服薬とカウンセリングとお祈りを続けて、三月ほど過ぎると、圭子の鬱は、目に見えて回復に向かっていた。
この頃では、朝夕、ひとりで散歩をしたり、母親の付き添いで買い物にも出れるまでになった。
津波に一掃された街は、未だに原爆投下後のヒロシマ・ナガサキのような荒涼とした風景であったが、あちこちに初夏の野の花が咲き始めていた。
潮に侵された大地ではあるが、野草に塩害は無縁のようであった。
その逞(たくま)しさはどうであろう。
圭子は、散歩の途中でそんな花々を手折ると、仏壇に供えて、
「お婆ちゃん。
もう、こんな花が咲き出しましたよ。
どうぞ、天国で安らかに暮らして下さいね。
そのうちに、私もそちらに行きますから」
と語りかけるように心中祈念をした。
「それは、いいことをされましたね」
と、カウンセラーの高梨がクライエントに笑顔を向けながら、褒め称えた。
「でも…」
「でも?」
「…得手勝手な言い分じゃないでしょうか…」
「どうしてですか?」
「だって、人を足蹴にして、『蜘蛛の糸』のカンダタみたいに、自分だけ助かったんですから…」
「うん。でも…」
と言って高梨は、言葉を呑んだ。
「でも?」
とクライエントが訊ねた。
「あなたのその足の痛みを、神様や仏様は知っていて下さるような気がしますけど…」
「そうでしょうか?」
「遠藤周作の『沈黙』は読んだことがありますか?」
「いいえ」
「そうですか。
その中にはですね、隠れキリシタンが弾圧される話があるんですが、その時に踏み絵を踏まされるわけですよ。
ご存知でしょ。踏み絵って」
「はい」
「信仰の厚い人は、それを踏めないばっかりに、拷問されたり殺されたりするわけですよ。
で、ある宣教師が到底それを踏めずにいると、踏み絵のイエス・キリストが
『踏んだらいい。
私はあなた方に踏まれるためにこの世に生まれてきたんだから』
と語りかけてくるんですね」
「・・・・・・」
「神様は、その人の辛さ哀しさ痛さを、いちばんよく解っていて下さるんだ、ということですよ・・・」
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