」コーナーには
昔懐かしい作品群が、
廉価からプレミア価格まである。

きのうは
残念ながら
目的の「ちばてつや」の作品がなく、
仕方なく、大型本コーナーから
これまで買ってきた作者の
未収集ものを4冊ばかり購入した。

ついでに、
拡張された駄菓子コーナーで、
歓声をあげる幼児たちに交じって(笑)、
いくつかオトナ買いをしてきた。

*



帰路、旧国道沿いの
切り通しの斜面に
山吹の黄色が早緑に映えていた

帰宅後は、
オナカもくちくなって、
ベッドで漫画を読んでるうちに
寝落ちしてしまった(笑)。

なんとも、太平楽な
爺様の半日である(笑)。

・・・気が付いたら、
明日から、新年度の
学校勤務が始まる。

してみりゃ、今日が
この春休みの
最後の日である。

京都行きの旅もあり、
孫や教え子・元同僚との
懐かしい再会もあり、
長いようで短かった
人生59回目の
スプリング・ロンバケだった(笑)。




*** 『魂理学』試論ノート8 ***

ブログにメモ的に
アイディアを記して、
それをワードにコピペしてから、
体系的に整理しているが、
なんだか、昨晩は途中で
アタマが混乱してしまい、
ギブアップしてしまった。

文系・理系の既成知識を
メタ研究的に統括して、
「大統一理論」みたいな
『魂理学』なるアヤシイ
ポップ・スピリチュアルを
描こうとしているが、
これがなかなかシンドイ(笑)。

でも、落としどころは、
自分で納得でき、
自分が安心立命となれる
「自分の神話」になれば
それで十分である。

独善的な宗教家じゃないので、
ひと様を折伏させることなぞ、
さらさら関心がない。

観測も計算もしない
アタマのなかでの妄想的な
思考実験なので、
あらゆるケースでの仮説を立ててみて、
もともと確定しようがないので、
どれがいちばん自分的にシックリくるか、
「そうであってほしいか・・・」
という処を見出したいのである。

*

「元は一つ」
という仮説は、
なんか寂しいなぁ・・・
という感情を伴う。

つまり、
「自意識」を持つ「原存在」が、
一つしかなく、それでは、
退屈、寂しいので、
不完全な自分の分身を作り、
それを多様化させた、
というケース。

突き詰めると、
この宇宙には
元々、「ひとり」しかいない、
とすると、あまりにも寂しい。

その寂しさは、
自分以外の人類が滅亡して、
人間並みの姿と応答をする
AIを相手にしているような
感じかもしれない。

*

「明晰夢」というのは、
夢の中で、これは夢である、
と自覚できるものだが、
たいがいの夢は、
それが夢とは気づかずに
荒唐無稽な体験をしたりする。

この宇宙・世界も、
現実と思い込んでいるものは
「夢の中の現実」と同じく、
実は、大元の「原存在」という
夢見手の幻の体験なのかもしれない。

この現実とは、
そういうものである・・・と、
気付くことが
明晰夢として夢の中で
振舞うことに相当する事なのだろうか・・・。

















 

 

 

 


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