遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

わたしの頭は3日前から 停止しています。もとはといえば ホピの予言を読み返したその3日前からなのですが......

死海文書の謎 という本を買いました。この古本屋は過去にも不思議なことがあった古本屋でした。10年前 夫から目が見えない(左目はその後復活しました)....という電話をもらった日 わたしはうらわにいて この古本屋で二冊の本を買ったのです。背表紙が浮き出ているように見えた....手に取るようにうながされて とった本は ホピの予言と 古神道はよみがえる。共通するなにかがあった。
天地かえらく...... ほかにもあった。ホピの予言を読み返したことが深層心理にあって ひさしぶりにアラキ書房を覗いたのでしょう。

また ゲームをしているよと軽く考えていた北朝鮮のミサイル発射..... ホピの予言を読んで ひょっとして世界は今 分水嶺の上かな どっちへ転ぶか... という気がしました。予言によれば わたしたちが生きている第四世界は 第三次世界大戦がひきがねになって滅びる その予兆が空に打ち上げられた家.....。 第一の世界 第弐の世界 第三の世界は それぞれ火とポールシフトと水によって滅びたが 第四の世界ではそれらが一度にやってくる.... ホピ(米先住民の部族のひとつ)の予言には 金のいれものに入った灰が災厄をまねくとあり ヒロシマナガサキを知ったホピのひとたちは 門外不出のホピの予言をたずさえ このままでは文明がほろびると 国連に訴えたのです。詳しくはどうぞ ホピの予言を読んでください。目は開かれることでしょう。

死海文書の謎 ... その本のページは ほとんど 文書が告げる事実について 教会の関係者がいかような合意 をむすび その事実を封印しようとしたかに費やされていました。教会キリスト教にとって それは「都合のわるい事実」だったからです。文書は紀元前から紀元後 イエス・キリストの生涯のはいる200年ほどのもので 11の洞窟に分散された40の壷のなかに羊皮紙 パピルスに記された文書がム眠っていたのです。クムランには クムラン教団のひとたちが生活していた .... ヨハネやイエスの属したといわれるエッセネ派ばかりでなくいくつかの派があり 途中 ローマの襲撃を受けて砦が閉鎖されていたときもあったようです。

20世紀最大の発掘と呼ばれるように 従来の 宗教史や ユダヤ イスラム キリスト教 の教えをくつがえすものが含まれていました。壷のなかの旧約聖書は現代のものとほとんど変わらなかったそうです。では 死海文書が示す事実とは ....

イエスはメシアではなく 義のひと と呼ばれていた。

忍従のひとではなく 戦うひと だった。

律法の遵守者だった。

この本に言及はありませんが イエスには妻があり それは マグダラのマリアでした。

発見されたふたつの福音書にあきらかにされており イエスはマリアにくちづけしていたという表記もあったのです。

この事実だけでも 教会キリスト教は 崩壊します。

けれども わたしが 自分を失いそうになったのには それとは違う 理由がありました。

 

話は10年前にさかのぼります。この古本屋に行ったころ わたしは 電車のなかで クムラン..クムラン..という呼び声をきいたのです。クムランっていったいなに???その日 古代史研究会で講師の口から クムランの名がでたとき わたしは飛び上がりました。
そして またまた偶然なのですが 予約していたヒプノセッションに行った。そこで クムランがでてきた。いくつかの映像 クムランの崖 墓 .... そしてものがたり。裏切りと苦渋の人生をわたしは”追”体験しました。(ヒプノセッションとは 過去生を追体験することで 今の人生をやりなおす意味があるそうです。わたしはクムランにいた....そして 教えを裏切り 海辺の村で年をとり”ベッドのうえで”家族にかこまれ死んだ。死ぬとき 胸にあたtのは痛切な懺悔の想いだった。) そのセッションが終わったとき 疲れ果ててはいたがある種 清々とした気持ちになったことは事実ですし 強烈な体験だったのか 2度 ほど このブログにも そのときのハイヤーセルフ 超自我のことばが書きのこしてあります。けれども それが 事実だったとは わたしには信じられませんでした。不思議な体験をした....くらいの気持ちでした。

ところが 三日前 買った 本の記事を一昨日 電車のなかでめくっていたとき 写真があった。クムランの崖 .... わたしが視たのは 緑の草がはえた崖だった。 岩石と土の崖ではなかった。

そして 墓 .... ケルンのようにとがった石を三角錐につみあげた墓 わたしは たしかに それを視た。 庭園のようになっていた。墓がならび 墓のうえに 枯れた花が置かれていた... 子どもの墓 愛するものの墓 だと 思った。

10年の時を経て 眼前にあることの不思議。

わたしのその後の10年は 半ば死んだも同然だった。翌2008年3月 先生と訣別 近江楽堂で マグダラのマリア を 語った。 そこには ....偶然朝倉翁が彫刻したマグダラのマリア像があった。 ひかりが 降った。細かい細かい光の粒子がさんさんと降った....。

そのあと いったい なにをしてきたのだろう。

これから なにかが できるというのだろうか なにが できるというのだろうか。

ひとの本質が光であることを伝えなさい それが最大の愛であると ハイヤーセルフは 語ったのだけれど。

 



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