遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  コーヒーを頼みトランヴェールの特集”東北のジャズ”を読んでいるうちにあっけなく新幹線は上田に着いていました。わたしは騒ぐ胸を押さえながら若い頃幾度か立ち寄った上田駅に降り立ちました。.....信州の工芸、籐のサンドウィッチケースを買った梁の黒光りしていたみやげ物屋さんはどこだろう...?ジーンズのワンピースを着替えにと求めた洋品店は?...たしかいい感じの喫茶店があったはず....けれど、昔の面影はなにひとつありません。グレーとベージュのどこにもある小奇麗なビルが駅前に積み木のようにならび、お馴染みのセブンイレブンやドトゥールの看板が出迎えてくれました。

  やがて、斎藤ホテルのバスが迎えにきてくれました。スタジオプラネットのオーナー、ラヴェンダーさんにお誘いいただいて、信州鹿教湯温泉に行くのです。バスは20名ほどのお客を乗せてみどり、緑の山なかを走ります。駅前の変容にいささかがっかりしていたわたしは、山の気に遠い記憶のような衝動のようななにかが呼び覚まされるように感じました。そしてなにかしらつつじの娘を語りたくなって、ものがたりを追っているうちに眠り込んでしまいました。

  ロビーでウェルカムドリンクをいただいてラヴェンダーさんのお部屋に案内していただき、わたしたちは再会しました。窓から、川が見下ろせます。山あいから八雲立ち緑したたる素晴らしいロケーションでした。四方山話に旧交をあたため、ラヴェンダーさんの案内で温水プールに向かいます。夜には天窓から月が空に浮かんでいるのが見えるとか....わたしもゆらゆら水にまかせ浮かんでいました。プールに入るのは何年降りでしょう。全く泳げないのですが、大いなる野心が湧きました。よーし このあいだ見つけたスポーツ施設に通ってみよう。泳げるようになるかなぁ...

  プールの脇にはサウナやトレーニングルームがあってマシンがならんでいます。20歩ほどで大浴場です。泉質はやはらかくまろやか...かけ流しの湯です。お風呂はそこそこにさぁ夕食....食事はビュッフェのかたちでフレンチ、和食、好きなものをチョイスします。日本のホテル百選にも選ばれたという美味しい料理でした。デキャンタで白と赤のワインをとって、話ははずみます。甘党の方には...デザートもケーキ3種やババロア2種フルーツ...デザートもフルコースしっかりいただきお部屋に戻っても話は尽きず心溢れわたしはいつになくしあわせでした。。


  ラヴェンダーさんから斉藤ホテルのことは幾度かうかがっていましたが、あたらしい湯治のかたち、休暇の過ごし方のかたちがあるように思いました。リピーターの方が多いこと、滞在者がいらっしゃることもうなづけます。ホテルの周辺は自然ゆたかで散策を楽しむこともできますし、ライブラリも備えています。観光スポットを訪ね歩き確認する観光も楽しみですが 自分の身体をいとおしみその声を聴き、自然のなかで深く呼吸し交流する...そのようなおとなのための贅沢な時間がもっとあってもいい...このホテルのありようはその一つの提案のように思います。

  深夜のロビーにはヘンデルのアリア、オンブラ・マイ・フがながれていました。このホテルに流れる静謐...宿泊者やスタッフのなかにながれることばにしがたい雰囲気....にその旋律はかなっているように思われました。
 

写真はあとでUPします。

斉藤ホテルサイト






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   大島弓子さんを知っていますか?小泉今日子さん主演で「ぐーぐーだって猫である」という映画が封切られ?ましたが、その作者が大島弓子さんです。大島さんが最初にブレイクしたのは”ミモザ館でつかまえて”....タイトルからサリンジャーのライ麦畑でつかまえてを想起されたように....イノセント...喪うということ...愛をテーマにしたものがたりです。

   わたしが少女漫画にはまっていったのは十代の後半でした。少女時代から本がすきで図書館から父の書棚、暮らしの手帖、週刊朝日、リーダースダイジェスト、高橋和己、三島、大江、倉橋由美子、カポーティー、ブラックウッド、シムノン、グリーン、モーリヤック、クラーク、ハインライン....なんだってよかった。本ならなんでもよかった。本さえ読んでいれば”向こう”に行けた。....

   なぜ本を読むのか?異世界へいけるからです。想像は羽ばたき飛翔する。ここではないどこか、いまではないいつかに向かって旅することは、現実とのどうしようもない違和感...現実と擦れ合うイタミを癒してくれたのでした。

   けれども、飢えを充たすように読んできて...10代の後半...その魔法が消えかけてきた。本を探して探して読んでも...以前のように満たされなくなっていた。そのとき漫画はあったんですね。そこにあったのはエッセンスそのものでした。文学をたぐってたぐってようやくたどりつける一滴の至福がそれこそ一作につき水晶の小壜一本分あった。おりしも萩尾望都、山岸涼子....など、高い文学性とみずみずしい叙情性、繊細な心理描写があいまって少女漫画は黄金時代を迎えようとしていた...ありとあらゆるジャンルがあり実験がされました。

   そのなかで繰り返されたのは”此処はわたしの場所ではない”というこ主旋律そして”傷痕””愛””再生”であったように思います。少なくともわたしが惹かれた作品はそうでした。それは存在そのもののイタミなのでした。自分のいるべき場所はどこなのか...ポーの一族のエドガーとアラン、トーマの心臓のユリスモール、スターレッドのスカーレット、日出る処の天子の厩戸、ダリアの帯、....”此処ではない場所”はどこなのか彼らは絶望しそうになりながら渇望します。それは当然作者である三人の問いかけでもあったわけです。

   此処から飛翔する翼となるものは...それはほぼ愛のようなものなのですが、三人三様です。強いていうなら萩尾さんの場合は思念、祈りであり、山岸さんは行為であり、大島さんの場合は天から降ってくる光や海に降りつづける雪のようなもの...でした。三人とも此処では得られないこと、死することでしか”向こう”にはいけないことを知っていて、それでもあきらめはしないのでした。


   此処...わたしたちが生きている現実....壁のようにとりまいている、学校、政治、社会 蟻の這い出るスキマもないほど構築された歴史、実は厳然とある身分差別、絵空ごとの平和と平等....それらのものと自分の内面の感受性や認識とのギャップ...を埋めるもの、埋められなくとも橋になりそうなものをわたしたちは欲していたのかも知れません。

   70年安保の歴史的敗退、そして浅間山荘、よど号事件は日本の若者たちのある方向性を殺してしまった....日本でサブカルチャー、オタク文化が隆盛したのはいきどころのいないエネルギーの持って行き場のように思えます。寛容なひとびと、自分と社会の折り合いをつけられるひとびとはいい、けれども埋めようがないひともいます。不登校とかニートとか、それは社会への不適合とは言い難いとわたしは感じています。

   こんな理不尽な世界に適合しようとしたら自分の中のやはらかい何かを殺さなければならないからです。生きているうちにひとは幾度傷つき自分を殺すことでしょう。殺さないためにはどうしたらいいのか。強い使命感を持つ、あるいは仮の世であると認識する。自分の趣味に没頭する。あくまでも冷徹な意識を持つそれとも酩酊か、盲いになるか、或は隠棲か行動か。

   本、そして少女漫画はわたしにとっていたみをやはらげ、生きる力を奮い起こしてくれるものでした。そして語り、も自らを癒すだけでなく、聴き手を癒すことさえできる、生きる力を呼び起こすことができるものでした。語りに出会い、自分にもその力があることを知ったとき、わたしは自分の手のうちにはじめてひとを癒すことのできるアイテムを見つけたのです。わたしが語るのはほんとうに語ることが好きだから、語ることで自分を癒し、聴き手からいただく波動で力をいただき、聞いてくださる方のなかになにかを呼び起こさせていただけるからです。

   ことばを磨く、ものがたりをつくる。デッサンの力を身につける代わりに声を磨き、そしてなにより自分の内なる声に耳を傾けます。此処はどこだろう、どこが痛むのだろう、わたしはどこに行きたいのだろう。そのためになにをすればいいのだろう。


      


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.......宗佑は自殺しました。美知留の心まで自分のものにできないことを知ったからです。宗佑には幼い頃、母親から捨てられ親類中をたらいまわしにされた過去がありました。彼は美知留とあたたかい家庭をつくることを夢みていましたが、それがかなわないこと、生きていれば執拗に美知留を苦しめてしまうことから、美知留を自由にしてあげるという遺書を残してゆきます。実はその自殺も美知留を縛ろうとする行為....の一面があるのですが....。罪悪感から美知留は姿を消します。

   瑠可は日本選手権で優勝します。性同一性障害について記者に質問されますが、瑠可は自分がモトクロスに挑むのは性差を超え、男と対等に臨めるスポーツであるからだ.....と堂々と答えます。しかしカミングアウトはしませんでした。シェアハウスでともに暮らしていたエリーとオグリンが結婚し去ってゆきます。タケルは瑠可に美知留をさがしに行こうと誘います。

   ふたりは美知留が身を隠しているかも知れない銚子の海岸で夜を明かします。そしてタケルは瑠可に姉とのトラウマによって女性に恐怖を抱いていることを告白するのです。美知留は宗佑の子どもを宿していました。その子とともに生きてゆこうとする美知留にタケルと琉可はシェアハウスで子どもと4人いっしょに暮らそう と呼びかけるのでした。

   
   このドラマで作者は何がいいたかったのでしょう。トラウマの再生産....親から受けたネグレクトが宗佑のDVの原因でした。美知留の母の奔放さ、自分が母親の荷物に過ぎない...という心の傷は美知留の自信のなさ優柔不断さにつながっています。それが美知留を不幸にしているように見えます。タケルも姉から受けたトラウマから女性と性的な関係に入ることができません。こうしてみると瑠可の性同一性障害だけが天からの傷痕なんですね。瑠可は家族から愛されていました。そしてその瑠可の美知留への一途な変わらぬ想いが原動力になって物語を支え、登場人物を変えてゆくようにわたしには思われました。

   美知留の母である千夏や宗佑のありようをとおして性に依存する愛は否定的に描かれています。けれども宗佑の暴行から生まれた子どもを中心に瑠可と美知留とタケルのあたらしい生活ははじまってゆくのです。そしてその生活によってトラウマが癒されていく、負の連鎖が消えてゆくことを暗示してドラマは終わります。家族のありようとしてセックスレス、また血のつながりだけでなく、他人同士が寄り添うスタイルの可能性が語られていました。トラウマと向き合って生きてゆくために乗り越えてゆくために他のひとのあたたかい手と本人の気づきが必要だということが語られていました。

   脚本についてオープニングや伏線の張り方はよかった、マグカップが絆の象徴として使われていたのが印象的でした。ですが最終回は無駄な展開が気になりました。脚本の偶然はすべて必然であるのだから、やたら見る人をひっぱるようなたとえば交通事故とか...は要らないなと思います。もともとは悲劇として終わるタイプのものがたりと思うのですが、希望を残した終わりになった、その分インパクトが失われたのは否めません。途中でもどかしさがあったのですが、なにかノバラの香りのような魅力がありました。

   わかい出演者たちは役になりきっていました。もうひとつ望むなら表情ばかりに頼らないで...それも眉間を寄せる、視線を宙に遊ばせるというワンパターン、簡単だけど、メリハリがつかないですね。かなしみや絶望もさまざまです。裏切られた苦痛と衝撃、自分の心が通じないもどかしさ、ひとの安否の心配....それぞれ表情は違うはずです。もっとからだで表現してほしい....表のセリフに頼りすぎ、その裏の心の動きがどう声に出る、体に出る....。ですが、このドラマはかなり面白かったです。
   

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  今日は“ラストフレンズ”の最終回です。このテレビドラマをご存知ない方のために….

  美知留(長澤まさみ)瑠可(上野樹里)は高校時代同級生だった。美知留は恋人の宗佑(錦戸亮)と暮らしはじめるが、ドメスティックバイオレンスに遭う。暴力をもってしか愛せない宗佑にはなにか過去があるらしい。瑠可は身をもって宗佑の暴力から美知留を救うが、実は性同一性障害で美知留を深く愛していたのだ。

  そのことを知ってしまった瑠可は事実を受け入れることができなくなって逃げ出してしまう。もうひとりこのふたりと深く関る登場人物水島タケルがいる。タケルは瑠可を愛していた。そして瑠可が性同一障害と知っても瑠可を理解し見守ろうとする。一方美知留はタケルを愛しはじめていた。

  美知留は宗佑のマンションに荷物を取りに行く。美知留は再び宗佑の暴力に遭う。そこで美知留が知ったことは?視たものは!?一方瑠可は優勝を期しモトクロス選手権に臨もうとしていた…..さて続きはいかに……..。


   主役は美知留のようですが、回を追うごとに娘たちとわたしは瑠可目線になってゆきました。現在の恋は不倫も身分差も(不治の病も!)障害にはなりませんが、同性への恋というものは、同性の婚姻届が認められたカリフォルニアとは違って日本ではまだ充分禁忌といえるからでしょう。瑠可の震える心に見ているわたしたちも同化してしまうのです。

   瑠可の恋は身もこころもひとつになることを求めたのでしょうか?それを求めたとき 恋の苦しみがはじまります。ひとつになりたい…それは愛する者のあるがままを愛でる….とは別のもの……わがものとしたいという我執を含んでいるからです。……恋の必然は愛の堕落なのでしょうか。

   恋…….運命の糸にひかれるように邂逅し、求め合いあるいは奪い合う恋………そのまえにもっと透明なものに向かってなげかけられたエチュードのようなほのかな想いがあるような気がします。……聲を聴くだけで胸の奥がときめく……..その聲をもっと聴きたい……気配を感じていたい……その視線のさきにあるものに向かってともに歩きたい……せめてみつめつづけたいという想い……。

   女子高校だったせいもあるのでしょう、わたしのエチュードも同性に向けたものでした。ガールスカウトのいつも笑顔で黙々といちばん重い荷を運んでいたリーダー、パーソナルストーリー「ふらんす窓から」で語ったD、「立ってゐる木」で語った夏樹、そして昨夜15年ぶりでであったM…….彼女たちのまっすぐなまなざしや潔さが好きでした。人間としての格といったらおこがましいかな…..ひとに対して媚ることなく、奢ることなく、木のように堂々としているところが好きでした。

   のちのち ひとなみに恋もしましたが、恋人になってしまうと残念ながらあこがれる…..夢みる、渇仰するという、ひとの理想や天上の高きにつながるような想いは失せてしまうのです。身体というものに縛られるからかもしれません。恋するとは肉に埋もれながら天を希求するという二律背反を宿命とします。歴史上には身を滅ぼした恋人たちもいれば、燃え上がる想いと逆境によって浄化された恋人たちもおりました。


   さて、美知留は自分の枠を越えて成長できるのでしょうか。瑠可はしあわせを掴むことができるのでしょうか。タケルはふたりを見守りつづけるのでしょうか。宗佑の闇はなんだったのでしょう.....さぁ家に帰って見ることにしましょう。


   ものがたりの最大のテーマ.....恋。ものがたりを震えるような感受性で理解し、自ら恋するごとく聲と魂をひとつにして伝えられたら……語り手に最もひつようなこことのひとつはみずみずしい恋する心を忘れないことかも知れません。





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   ほの暗い湖底から泡が浮かんでくるように、無意識下から浮かび上がってくる想いがありました。そっと掌で包みこまないとたちまちとけてしまいそうな微かな微かな吐息のような…..。

   どこが痛いのかわからぬほど混乱して手負いの獣のように闇に蹲っていた頃、三ヶ月たてば傷も癒えるだろう、三ヶ月たてば痛みも消えるだろうという希望にしがみついていたことを思い出したのです。そしてもうひとつケビンという指導者から聞いた「ひとを構成する原子のひとつひとつが全力でそのひとの望みをかなえようとするのだ」ということばも……。

   そうか、そういうことだったのかもしれない。三ヵ月後心の底から求めていたことをわたし自身がかなえようとしたのかもしれない。そのうえにハイヤーセルフが見守り、より大きな存在とつながっているにしても……。三ヶ月という時間は...あたらしいステップに行くためにわたしという卵が孵る必要な時間だったのだろう。その考えは奇妙に思えるかも知れないが、胸にしっくり収まってわたしは自分の生命力があたたかく息づいている そのことがうれしかった。

   それだけではありませんでした。4人の子の母であって、そのうえに及ばずながら三人を引き受けようとしながら、わたしは今も奥底で母を求めつづけていた…それに気づいた時驚愕しました。専業主婦があたりまえの時代、母は職業婦人の先駆者のひとりとして仕事と家庭のあいだで戦っていました。やさしい母ではなく君臨する母だったのです。自分が同じように仕事を持つ母親になったとき、その母とも心のなかで和解し折り合いがついたはずでした。しかしわたしの中の子どもはずっとずうっと、励まし、褒め、認めてくれる慈愛に満ちた母を求めつづけていたのでした。そのことに思いが至ったときわたしは 因と果が糸のように織り成してゆくひとの心、ひとのえにしの不思議さ、哀しさに胸を打たれました。不条理そのもののひきちぎられるような苦痛の意味を知りました。母なるものから存在を否定されたらいる場所すらありません。

   わたしに影響を与え、導いてくれた母たちに感謝します。母たちがいたからわたしは励まされ望みに向かって歩いてこられました。懐疑や絶望さえあたらしく生まれるための糧でした。今わたしは新しい母と出会いました。知性と霊性を兼ね備え、身体の豊かさを熟知しているその母からわたしは昨日多くの示唆を得ました。これからもすこし離れた場所で学んでゆきたいと思います。わたしの中の子どもが安心し成長を遂げてゆくのを見守りながら、わたし自身も、育てる慈しむ癒す母性そのものでありたいと思います。

   ユングの元型のひとつ太母は愛情豊かで慈悲深く成長や豊穣を促していく『光』の母性だけでなく神秘と不気味な暗黒を内在し全てを呑み込んでしまう『闇』の母性も併せ持っています。わたしは自分のなかにも闇の部分があること、ときに自分さえ破壊しかねない衝動も持つことを知っていますが、身体という自然の一部と対話をつづけ、自然そのものから力をいただきながら在るがままの望むままの自分に近づいてゆきたいと願っています。

   目に見えないものは存在します、目に見えないわたしたちの心の動き、大地の力 人間の預かり知らぬもろもろのものが交流しエナジーとなって目に見える世界を織り成してゆきます。ですから世界は変え得る、今は暗く感じても未来は明るい、わたしはそう信じます。スピリチュアリティはおどろおどろしいものではなく、理性、悟性の延長線上にあって、目に見える現実界とつながっているのです。声によって音によってつながる...とM先生は言います。...だって音は光なのだもの、声もひかり..とわたしは微笑みます。倍音がひかりであることをわたしは知っています。そして声が光になりうることも....。

   身体という自然、現実界を見ようとしないことは世界の半分に背を向けることになります。霊性を認めようとしないことは世界の半分を知らないことに等しい。ホリスティックなものが求められているのは医療ばかりではないのです。わたしは語り手たちの会に...語りには身体性と霊性が不可欠...というささやかな標を残してこられたこと、(提案したワークショップでまた語りの世界の原稿で)すこしずつ気づくひとが出てきたことにほっとしそのチャンスをいただいたことに深く感謝しています。あぁ ようやく ひとつ終わりました。

   わたしはおそらく倍音の響き、光によって今まで見えなかったことに気づかされたのでしょう。夕べ夫に「もう疲れてしまったの」と告げました。夫は黙っていましたが、営業さんたちを褒め激励叱咤しいくつか仕事をとってきてくれました。銀行の担当者がとてもいい提案を持ってきてくれました。わたしの声が変わりました。肩の力を抜いたからでしょう。事務所に和やかな空気が漂っています。

   状況は変わったわけではないけれど、確実に流れがかわりはじめました。気づきが、受け入れることが照明の色を変えたようにステージを変えてゆきます。わたしの身体はほどけくつろいで、こころはさすらうことをやめ 身体の奥から歌があふれます。地から大気からエナジーが喜びの響きとなって身体に伝わり血管を走りわたしを熱くします。




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......とても会いたい方がいたので、大倉山記念館まで会いに行きました。駅を降り雨に濡れた長い坂道を、喘ぎながら上ってゆくと大倉山の森が地球の鼓動にあわせ呼吸しているようでした。森に守られるように白亜の洋館がありました。レリーフの施された石の階段を上がり重い寄せ木造りのドアのむこう、13の椅子が円形に並べられていました。

  低く静かに語られる声をわたしは目を瞑って聴いていました。その声が心地よく涙がとめどなく溢れてきました...「ようやく...ようやく...」 わたしの身のうちで詠うような喜ぶような声がしました。13人の声が共鳴し倍音となり光となります。時間も自我も解けてゆきます。

  わたしはわたしの苦しみの原因を知りました。仕事のうえで男と伍して男より男らしく生きてゆかねばならない....それはそのようなプロセスがあったから、そのようにしなければ生きてこられなかったから身に引き受けてきたことなのですが、ほんとうのわたしはもうそれを下ろしたかったのです。

  そして語りを否定されたこと、書くことを否定されたこと、尊厳を否定されたことで存在の深いところで傷つき自信を失っていたことを知りました。そのあとひとりずつ即興でうたいました。今日あつまったみなさんの歌とおなじようにわたしの歌は世界でたったひとつのわたしの魂の響きでした。声は身体と霊性をつなぎます。もっと歌って....その声に促されわたしの歌をうたいおえたとき、わたしは自分を取り戻したことを知りました。

  ひとは自分自身の声で自分を癒すことができる....わたしはわたしの声で聴き手を癒し生命のエナジーをあかあかとさせることができる。肩に力を入れることなく、自然体で。電車のなかで気づきました。今日は12日、あの日から三ヶ月経とうとしていました。時間も符号のように同じでした。わたしはまたすこし泣きました。どなたのご配慮でしょう。わたしに必要な試練、手放すための機会、そして復活、心から感謝し歩きだします。




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あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る
...........額田王

うらうらに 照れる 春日に 雲雀あがり 情悲しも 独りしおもへば
...........大伴家持

ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく 花の散るらむ
............紀友則

願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃
............西行

心から 心にものを思はせて 身を苦しむる わが身なりけり
............西行

春風の 花を散らすと 見る夢は さめても 胸のさわぐなりけり
............西行

いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む この寂しさに 君は耐ゆるや
............若山牧水

かがやける ひとすぢの道 遥けくて かうかうと風は 吹きゆきにけり
.............斉藤茂吉

あかあかと 一本の道 とほりたり たまきはる我が 命なりけり
.............斉藤茂吉

朝なれば さやらさやらに 君が帯 むすぶひびきの かなしかりけり.
..............古泉千樫

チューリップの 花咲くような 明るさで あなた 私を 拉致せよ二月
.............俵万智

目の前を 堕ちてゆく葉も 私も むかしは一度 幸せでした
..............岡しのぶ

観覧車 回れよ 回れ 想ひ出は 君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
...............栗木京子


....万葉集から平成までの和歌をならべてみました。よかったら声に出してみてください。額田王の歌 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや....野をかさねてゆく、想いもかさなってゆく...とても心地よい歌ですね。大伴家持 に に ひ り り し しのイ行の韻、ラ行の韻  紀友則 の、の韻。西行の和歌は近代の自我につうじるものがあります。自然への憧憬がありながら自分の意識と溶け合う至福のなかにはいない。若山牧水のむ、ぬ、む、ゆるの韻 意志と叙情、雪崩落ちそうにいながら踏みとどまる...うつくしい歌ですね。斉藤茂吉のカ行の韻 硬質の悲しみを秘めた耀きのある歌...古泉千樫のさやらさやらに むすぶ響きの に後朝の別れ 障子に透ける朝のひかり、畳の翳まで見えるようです。俵万智の14重ねたア行の韻、岡しのぶのマ行オ行の韻、栗木京子の回れ、回れよの反復のリズム、ひとひ、ひとよの対比と韻....


  和歌も詩もかつて声にして読むことを前提に詠われました。ですから韻や繰り返しによる心地よいリズムがあったのです。文字面だけでつくる観念的な短歌や詩とはちがう、生き生きとした発動があります。声に出す語りもそうあるべきなのですが翻訳した文章はよほどの訳者でないとそこまで考えられてはいません。谷川俊太郎さんの書くものはさすが詩人です、いつも韻を踏んでいますが、文学が必すべてそうであるとは限りません。


  わたしは永実子さんに指摘されるまで自分の語りのテキストが韻を踏んでいるとは思ってもみませんでした。書いたもののなかから少し抜粋してみましょう。



夏樹とはじめて逢ったのは8月だったかもしれない。「11月のギムナジウム」の声優のオーディションであったかもしれない。
「立ってゐる木」より

母はこぼれ落ちた花びらをひとひら、ひとひらひろいあつめて針にさし糸にとおして、くびかざりをつくってくれた。
「母 雪 櫻」より

それからわたしは授業時間も休み時間も耳を澄ましてただひとつの聲を追った。その聲を聞くと灼けつくような痛みに似た、渇きに似たなにかが癒される気がした。
「フランス窓から」より

魔女は目をパチパチしました。惚れ薬がきいてきて 胸が苦しくなったのです。
「......知ってるよ」魔女はささやくようにいいました。
「おまえのおかあさんは芸人だった。きれいな声で歌っていたよ」
「おまえがおなかにいるとき行き倒れて道端で死んだのさ」
「おかあさんは…ぼくの名を呼びましたか」
「...呼んだともさ…可愛い子 わたしの大事な子って抱きしめてほおずりしていたよ」
魔女はもっとちいさな声でいいました。ほんとうは聞いてなんかいなかったのですが カリャックのことが好きで好きでたまらなくなっていたので カリャックが喜ぶことを言ってやりたかったのです。
「…可愛い子…、大事な子」カリャックはそのことばを胸のなかで味わうようにつぶやきました。
それは牡鹿亭のだんながたったいちどだけくれた さくらんぼのパイより甘いことばでした。

「マルメロの森の魔女」...ぶりさんのアイデアから生まれたものがたり

ピーターはほのかに温かいどんぐりを灰色の地面に埋めた。
するとほどなく透明な緑色の芽がぽっちりと出てきた。
ピーターはうれしくなって、もっと大きくもっと大きくと祈った。
ところが緑の芽は灰色に枯れ始めた。
無理もない、水がないのだもの。
「ピーター・マクニールの世界」から

....一年前、市場で道にまよって北の色街にさまよいこんだとき、ティンガは暗い路地で小屋から急にいなくなった年上の友達ファルーダとであったのだ。ファルーダは濃い化粧をしベールをかむって目つきの鋭い男に手をひかれていた。ファルーダはティンガを見るなり、首を振って向こうへ行けというそぶりをした。ティンガは見てはならないものを見たような気がして一目散に逃げた。今でもそのときのことを思い出すと胸のなかがもやもやした黒い煙でいっぱいになる。大きくなるということはティンガにとって、暗い恐怖の闇に近づくことだった。
「ティンガの青い石」から


「立ってゐる木」ナ ハ ワ ハ カ ナ ア行の韻

「母 雪 櫻」ハハ ハナ ヒトヒラ ヒトヒラ ハ行の韻
 
「フランス窓から」時間 聲 の繰り返し、痛みに似た 渇きに似たの並列の繰り返し

マルメロとピーターは語りを前提として書いたものですが、聴き手の前で語ったことはありません。あ、ピーターは紙芝居のようににしてカタリカタリで語ったことがありますね。ティンガは語るために書いたのではなく楽しみのために書いたのですが、萌芽はあります。第二の手紙まで執筆、すっかり忘れていました。つづきが書きたいです。ところが、王子の名を忘れてしまいました....


  さて、韻や繰り返しを意識して語るとそこにリズムが生まれます。ことばを選択するとき、同じような意味のことばのなかからうつくしい音感や響きのあるものを選ぶことは語りやすく聞きやすくすると同時に語りをうつくしくします。

....語りは右脳と左脳の緻密な連携によるものです。右脳は直感、イメージ、インスピレーションを司り左脳は文字や論理的思考を司りします。女性は男性にくらべて右脳と左脳をつなぐ脳幹が発達している、ですから語りに向くのではないでしょうか。昔話にこだわらず無尽蔵の源泉からどうぞあたらしい物語をくみ出してください。創造してください。




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   空が青い。自転車で近くの高校にむかう青年の群れ、ワイシャツが風をはらんで白い。みんながんばれ...なにがあっても自分を矯めたり撓めたりしないでまっすぐ、まっすぐ ...空にむかって深呼吸をした...元気がでてきた。

   ワークショップは旅のようなものである。いいワークショップは日常のアクを落とし心身ともにリフレッシュさせてくれる...つまり書くことがたくさんできるのだ。わたしはいいワークショップに恵まれている..それとも誰かが用意してくださっているのかな...。この夏も...夏はワークショップの季節だ....四つ目星をつけたのがあって、身体もお金もついていかないのでせめて三つにしぼろうと悩んでいる。

   受ける立場にいたのが、今回主宰してみて興味は倍になった。人数は採算も考え当初10人に設定したが、勘にしたがい8人で打ち切った。それは正解だったようだ。ひとりひとりの顔が個性がくっきり見える。はじめての方よりすでになにかしらかの活動をなさっている方が多かったのはもくろみとは違ったし、プログラムを組むうえでどうかな...と心配したのも杞憂だった。メンバーの内的ボルテージが高く、いい意味で化学変化を起こしそうである。

   さてメンバーがワークショップに求めるものはそれぞれ違うが、ひとつ共通するテーマがあった。発声である。それぞれが自分の声に100%満足しているわけではないようだ。わたしはヴォイスのプロではないが、今回のメンバーについては地声とファルセットはほぼ半々のわりあいのようだ。女性はファルセットのほうが多いのだが、声を使っているひとが多いからであろうか。

   高めの声のほうが子どもにうけるので...というひとがいたが、まさにそうである。....子どものまえに出ると思わずなんオクターブが上がりませんか。わたしの場合幼稚園とデイケアでは声の高さが、意識しているわけではないのだが変わるようである。女性を観察していておもしろいのは男性が輪に入ったとたん、声が高くなるひとがいることだ。声もフェロモンのようなものなのだろう。....芝居のサークルで若い純な青年たちといっしょになった時、わたしの声も艶めいているのだろうか。

   うちの犬たちは高い声や笑い声に反応し、ときに発情する。赤子の産声は人種を問わずラの音...440ヘルツ周辺にあるそうだが、そのあたりも鍵なのかも知れない。生命のみなもとの音というひともいる。

   わたしは多くのヴォイストレーナーとであった。ヴォイストレーナーは研究熱心な方が多くそれぞれが固有のメソッドを持っている。身体の構造からいく方、腹式一辺倒の方、丹田呼吸派、、、、最近はスピリチュアル系のヴォイストレーナーも増えてきた。それぞれのかたからさまざまなヒントをいただいてきたのだが、不思議でならないのは語る声をずっと聴いていたい..と思うようなヴォイストレーナーには出会わなかったことである。教えることと実際に語ったり演じたりすることは違うのだろう。教えるときの声は威圧的になり勝ちだからかもしれない。

   歌手の声を鍛えるのとステージの役者の声と語り手の声というのは共通項はあるものの違いがあると思っている。本質的な声...という意味では同じであるが。....文句なしに好きなのは佐分利信、山村聡の声...いい役者だったが声質が亡くなった父の声と似ているせいもあるのだろう。深いところから出るやはらかい豊かな 余分な力の入っていない たくさんのいろあいの細い糸が束ねられたような声。それなのに芯のある声。生きている人なら宇野重吉さんの息子さんの語りの声は好きである。

   
   メンバーには人を教える立場や人の上に立つ立場の方もいた。その方々の心配は上からのものいいが語る声に出るのではということだった。...ひとを従わせようとする威圧的な響かせ方はなれればいとたやすくできる。相手によっては実に大きく作用する。わたしもビジネス上でここぞというときに使うし、脅かすことさえある....その声の調子はものがたりのなかでステーサスの高いドルイド僧とか王とかの声に効果を発揮するが地の語りではニュートラルなほうが当然受け入れやすいだろう。

   生き方とかくせは当然発声にでるので、自分の声はどうなのか、ことばを替えるなら自分のステータス(社会的に自分が思っているあるいは内的な)が高いか低いか気づくことはたいせつである。気づきと意識、学ぶことはそこからはじまるのだ。

   風雪に晒されたようなまた豊穣な声を出せるようになったらそれだけでもう語り手としてはいいのだと思う。....ワークショップに行けばヒントはいただける。器質的なこと、くせをとる、響く身体にする、地声を鍛えるなどでたしかに声は変わる。さりながら本質的な声・ヴォイス・息づかい...息は生き...からきているのだそうだ...というものはどのように生きているかがにじみ出るものであって、魂の深さ、感情の豊かさ、経験、精神性....からだの健康....現在の生命力が声となるのである。...だからどう生きるかが究極のボイストレーニングであると思う。

   逆にいうなら語りでもなんでも必死こいて学ぼうとすること、自分に耳を傾け気づき、くせを知り意識することは人生の質を高める。よりよく生きるトレーニングにもなり得るのである。押し付けることなく、触れ合って気づきあってゆきたい....梅雨の合間の青い空を見上げながら.....思ったこと。




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