4月7日 ひろこさんが亡くなった日 わたしは ひろこさんにつたえたくて 意識を飛ばした。
わかっていたけれども いってしまうとわかっていても とめたかった....
さようなら と 声が聴こえた....
それから ずっと ひろこさんをおもうたび 瞬間に気配がするようになった
49日まで と 思っていた いままで えにしある 死者たちは 49日を境に一応は気配が消えたから
なかには 幾度か たずねてくるひともあったけれど それは 稀なことだった。
ところが そのあとも ひろこさんの気配がつづいて わたしは混乱のきわみにあった
なぜ ? どうして ?
過去のメールを読み返すと ひろこさんの 来世への憧憬のようなものも感じるのだった
それなのに どうして?
今週になってたどりついたのが おなじような立場のわたしのことを きづかってくれているのだろうか
という推論 それで ひろこさんに心配かけないようにしよう と思った矢先の月命日 6月7日
宣告があった。そして今日 詳細が知らされた... 滂沱とながれる涙 ふわふわとさだまらないからだ
平静をよそおっても ことばはちぐはぐ 意識はとぶ 電話のかけ方もさだまらない
いつか くる 日だった。
幾度も 峠をのりこえてきたのだった だから きっと のりこえられる そう 固く 信じる
でも 今日だけは 流れてやまない涙に 声なき慟哭に 身をまかせよう
そして この日 わたしはようやくに 悟ったのだった ひろこさんの気配のわけを....
ひろこさんが この世にとどまっているのか それとも幾千里 きてはならない 黄泉からのみちを
奔ってくるのか わたしは 知らない
でも これは 愛 なのだ 寄り添い つつみこむような .....
ありがとう ひろこさん
わたしは だいじょうぶだから あきらめることを知らないから ひとりではないから ....