みなさま おひさしぶりです。昨日 長野から戻りました。母のために認知症に効くというヤマブシタケをさがしにいったのです。昨年はなかったのですが 今年はテレビで放映されたらしく 手に入れることができましたし 送ってもらう手はずもととのえてきました。
過去記事を読むと 長野から戻ると更新」しているようですね。今回はパワースポットには参りませんでした。
松本城 そば 縄手通りのぴあのというおもちゃ屋さんをたずねました。○○病院のユアサ看護師さんが あなたにそっくりのマダムがいる
と紹介してくれたので 物好きにも行ってみたのです。
お会いしてびっくり... というか がっくりというか思わず笑い出してしまいました。 昔 フジ子・へミングさんに間違われたり 似ているといわたことがあったのですが ぴあののマダムはフジコさんに似ていらっしゃった。
わたしはそんなにばあさまなのか....
それでも話ははずんで 次男によれば おおまかにみれば同じ種類の人間...だそうです。ぴあのにおいてあるおもちゃは木でできたももや欧羅巴製のお人形がおおく このお人形はおいくら? ときにいった30センチひどのお人形のおねだんをたずねたら「370000円」とためらいなくおっしゃる。わたしも平気な顔で 「まぁ よいものはよいわね」
白髪に王冠をいただいた王様にひとめぼれして ドイツ製の棒人形を四体買いました。
そのときからすでにおかしかったのですが夏風邪か からだじゅう痛くて 眠れぬ夜が これで四晩。
そんなわけで むかしのことを考えているうちに 神社に詣でるようになったのがいつか 記憶に混乱があることに気づきました。わたしは2010年5月からと思っていた。そうではなくて もっと前だったようです。わたしが....のチカラにに気がついたのは先生を失ったあとでした。それは昔からあったように そう昔持っていたハンカチみたいにわたしの手の中にあった。
なぜ茨城の神社だったのか 週末のたび 日の元つ国をお守りください.この地をお守りくださいと祈りに向かったのか....なぜフクシマではなかったのか疑問だった... ふっと 思いついた たずねた神社をむすんでみた。点と線が結ばれた...東海原発を囲むがごとく....2011年3月9日 東海原発 9Mの防潮壁が完成した。3.11 東海村を襲ったのは7Mの波だった。防潮壁が完成していなかったら電源喪失が起きていたかもしれない。そうすれば..... 茨城 埼玉 千葉 東京 ....
....だから わたしが先生と別れるに至ったのはMMさんのせいでもMKさんのせいでもなかったのだ。恨むこともなかった。
わたしだけではなかったと思う。ある神社であった方は なぜか今日 ここにいかなくてはという思いにかられて....とおっしゃっていた。この国に危険が迫っているとき 知らせがくるのだと思う。そのときはわからなくても あとでわかる。直観を信じて行動すればよしなのだ。祈りには意味があるのだと思う。 多くのひとが祈るほどにチカラは強まる。4%のひとの意識がかわれば方向がかわるという。そうであれば ひとりが4人の意識をかえてゆこう。自分をだきしめ 他者をだきしめ いのちをことほぎ生きてゆこうと。ひとばかりでなく 生きとしいけるものが共存できる世になるようにと。
まだ遅くはない。この文明が滅びるのはもったいない。神さまがそう思われるように。