『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

夏日・・・

2019-05-11 05:29:00 | 風景
昨日は予報どおり
27℃を越したらしく、
仕事から帰宅したら
二階の寝室は
30℃に達していて、
いそいで網戸に換気して
どうにか28℃までさがった。

夜には
22℃まで下がって
エアコンこそ要らなかったが、
朝方にはまた
10℃台まで下がって
ストーヴを炊くという日々が
続いている。

昨日は、
学校で前任カウンセラーの
「うつ」の啓蒙『おたより』を読んでたら、
「激しい寒暖差は誘発の外因になる」
とあって、
(あらまぁ・・・。やっぱし・・・)
と、不調感を我慢せずに
頓服薬を呑んだ。

花粉症は峠を過ぎたのに、
だるさと右耳の耳鳴りが治らず、
寒暖差での風邪様の自律神経失調症が
長引いてるのかなぁ・・・と、
やきもきしがちな気分を
自己診断で諌めている。





連休明けに出勤したら、
新任のY中の『学校だより』が
出来ていた。

肖像を見ては、
ずいぶん老けたなぁ・・・と、思い、
挨拶文を読んでは、
ずいぶん幼稚臭いなぁ・・・と、思った(笑)。

でも、
子どもたちに向けての
挨拶なので、
「自己開示は親密感を増す」から、
くだけて平易にした。

「子ども向け」の挨拶場面で、
口頭挨拶でも
抽象的で何言ってるかワカラン
大人がよくいるが、
それこそKYでありナルっぽい。

要するに、
馬鹿なのである。






院の先輩から譲り受けた
琴に琴柱(ことじ)がなかったので、
ホームセンターで
200円の木目のキレイな
杉材を買ってきて
糸鋸で14ケ切り出した。

ヤフオクやアマゾンでは、
それこそピンからキリまであり、
ピンは象牙製の数十万というのがあった。

最近では、
クリスタル製もあり
驚いた。

オシャレではあるが、
古色蒼然とした楽器には
ミスマッチである。

在京中に
金沢の兼六園を
訪ねたことがあるが、
かの有名な灯篭は
琴柱を模ったものだという。

ヤフオクには、
琴の表面板である「竜甲」に
音孔があけられた楽器が
出品されていた。

斬新なフォルムだが、
果たして、その効果はどうなのか、
検索をかけてみたが、
試奏の比較などがヒットしなかった。

なんだか、
自分でもムラムラっと
孔をあけてみたくなった(笑)。






同じく
譲り受けたチェロの一番弦が
調弦中に切れてしまったので、
バロックチェロ用の
ガット弦を古楽器センターに注文した。

一本で3.000円もするから、
ギター弦なら
2セットも買えてしまう。

かつては、
ソーセージ用の羊の腸を注文して、
ひと晩、水にさらして塩抜きし、
手回しの「捩り器」を作って、
自家製造に励んだこともあったが、
いかんせん「音」が良くなくって、
以後、やめにした。


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楽器メンテ

2019-05-10 05:24:00 | 楽器製作
十七連休最後の日は、
ソータの王将戦があり、
有料視聴ながら一日楽しめた。

相手は上位の
北浜八段だったが、
ソータには3連敗である。

昨日の棋戦でも、
「勝負処」で、
「踏み込み」という
勇気を持って攻める一手が
奏功して勝因となった。

若武者らしい
その闘いぶりが
ソータ将棋の魅力でもあり、
また、人生においても
「勝負処」では
「踏み込み」が大事なんだ、
ということを盤上で
知らしめてくれる。





順位戦の12時間に比べると
6時間という短期決戦だったが、
途中には一手に20分をかけるという
「長考」が幾度か見られた。

勝敗が決してから
振り返る「感想戦」では、
そこで何を考えていたかが
指し手自身から語られるが、
何十手先までを見通していることに
いつも驚かされる。

「詰め将棋選手権」では
4連覇の無敵状態なので、
最終盤の局面になると
「読み切った」時の指し手は
ノータイムになり、
それを察した相手側は畏れ入って
投了してしまうようになってきた。

昨日の解説「聞き手」は
ミナミちゃんだった。

小柄なメガネっ子で
キュートに見えるが
二児のママ棋士でもある。

ミナミちゃんの声は
アルトの“イケヴォ”で
耳ざわりがいいので
好きである。






ソータの棋戦を見ながら、
その考慮時間には
楽器のメンテをした。

チェロの魂柱(こんちゅう)が
外れていたので、
BBQ用の金串を
研いだり曲げたりして
治具として自作して
上手く立てることが出来た。

専用治具を買うと
5.000円以上するし、
工房でやってもらうと
1.000円も取られるので、
なんでも工夫して
DIYするに限る。

魂柱は擦弦系のヴィオール属の
すべてにある楽器構造で、
弦の振動を伝える
ブリッジ(駒)の斜め下に位置し、
表面板の振動を
裏板に伝える役目をする。

これを真似て、
いちどギターにもやってみたら、
まったく音が死んでしまい
鳴らなくなった。

なので、
撥弦系のギター/リュート属では
まったく不要のアイテムである。





知人からお嬢さんの為に
ヴァイオリンの一台を
「お譲り願いたい」
との申し出を受けたので
お渡しすべく念入りにメンテした。

76年製のKirschnekからは
43年分の? 綿埃が
楽器内からピンポン球ほどの
大きさに成長して出てきた(笑)。

古いギターを預かって
メンテする時も、
この「毛玉」が毬藻(マリモ)のように
どのくらい成長しているか
見るのが楽しみなのである(笑)。

ペグ(絃巻き)に
コンポジションという
クレヨンのようなものを塗り
滑りをよくし、弦を新品に交換した。

ボディと指板を
それぞれ、それ用の
洗浄剤とワックスで磨き上げ、
ブリッジのずれ等も調整した。

仕上がってから
試奏してみたら、
ブリリアントな音が響き、
ヴァイオリンが
久しぶりのエステを受けて
喜んでいるような気がした。

発注していた
「モンゴル白馬」の毛が
到着したら、
弓の毛替えもする。

初心者の女の子が使うには
十二分なほどに音が鳴る
素晴らしい楽器である。

これで音大を目指してくれれば、
リューティエ(楽器製作家)としても
嬉しい限りである。



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哀悼・・・(_ _。)

2019-05-09 08:10:00 | 風景
長かった
私的・十七連休も
やっと今日で終わる。

寒暖差の激しい気候に
シンクロするかのように
体調もジェットコースター状態だった。

今日の予報では、
日中、27℃にもなるという。

今9時現在、
外気は10℃ちょいであり、
書斎ではストーヴを炊いている。

なので、
17℃の寒暖差は
生体のホメオスタシス(恒常性維持)を
つかさどる自律神経系にとっては
物理的ストレス以外の何ものでもない。

五月晴れの日は
体調さえよければ
爽快な気分で散歩もできるが、
カラダが重い、だるい、節々が痛い、
耳鳴りはする…では、
仕事がなければ、寝ていよっと、
という「寝てばかりロージン」に
ならざるを得ない。

「散歩」といえば・・・
昨日のお昼のニュースで、
散歩中の園児の集団に
車が突っ込んで4人が重体・・・
という禍々しい速報を聞いて、
ゾッとした。

そして、すぐさま、
テレビ画面に向かって
「どうぞ、みんな助かりますように・・・」
と一心にご祈念した。

この一報を聞いて、
心ある人なら、
誰もがみな
そう祈り念じたことだろう。

しかし、
夜のニュースでは、
二人が亡くなったと聞き、
残念至極であった。

園長が会見で
号泣していたが、
園児に散歩させるなんて
どこの保育園、幼稚園でも
ふだんに見る光景である。





今朝の朝刊のコラムには、
交差点では「よくある事故」だが、
人と車が同じ道路にいる限り、
「起こり得る」車社会の暗部である、
という。

そして、
「散歩」はいつの場合も
安全ではない、ということだ。

かつて、
連ドラの『マッサン』では、
スコットランド人のエリーが
夫のマッサンが毎朝家を出るたびに、
「行って帰りぃ~!」
と見送っていた。

この聞き慣れない見送りの言葉は
広島の方言で、
「無事に帰ってきてね」
という意味が
込められているという。

我が師の
碧水先生の御歌に・・・

 往復の無事こそ祈れ
 行く先の遠き近きが
 中心ならず

…という、
真実をついたものがある。

『たましいの処方箋』
という拙著では、
「ニューヨーク」に行くにも
近所の銭湯へ「入浴」に行くにも、
人は一寸先、一秒先は
何があるか判らないものである、
であるからして、この御歌の重み、
真実が理解できよう、
と解説を施したことがある。

そして、
『たましいの処方箋』を実践してこそ、
すなわち、事前に
無事を「祈り念じて」こそ、
「御歌を生きる」のであり、
「助かりの道」があるのだと力説した。

長男が小1の時に
交通事故にあって、爾来、
家族が登校、出勤する前には
必ず「無事帰宅のご祈念」を
せずにはいられない。

引率の保育士や園長を
責める気は毛頭ないが、
「いつものお散歩」に慣れ過ぎて、
それこそ「あり慣れて」、
「無事に散歩をし果(おお)せる」
ということを事前に、
願い、祈り、念じただろうか。

いつも「無事」に帰って来れてたことは、
実は、「有り難い」ことだったのだ、
ということに思いを至らせるのが、
形而上的、宗教的、魂理学的な
考え方なのである。

ワイドショー的な
俗世間の形而下的解釈では、
運転未熟の交通事故による
不運な巻き添え・・・という
悲劇で「済ませ」てしまうが、
常時起こって観察できる現象には
「明在系」と「暗在系」が
「光と影」のように
「対存在」しているのである。

安易で軽薄なスピリチュアル解釈に
堕さないように、慎重に
「現象から真実を引き出す」
というのが、
魂理学者の使命であり、
その形而上的意味を
「犠牲者」が残した「教訓」として
現世・後世の人たちに
語り部として伝えるのを
自分の大切な使命としている。

***

別な視点で感じたことは・・・
「交差点でよくある事故」ではあるが、
最近の老齢ドライバーや
認知症ドライバーによる
無謀運転、高速逆走運転での
事故が頻発している。

高齢化社会の暗部なのだろうが、
もひとつ、気になるのは、
ADD(注意欠損)系の成人で
未治療者が周囲に散見されることである。

かつて、
車で来室された
クライエントにも、
我が家の壁にこすったり、
近所の塀にぶつけたりしながら
帰った方々がおられた。

後日、大事故を起こし
車を大破させた方もいる。

それらは、
注意の転動性や集中困難、
空間認知の障害などが原因だが、
本人に病識がなかったり
治療動機が低いなどで
薬物治療を受けていないと、
職場や公共の場で
事故や社会的問題に繋がることが
少なくない。

今回のケースが
そうだとは言わないが、
「免許返納しないプチ認知ドライバー」
と同程度に
「未治療のADDドライバー」や
「自傷他害(狂信的テロ)ドライバー」は、
車社会の暗部と言えよう。






教員時代の80~90年代に、
中国へ修学旅行を三度も引率した、
という稀有な経験がある。

85年頃の蘇州は、
まるで日本の戦前のような光景に
タイムスリップした感覚で、
未だ人民服を着ていた人もいて、
道路はウンカのような
自転車の大群だった。

三度とも中国の学校と
交流会や食事会を催し、
歓談し、ギターを弾いたり、
「書」を頂いたりと、
中国語も勉強して
それは良い印象があった。

大学院時代には、
李さんという女性の先輩がおられ、
親しくさせて頂いて
我が家でのお茶会にもお招きし、
能書家であられたので
いくつか茶席用の「書」も
お願いして書いて頂いたことがある。

なので、
その頃はまだ中国に対して
悪感情を抱いていなかったのだが、
習 近平主席になってから
共産党体制の締め付けと
軍拡路線が露骨なほどで
嫌悪感を抱かざるを得ない。

南沙諸島には、
絶対に軍備を配置しない、
とNHKのインタヴュー番組で
温家宝は公言していたが、
真っ赤なウソ、大ウソであった。

そして、
国際司法裁判所の違法裁定に対しては
「効力のない紙屑だ」
と公言して
公然と国際ルール無視を宣言した
トンデモナイ違法国家、
ナラズモノ国家である。

それが、
習主席自身が国際会議で、
一帯一路の構想は
国際ルールに従う・・・という、
二枚舌で公言した。

「ウソつきプーさん」
とでも書こうなら、
中国内ならネット削除のみならず、
当局に拘束もされかねないから
一党独裁の恐怖政治である。

GDP第2位になるや
金に物を言わせて、
あからさまな軍拡と領土拡張に
走っている。

90年代に流行った
『ノストラダムスの大予言』では
「眠れる獅子が立ち上がる」
というフレーズがあったが、
それを五島 勉は「中国」のことだ、
と解釈していた。

1999年の人類滅亡は免れたが、
米中が前面衝突して
核戦争にでもなったら
日本も安穏ではいられなくなるだろう。

そこに、
北朝鮮、ロシアも
得意のドサクサ紛れの火事場泥棒で
参戦したら、何がなにやらの
混沌のバトルロワイヤルになる。

日本以外は全部、
核兵器を持っているので、
木刀で真剣や拳銃と闘えるはずも
ないだろう。

中露北の属国にだけは
なりたくないものである。

今朝の三隻目の
空母建造中の記事が、
平和ムードの「令和」の幕開けに
キナ臭い雰囲気を漂わせていた。





連休中に、
院の大先輩(82歳)から
譲渡されたヴァイオリンの
メンテをした。

古色がかった一本は、
エチケット(楽器内ラベル)に
「Arturo Barini
 Mirecourt」
の文字が確認され、
1784年頃のフランスの
ミルクール地方の
リューティエ(製作家)と判った。

ミルクールは
ラコートというギターの
名リューティエを輩出した
楽器の街で名高い。

エチケットは
修復家か鑑定家による
後世の物のようだが、
裏板に特徴的な紋章の封蝋が施され、
200年くらい経っている
古楽器ではありそうだ。

指板や魂柱、フィッティングは
現代の物に置き換えられているが、
基本のボディは
当時の物のように見える。

音色は渋く、落ち着いている。

現在の世界のオークション価格では、
およそ30万円台を推移してる。

もう一本の方は、
現代・西ドイツのリューティエ
Franz Kirschnekによる
1976年製の43年物で、
これは明るく輝きのある音がしている。

オークションでは
20万円前後を推移している。

なので、
この二本だけで
50万円相当の楽器を
譲渡されたことになる。







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3時のオヤツ

2019-05-08 07:44:00 | 健康
今朝は10℃をきる寒さながら
日中は25℃の夏日になるという。

なので、
朝方はストーヴを炊いて
セーターを着て、
昼からは半袖になったり・・・と、
調節が大変である。

天気予報では
もう「初夏」という言葉も
聴かれた。

きのうは朝一で
皮膚科に出向いてみたら、
もう20人くらい待っていて、
座る場所もないので
帰ってきた。

今朝はもう10分早く出て、
医院が開く30分前に行ったら
もうすでに10人以上が並んでいた。

それでも、
どうにか待合室に座れたので
雑誌を読みながら40分ほど待った。

背中のアテローマ箇所に
痒みを感じて、
少し膨れはじめてきたので、
同一箇所で3度目だから
切除オペすべく
紹介状をもらってきた。

済生会病院の
ちゃんとしたオペ室で
形成外科医が執刀して
切除してもらうのは
これで3度目なので、
慣れたものではあるが、
予備診察・手術・抜糸・・・と、
3回は通院がいるので
メンドクセーな~と思う。

それでも、
かつての主治医から
「悪性腫瘍じゃないんだから、
好しとしないと・・・」
と言われて、
(それも、そーだなぁ・・・)
と思い替えすることにしている。

「大難を小難に奉り替えして頂く」
と宗教では言うが、
「癌」と「粉瘤(ふんりゅう)」じゃ
ビョーキの重症度も
障害受容のショック度合いも
まるで違うだろう。

亡父は大腸癌だったし、
クライエントの方々にも
いろんな癌になられた方が
少なくない。

自分もそうなったら
覚悟するよりないが、
良性腫瘍ていどなら
ちょいちょい頻発しても仕方なし、
悪性よりも儲けもんと
思う方がメンタル・ヘルスには
いいのだろう。

狐狸庵センセは、
そんなんは
手術とは言わんと「処置」と思え、
と仰ってられたので、
大学生の頃、「親知らず」も
4本抜いたことだし、
抜歯くらいに思うことにしよっと。





リサイタルが終わってから、
生徒さんのレッスン以外は
ほとんどギターに触れることはないが、
ロボスの『エチュードNo.2』は
いつかやらねばと思ってたので、
寝室の枕元にレキントを吊るして
気が向いたらベッド上で
足を伸ばして練習している。

ギターのとなりには
談志家元に書いて頂いた
「嫌なことは しないほうがいい」
という短冊が軸装してあり、
毎日ながめながら
「嫌な事はすまい。
 嫌な人には会うまい」
と肝に銘じている。






この十連休中にも
何十冊マンガを読んだか
わからない。

無人の子ども部屋の
書棚をひとつ
マンガ専用にしたが、
近頃では溢れだしてきて、
二重置きになりだした。

再読に値するものだけ
保管してあり、
駄作は捨てるなり
古書店に持ち込むなりしているが、
それでも、年々、増え続けて、
居間にも置ききれなくなってきた。

幼稚園生の頃から
『オバケのQ太郎』やら
『ナガシマくん』なぞを
読み始めて来、コミックを
集め始めたので、
小学生の頃はいっぱしの
コレクターだった。

一時は、
『サンデー』『マガジン』
『チャンピオン』という
雑誌まで溜まって溜まって
大変だったが、
さすがに教員になってから
25歳でようやく雑誌からは
足を洗って、単行本に切り替えた。

ほんとは、
小部屋にマンガ図書館を作るのが
夢でもあったので、
これから、ちょっとずつ
書架を増やしていこうかとも
目論んではいる。






業務用食料品店で
アイス用のコーンを
100ケも購入してしまったので、
毎日、4ケずつオーヴンで
湿気を飛ばして
スプレーホイップの
バニラとチョコを鋳込んで
デザートやおやつにやっている。

まさか、
いくら好きだからって、
ソフトクリーム・マシーンまで
買うつもりはない・・・(笑)。


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「音」の語源

2019-05-07 05:13:00 | 音楽
ここ数日、
体調が今ひとつで、
カミさんが
連れて行きたがっていた
裏磐梯の桜峠に
とうとう行けずじまいだった。

カミさんは
ひとりで行ったのと、
テニス仲間の「&ーさん」とも
二度も行って、その絶景を
写メで送ってきた。





高原の春は
遅いようで、
今がまさに
満開の桜と水芭蕉で
桃源郷のようであったという。






ツタヤの古書50%オフ日に
買ってきた「吾妻ひでお」の
『失踪日記』が
ことのほか面白かった。

巻末を見れば
17版まで出ている
ちょっとしたベストセラーのようで、
アマゾンでもレヴュー評が高かった。

原稿に追われて、
ある日、突然、プッツンして、
二度も家出して、
その間のホームレス生活を
リアルに描写しているのには
惹きつけられた。

続編の『アル中病棟』は
自身の入院治療体験を
綴ったものだが、
こちらは今イチで・・・、
それでも、アルコホーリックの
薀蓄満載で、それらが
体験エッセイ・マンガとして
面白可笑しく語られていた。






リサイタル後の
“楽団ひとり”の事務方作業が
まだ完遂しておらず、
体調不良のため、
支援者へのCD/冊子の発送が
ペンディングされたままで
机上にセットされてある。

おひとりずつ
心を込めて礼状を認(したた)め、
それから梱包して
宛名書きをして完了なのだが、
「プチうつ」気味でもあり
その意欲が湧かない。

おとついから
カラダ全体が重く
胸に「気」詰まり感があったので、
抗うつ作用のある安定剤(ソラナックス)を
頓服的に服用している。

朝方はストーヴを炊き、
日中は25℃を越す夏日が続いたので、
その寒暖差が物理的ストレスになって
自律神経系が失調気味なのだろう。

***

Eテレの『100分で名著』が
『平家物語』になり、
能楽師の解説が明晰で
たいへん解り易かった。

「音」というのは、
「神の訪(おと)ずれ」が
語源にあると聞いて
ナルホドと感心した。

さらに、
「意」は「音」+「心」で、
その気配を感じ取ることだという。

これも、
目からウロコであった。

そういえば、
先日のリサイタルのリハで
「なんだか、ちょっと、
緊張してきました・・・」
と言ったら、
共演者の阿部さんが、
「大丈夫です。
音楽堂にはミューズ(音楽の女神)が
いますから・・・」
と仰って、
(あぁ、そっかぁ・・・)
と得心して安堵したような気になった。

たしかに、
あそこで6回も
独りで舞台に立った者以外には
実感がないであろう
不思議な安堵感というものがある。

それは、
ことによると、
背後にある
あの巨大なパイプオルガンに
ミューズが宿っているような神秘的気分が
そう感じさせてくれるのかもしれない。

あるいは、
「おかげは和賀心にあり」
という御教えのように、
奏者と聴衆との間に生まれる
「和し」「和み」「賀する」こころが
各人に内包される「神心」が
エヴォカシオン(喚起)されるのかもしれない。

宗教家のTちゃん先生が
「いつも感じる、なんとも言えぬ、会場の暖かい雰囲気」
と言っていたが、
「コンサートは、奏者と聴衆で創り上げていくものなんだなぁ…と、しみじみと思いました」
という感想もあり、
「なぜだか、一曲目の『禁じられた遊び』の出だしを聴いた時から涙がとまりませんでした…」
と仰ったクライエントの方もおられた。

いずれも、
名演奏を為してくれた
4人の女性音楽家にミューズが降りたとも、
はたまた、その四人こそが
“あの時、あの場”での
ミューズの化身だったのだ、
と今にして想像すると
ホーッと深い溜息が出るようだ。

ε= (•̀.̫ •̀; ) ♪






回のリサイタルは
いずれも女性で、







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