『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

カトモモ

2019-05-16 07:00:00 | 趣味
扁桃腺の炎症が
気管支にまで拡がりつつあり、
胸部の違和感と咳が出てきた。

ドクターからは
「無理はしないように・・・」
と注意されたので、
今日の会合はパスさせて
もらうことにした。

厄年に「うつ」を発症して来、
「“義理を欠く”ことに躊躇しない」
という自己スローガンを
守ってきた。

八方美人的に
あちこちにイイ顔をしようとしたり、
誰からも好かれようと努力するのは
きっぱりやめにした。

嫌なことは「嫌」だし、
年老いた今は、尚のこと、
好きなことだけやっていたい。

それと、
「適度」「適当」の効用で、
「ま、いっか・・・」
と出来ないことを
悔やまないことにもした。

所詮、あらゆることすべてを
体験することなぞ、
「立って半畳、寝て一畳」の
ちっぽけな一個人には
到底無理なものである。

これには続きがあって、
「天下とっても二合半」
というが、
一度に食せるのは
せいぜいその程度だと。

「分を知れ」
ということだなのだろう。






2歳から小5まで、
重症の喘息で二十回も
入院生活をしたので、
今でも患って療養モードになると、
自宅で入院生活のような
スタイルになる。

ベッドを中心とした起居で、
どう安静時を過ごすか・・・
ということは、幼い頃に
嫌というほど体験してきた。

当時は、
本を読む、テレビを見る、
絵を描く、音楽を聴く、
外の景色を見る、空想する・・・と、
時を過ごしていたが、
今もさほどに変わりはない。

きのうは、
そんな自宅療養モード中に
ソータの棋戦ライヴがあったので、
これ幸いであった。

午前10時から
終了した夜8時まで、
ベッドに持ち込んだ
カミさんのノートPCで
寝ながら観戦していた。

ソータはいつもの如く、
開始20分前には着座して、
精神統一、集中を図っていたが、
ソータ七段よりも格下の牧野五段は
開始5分前にやっと現れた。

対戦時間に
遅刻したわけではないが、
高段者相手に、本来は、
礼を失する事ではある。

奇矯な服装に髪をかき乱し、
マスク姿で激しく咳き込んでいたので、
体調不良のような按配であった。

同病相哀れむ処もあったが、
9時間の頭脳戦、体力戦を
闘いきったのは
さすがにプロであった。

終盤には
ソータの奇手も見られたが、
総じて名局とは言い難い、
解説者曰く
「難しい一戦」だった。

結果はソータの勝ちだったが、
病人五段の“死に物狂い”の粘りに
手を焼いたような
奇妙な一戦だった。

初めて
「聞き手」としてデヴューした
加藤桃子「カトモモ」は、
NHK杯で視たときは
鬼のような表情で
可愛げがなかったが、
素は少女っぽく(24歳)、
笑顔も話しぶりも
案外に可愛げな子だった。





勝敗が決した後の
感想戦での解説では、
デスクのPCを視ながら
CD製作を10枚ほどした。

今日の会合で、
リサイタルにおいで頂いた方々に
お礼にお配りしようと
ちょっと無理したのが良くなかったのか、
今朝は会合に行けるような
体調には改善しなかった。

脳裏に、
ドクターの
「無理はしないように・・・」
という一言が
思い返されて
いささか後悔した。






寝ながら
大量購入したCDを
次から次と聴いているが、
ケースを開けて
古楽器の美しい写真を見ると、
「オッ!!」
と心ときめくものがある。

自分はやっぱり、
こういう雰囲気が好きなんだなぁ・・・。
また、古楽器製作を
本腰を入れてやろうかしらん、
と思わないでもなかった。

人間・・・、
好きな事をやってる時と、
好きな人と一緒にいる時が
いちばん幸福なのであろう。

至極単純な真理である。

であるからこそ、
「ヤなことは、しないほうがいい」
のである。

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何を聞かれても「へんとうせん」

2019-05-15 07:47:00 | 健康
昨日の朝、
起きがけに
右っ側の喉と鼻の奥に
痛みを感じ、
手鏡で診てみたら、
扁桃腺に白い膿が見えたので、
(あちゃ~!!)
と・・・

_| ̄|○ ガックシ・・・きた。

これも
持病みたいなもんだから、
忘れた頃に、年に一回くらい
発症しては耳鼻科に行っている。

やっぱし、
寒暖差による
体調不良なんだろう。

ほっといたら
病勢が悪化しそうだから、
すぐさま朝一で掛かりつけの
近所の耳鼻科に赴いた。

子どもたちが小さい頃から
家族中で世話になっていて、
ナツがまだ幼くて
ウォータークーラーに
顔が届かないのに
ひとりで懸命に飲もうとしてたのを
先生が通りがかりに
スッと抱き上げて飲ませてくれたので、
(ああ。いい先生だなぁ・・・)
と思って、爾来、信頼している。

昨日から、
抗生物質を呑み始めたが
今朝になっても痛みはまだ取れず、
カラダまで痛くなってきて
鎮痛剤も服用した。





午後からは
アテローマの手術前診察で
済生会の予約が入っていたので、
シンドイからだで
ヘェヘェいいながら
病院のハシゴだった。

ε= (+_+)

こっちも、
過去二回オペしたので
なんだかんだで来慣れた処で、
妙な安心感はあった。

予約診療だったから、
いつもより短時間で
1時間ほどで終わった。

形成外科は、
毎回、医大から出向してくる
若いドクターで、
昨日もイケメン君が診てくれ、
「今、切開しても袋が残存してるか
確証がないので、肥大が始まったら
やりましょう」
とのことだった。

質問にも的確に
答えてくれて、
なかなかの好青年だったので、
感じがよかった。

覚悟していたオペがなくなり、
なんだかちっと
気が抜ける思いだった。

でも、
ないのに越したことはない。

カラダにも財布にも
やさしいもんねぇ(笑)。

外に出たら、
予報どおりの雷雨で、
雷様ガラガラだった。





書斎で仕事をしていたら
珍しくカミさんがやってきて、
先日の誕生日にツタヤで買った
中古外盤がえらく気に入ったとみえ、
「リュートのなんたら・・・っていうの
すごくよかった・・・」
と伝えにきた。

「ピッチーニのテオルボやろ」
っていうと、
「あ、そ、そ・・・」
と、ホンマにわかったのか
あやしいもんだった(笑)。

ほんでも、
カミさんの誕プレに選んだ
『ジュリアーニのギター協奏曲集』も
聴いてみたら、佳くって、
なんとガダニーニという
貴重な古楽器を用いて、
アンサンブルもオリジナル楽器だった。

ガダニーニは
福田進一さんが
福島でのコンサートで用いていた。

東京の有名楽器店が
民報ビルで展示即売会をやった時には、
九千万もするガダニーニのチェロがあって、
「どうぞ弾いてみて下さい」
と言われて、慎重に扱って
『夢のあとに』のサワリを弾いてみたが、
やはり深く渋い音色であった。

その際、
1億円のストラディバリも
ちこっとだけ音を出させてもらった。

誕プレの
『グラナドス全集』の6枚組も
見事な演奏で、聴いてて、
「上手いなぁ~」
と感心してしまった。

手持ちの4枚組の奏者を
凌ぐ演奏だった。

毎日、寝室では
ルネッサンス期の声楽を
聴いているが、
こっちはほとんどシロートなので、
デュファイ、オケゲム、
ジョスカン・デプレ・・・と、
名前は知っていても、
誰のがどーなのか
サッパリ見当がつかない(笑)。

広くて天井の高いカテドラルの
残響の多い中で、
混声合唱がポリフォニーという
メロディーがいくつも絡む歌なので、
“なんだかイイ感じ”くらいしか
わからない(笑)。

グレゴリウス聖歌の
単旋律(モノフォニー)の斉唱とは
また違った雰囲気で、
こっちは複雑精緻であり、
どーなってるのか
楽譜を見てヴィジュアルに
確かめたい処である。

モーツァルトやフォーレの
『レクイエム』は
あんなにも聴きやすいのに
ルネッサンスの多声楽は
手ごわいなぁ・・・。

でも、ギター曲でも、
旋律が上昇するときに、
低音部が下降する「反進行」は
劇的で面白い効果だし、
そこに中声部が微妙に変化するという
三声部進行は常にあるので、
声楽においても、よっくと
耳を慣らしていけば、
その面白みが聴き取れてくるのだろう。

スピード・ラーニングじゃないが、
ある日、とつぜん、
聴き取れるようになったら
それもまた楽しかろう。

今は、皆川先生の
解説書と首っぴきで
中世ルネッサンス声楽曲を
勉強してる感じである。





小学校のカウンセラーだった2001年に
「池田付属小事件」が起こり、
7人の幼い命が奪われた。

まるで、
自分の子どもたちが
殺されたような衝撃を受け
涙がとまらなかった。

未だに、
忘れようのない
悲惨な教育事件であった。

あの時以来、校内では
IDカードを付けるようになったが、
自作のそれが今もあって
18年前のまんまで
白衣に着用している。

時折、親しい先生からは
「看板にイツワリありですなぁ・・・」
と、ツッコまれて、
「少女漫画家だって、
いつまでも若い時のん
使こてますやん」
と嘯いている。

***

今日は、10時から
ソータの「棋王戦」の
予選準決勝があり、
8時間の対決を観戦する。

何を聞かれても
「へんとうせん」を
患ってはいるが、
病床養生には
ソータの棋戦が
いちばんかもしれない。







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事後作業

2019-05-14 06:36:00 | 風景
半隠遁生活が
この2年で馴染んできたのか、
出勤日でない日は、
なんだか朝から
のんびり気分になっていい。

ことに
体調のすぐれない日なぞは
(養生、養生・・・)
と、すぐに安静モードに入る。

「寝てて暮らせる」
というのは、
「功成り名遂げた」人の
理想の生活と夢見られてきた。

でも、
年金生活者でも
「寝て暮らせる」なら
それに越したことはない。

寝てばっかりいる
グータラ息子に親父が
「もっと、汗水垂らして、ちゃんと働け!」
「そしたら、どーなんのよ」
「将来、楽になって、寝て暮らせるだろ」
「だから、今、寝てんだよ」

実にいい話である(笑)。

「寝たもん勝ち!」(笑)。

あんまし、
寝てばっかりいたもんだから、
息子が保育園児の頃、
枕元にやってきて
「この、ナマケモノ!」
と叱咤されたことがある(笑)。

グータラ親父も
これに極めりである。






標高55mの自宅から
通勤で川俣路を行くと
段々と標高があがっていき、
デジタル数字でも
アナログ線でも
「高度」上昇が視認できて、
ナビの「スカイヴュー」画面と合わせると
飛行気分が味わえる。

機体の傾きを示す
ピッチング、ローリングも
アナログ計器があり、
GPS方位計と機速、
エンジン回転数と
計器をチェックしながら
退屈なドライヴの気を紛らわせている。

レーダーも
毎度、同一箇所で何かに反応して
レット・ランプに転じ
「ロックオン」アラームを鳴らすので
さながら戦闘機のコックピットのような
気分にもなる。





川俣路の道路沿いや山々には
藤の花が今まさに
満開に咲き誇り、
その高貴な薄紫色を
愛でることができる。

ただ、運転中の
片手カメラでは
なかなかピントやら
ズームやらアングルが決められず、
手動連写をするも
なかなかいい画像は撮れない。

さりとて、
休日にわざわざ
藤の花を撮りに
行こうとも思わない。


寝てるほうが
いいもん(笑)。

そのうち、
寝たきりカウンセラーに
なっちまうかも・・・(笑)。






きのうは、出勤前に
CDをポスティングしていった
お向かいのU先生から
お礼のお電話を頂き、
「たいへん感激しました」
とお喜びのご様子であられた。

夜には、
同じく近所のR子ちゃんから
お礼のメールが届いた。

他にも、
7通を郵送したので、
順次、到着の連絡が入るだろう。

まだ、数件、送り先があり、
今週にある会合でも
5枚ほどお配りしなくてはなので、
30枚作製したCDが足りなくなって、
あと10枚ほど
追加作製しなくてはならない。

“楽団ひとり”の
製作事業部と渉外部の仕事が
まだ完遂してはいない。

それをやり終えて、
6年間の『復興支援リサイタル事業』が
やっと終焉する。

タイムリミットが
あるわけでもないが、
早く、すべてやり終えて、
せいせいしたい。








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天才少女

2019-05-13 07:12:00 | 
『さよなら、田中さん』を
一読して、
この子は天才だ!
と思わされた。

10万部も売れたので
その面白さが
数字でも証明された。

その“るりかちゃん”の
新刊をカミさんが
学校図書館から借りてきてくれたので、
休日を楽しく読書で過ごせた。





14歳の視点で
いろんな人物像を描いていくが、
その描写力、比喩の見事さ、
小説然としているフォルム、
洒落の利いてるとこ、
そして、現代JCの感覚などが
見事にインテグレートされている。

面白く、
気持ちを揺らしてくれ、
しかも読み味がいい。

前代未聞の小4、5、6と
連続3年「12歳の文学賞」を
受賞しているので、
さながら文学界の藤井総太である。





毎日、やろう、やろう・・・と、
思いながらも、
ついつい体調不良や億劫さのため
伸び伸びにしてきた
ライヴCD発送用の礼状書きと梱包を
朝一で半分ほど片付けた。

昨晩は、
(やりたないなぁ・・・)
という感情をメタ認知したので、
嫌々する行動はストレスとなるから、
(明日できることは、今日やるな)
という「うつ防止」の原則にのっとり、
トットと早寝した。

ご近所さんもおられるので、
それらは出勤時に
ポスティングしていくつもりである。

あと数名分残ってるが、
それらは平日休に
のんびりやろっと。






リサイタル後、
音沙汰のなかった
ハッシー(お弟子さん)から
レッスン予約のメールがきた。

ちょうど、
ひと月くらい休んだので
そろそろレッスン再開の
いい頃合である。

こないだは伴奏にまわった
「ファルーカ」と「コーヒールンバ」の
ソロをマスターしたいという。

なかなかな
意気込みを感じた。

それでこそ、
教え甲斐がある、
というものである。


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食事会

2019-05-12 10:53:00 | 健康
ブログをご覧頂いている
友人・知人からは、
最近、
「あっちイタイ」
「こっちイタイ」
「どこがワルイ」
ばっかりだねぇ・・・と、
揶揄されるが、
事実だから仕方がない(笑)。

カウンセラーも
生身の人間だし、
カウンセリングしてくれた先生は
もうみんな鬼籍の人たちである。

なので、
公器とも言えぬ
「ミニコミSNS」で
愚痴、不満を晴らすのも
メンタル・ヘルスのための
ストレス・コーピング(対処法)
だと思っている。

ヘェ~ ε= (´ヘ`;) ハ~

 弱音を吐いたって
   いいじゃないか
 
 不平を語ったって
   いいじゃないか
 
 だって人間だもん

ンダヨ~ (ㆀ˘・з・˘) ブーブー





きのうは、
リサイタルに6年連続来てくれ、
毎年、お祝いやら支援、声援してくれた
大学ギター部の元・マドンナたち三人と
年に一回の恒例の食事会だった。

会場に行く前に、
我が家に集合して、
朝茶を一服喫して頂き、
「令和」を寿ぐ掛け軸やら
干支の猪の石鹸、
庭の花々などを茶室で
ゆったりと愛でてもらった。

ついでに、
玄関の室礼をも
改めた。

三男が保育園で
平仮名を習いたての頃、
短冊にバカボンパパの名言を
わざわざ銘墨を擦って
書かせた。

幼児の邪気も外連味もない
無垢な書体が
のびのびとして佳い。

T中のカウンセリング室には
長男の幼児期の同じ言葉が
額装してかざってあった。

カミさんが
何処ぞの土産に買ってきた
「稚児遊び」の人形を
取り合わせてみた。






リサイタルに毎回、
家族でおいで下さり、
たいそう立派な花籠とともに
楽屋には十人前もの寿司折を
差し入れて下さる
常連のお鮨屋さんでの
恒例の食事会だった。

今年、全員、還暦を迎える
「アンちゃん/ムクちゃん/ライちゃん」
との食事会なので
<アンムクライ会>と命名している。

ふたりは
既に孫がいる
正真正銘の
バアバである。

うちとムクちゃんとこは、
共に未婚のダンゴ三兄弟たちなので、
いつも孫がいる二人を
しきりに羨ましがっている。

毎回、打ち上げ会場にも
させて頂いている
お鮨屋さんなので、
個室なのをいいことに、
他客のいるカウンターでは
お願いできないような
特注の巻き物もこしらえて頂き、
“インスタ映え”するようにと、
四人前を桶盛りにしてもらった。

こうすると、
四人で一つ鍋をつつくような、
合宿で何度も
同じ釜の飯を喰った時のような、
親密感も醸し出されるものである。

ゲスト奏者の
ご接待打ち上げでは
さすがに銘々皿での
コース料理である。

和食の修行をした
若旦那の焼く
「出汁巻き玉子焼」を
みんなに味わってもらうべく、
熱々のところを
オードヴルとし、
醒めて締まったものを
デザートがわりとした。

特製太巻きには、
大トロ、ウニ、イクラなぞ
高級ネタが七品も入っていて、
喰いタレの彦麻呂なら
「これはゴージャスな
 食べる宝石箱や~!!」
と絶賛しただろう。

職人さんが
賄い飯としてやる、
と聞いた「鯖ガリ巻き」やら、
大阪発祥のくだけた
「ゲソマヨ巻き」も
お願いして拵えて頂き
至極満足であった。






毎年、リサイタルで
撮影をして下さっている
テニス倶楽部仲間のナベさんから
カミさんがUSBメモリを
預かってきた。

元テレビマンの視点での
目新しいアングルに
また、ファイナルの感激が
蘇ってきた。

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