遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

 → こちら

ロンドカプリチオーソ といえば・・・ 竹宮恵子さんが 漫画で描きましたね ずいぶん 昔のことですが。

SP 栄光への脱出

→ こちら

引き込まれる演技です。スピードも申し分なし。

羽生選手のフリープログラム

→ こちら

http://www.youtube.com/watch?v=2eLRkU23m3A

羽生選手 軸がまだできていない、体力が足りない けれども 華がありますね。これからが楽しみな選手です。

本音をいえば オーサーコーチとは組んでほしくなかった。小塚選手のSPを見ると 羽生選手のSP 点がですぎという印象を受けます。

フィギュアスケートの採点は納得できるものにしてほしいと切に願います。



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前回の戸隠神社のご参拝では 奥社の駐車場がいっぱいで参拝できなかったので 朝早くでかけました。上越道 山口トンネル 太郎山トンネル 五里が峰トンネル などいくつかのトンネルを抜けてゆきます。

つつじの娘のことは幾度か書きましたが 上田という地に縁がありましたのも つつじの娘というものがたりとの出会いがあったればこそでした。

山口村の小夜は五つ山を越えた先の松代の祭りであった若者を忘れることができませんでした。夜ごと 小夜は太郎山 妻女山 鏡台山 五里が峰 大峰を越えて若者の家に通うのです。しかし若者の心は次第に小夜からはなれてゆきました。一夜のうちに五つの山を女の身で通えるわけがない 小夜は魔性のモノかもしれない。思い悩んだ若者は・・・・

このものがたりは娘心と男の心のすれ違いを描いた 現代に通じるものがたりのように思います。山ではなく湖だったり 海だったり 類話は各地にありますが わたしはつつじの娘がとてもすきです。

さて 高速を降りて 戸隠へ向かいます。わたしのカーナビはとても気まぐれで ことに峠が大好きのようです。今日案内されたのも 車一台がやっとという山道でした。幾重にもかさなる青い山なみ素晴らしい眺望でした。走ること1時間弱 宝光社につきました。

宝光社は女性と子どもをお守りくださる神社だそうです。113段の見上げるばかりの階段に躊躇しましたが 登ってゆきますと 以外に登りやすく あっというまにご神前につきました。すがすがしい気の神社です。

戸隠神社を右手にみながら奥社に向かいます。首尾よく駐車場に入れました。・・・・さて 片道2キロ 所要時間40分 ということでちょっとひるみましたが (わたしはひざに故障があります) 意を決して参道を歩きはじめました。

雑木林のなか 陽光がさしこみ 黄 みどり 赤 さまざまないろあいの葉がかさなりあって うつくしいことこのうえありません。さわさわと風の音 そうか 雑木林だからこそ かろやかな風のささやきが聴こえるのだ 秋の風の音はさらさらと乾いていよう 春の風の音はみずみずしいことだろうと思いをはせながら歩きました。

途中 脊髄手術で足の不自由な年配の方とともにあるきました、その方はわたしに色あざやかな緋色のもみじをひろってくださった。やがて随身門 神仏習合の名残でしょうか。随身門の直前から 参道は緑の杉並木に変わります。門を入ったあたりから 気 がつよくなります。道は次第に細くなり 険しく急になります。最後の階段はなかなか堪えました。

しかし はるかにのぞむ青い空にそそり立つ戸隠山の山容は色彩のシンフォニー ・・・・ 昔のひとであったら錦のような と形容したかも知れません。日々刻々変わりゆく自然の造形の妙に疲れも消える思いでした・・・・・そして  それ以上に目を射ったのは 目の前のお社の九頭竜社 九頭竜大神の文字 また龍神のおわすところに導かれたのだという驚きでした。九頭竜社は奥社より古色蒼然としたお社でした。おそらく いにしえの神 水神と思われます。

一方 奥社のご祭神は田力男の命 戸隠 天の岩戸をあけた神さまです。火の御子社にはアメノウズメノミコトが祀られ こちらは芸能の神さまということでご参拝したかったのですが 今日はおまいりできませんでした。

帰りはやはり峠越え 松代の皆神山を左手に見て 地蔵峠を越えました。皆神山もパワースポットとして名高いところです。

戸隠神社の参道はひとで溢れ 若い方もおおぜいおられました。親子つれも多く ひとびとはさざめきながら 神前へと登ってゆきました。わたしはあの足の不自由なご老人が念願の奥社の参拝を果たされたのか気がかりです。そのあとお会いできなかったので たぶん 途中であきらめてお帰りになったのではと思うのです。

12月に再手術とうかがいましたが どうか春には奥社への参拝が許されますように祈っております。

2010年長野の旅 → こちら

 3.11以前の旅です。長野の空のケムトレイルの写真が多数ありますが、今回は目だって見当たりませんでした。しかし 空は全体に一層 白濁しているように思います。早朝 撒いているのかも。線量はおおむね 0.09μsv毎時 位でした。このとき 竹細工屋さんに頼んだシェード 昨年できていたのを ようやく取りにいくことができました。語り祭りで使おうと思います。

火の御子社について 

もともとは天忍穂耳命が主祭神だったと推察される(火之御子とは日之御子と書き換えられた)

アメノホシミミノミコトは『古事記』では、アマテラススサノオとの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男(『日本書紀』の一書では次男)で、勾玉の持ち主であるアマテラスの子としている。高木神の娘であるヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間にアメノホアカリニニギをもうけた。

アメノホアカリとはニギハヤヒです。天孫降臨のニニギと古事記では兄弟神になっているんですね。もしかしたら・・・ということもあるので 次回は日御子神社 の参拝を第一にしたく思います。

 http://www.zoeji.com/01meguri/01meguri-tyubu/01-tb-kuzuryu/01-tb-kuzuryu.html

http://www.pref.nagano.lg.jp/nousei/nochi/suijin/togaku.htm

 http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/hokosya.html

 



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思えば 3.11以前 茨城を中心に 神社のお参りをつづけ 最後に参拝したのが加波山神社 3月になったら参拝しようと思っていたのが 上総一ノ宮玉前神社 元宮 玉崎神社でした。震災で果たされなくなり その後 長野の聖地をまわっていました。玉崎神社から出雲大社は一直線で結ばれるレイラインがあります。そしてここにも龍神の気配があります。玉前 玉崎 両神社摂社にに オオモノヌシ(ニギハヤヒ)が祀られているようです。

 

地元の産土の神社のお参りはたいせつです。そして一方で 一刻もはやく 千葉周辺 富士山周辺 元伊勢 元熊野へ 参じたいとこころがうづくのです。どうかおちかくのみなさま おいでになって 祈ってください。

レイラインと呼ばれる直線上の聖地

春分の日 千葉県外房の上総一ノ宮にある玉前神社では、真東を向いた参道から登った太陽の光が参道と一の鳥居二の鳥居を突き抜けて、西へ向かっていく。その光は、東京湾を渡り、寒川神社 さらにその先、富士山頂、日蓮宗の聖山である七面山、琵琶湖竹生島の弁財天社、大江元伊勢のご神体山である日室岳、大山の大神山神社、そして、出雲大社へ。

出雲大社 ご祭神オオナムチ

大山 大山そのものがご神体 山頂大神山神社奥宮に祭られているのはオオナムチ(オオクニヌシ)

元伊勢のご神体は日室岳 奥宮籠神社 祭神は彦火明命 ニギハヤヒ!

竹部島神社御祭神は 市杵島比売命  (弁財天) すなわち瀬織津姫

七面山 七面大明神=弁財天= 瀬織津姫としか考えられません。

「此の御神と申すは本地は弁才天功徳天女なり。鬼子母天の御子なり。右には施無畏の鍵を持ち、左に如意珠の玉を持ち給ふ。北方畏沙門天王の城、阿毘曼陀城妙華福光吉祥園(あびまんだじょう みょうけふっこうきっしょうえん)にいますゆえ吉祥天女とも申したてまつる。

 山を七面といふは、此の山に八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺(もんじんかいじょうしんしゃざん)に表示し、七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり。此の神、末法護法の神となり給ふ由来は、建治年中の頃なりとかや、聖人読経の庵室に廿(20)ばかりの化高き女の、柳色の衣に紅梅のはかま着し、御前近く居り、渇仰の体を大旦那波木井実長郎党共見及び、心に不審をなしければ、聖人はかねてそのいろを知り給ひ、かの女にたづね給ふは、御身はその山中にては見なれぬ人なり。何方(いづかた)より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人のお経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまへと申しければ、輪円具足(りんねんぐそく)の大曼荼羅を授け給ふ。

 名をば何と問い給へば厳島女(いつくしまにょ)と申しける。聖人聞し召し、さては安芸国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約束なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまはく、垂迹の姿現はし給へと、阿伽の花瓶を出し給へば、水に影を移せば、壱丈あまりの 赤竜となり、花瓶をまといひしかば、実長も郎党も疑ひの念をはらしぬ。

 本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払ひ、七福を与へ給ふ。誹謗の輩には七厄九難を受け、九万八千の夜叉神は我が眷属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払ひ、七堂を守るべしと固く誓約ありてまたこの池に帰り棲み給ふ。」

富士山 山頂 久須志神社 ご祭神  オオナムチ

寒川神社は川の神であるらしい。ご祭神は寒川比古 であるが明治時代 適当に申請したらしく不明 八幡神 ヤマツミノカミという説もあり。

玉崎神社 本来のレイラインの入り口 物部氏一族が創建した歴史ある古社 モノノベといえば....。玉崎神社以前に祀られていたのが摂社琴平社でここがパワースポット 祀られているのはオオモノヌシ=ニギハヤヒ

以上見てまいりますと レイラインの主要な祭神は ニニギハヤヒ=オオモノヌシ オオクニヌシ 瀬織津姫 など古い神々。

 

一方 鹿嶋 諏訪 ライン この線上にいかなる神社があるのか あたってみたいですね。鹿嶋のあたりはもともとモノノベの力の強いところ 香取神宮 ご祭神経津主神 モノノベの神宝 布津の御魂剣と同義、 鹿島神宮の祭神である建御雷之男神は、古事記では別名建布津神や豊布津神と呼ばれ、香取神宮の祭神である経津主神と同一とされています。

諏訪大社上社本宮は鹿島神宮のほぼ真西に位置する。春分・秋分の日の太陽は鹿島から昇り、諏訪大社へ。

 

さらに

 東国三社 → こちら

 近畿五芒星 → こちら  陰陽による結界の匂いもします。古代のレイラインを活用して 平城京 平安京 藤原京を守ろうとしたのか.....

なぜ 聖なる場所は直線状にあるのでしょう。 太陽信仰はもちろんですが つながっていることに意味があるとしたら 参拝することでつなげてゆくことで 場のパワーが強まっていくのではと ふと思いました。3.11の前 からはじまったスピリユアルスポットへの旅には わたしが知らなかった そのような意味があったのかも知れず 多くのひとたちが無意識のうちに 日本を守る行動にでているのかもしれません。

 

 



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グーグルマップ → こちら

諏訪神社 → こちら

今日 図書館などに語り祭りのチラシを置かせていただくうち まったく偶然に 友人と訪れた神社ですが とても つよい気を感じました。御神水の井戸 水のたまった大岩 社殿のうらの森 .....はことに。 それとともに すこしこわいなにかもありました。いつものようにこの地の守りと日本鎮守を祈り 水を穢したことのお詫びをしました。 数多い摂社にご参拝してゆくうち 祓戸神が祀られていて 瀬織津姫に心からなる祈願をしました。このお社には狛犬が可愛いのや畏れおおいのやさまざまいます。社殿前の北村西望作の狛犬は今にも飛びかかりそうです。

wikiによりますと

「現利根川水系(利根川東遷事業前は鬼怒川水系)と現江戸川水系(同事業前は太日川渡良瀬川水系)の分水嶺にあたる台地上にある。境内には「諏訪神社遺跡」が存在しており、縄文時代後期から人が居住していたことがわかっている。

社伝によると大同2年(807年)に、高市皇子の後裔が移住し、この地を永住の地と定め、当地開発の守護神として、信州諏訪大社から分祀・創建されたとされる。現在の諏訪神社の主張では、「創建は更に遡るものと想われる」としている。」

とあります。やはり 水にかかわりの深い神社のようです。

この神社に着く前 とつぜん わかったことがあります。わたしの使命は 自分でそう思っていた「語り部を育てること」でも「語ること」でもありませんでした。まだ 書くことははばかりますが ほっとすると同時に 沸々とつとめさせていただきたい想いが沸いてきました。ひとりひとりにこの世でなすべき使命があります。気がつかせていただくことは最初の一歩、魂は最初から知っているのですが なかなかわからないものですね。

地図にある散茶廊はたまに立ち寄る喫茶店です。



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→ こちら

神事 お燈祭 → こちら  火の龍が538の石段を駆け下る

      花の窟神社をあとにして 神倉神社に向かいました。ナビをあてにするのはやめて カンでいくことにしました。すると曲がり曲がって 赤いお太鼓橋の前に出ました。この神社は地元のひとたちが崇敬していることがすぐわかります。ひっきりなしに近所の方がおとづれ手をあわせていくのです。子供たちが元気よくあそんでいます。高齢者がベンチに座って夕風に涼んでいます。石段のしたにどろをつめたビニールの袋がつんであって いわくら ゴトビキ石まであがるときに持って運んでくださいと書いてあります。年に一度の修繕につかうそうです。ここは神聖な場所でありながら地域のひとたちの交流と憩いの場所なのでした。

      きのう速玉社で神倉山から感じた つよい気は感じず おだやかなあたたまな気が横溢しておりました。お参りのあと80歳くらいの方から「どこから きた」と訊ねられ 玉置神社 熊野三社 神さまのことなど話すうち 岩くらゴトビキ石 と玉置神社 玉置山頂上から神倉山をのぞみ 熊野灘から昇る朝日の写真をいただきました。きのう 玉置神社にお参りしたとのことでした。神倉神社のとなりにある 出雲大社分社の方のようでした。

その方と話すうち 教えていただいたこと 気がついたこと。

① 元は神倉神社が本社で 速玉社が摂社だったが いつのまにか 本末転倒 逆転してしまった。

② ご祭神 タカクラジノミコトはニギハヤヒの息子である。イワレヒコ 神武東征の折 妖術(自然神?)で上陸できなかったが 夢を見たタカクラジが布津の御魂剣を持って 献上し 上陸できた。

  .......そういえば 大神神社のゆったりしたあたたかな気と似ているように思いますが ここは要注意です。布津の御魂剣はモノノベの神宝 十種の神宝もモノノベ すなわちニギハヤヒ王朝の神宝。さりげなく すでにタカクラジノミコトが格下になっている。イワレヒコはニギハヤヒの娘婿ではなかったかしら。

③ 玉置神社には龍神水の湧き出る場所がある。

④ 玉置神社 奥宮 玉石社の玉石の由来 → こちら

⑤ 玉置神社の奥宮 玉石社に敷かれていた石は 七里御浜の石?

⑥ 玉置神社にははじめはなかなか行けない。

⑦ 玉置神社の玉石は地震の鎮め石  → こちら

.......この期に及んで わたしは  前回の旅で なにも知らずに玉置神社に引き寄せられていたことを知り 愕然としました。生まれてはじめてしていただいた ご祈祷が なぜ玉置神社で  日本鎮守 と水を汚し奉ったお詫び であったのか わかったのです。

まったく 怖くないとはまだいえないけれど 放射能はそう恐れるのはやめよう。今は もうすこし時間がいただけるよう お詫びと感謝を祈らせていただき 行いによるあかしを立てさせていただく所存です。

もうひとつ書き加えるなら 神武東征で誅された名草トベについて 「名草姫伝説と」して 語っているのですが 今回 これも知らずに 名草姫の息吹のするところにこられた....ほとんど 創作でありますが ものがたりの背景 温暖な地 おだやかなひとびと 描写に間違いがなかったことを不思議に思いました。名草姫に従う少年に ナギ という名をつけたのですが ナギがご神木であり どのような姿かも知り ものがたりがいっそう息づいてきたように思います。

名草姫は最後まであきらめず たたかったひとでした。日本人であるならだれの心のなかにも龍はいる わが身内の龍を鍛え育てたく思います。

.....そうでした、レンタカーノキズは これくらいならいいですよ....とお金かかりませんでした。福島疎開裁判署名についてのクレームは解消しました。おおよそ順調にすすんでいます。感謝です。

 

 

 

 



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産田神社 → こちら

花の窟神社 → こちら

七里御浜 → こちら

朝 8時 出発 産田神社に向かいます。産田神社はイザナミノミコトが火の神カグツチを産んで亡くなったところ、 花の窟神社は二神の墓所といわれています。産田神社のそばの橋は台風で落ちたままでした。うっそうとした森 ここもたいそう神気を感じる古い社です。まっさらの洗いたてのさらしが手水場にかけてあり 心遣いを感じました。ステンレスの奉納箱と古色蒼然とした簡素な社が不釣合いに見えました。お社の周囲に掌の半分くらいの御浜の白い丸石がぎっしり敷き詰めてあります。産屋に砂をしいたという故事を思い出し そういえばこのお社は産屋に見えないこともないのでした。出生したことで母を殺し 自分もまた父イザナギに殺される.....カグツチのミコトはなんてお気の毒な神さまでしょう。

産田神社の原生林はしんとしずまり 小鳥の声がするばかり ..... ふと奇妙なものを見ました。大のおとなが大きな虫取り網を持って走り回っているのです「なにをしていらっしゃるのですか」と問うと「薩摩錦 という蛾の研究をしている」とのことでした。薩摩錦は黒とグリーンと赤のなかなか美しい蛾ですが 毒を持っていて その毒が何か役にたつのではというのです。海のそばの原生林のある神社の周辺にいて 多い時は100匹くらい取れるそうです。毒をとったあとは逃がしてやるのだそうです。

花の窟神社のうしろ 国道沿いの駐車場に車を止めると 目も鮮やかな紫のあさがおが花もたわわに花綱となって崖から垂れ下がっておりました。ぐるりとまわって参道をいきますと 見上げるほどの岩壁 神気はそこから発していました。二神にお参りし いつものように この地と 日の本の国の鎮守を祈願し お守りとお札を買い求め そうじをなさっていた女性とことばを交わしました。摂社稲荷社を拝し ふともうひとつの社に気がつきました。すこし 浮き上がったように見える社には幟が立っていて黄金龍神 と読めたのです。たどりついた此処に竜神が在す わたしはなんだか ひどく心を打たれ 国道をわたって 七里御浜に下りました。びょうびょうと風は吹き あたりにはひとっこひとりいません。

波打ち際に立って降りてくるままに歌いました。御浜のまるく磨り減った石を手にしたとき わたしは申し訳なさに胸がいっぱいになり膝を落としました。なぜ 3.11が日本に起きたのか この旅をとおしてわかったように思います。たしかに地震は アメリカ・イスラエルによって起こされ 原発の事故も仕組まれたのでしょう。それは悪です....ユダヤは悪をもって善を為す そのことばの意味はなんでしょうか。 わたしたちは己自身の姿にもっと気がつかなくてはいけなかった。

くろしお号の車内で日立の孫受け会社の技術者さんと話しました。彼は風力発電を担当しているのですが 風力発電も自然を破壊するといいます。直径80mの風車で2000ワット それを回すためにたくさんの木を伐採するのだそうです。わたしはダムを経た川が力を失い流れるのを見ました。水力発電もある意味で自然の破壊です。

今回の旅でしみじみわかったのはパワーはお社にあるのではないということでした。山や川 滝 自然こそが力のみなもとでした。人間はその力を借りただけです。 水力発電 火力発電 風力 地熱 そして原発 どれもが人間のつくったものではありません。自然の力 自然のものを利用しているに過ぎないのです。とことん収奪し 川の水で田畑をうるおし 発電をし ヨゴレを流して 汚し放題汚して 感謝すらも忘れていた。これ以上 汚してしまったらもう取り返しがつかない瀬戸際だったのだと思います。

ですから わたしはアメリカ イスラエル 政府 東伝の 糾弾ばかりでなく 生き方 暮らしを変えなくてはなりません。砂に手をつき はじめて心の底から詫びました。

神倉山には なぜかどうしてもたどりつけませんでした。そして気がつくと 財布がないのです。携帯は電池切れ ....どうやって帰ろう あたまのなかは真っ白でした。あわてて海岸に戻ることにしました。あたまの中はざわざわしていましたが ひっかかることがあって旅のことを考えました。 大神神社 大和神社 石神神宮のご祭神はオオモノヌシ  竜蛇神です。そして 吉野川は吉野山をみなもととする吉野川は紀ノ川となって太平洋に注ぎます。一方 天川村 十津川村の水源から 天河神社 玉置神社をとおり 熊野川は成長し大河となり元宮 新宮から太平洋に注ぎます .......日本では龍神は水の神であり 十津川村の隣は龍神村といいます。  わたしのたどってきた道はまさに龍にいざなわれた 龍の道でした。そのことに気づきわたしは呆然としました。 そういえば 諏訪湖でも伊豆山でも行く先々に竜神がおわした。 もしかしたら 語り祭りに龍神を語れということなのかとようやく思い至ったのです。

やがて 海岸につきました。黒いものを見つけて駆け寄ると それは乾いた海草でした。どこを見てもみつかりません。一縷の望みを持って花のいわと神社をたずねましたが やはりありませんでした。さきほどの女性が警察にTELしてくださいましたが ありません。私は途方にくれましたが龍神の社で 龍神伝説を語らせていただきます と祈り どこかでTELを貸してもらい うちから送金してもらおうと決めました。すると さきほどの女性が決然と 「私も探します」とおっしゃってくださって ふたりで国道を渡り海岸に出たのです。階段を上った瞬間 わたしは声をあげました、....「あった....」  海岸側の階段にぱさりと蝶のようにひろがって 財布が落ちていました。

あの龍のお社のことを話すと 「.....あのお社は  一般の女性が夢を見たからとご寄進なさったのです」という答えがかえってきたのでした。龍神を語るには気力体力が必要です。いつもいっぱいいっぱいで もう語るまいと思っていました。しかし 考えてみれば わたしが語るのではないのでした。

 



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より大きな地図で 龍の道 を表示

 青いピンは9月の旅、ピンクのピンは10月の旅 スクロール 拡大していただくとわかるのですが スポットはほぼ直線に並んでいました。

熊野那智大社 → こちら

青岸渡寺 → こちら

熊野元宮大社 → こちら

大斎原 → こちら

熊野速玉大社 → こちら

高山から名古屋 新大阪を経て 紀伊勝浦駅に着いたとき 時刻は23時でした。駅から2分のビジネスホテルに宿泊 翌朝 勝浦港でみかんを売っている とらやのおばちゃんと知り合いになりました。おばちゃんは私を見て心配になったのでしょう。那智大社 や本宮へのショートカットを教えてくれました。

9時出発 レンタカーを借りました。ここの木田さんもとても心配してあれこれ教えてくれました。よほど心もとなく見えるようです。最初に那智大社 おばちゃんに教えてもらったように防災道路から青岸渡寺のパーキングに向かいます。三重の塔にのぼると(拝観料200円)4Fから那智の滝の滝つぼまで見えます。轟々と滝音がとどろき霊気がひたひたと寄せてきますます。思わず手をあわせ 水を汚し奉った罪をお詫びし 水へ感謝奉り 日の元の国へのご加護をお願いしました。昨年台風12号で滝は氾濫し20名もの方が亡くなられたそうです。そのまま那智大社に向かいました。ご参拝させていただきご神体は那智の滝であろうと感じました。 パワーは那智の滝からくるのでしょう。飛瀧神社のパーキングがいっぱいだったのが残念でした。

本宮へは40キロ弱 168号線を走ってゆくうち 懐かしい風景が目の前に繰り広げられました。先月の旅 では ① 大神神社 大和神社 石の上神宮 そして ② 吉野水分神社 天河神社 熊野三社の奥宮である玉置神社 にたどりついたのですが 河に寄り添う168号線を今度は反対に遡っているのです。台風12号の被害から まだ回復せず あちらこちらで一方通行 工事中、 山肌が削られた痛ましい山容を目にしました。

二時間ほどで本宮です。本宮にご参拝してオヤと思ったのは これがほんとうに熊野大社本宮なのか...というなにか 肩透かしのような気分でした。たしかにウラの森からは霊気を感じるのですが これだけではないはずだと思ったのです。今度の旅では 大斎原 と花の窟神社と神倉山が気にかかっていたことを思い出し 大斎原に向かいました。紫の袴の禰宜さんがおられたので道を訊ねました。道路の反対側に巨大な鳥居 その奥の森がそうだというので すぐ向かいました。大斎原おおゆのはら とは もともと熊野座神社が鎮座していたところですが 明治時代の上流の森林の乱開発で大洪水が起こり 熊野川の岸辺にあった大斎原は流されてしまったのでした。今の元宮はその一部を遷座したものです。

緑の畑のなかをまっすぐな一本道がつづいています。見上げるばかりの大鳥居をくぐり 森に入ります。ひらけた野が目に入ります。大斎原の気はすばらしいものでした。くらくらいたしました。参拝したあとしばらくベンチで呆然としておりました。至福の時間でした。そのとき わたしは 熊野元宮のご神体は熊野川であると確信したのです。 緑のなかに白と紫の衣装のさきほどの禰宜さんの姿を見かけたので お尋ねすることにしました。「ご神体は熊野川ではありませんか?」 と訊くと「そう考えてもよいと思います 龍神ですね このあたりは伏流水が流れています」という答えが返ってきました。大斎原のパワーについては  口にする方がいるとのことでした。パワーが強すぎて大斎原に入れない方もいらっしゃるそうです。

帰り道 熊野川の岸辺をあるきました。とうとうと流れる川 迫るやまなみ 壮大な眺めです。けれども 風にのって耳障りな音が聞こえます。それは砂利を採取している工場の音でした。工場の裏手にある岸辺の産土神社に参拝しました。とてもなつかしい気持ちがしました。

左現在  右往時の大斎原

駐車場で ぎょっとすることが待っていました。レンタカーの右に5センチほどの傷があったのです。那智大社ではなかったキズでした。たしか営業補償 2万円といったっけ.....。貧乏旅行でお金はないし.......4時 みるりいな というカフェで 野菜スープとチーズケーキの遅いランチをとって 明日すこしでも早く車を返すために 今日のうちに熊野まで行くことにし 速玉大社に向かいました。

速玉大社は熊野三山の元締めのようなものなのだそうです。気もたいへんよかったし 巫女さんの対応がすばらしかったです。境内の左斜め後方から強い力を感じたので もしや 神倉山では? とお尋ねしたところ やはりそうでした。ご神体は神倉山 あるいは 右手が熊野川河口ですから 熊野川...かと思いました。(そのことは翌日神倉山であきらかになりました。) 参拝後 すぐ脇を流れる 熊野川を見にゆきました。神事御舟祭りでは川のなかの島を舟で競争して回ります。けれども その島が 昨年の台風12号で木という木がなぎ斃され見るも無残な姿になっておりました。

 それから熊野市に急ぎました。宿が決めてなかったのですが 道の駅の方にお手配いただき 簡保の宿にとまることになりました。翌日 簡保の宿と花の窟神社 産田神社が至近距離であることを知りました。

9月 奈良吉野熊野の旅 http://blog.goo.ne.jp/luca401/s/%C6%E0%CE%C9%A4%CE%CE%B9

 

 



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洗剤とくに シャンプー(髪の毛 ボディ) それから 毛染め パーマ をするときは覚悟がいりますね。我が家はせっけんとヘナ。たまにパーマ。旅館にはせっけん持参。

→ こちら

以下抜粋

最近、経皮毒というものが話題になっているってご存知ですかm052
私も最近、友達から教えてもらって知ったのですが、知ったらちょっとこわ~くなってきましたConfused


経皮毒とは?を簡単に説明すると、せっけん・洗剤・シャンプー・化粧品などに含まれている化学物質が、皮膚を透して体の中に蓄積されていってしまうm051ということです。
しかも、経口吸収(口から入ったものを通して、体に吸収されること)で化学物質などが侵入しても、そのうち90%は解毒されますが、経皮吸収から吸収された化学物質は、10%しか解毒されないので、ほとんどが体の中に残り続けてしまう!というのですm051


これって危険なんじゃないのm050
ということで注目されてきているみたいです。

以上


 



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