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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    ものがたりを奏でる楽器となるための響く身体、そして風にふるえる草の葉の露の落ちる音や大地の鼓動を感じ取れるような感覚、見えないモノへの直観を取り戻すためのデトックス。

    それは身体の節々 内臓に溜まった脂肪やオリ 心にたまった不要なものを振り棄てることでもあります。

    肝腎要(かんじんかなめ)といいますが、肝臓、腎臓は浄化の臓器、毒物不要物を分解する役目があり、要とは関節のことだと言います。肝臓や腎臓とおなじくらい関節はたいせつです。人間にいくつ関節があると思いますか? ジャジャーーん 265個だそうです。もっとも足の指の関節は退化して少ないひともいるので、ひとによって違うらしいですよ。

    関節は連動しています。わたしは膝がわるいのですが 足の指の関節で膝がわるいかどうかわかるみたいですね。指がまるまっているひとは膝がわるい。だから膝ばかり直そうとしてもだめなんですね。足の指 足首 股関節 足にかかわる関節は144個ですが そのひとつひとつをほぐす必要があります。

    自力整体をはじめて もうすぐ2年になりますが たとえちいさな歩みでもつづけることは意味があります。語り始めた2000年秋の発表会 コア石響での 「9つの物語」で雪女を語ったとき、わたしは15分立っていることができず、テーブルかなにかに寄りかかるように語りました。

    そのとき いただいたアンケートには 日本の冬景色が髣髴としてきたというようなお褒めのことばとともに 語り手が寄りかかってだるそうに立っていたという指摘があったことを思い出します。姿勢もわるかったのだと思います。当時を知る人とお会いするとまるで別人といわれます。このわたしが変わったのですから、やってやれないことはありません。身体のどこかが不調の方はいまのうちですよ。よく動けるからだを取り戻してください。

    関節が滞るとリンパの流れも滞ります。すると排毒がしにくくなるので、自力整体でなくとも ヨガとかピラティスとか太極拳とか 継続してなにかなさることをお奨めいたします。

    さて、人間の身体から出るものはさまざまです。大便 おしっこ 汗 鼻水 咳 痰 目やに 耳くそ あと熱 涙......これはみな排毒なんですね。え?痰とか目やにならわかるけどなんで熱や涙が? とお思いでしょう?

    なぜ 病気になると熱が出るのでしょう? 免疫には酵素が深くかかわっています。酵素が活性化する温度は、37度から40度ぐらいまでの間。病気になると熱が出るのは、酵素を活性化させて免疫力の強化を図るからです。ですから、熱があるからといって、すぐに解熱剤を飲むのは、せっかく高めた免疫力を低下させることになるのでよくありません。ゆっくりからだをやすめてあげましょう。

    体温が高いときはからだに溜まった重金属イオンも溶かして排出するようです。.......ということはそういう状態をつくってあげればよいということですね。岩盤浴や体内温度をあげて汗を出すスポーツはとても有効ですね。わたしの友人の話ですが、お嬢さんがバスケット部に入って、しばらくのあいだ ぐっしょり汗で濡れたトレーニングシャツから、子どもの頃 飲ませたクスリの臭いがしたそうです。........ようやく汗になって排泄されたのですね。

    低体温にはおおきな問題があります。①免疫が下がる(体温が0.5度下がると、酵素の不活性により、免疫力が35%低下)。さらに 最近の研究では、低体温症の人のほうが、遺伝子の誤作動が多く、ガンになりやすいという報告もなされています。しかも、ガン細胞の活動は、体温が35度台のときにもっとも活発になることがわかっています。

    それでは涙について.....イライラしたり怒ったり感情的になった時に涙が出てくるのは、血液中にストレスホルモンが充満してしまっているからといわれます。この涙を流すことによって、血液中のストレスホルモンが体外へ排泄されるため、泣いたあとスッキリするのです。副交感神経が作用していると考えられており、心のデトックスだといわれています。
    
    感動によって流される涙はどうでしょう? だいぶ前カタルシスについてお話しましたね。アリストテレスは悲劇を観ることで感情移入が行われ日常生活の中で抑圧されていた感情が解放されると言いました。カタルシスということばそのものが排泄・浄化を意味しています。

    そして わたしたち語り手の役割のひとつが 聴き手を泣かせ笑わせ カタルシスを味わってもらうことなのですね。


     さてまとめてみましょう。

①便秘解消 

②リンパの流れをつくろう

③身体を冷やさない とくに首 手首 足首 関節を暖めること

④汗を流そう

⑤感動の涙を流そう 流させよう


     次回はいよいよ 実践編です。










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    ThisIsItを観たひとは、マイケルの輝かしい歌と踊りだけでなく、音楽への真摯な態度、スタッフへのやさしさ、彼の人間性そのものに打たれたのだと想います。

”youtubeでひろった映画の感想です”

マイケルが女性ギタリストに対して「一緒に居るよ」と言った言葉 。何気ない一言だけど僕はあのシーンを見た時凄く温かい気持ちになり最後は泣いてました。

見に行って本当に良かった、これからの人生の残り時間に大きな影響を与えてくれる人です。

映画を見てきました。軽い気持ちだったんですが、すごいすべてに一生懸命にこなしているマイケルに感動しました。途中でものすごく涙が出そうになったんですが
必死にこらえてました。素直に泣いてれば良かったなぁ・・・もう二度と彼に会うことが出来ないと思うと今もとても寂しいです。


    わたしはマイケルのことをきらいではなかったし、あの冤罪裁判で勝つことを望んでいたけれど 心のすみでもしかしたら.....とつい思っていました。今はそれがとても恥ずかしい。マスコミのことばなど信用してはいけなかったのに。

    クイーンのフレディ・マーキュリーって知っていますか? スリラー発表前のマイケル・ジャクソンと友人だったのですね。この曲はフレディがマイケル・ジャクソンのために書いたと言われています。歌詞を読むとフレディがマイケルのことをどんなに理解していたかわかるし、ふたりの人生とかさなりあって切なくなります。フレディはゲイでした。恋人にHIVを移してしまって自分もカリニ肺炎で45歳の若さで亡くなりました。

.......マイケルとフレディは結局けんか別れしたらしいのですが、原因はフレディのコカインと言われています。マイケルはドラッグがきらいだったのです。(ですからマイケルがドラッグ依存で死ぬなんてありえないでしょう?)そんなわけでマイケルが公式にフレディのつくったこの歌を歌うことはなかったのです。


生命の証

人生にはもっと意味があるはずだ
人生にはもっと意味があるはずだ
愛なき世界でどうやって生きていけばいい?
傷ついた心を癒し
涙している人々に心を配るだけでいいのか?

人生にはただ生きること以上に意味があるはず
目に触れるだけでなくもっと意味があるはず
黒か白かという単純な問題ではなく
この人生にはもっと意味があるはずだ

この世界はなぜこんなにも憎しみでいっぱいなのか
あちこちで大勢の人々が死んでいく
人間は自分たちで創り上げてきたものを破壊し
一方で人間の権利を主張している
僕らはただこう言いつづける”セ・ラ・ヴィ”(これが人生さ)
そうこれが人生さ

人生には殺し合うことよりもっと意味があるはず
人間が存在していくためにもっといい方法があるはず
死ぬだけの人生なら一体何の意味がある?
この人生にはもっと大切なものがあるはずだ

人生にはもっと意味があるはずだ
人生にはもっと意味があるはずだ
愛にあふれた世界を夢見僕は生きている
僕らがみんな平和に生きることができる世界
人生にはもっともっと意味があるはずだ
今よりも もっと大切な意味が……



マイケルが歌っているこの曲がyoutubeにアップされています。ピアノはフレディ? →コチラ

    


ふたりのデュエットは⇒コチラ

あまりあってないように思うのですが...なんとも泣ける.....




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   ユニクロという会社があります。安くて良質で一時わたしも買っていたのですが、このごろ買わなくなりました。......Tシャツとかセーターとか愛着がわかないことに気がついたからです。そうすると粗末に扱ってしまう。だから枚数ではなく、愛着を持てるものを選んで買って着ることにしました。

   着るものにも食べるものにもエネルギーがこもっています。波動がたかい....というひともいますね。原料...布や小麦粉や野菜をつくるひとの想い.....安全なおいしいものを食べさせたい....この布をまとうひとに「しあわせになってもらいたい」....という気持ち。またつくるひとの「美味しいものを食べさせたい喜ばせたい」という想念が着るものや食べるものにこもるのです。

   それは食品分析学的な栄養ではなく 魂のレベルの栄養になる。お百姓さんが心をこめてつくった野菜 おばあちゃんが家庭菜園で作った野菜を おかあさんが夫や子どものために心をこめて料理する。 いただくほうもたべもののいのち つくってくださった方の心に感謝していただく.......それがほんとうの栄養です。

   着るものにしても愛着のある衣類は安心感をくれますね。守られている気がします。できれば化学繊維でない 麻、木綿など。幼いころ 母がミシンで縫ってくれたワンピースや下着、あれは最高のぜいたくだったんですね。母の愛に包まれていたのですから。


   情報と物の過剰な世界にわたしたちは生きていて、窒息しそうになっています。からだのデトックス、心のデトックスとそうじは深い関係があるようです。身のまわりをみまわして余分なものを処分しましょう。そして少量のエネルギーの高いものと暮らしましょう。そうじをするのも月が欠けて行く時期がいいそうです。12月3日から お部屋と身体の大掃除をはじめましょう。





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    明治維新で日本人は多くの物を得たけれど、多くのモノを喪いました。自然との共存、祖霊を敬う心、もとからの神道、そして太陰暦......正確には太陰太陽暦。

    こうやって振り返ってみますと 英米が東洋の未開の土着民族をいかに調教し、自らの傘下に加え、都合のいい奴隷に仕立てていったか見えてくるように思います。ネイティブアメリカンのように殺されないだけしあわせだったのか.....

     


    ご存知のように太陰暦とは、月の満ち欠けのリズムを元にした暦です。月の満ち欠けは潮のリズムを生みます。ひとは多く満ち潮引き潮の時間に生まれ引き潮の時間に息をひきとる。つまり月のリズムは人間の生死に深い関係があるのです。水は月の引力の影響を強く受けます。潮の干満は月の引力によるものですが、にんげんの身体も60%から80% 水でできているため月の影響を受けるのでしょう。

   潮の干満は、1分間に9回だそうです。この倍数の数字は、人間が生きていく上で大切な数字となっています。2倍の"18"は「1分間の呼吸の回数」です。その倍の"36"は「体温」、次の倍数"72"は「脈拍」と「最低血圧」です。そして、"144"は「最高血圧」なのです。女性の生理も 月のリズムを刻んでいますね。

    そうしたことからデトックスも月のリズムを用いるとうまくいくといわれています。「満月や新月のときには引力が強くなるため、心身の緊張が高まり、半月のときは弛緩する」「満月や新月のときはエナジーが高まる」と言われます。

    満月から新月にかけての欠けて行く月は、”排泄力””解毒力”が増し、はんたいに新月から満月にかけての満ちてゆく月では、吸収力が増すと言われています。さぁ これで ”いつ”デトックスをすればよいかわかりましたね。

    それでは次の満月は?  12月2日です。つぎの新月は? 12月16日......それまでにどうやってデトックスをすればいいか考えてみましょう。

月のなまえは→コチラ

参考

月のリズムでダイエット  岡部賢二

月の魔力 アーノルド・L・パーマー


民主党の『事業仕分け』で原発が満額認められたとか......民主党 原発推進
社民党 反対。 社民党はどうおりあいをつけてるのかな!?

鳩山さんの地元 室蘭が世界の原発の80%を支えているは→コチラ




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     きのう 熱を押して映画館のラストショウに行きました。インフルエンザではないようですので、ご心配なく。娘が「映画に行ってもお金はマイケルの子どもたちに入らないからやめたほうがいい」よ.....と忠告してくれたのですが、どうしても、もう一度会いたくて。驚いたことにホールは長蛇の列.......でした。わたしは観ることができましたが おともだちのすみれちゃんは満員では入れなかったとか......全国的に 多くの方々がマイケルとお別れしたのでしょうね。
  
        This Is It のマイケル・ジャクソン

  マイケルとオルテガ


     これで3回目ですが、観るたびに印象が違うのです。3月から6月にかけて4.5回?の練習・リハの映像からこの映画はつくられたようですが、終わりのほうほど マイケルが華奢になってゆく.....透明になってゆく気がしました。マイケルの声に諦念を感じたように思います。それと静かな意志も。」

     終演後 観客は黙って静かに立ち去りました。そのなかで「ずいぶん 鍛えていたんだろうね....筋肉ムキムキの若いダンサーより華奢なマイケルに惹き付けられてしまう....華があるね」........こんな声が聴こえました。


     その夜 熱に浮かされてわたしは一晩中 夢を見ていました。ずっとマイケルの映像を追っていたのです。テーマは3つあったのですが ひとつしか覚えていません。........それは”なにひとつ 余分なモノはなく 足りないモノもない”というメッセージのようなものでした。

     マイケルはユダヤ資本を快く思っていなかったそうです。マイケルは子どもがとても好きでした。それで.....『アメリカの飢餓、オバマを信じてはいけない』を書きました。よかったら 読んでください。




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    25日 あわててUPしたので不十分でした。お詫びして修正します。


    デトックスの一歩はできるだけ身体に余分なものを入れないことではないでしょうか。浄化をはかりながら汚してはもったいないし、時間がかかりますものね。それは家族の健康を守るためにも必要です。そして添加物や農薬は単独で基準以下であるにしても いくつかが重なることで趨劇性?というか毒性が飛躍的に上がることがあるらしいのです。

 ①農薬、添加物の入った食べ物はできるだけ減らす。加工食品には必ずなんらかの添加物が含まれています。......というのもほとんどの食品は工場でつくられ、長持ちと見栄えそれに低原価が要求されるからです。食品のパッケージのうらには法定で表示しなければならない添加物が表示されていますが、表示義務のないものもあることをあたまに入れておいてください。生産量からすると日本人は毎日11g 、年間4kgの添加物を食べているそうです。

  とくに危険なのがタール系色素です。これは発ガン性があるし 肉体細胞だけでなく霊細胞も損傷させるようです。それから先日おはなししたアスパルテームとその類似品......

  そして防腐剤・防カビ剤関係 防腐剤のためか人間の身体は腐らなくなったそうです。......しかし、生き物は本来腐る→分解して土に還るのです。防腐剤を身体に入れることは身体にいいはずがありません。カビも生き物ですからカビに悪いものが人間にいいはずがありません。

  乳化剤 は水と油を分離させないために使うのですが、細胞壁を浸透させるので.....発ガンとかかわります。

不安な食品添加物の一覧は→コチラ

食品添加物については→コチラ

 ②添加物だけでなく 原料の問題もあります。 日本では遺伝子組み換え作物は5%までOKという超甘い規制ですが、これはアメリカの顔色をうかがうためで 国民の健康を考えたものではありません。ヨーロッパでは100%禁止です。味噌 醤油 油など国産のものがほんとうは望ましいのです。遺伝子組み換え作物の種子をつくっているモンデール社は農薬メーカーです。遺伝子組み換え作物のなかには農薬を自ら放出するお化けみたいなのもあります。スゴイですね。モンサント社はたくさんの会社を傘下にしてドール社(ジュース・缶詰)など。日本の農地を漁っています。ちなみに中国も日本の林野を漁っています。

   鳩山首相は「日本列島は日本人だけのものではない」という迷言を吐きましたが、まさにそうなっているようです。友愛は深く.......けれど日本列島は日本人以外のだれのものなのでしょう? 民主党の事実上の党首 小沢さんの母君のお墓は大陸にあるとか......おっと おしゃべりが過ぎました。

  植物油にはエコナはいうに及ばずトランス型脂肪の問題があります。ショートニングやマーガリンだけでなく、油を絞るときにつかう化学薬品を人間の身体は処理できないのです。サラダという植物はありません。できるだけ 自然に近い 菜種油、ごま油やえごまや亜麻に油、オリーブオイルのエキストラバージンとかが望ましい。いい油は身体にたまらないようですよ。

 ③電子レンジ 電磁調理器は使わない。これもせんだってお話しましたが、電子レンジにかけることで食べものに毒性が生じてしまいます。

 ④怒らない.....怒りは体内に有毒物質を生みます。このことについての実験がどこかにあったので、あとで載せておきます。

 ⑤肉食はできるだけ避ける。 愛されることなく飼育され動物たちは機械的に処理=殺されます。豚は肛門に電気棒を入れられ、頭を落とされます。牛は一頭ずつ箱のようなものに入れられ.....そのように殺された動物を食べるのは身体にいい影響を与えません。

    さて 身体をとりまく環境はたいへんです。空気 水 大地 あらゆるものが汚染されつつあるからです。そのなかでわたしたち自身が生活を切り替えて少しでも環境と身体の毒加をふせぐ、一番手近な方法は消費者として賢い選択をすること.....です。売れなければ作りませんからね。そして最終的には食べ物をひとまかせにしないで できるだけ自分でつくることがたいせつです。

    それではまとめましょう。  

 
 A 冷凍食品はヤバイ だいたい50%オフで売るなんてあり得ない。
   電子レンジは遠ざけよう
 B コンビニで売ってる食品のウラの表示をよく見よう。
 C 加工食品....にはナニカが入ってます
 D ファミレスは冷凍が多い。
 E ファーストフードは吟味しよう。
   .......マックのポテトが二ヶ月たっても腐らないのはトランス脂肪のためらしい。
 F パンは手づくりか 信頼できるパン屋で
   パンの原料の小麦粉はどこからくるのかな....
   カビの生えないパンもあります
   だいたい100種の添加物が入っています
 G 輸入野菜はオススメしない できるだけ低農薬の国産を
 H 動物の肉はどうでしょう.......身体に与える影響とは別にして日々お肉を食して語れないおはなしはでてこない? やさしい動物たちのお話を語れるでしょうか。


.....家庭菜園が流行っていますが、とてもいいことなんですね。自分でつくった野菜 そして日本の伝統食......(味噌しょうゆなどの発酵食品、漬物の乳酸菌 穀類.....できたら100%精白米でないもの).....は世界的にも優れた健康食といわれています。




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    海に行くには遅かったので山をとりあえずめざしました。最初に腹ごしらえにCafe・Couwaに行きました。店の前で.....なにか違うかな.....と三人顔を見合わせたのですが おなかがすいていたので入りました。

    店内は昭和を模したレトロな雰囲気....テーブルは古いミシンだったり 椅子もコップもマチマチ.....椅子はたいそうすわり心地がよかったです。アボガド・サーモン丼はサラダほうれんそうと水菜の山のなかにサーモンが隠れていました。付け合せは再考を要します。コーヒーはおいしかったです。キッシュはクリーミーで素晴らしかった。

    そこここにアンティークなケースに入った本がどうぞお読みください...という感じでおかれているのですが、車輪の下、誰がために鐘はなる、井伏鱒二の黒い雨......ランチにきたひとが読む本とは思えず、無頓着なのか本自体が装飾の一部なのか....よくわかりません。今風でおしゃれですが統一感に欠けるというか、なにか根本的なものが欠けているような気がしました.......そうだ セットみたいなうそっぽさといったらいいかしら.....店内は若い人たちのおしゃべりでにぎやかでした。若いひとたち向きかもしれません。

    気をとりなおしてコンビニにまわり 東松山に向かいます。途中鷲神社というちいさなお社にご参拝しました。ここもみたらいの水は涸れ、御奉納箱もありません。瓦もはずれかけていて神さまに申し訳なく思いました。

    市野川にさしかかったとき、景色に惹かれ土手を走りました。次第に道は細くなります。左は川 右手は水田 転落したらアウト!! 前に進むしかありません。ところが無情にも「この先 工事中につき 通り抜けできません」の立て札。....看板 もうすこし前に出してね..お願いだから。おー! 高速より怖いバック走行で戻るしかない。夕暮れの灰色の空が茫漠とひろがり.......子どもみたいに怖かった......内心は。

    バックミラーを注視しつつジリジリと30分後退.....細い分岐点をみつけ 下り坂をバックして方向転換しようとしたら、車体が乗り上げてしまった。あぁ どうすればいいの!? 転がり落ちそう 万事休す 車を降りて助けをもとめると 農家のおじいさん 釣りにきたおにいさんが助けてくれた!! ありがたし、ありがたし。やれやれとすっかり暗くなった33号線を走ると 妙な音がする 異様な臭い 車から白煙があがってる。

    JAFにTELするまえに懇意の自動車やさんにTELで聞いてみたら 「エンジンブレーキは?」 .....かけっぱなしで走ってた。....猪突猛進.....前に進むしかできないんだな.....とイタク反省しました。でも 心をあらわれるようなことやあっと驚くようなスポットにたどりつくこともよくあることで 行き当たりばったり 前に進むだけのこのスタイルは変えられそうもありません。

    このとき駐車場に止めさせていただいた 北本市のケーキショップ ナナ」さんのケーキはとてもおいしかったです。プリンお勧めです。アップテンポでこの先行き止まりだよ...と教えてくれたおじいさん 脱出するまで見守ってくれてありがとう。いやな顔ひとつせず 代わりにハンドルをにぎってくれたおにいさん ありがとう。








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    「海はすてるところ、山はもらうところ」......幼稚園の副園長さんがきのう帰り際におっしゃったことばですが、たしかにそうだと思わせるなにかがあります。ときどき海に行きたくてたまらなくなる......潮風に吹かれ 寄せる波の鼓動に身をまかせていると 溜まったもの もう要らなくなったものがあらい流されてゆくような気がする.......山の気....遠い水の音、鳥の声、木々のそよぎのなかに身をおくと、澄んだ凛としたものが滲みとおってくる.....でも もっと身近なところにもその場所はある......それはひとの”声”

     夕べ 仕事帰りに 10時からのレイトショウに行き This Is It をふたたび 観ました。マイケルの歌う声は身体の真っ芯をつらぬく光のように思えました。わたしはマイケルの語る声がすきです。声には魂がのりますが、深いやさしい滲みとおる声 孤独とさみしさを湛え、かすかな希望を感じさせる声.....その声はわたしにわたしの知っているもうひとつの声を思い出させました。

    10月2日にこのブログでマイケルのことを書いたとき、世界を癒そうとすることは自分を癒すことにもなる....としるした記憶があります。けれども 今 わたしは思います。まず 自分を癒そうとすること、そこからはじまるのではないかと....自分を癒すことは自分につながるひとびとを癒すこと.......世界を癒してゆくこと.......わたしたちは世界そのもの........

    気がつけば 癒しの波はひろがっていき めぐりのひとを癒そうとすること、勇気をとりもどす手助けをすることで より深くよりあかるくたしかに 自分もまた救われている......

    それしか もう世界を救う道はないのじゃないかと思います。いつ撮ったものでしょうか?もしかしたら亡くなる二日前のミーティングでしょうか? マイケルはスタッフのまえでまるで予感のようにちいさなスピーチをします。 .......みんなよくやっているよ(大幅に略).....世界のひとびとに愛をとりもどさせよう......4年で世界を変えるんだ........

    マイケル・ジャクソンはもしかしたら 2012年のことをあたまに入れて言っているのだろうか......2009 2010 2011 2012.........あと4年で今までの世界はなくなってしまう、地球規模の変動が起きる わたしたち人類は内的なおおきな変化を迫られる.....と信じているひとたちがいます。アセンションといわれています。

    いずれにしても 地球は早晩このやんちゃで好き勝手な子どもである人類の所業に耐えられなくなるでしょう。いままでなんとかして このどうしようもない子どものしたことにつじつまをつけようとしてきた母なる地球にも、限界があるのです。わたしたちは地球を喰らいつくしてしまうでしょう。そのうえに寒冷期がやってくる......地球は温暖化して....いないのです。

    世界中に建設されている巨大な電磁装置.....はなんのためにつくられている? 気象操作には間違いなくかかわっていますが、寒冷化にそなえ 地球をあたためとうとしているのでは? という考えのひともいます。世界中の電磁装置についてはふるいちまゆみさんの”つながっている心”をごらんください。リンク先に写真も掲載されています

     ウクライナでは”あたらしい”新型インフルエンザが発生 致死性の高いこの”新・新型”ではすでに300人の方が亡くなりました。解剖所見では肺が真っ黒になっているそうです。これからますますあたらしい”新型”は増え続けるでしょう。ワクチンをなんとか手に入れ打ちつづけて罹患を防ごうとするひとたちもいることでしょう。

     けれども ほんとうに 求められているものはそういうものではないように思います。チェンジすること、あなたが、わたしが、ひとりひとりが、.........2012年なにが起ころうと起こるまいと、これからの年月 チェンジがとてもたいせつなことになる、そしてそれしか道はなく それが大きな喜びと感謝のきもちにつながることをわたしたちは気づくに違いありません。  

マイケル・ジャクソン作詞  ライオネル・リッチー作曲

ダイアナ・ロス ディオンヌ・ワーウィック ポール・サイモン ボブ・ディラン レイ・チャ-ルズ スティヴィー・ワンダー ライオネル・リッチー ケニー ロジャース ジェームス・イングラム ティナ・ターナー ビリー・ジョエル ウィリー・ネルソン スティーブ・ベリー シンディ・ローバー ブルース・スプリングスティーン ......そしてマイケル・ジャクソンの声!....

</param>We Are The World   
 


 

 

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.......なぜかわからないが映画を観なくては....という気持ちに急かされて、さてなにを見ようと思ったらマイケルの”This Is It ”をやっていた。娘とふたり、二年ぶりのシネマ複合館、ブース9 ちょうど5分前だった。ひとはそう多くはなかった。


     

   
イギリス公演のためのオーディションに世界中から集まった1000もの若者たち.......「マイケルのそばで踊りたい、それが夢なんだ。」「マイケルがいたから踊っている」「生きてゆくのはつらい.....だから踊るんだ。マイケルのために。」最初から泣いていた。

   マイケルは妥協しない。演出のオルテガに任せきりにしない。納得のいくまでテイクをかさねる。「キューは僕がだす」マイケルは幾度もいう。ダメ出しのときマイケルはいう。「怒ってるんじゃないんだよ。愛のためだ。神の祝福があなたにあるように」

   「ホラ 君が最高に輝くときだ! 君が出せる最高に高い音を出すんだ!!」MJはソロパーツのギタリストにいう。

   「余韻 余韻がたいせつなんだ」 マイケルは辛抱強くなんどもいう。余韻って 日本語なら”間”といってもいいだろう。映像とダンス、演奏、そして歌。歌はそのひとつひとつがストーリーになっている。

   わたしは思い出す。マイケルが言ったこと。「ストーリーテリングは最高のエンターティンメントだ。」

   みんながいう。「マイケルがくるとワクワクする」マイケルは50近いのにかるがる踊る。空気のようにひそやかでふわりと 洗練された動き。

   「メッセージを伝えよう アマゾンで毎秒 フットボール場ひとつ分の森が刈り取られている。破壊を今、とめよう。 世界はひとつだ..... みんなで変えよう.....」ぼくたちはファミリーだ......マイケルは言う。「ここはロックンロールの教会だ」....オルテガは言う。

   もうひとつのメッセージを伝えようとしてMJ は殺された。MJが死んだことで より多くのひとは映画館に行って この映画を観るのだろう。これでよかったのかもしれない。でも 悲しくてしかたがない。マイケルの大きさが死んで映画を見てわかるなんて。 強くてやさしいマイケル。どんなありさまでも生きていてほしかった。世界はだいじな人を失った。

   

   そして、マイケルはパフォーマーとはなにか エンターティナーとはいかなるものか身をもって教えてくれた。うちなるものをひきだすこと。それを支える強靭な意志、やさしさ、卓越した技術 そして身体。聴衆をハイにして、しあわせにして熱狂させて たいせつなことを伝える.....だれにでもわかることばで。世界の人口は今 どれくらい? わたしはもうすぐばあさんになるかもしれない、だけどマイケルの想いの80億分の一でもいいから受け継ぎたい。マイケルの果たせなかったことをすこぢでも果たすために。

   最後のクレジットが消えるまで、音が絶えて 電光がつくまで だれも席を立とうとはしなかった。わたしのめがねは白く曇っていた、なめてみたら しょっぱかった。なみだはタートルネックの首まで流れていた。


    娘と樹の下にいた。枯れ葉がさわさわ舞うしたで 余韻を感じていたくて。夕方.....友人と会った。いつも守ってもらっていたのが、なぜだか今日は......守りたいと思った。生きてであって、こうして手をとりあって生きてゆけるとは......今日はビジョンがいくつか見えた。この身をゆだねて 挑戦をつづけて行ける気がした。静かなゆるぎない目をこらして、変わる風の向きを かそけき気配を見逃すまいと思う。







        

      





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    さて、そろそろ 6号線の旅についておはなししましょう。今回の旅はとても意味のあるものでした。そのひとつが天津甕星アマツミカボシまたの名を甕星香々背男ミカボシカカセオ....のことを知ったことです。これまでなぜかくも茨城にひかれたのかようやくみえてまいりました。

    いままで、古事記、日本書紀に書かれたこと、欠かれたことをいくつか書いてまいりました。記紀とはせんじつめれば権力者(持統天皇・中臣鎌足)が編集させた朝廷と藤原氏の正当性を謳ったPR本です。そして神話の神々の多くは実在した人間です。抹殺された神もいれば、整合性をつけるために創作された神(人物)もおります。

    けれども、記紀のなかにも真実の破片があり、その他の古文書と神社などに伝えられた文書から わたしたちは隠された真実を類推することができるのです。

      大甕神社祖霊殿


    さて、出雲の国ゆずり神話でオオクニヌシの息子のうち長男コトシロヌシはタケミカズチに殺され、次男タケミナカタは諏訪に幽閉されました。そののちもタケミナカタに屈せず最後まで悩ませ、屈しなかったのが、星の神と称せられる甕星香々背男だったのです。



    このあたりは、太平洋に注ぐ久慈川河口を境とする、関東平野と阿武隈高地の境界線に位置し、日本列島の征服を図るヤマト(倭・大和)と、先住民族 蝦夷の戦いが繰り広げられた場所です。甕星香々背男は、太平洋の制海権、ヒタチ鉱山の鉄を手にし人々から信頼される蝦夷の豪族・リーダーであったのではないか、と言われています。

    あたりいったいの星の神社、星宮神社は香々背男の勢力をさし、おなじように鹿島神社はヤマト朝廷の勢力をあらわすのでしょうか。一進一退の戦いのなかで、先住民族は徐々にヤマトに追いつめられていったようです。けれどもフツヌシ(香取神社)、タケミカヅチ(鹿島神社)はどうしても 香々背男を倒すことができませんでした。そこで朝廷から遣わされたのが建葉槌神(たけはつちのかみ)でした。この方はたいそう頭のよい神だったそうです。おそらく謀略によってさしもの香々背男も殺されたようです。

    



    なぜか国道6号線に分断された倭文大甕神社の拝殿の向こうに岩山があります。岩山全体が甕星香香背男の荒魂を封じ込めたという「宿魂石」であり、それを見張っている「神篭石」があります。そして この岩山全体からわたしは強い強い気を感じました。わたしには強く暗い気、鎮まっていない気のように感じられました。


    甕星香々背男が征された後は、建葉槌命がこの地の統治を受け継ぎ、住民たちに機織や製塩などの技術を伝え、その地は栄えたとされています。しかしヤマト朝礼は香香背男のたたりをひどく恐れました。先日参拝した香取神宮に伝わる星鎮祭という祭り(1/16)があります。星をかたどった的に4人の射手が矢を打ち込み、的の前の星塚に串を刺して、世を乱すという星の神を鎮め込むという祭り......。1500年たっても怨念が怖いのね.....権力闘争で敵を完膚なきまでに殺し駆逐しにする。それでも殺すとタタリがこわい。そこで呪術、これが神ごととは......。


    大甕神社のすぐそばに泉神社という神社があって、本殿の下に赤く塗った摂社 弁天さまがあります。そのわきをこんこんと澄みとおった湧き水......凛としたそれでいてやはらかな気.......この神社は大甕神社とセットなのだとそのとき想いました。弁天さま......隠された神 瀬織津姫神......水の神 滝の神 桜の神 そういえば参道のご神木は杉に桜が宿ったものでした.....瀬織津姫にこうべをたれ.....わたしはおみなの役目を考えていました.....癒すこと 育むこと......

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  知ることはいいことです。古代にさかのぼる旅をすると万世一系があり得ないことがよくわかりますし、神話の神=人間であることもよくわかる。比類なき人間ですけれど.....

    そうして天皇家のお血筋が大陸からわたられたこともよく理解できるし、それは天皇みずから語っていらっしゃることでもあります。このたびの民主党の地方参政権を在日の方にも....という動きもあちこちと関係あるのでしょうか。日本人は単一民族ではないらしい.....大陸の血 南方の血がまざりあっている。仲良くするのはいいけれど、どんな国にも支配されたくはない。為政者は国民の意見に耳を傾け慎重に行動してほしい。

    そして わたしは縄文が知りたい。甕星香々背男というとても魅力的な人物が知りたい。日本という国の根っこにあるものが知りたい。



案津甕星は→コチラ


......なぜか....出雲の中心意宇郡の山島根県八束郡八雲村東岩坂2193 那冨乃夜神社に 追經津主命(フツヌシ)、武甕槌命(タケミカヅチ)」そして「星神加加背尾命(ホシカミカカセオ)」が祀られているそうです。

http://kamnavi.jp/en/higasi/oomika.htm


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朝日  


    みなさま おはようございます。空が薄紅に染まり 大海原から太陽がのぼりました。うつくしい朝です・・・・・

    朝食に参りましたら 加藤登紀子さんの一行がご宿泊とか・・・・

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    松井選手 やりましたね。日本人はじめて ワールドシリーズMVP!!おめでとうございます。ケガや故障で守備をすることもできなかった。シーズン当初4番でスタートしたのに、指名打者、代打で存在感を出すしかなかった。今シーズン後の放出はほぼ決まっていたようで、来年のヤンキースのカレンダーには、松井はいないそうです。

   スポーツ選手は身体と精神力と知能のかぎりを尽くして戦います。傭兵やスパイをのぞいたら、もてる限りの能力を出し切ってギリギリのところでせめぎあう日々を送るのはアスリートくらいでしょうね。今日 松井さんのことばで身に沁みたのは 「つらいことはなかったか?」という問いに「(野球のことだから)辛くはなかった。」と語ったことばでした。

   それはごく自然にさりげなく語られたことばでした。松井選手は喜怒哀楽を出さないといいます。いい顔になりました。武士(もののふ)のかおです。日々戦う相手は たぶん自分自身なのだろうと思います。来季はもっとたいへんだろう。いいときはいいが、成績がわるくなれば叩かれる。それでも 松井選手はだれのせいにもしないで 黙々と練習し 打ちつづけるのだろうな.....いい男です。



   師である長嶋さんのことばもよかったです。⇒コチラ

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    マイケル・ジャクソンの講演は父との葛藤をそして心の軌跡をつづった”パーソナルストーリー”そのものでした。子どもらしさを奪われた子ども時代、厳しい父 そのなかでマイケルは父とのふれあいの思い出を語っています。...たとえば週に一度 キッチンのテーブルカウンターに置かれた アイシングのかかったドーナツの袋、たとえばポニーにのせてくれた父の腕のぬくもり......

    スターとして一般の人の何倍もの濃密な時間を過ごしながらマイケルは考えます。あれは父の愛情のあらわれだったのだと。。。。厳しさも一人前の芸人にひとに後ろ指さされない芸人、お金に不自由しない芸人に育てるための愛だったのだと........

    けれどもマイケルは父に遺産を残そうとしませんでした。わたしはそこにマイケルの傷痕深さを見る思いがします。.......しかしながらマイケルが世界に世界の子どもたちに大きなこまやかな父性を持つにいたったのは、父との葛藤抜きに考えられないと思いませんか?

    自らの傷を癒す....ことはそれだけではすまない。許すことやおおいなる愛をともなってくる......自分を癒そうとすることは ほかのたくさんのひとたちを世界を癒すことにつながってゆく......わたしたちひとりひとりがそうするなら、世界はまだまだ見込みと希望があるように思います。

    わたしもようやく長くつづいたトラウマを脱ぎ捨てることができました。もう抱きあうことはないかもしれません。昼下りのお茶をともにすることもないでしょう。けれど わたしはその意志のうつくしいところを受け取り受け継ぎ、自らこの手でつかんだささやかなものとひとつにして、あとからくるひとびとに手渡してゆくことができます。ほとばしるあたらしい歌を語ることができます。それは愛....のようなものだと思うのです。









先日の講演記録は削除しましたので、最後の部分を再録します。

『親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。
ご両親に無償の愛を与えてください。これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。

そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。
そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。
シュムリーが「子どもたちの心を通じて両親の心が取り戻される時、新しい世界、新しい時代が来るだろう」という旧約聖書の預言を話してくれたことがありました。


みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。
わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。

インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。
「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」 さあ、強くなりましょう。

そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。
子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。

許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。

みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

 子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。世界をいやし、痛みを取り去ろう。そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。

マイケル・ジャクソン 2001年英国オックスフォード大学スピーチ 』

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   11/3初日の国立劇場、11月歌舞伎を観てまいりました。こちらも芸術祭参加作品です。少し時間に遅れました。案内の方が扉を開けますと、そこは極彩色の世界、みずいろ、金、紅.....富士に松、外郎売りに身をやつした曽我兄弟、仇の工藤、傾城、遊女.....絢爛たる美々しき異世界....なのになつかしく揺さぶられる世界......わたしは思わず ウォー...と叫び声をあげ、なんてウツクシイ..... と呟いたのでした。


   傾城の立ち姿のうつくしさ....宝塚の名男役、轟悠さんが「無理な姿勢ほどうつくしい.....」とおっしゃっていましたが、傾城の後ろを振り返りながら半身を30度もそらせるその姿勢を保つにはどれだけの基礎体力が必要でしょう。方々は10分のあいだ 微動だにしないのです。囃子方の退場場面ですとか随所にいかにうつくしく見せるかの工夫があって、ただただ感心するばかり....でした。

   二幕目の反魂香は近松作(団十郎の又兵衛、藤十郎のおとく)......大津絵....江戸時代のイラストのようなもの.....で細々生計をたてている又兵衛が、弟弟子の修理の介が、師匠の苗字と印可をもらったことを聴きつけ、女房のおとくとお師匠に直訴にやってまいります。又兵衛はひどいどもりで、立て板に水の女房おとくに代わりに思いの丈を言わせるのですが、師匠は首を縦に振りません。画業で手柄を立てよというばかり.....大事な役目も どもりのために修理の介に持っていかれ、見苦しいさまを 師匠にひどく叱られた又兵衛は自害を決意します。

   手が二本、指が十本、ちゃんとあるのに、どうしてどもりに 生まれたのやろ.....この場面....おとくの又兵衛に寄り添うさまに わたしは涙をぽろぽろこぼして泣いてしまいました。

   死ぬまえに 絵を描くようにおとくに言われ、又兵衛は精魂こめて手水鉢に自分の似姿を描きます。もはやこれまで.....となったとき、水杯をと....手水鉢に近寄ったおとくは 夫の描いた似姿が手水鉢の反対側に透っている奇跡を目の当たりにします。師匠も又兵衛の絵の力に驚き喜び、名と印可を与えたうえに、用意してあった見事な装束、刀をふた降り与えるのでした。又兵衛は小躍りして喜び、観ていたわたしたちも ほっとするのです。

   最後の大津絵道成寺は舞踏劇で、このたび文化勲章を受章された山城屋こと坂田藤十郎さんが五役を踊ります。おいくつになられたのか....みずみずしい色香、愛らしさ.....おじいさんが娘をうつくしく演じる.....こういうのは世界的にもあまりないでしょうね。心配なのは弁慶役の中村鶴亀さんがバタリと倒れ、これも演出家と思いきや 黒い幕がするするでてきて 運び去ったことです。なにやら血のあとらしきものもあり、心配です.......しかし主役のひとりを欠きながら舞台はとどこおりなく進んでいくのでした。

   400年の長きにわたって同じ演目を演じ続ける、世界でも例を見ない歌舞伎の様式美、浄瑠璃(語り)と囃子と役者がひとつになってつくる世界......観客と歌舞伎のあいだには暗黙の約束事がありました。見得を切る、拍手喝采 贔屓への掛け声、太鼓の音は雪や討ち入りの効果音でした......江戸時代、ひとびとは金持ちも貧乏人もお芝居が好きだったようです。多くの名優たちが同じ芝居、同じ役を演じることで、役者として負けられない意地もありましょうし、観衆も見る目が肥えてゆき、十八番はますます磨かれていったのです。

   正直 わたしは ことばもろくろくわからないのに こんなに感動するとは思いませんでした。現代劇の比じゃないおもしろさと汲めども尽きせぬヒントの数々が、伝統芸能にはあります。......たとえば歌舞伎では踏む 力をこめて踏むようにドシドシ歩くシーンがあります。舞踏はことばとおり、舞うと踏むで成り立っていますが、これが歌舞伎や能...猿楽....田楽....と芸能の歴史をさかのぼってゆくと踏むことで悪霊を追い出した田楽のルーツ”田遊び”につながるのではないか。

   あるいは 役者さんたちの芸を磨く研鑽の姿勢とその陰の圧倒的身体能力...マイケル・ジャクソンのムーンウォークもできるんじゃないかと思います。役者さんだけでなく、語りも全身で語る、真っ赤な顔で汗を拭きながら語る......全身の芸。日本にはたくさんの役者さんがいます。たいがいはロシアや英国やアメリカの方式で学ぶわけですが、一部を除いては伝統演劇の役者さんにその存在感でかなわないように思います。400年の歴史 日々をその世界で過ごす....という特殊な環境でもあるのでしょうが、そのノウハウを一般にも公開してもらえないかな....と思うしだいです。

   能は芸術だけど歌舞伎は.....という方がいまどきいるかしら。昔、能は武士のもの、歌舞伎は町人のものというたてまえのようなものがあってその名残なのでしょうが、たとえ 土地に伝わる神楽であろうと、口説きであろうと、観るひとの心を打ち 喜ばせ泣かせ ”あしたもがんばって生きてゆく力”になるのなら それは芸術なのだろうと思います。
 

   ........そして、わたしは一年と7ヶ月前 語り手たちの会の理事をひいて、ほんとうによかったと今思っています。やりのこしたこと、語り手が自分を磨いてゆくためのプロセスについて、もっとみなさんと考え あたらしくてふるいものを導入してゆきたい、あるいは地方の会員さんにもっとなにかできるのじゃないかと考えていました。それを放り出したことに一抹の罪悪感のようなものがあったし、わたしの語り....創作やパーソナルストーリーについてみなさんに問いかけたい....という想いもありました。

   けれども、場所というものがあります。わたしのいる場所ではなかったし、努力したところで壁にぶつかり苦しむだけだったでしょう。語りに導いていただいた感謝の気持ちは忘れません。幾ばくかはお返ししたようにも思います。あとはほんものの語り手を育てることでお返ししたいと思います。

これで すっぱり けじめをつけて 自由にやりたいことができそうです。






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.......みなさま 今日はすばらしい青空です。朝方4時か5時に寝る生活をしていたのが、朝の4時5時に目覚める生活にとつぜん変わってしまいました。今日は贈り物のようにうつくしい富士山とはるかなやまなみを見ることができました。

    つらつら、幻想の系譜のこと、それからマイケル・ジャクソンのことを考えていました。二年前の理事会でNPO法人として語り手たちの会がなにを目的としてゆくか相談したのです。そのひとつの柱が芸術としての語り事業でした。そのとき、芸術とはなんだろう....と微かに思ったのですが、その問題は討議されないままでした。

    わたしが、語り手たちの会で得たのはふたつ、片岡先生の(なにかのだれかの)”代弁して語る”ということばでした。そして、もうひとつ”それでは(自分の)癒しで終わってしまう”ということばです。パーソナルストーリーは語り手自らを癒し聴き手を癒す力を持つものですが、どなたかの「自分が癒されればいいのでは」ということばに応じておっしゃったのです。このふたつは長いことわたしの主要なテーマのなかにあります。

    以下にあるのはmimiさんのブログからお借りしたマイケルの2001年英国オックスフォード大学スピーチの一部です。


『みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?』

『わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?
コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?
1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。』



    まず自分を癒すことからはじまる。マイケルは自らの父親との葛藤から自分を癒そうとし 父を許し愛そうとしました。そしてすべての子どもたちに手をさしのべようとし、子どもたちを癒すことで 世界を癒し救おうとしました。......歌の力によって......。

    マイケル・ジャクソン!? やつのポップスやムーンウォークが芸術だって!? というひとがいるかもしれません。しかし 彼のうたはたしかにひとの心を打つのです、涙であらいながす力を持っています。

    亡くなる前に撮影したフィルムが映画になって公開されています。マイケルのうしろに控えるバックダンサーたちはまだ10代、20代.......けれども50歳のマイケルのオーラは若い青年たちを圧倒し凌駕しているとか........。マイケルの意思、マイケルの魂が子どもたちを愛し、ひとびとを癒し、本気で世界を救おうととしていたからではないでしょうか。

    癒しとはなにか、波立つ心をしずめ、生きる力を取り戻すこと、魂本来の輝きを取り戻させること。.....傷痕を持たないひとはいません。自らを癒しながらそのあと、歌い手であれ 語り手であれ 芸人であれ 役者であれ、ひとを癒し、涙を流させ、微笑ませ、さぁ生きてゆこうと立ち上がらせる.....芸術を希求するならそれこそが芸術の姿ではなかろうかと思うのです。

mimiさんのブログにマイケルのことが載っています。きのうのリンクをごらんください。mimiさん 今日とあしたの2日間 マイケルの講演をあげさせてください。





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