荻原規子さんのこれらの作品は日本のファンタジーの夜明けともいわれています。萩原さんは海外の作家が神話をもとにファンタジーが書けるなら古事記を元に書けるはずだと思ったのだそうです。同時に 小説の書き手にはふたつの分類がある ひとつは小説家になるために書く小説家 もうひとつは自分が読みたいものがたりを書く小説家で 自分は後者だと言っています。そして もうひとつ 自分は漫画家になりたかったが 絵がかけないので小説家になった.....とも語っています。
わたしは最後の理由に心を惹かれました。なぜなら わたし自身が漫画家になりたかったが 絵がうまくなかった.....そしていつしか語り手になっていたからです。ちなみに友人と合作で応募した講談社漫画賞 このとき最優秀に輝いたのが波間のぶ子さんでした。
日本のファンタジーといえば木陰の家の小人たち とかコロボックルシリーズがありました。両方ともよい作品でしたが児童書でした。萩原さんやそれにつづくファンタジーの書き手がターゲットにしたのはもうすこす上の年代でした。もっともジュブナイルということでわたしはちょっぴり馬鹿にしておりまして こんなおもしろいものを見逃していたわけで おとなの読者でまだお読みでない方はぜひお読みください。
空色勾玉も薄紅天女も守り人のシリーズも上質な少女漫画の香りもします。少女漫画ってばかにしないでくださいね 世界に誇る日本のサブカルチャー「漫画」を一時は間違いなく少女漫画が牽引していたのですから......ドコノダレとは申しませんが 影響を受けた作家 劇作家 映像作家は数えきれません。プロットをほぼそのままもらっても著作権ただ プロの作家のプライドはどうなのでしょうね。
空色勾玉などにでてくる主人公の少年には匂やかな凛々しい少年 むくつけくない 王子が登場します。彼らは少女にも似ていて つまり 少女漫画の少年.....にとても近く 宿命を担って生まれ 試練をくぐって 真の男になる 彼らはイニシエーションをくぐりぬける また貴種流離譚にも近い構成です。そういう意味で物語のプロットをきっちり踏んでいる。
神話はたいてい悲劇的な結末を持ちます。北欧神話しかり ケルト神話しかり ひとを超えた存在である神々にもたそがれがくるのです。ファンタジーの作家たちは神話をもとにしながら 人間的な結末 和解を求めずにはいられないようです。ある意味の大団円ですね。
イザナミイザナギの神話を元にした空色勾玉もまた 怒った女神が黄泉比良坂(よもつひらさか)で『黄泉国の神となってあなたの国の人間を一日に千人殺しますよ』といったことに対し『ならば、私は一日に千五百人の子どもを産んで更に産屋を立てよう』と男神が返したことによる生と死 輝ぐの一族と闇の一族 すなわち光と闇をめぐる無限の戦いを和解に導こうとしました。
イザナギが生んだ三人の貴神 アマテラス ツクヨミ スサノオにおいて照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)チハヤがあてられています。(日本書紀ではイザナミとイザナギが生みました)
照日王はいうなればファザコンで月代王はシスコン チハヤはマザコン こういってしまうと実も蓋もないのですが 三人の葛藤と 闇の一族、水のおとめサヤと輝ぐの一族チハヤとの愛と葛藤が大団円に導くところは秀逸でした。
古事記の編纂のとき ヤマトは数多くの豪族に伝わる神話を奪いあるいは買い求め 自らの出自を正当なものとしようと物語にしました。ヤマトは日本にもとからいたひとびとではなく大陸からわたった一族であったからです。今上天皇もそれをお認めになっています。このとき多くの古の神が失われ また女帝であったことからアマテラスが女神になったのではと推測しています、すると月読みは当然女神であったことでしょう。
水のおとめは折口信夫の水のおんながヒントになったと作者は書き記していますが、祖神おやがみである男神太陽神にたいする水の女神という伝承をもってすると 作者はそこまで考えて配したのかと興味深いことこのうえありません。この水の神はもちろん 瀬織津姫 消された神......ふるい神社には必ず水が配されていますね。
薄紅天女はおなじようなシチュエーションで ヤマトと先住民族蝦夷との和解を描きたかったのだと推測しますが これはちょっと失敗かな......この葛藤は現代まで生々しくつづいています。
それにしましても わたしは隠された神々にこの世におでましいただきたく 瀬織津姫 名草姫 甕星香々背男 奴奈川姫を語ってきたのですが もっと脚色しても良いのかなとわくわくいたしました。
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