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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



........きのう はじめて 観たのだが どうも気になって 気になって ..... 山本耕史 さんは花より団子で 花沢類 の声を担当していた役者さんだった。殺陣が若手にしては滅法上手い。このごろNHKによく出ているらしい

どこが 気になるかというと 目 である。 きれいな目 見ているけれど見ていない 自分しか見ていない ..... とわたしは感じた。 自分「ひとりで」ものがたりを語ってしまっている。完結している....舞台役者のはずなのに...?それが不思議で じっと見ていた。所作がうつくしい。かくあるべきという美意識 スタイルを持ってらっしゃるのだろう。山本耕史 さんが 丹下典膳をそういう人物 美意識を持ち 自分のなかでものごとをとらえ 決め 運命に殉じる ...... そうとらえているならいいけれど。丹下典膳はそれだけではないと思う。こころのなかに揺れ動く海を持っているのではないか。それを もうちょっと見たいなぁ......ほんとうのかっこよさは かっこわるさからもくる たとえどんな強く見える人間でも 弱さや恐れや情けない部分を抱えていない人間はいない。自分のなかに弱さを見る 執着を見る 恨みを見る たじろぐ 苦しむ 未練を断ち切る その葛藤にこそドラマがある 見るものを惹きつけずにはおかないその揺れ....がもっとあれば 千春に「もう 嫁はもらわぬ」 という台詞が生きる。 もっと胸が揺さぶられる。さらっときれいに過ぎるのだ。もっといい役者になってもらいたいなぁ....

いい役者は滅多にいない。自分のガラや色で勝負するひとはいるが、私が好きなのは 自分をカラにして役そのもので生きるひと。それを役者という。



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アメリカ人も政府に対して闘っていた.....だが すこし 遅かった......

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=267030

以下転載

昨年からアメリカで始まったウォール街占拠運動は、日本のメディアはもはやほとんど報じることはないが、基本的にそれは企業がアメリカを乗っ取り、99%のアメリカ人を強奪していることに対する抗議活動である。規制緩和によって多くの自由を手にした企業は、経営者や株主の利益を最大にするために好き勝手なことを行え、さらにその利益を使って政府を買収する。政府を味方につけたわけだから、違法なことをやるなら法律を変えさせて合法にすればよいだけだ。

 たとえば今アメリカではバイオテクノロジー企業にさらなる自由と特権を与える「モンサント保護法」が承認されようとしている。これは安全性が確認されていなくても遺伝子組み換え作物を作ってもよいというものだ。遺伝子組み換えは品種改良の延長で、人類の進歩の証しで安全だという人がいるが、そう信じている人が遺伝子組み換え作物を食べるのを私は止めはしない。しかし私は、長期的な安全性の分からないものを食べたくないので、遺伝子組み換えを選ばない自由を消費者として要求しているだけだ。
 
【遺伝子組み換え推進】
 モンサントは遺伝子組み換え作物を推進することによって、種と農薬の使用権と特許料を独占し、そのすべてにおいて利益を上げることができる。このような1%にしか利益をもたらさない法律について、アメリカのメディアが報じないのはメディア所有規制緩和により寡占が進んだからだ。新聞社と放送媒体は同じ企業となり、広告主である企業に都合の悪いニュースがヘッドラインを飾ることはまずないし、それどころか、たとえ嘘(うそ)でも繰り返し報道することで、国民はそれを本当だと思うようになるという心理を利用してプロパガンダ機関となったのが現代のマス・メディアなのである。

 日本がTPPに参加すれば、多国籍企業は日本でも同じように圧力をかけ、遺伝子組み換えや食品原産地のラベル表示義務を取り除くだろう。そうなればどこでどう栽培されたかを知る手段はなくなる。そんな条約だからこそTPPの交渉はアメリカ政府と大企業が密室の中で行っている。つまりTPPは貿易協定などではなく、企業が国家を支配するためにその国の社会システムを変えさせることなのだ。99%を搾取する1%に国家統制を委ねるシステムをつくり、1%に天然資源の支配権を手渡し、環境を自由に破壊する権利を与え、国民の仕事が国内になくなろうとも最低賃金のところに生産拠点を移し、金融機関への規制をなくし、安全や健康のためにかろうじて残っているあらゆる規制や企業の責任を取り払うための道なのだ。

以上



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食はいのちをいただくものです。狩猟民族は 力の限り闘って動物をしとめ 肉を勝ち得たとき 動物たちに感謝を捧げました。

しかし 現在は スーパーのトレイにならべられた肉片を買ってくるだけです。その向こうにある悲劇をわたしたちは知らなすぎるのです。

たとえば 乳牛は しっぽを切られるのだそうです。ハエを追いたくても追うことができません。なぜしっぽを切るか 汚れるからだそうです。牛の乳が出るのは、人間と同じで、出産して子供を産むからです。人工受精→出産→搾乳→人工授精→出産を繰り返し、子供が産めなくなり、乳が搾れなくなると、されます。

豚は肛門に電極を押し込まれ 感電死させられ 頭をスパっと落とします。

すこしまえ 米国の畜産業と巨大な食肉工場についてUPしましたが 日本も徐々に米国とおなじになっています。牛はアルミニウムの大きな箱に入れられ 出てくると肉になっています。牛は泣くのです。動物がかわいそうという見地からだけではありません。恐怖のなかで死ぬと体内に毒素が生まれると読んだことがあります。また コーンがエサとして与えられるので 胃潰瘍になったり 高密度で飼育するため 抗生物質はかかせません。ガンの原因は多くありますが 肉食が加速させるのは事実のようです。

たとえ 食べられるために生まれた家畜にも いのちもあれば魂もあります。.....わたしはときどきなにかにつながることがあります。それは木であったり 亡くなった方の霊だったりするのですが あるとき 電車のなかで(眠っていたわけではありません) される牛の断末魔とつながってしまいました。わたしは声を出さないでいるのが精一杯でした。そのときの衝撃はあまり大きかったので それから牛肉は食べられなくなりました。豚肉と鶏肉もできるかぎり減らしています。

肉を食べる前に できたら 見てください。

→ こちら

 



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映画 kingcorn より

牛は草を食べない牧場で育たない、狭い飼育場でコーンを食べて 6ヶ月で殺される。本当は120日以上 コーンを食べさせてはいけない。胃潰瘍になるからだ。でもクスリを飲ましてコーンを食べさせる。コーンは安いから。

運動しないで 食べてばっかり。コーン育ちの牛は高脂肪、ハンバーガーひとつで 不飽和脂肪酸9.3g?

コーンの使い道はそれだけじゃない ポテトを揚げる油はコーン油

炭酸水飲料のなかには コーンが原料の 加糖液糖 ......

原料はみーーんなコーン ただのコーンじゃないよ 遺伝子組み換えコーン

なぜ コーンなのか アメリカ政府が助成金をいっぱいくれるから。

いいことだとは思ってない だけど 仕方がない と農家のおやじさんは言った。

スーパーの食品売り場はコーンが原料のものばかり だけど考えないようにしてる ともうひとりが言った。

「コーンを食べないかって?」 食べないわ 売るだけよ うちの分はつくらない っておばさんが言った。

ニューヨーク市民の1/8が 糖尿病......

以上

マクドナルドだけじゃない 肉や卵を食べること 牛乳を飲むこと それは コーンを食べること。

スーパーで食品表示を必ず見てね。調整でんぷん ブドウ糖果糖液糖 スターチ 原料はコーン

日本人の身体の40パーセントはすでにコーンでできている。(NHK)



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ツイッターのバンビさんから

http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2006/10/000041.html

腐らないマックを笑えなくなっちゃった.....



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目の前から ヴェールが取り除かれれば 景色はよく見える。日本の近代史 古代史を見えにくくしているものに 天皇制をどう歴史上にあらしめたいかというお上の思惑がある。 それとともにサンカという漂白民 山のひと あるいは朝鮮からわたってきたひと 被差別の問題がある。めんどうなことは隠すにこしたことはない。いずれ風とともに消え去るとお上は思っているのだろうが 隠されれば隠されるほど なにかあるなと 調べたくなるのが ひとの本性でもある。 サンカについて調べているひとが多いのに驚いた。柳田國男のサンカ研究は脅しによって止められた。「日本人の1/3はサンカである」 .... なぜ 止められたか? その後 他の学者の研究で.... 

①サンカは古代から存在する漂白民か? まつろわぬ 原・日本人 縄文人の末裔?

②それとも 中世 動乱のつづいた南北朝時代の職能集団がもと?

③それとも 江戸時代末期の飢饉で 山に逃げたひとたち

サンカの起源には諸説あるようだが どれも それらしく また若干あやしくもある。.....

渓流釣りの名人清石氏の「最後の山窩」を読んだ。なんだか泣けてきた。

http://www2.biglobe.ne.jp/~ufodo/seiseki/doc01.htm

朝 シアトル酋長のメッセージをひさしぶりに読んだので 載せておく

http://www16.ocn.ne.jp/~tana5020/siatoru.html

どこか共通点があるように思う。それは自然を敬い 自然に抱かれて生きるということ。わたしたちがうしなってしまったこと。

語り部として わたしは昔話を語る気にながいことなれなかった。それは直感といったらいいだろうか。ウソくさく つくりものめいて感じられた。そのなかで 伝説にちかいもの だれかから耳で聴いたものがたりは語ることができた。手白の猿 おつきさま 金の鎖 巡礼堤の伝説....。実際に生きたひとの息吹が感じられるものがたり。

西洋でも東洋でも 時をほぼ一にして 三人の宗教的指導者が生まれた。キリスト 仏陀 モハメッド ...... ほんとうのところ 三人の聖なる指導者の教えとされるものは 何百年を経て 弟子たちがまとめたものである。少なくとも キリスト教については教会宗教に堕してしまい 生き生きしたイエスの教えは変質してしまったとわたしは感じている。イエスの教えの息吹が芳香のように感じられるのは トマスの福音書 マリアの福音書 いわゆる死海文書からであった。 もちろん教会にいくことで心の平安を得られるひとはそれでいい。

しかしながら 中世は暗い時代だった。ひとの生き生きした自然な振る舞いは抑制された。ものがたりの世界でもどうようである。むかしからつたわっていたものがたりはゆがめられ 変貌を余儀なくされた。グリムのもとはパンタローネであったが 底辺のひとったいが語りついだいのちに沿った 生き生きとしたものがたりは 良家の子女のものからつたわったとされ 版をかさねるたびに 女性は家で しずかに 男の訪れを待つものに 次第に力をそがれていったのである。ヨーロッパの文化の源泉のひとつ 憂愁と幻想にみちたケルトの森でも キリスト教伝道者によってものがたりは作り変えられていった。

日本の昔話にも お坊さんの出場がふえ 動物たちが聖なる力を失い そして オニ をわるものして駆逐するものがたりも生まれたようである。サンカについてはこれからすこしずつ調べてゆこうと思う。そして サンカの息吹 インディアン アイヌ=ひと 人間が自然のなかで 苦闘しながらも 調和して生きてきたものがたり 精霊とともにあったものがたりをさがして語ろうと思う。.......六地蔵 蓑傘つくり....サンカの匂い 地蔵と合体 鬼女房 サンカの匂い さがしてみれば 今語っているものがたりにも 片鱗は残っていた.....。

 

だから 白い人よ。
わたしたちが 子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもに 伝えてほしい。
大地は わたしたちの母。
大地にふりかかることは すべて
わたしたち大地の息子と娘たちに ふりかかるのだと。

あらゆるものが つながっている。
わたしたちが この命の織物を織ったのではない。
わたしたちは その中の 一本の糸にすぎないのだ。

 生まれたばかりの 赤ん坊が
母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている。
もしわたしたちが どうしてもここを立ち去らなければならないのだとしたら
どうか 白いひとよ
わたしたちが大切にしたように この大地を大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を 受け取ったときのままの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもたちの そのまた 子どもたちのために
この大地を守り続け 私たちが愛したように愛してほしい。いつまでも。

どうか いつまでも。



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           斉藤惇夫

さあゆこう仲間たちよ
 住みなれたこの地をあとに
 
 曙光さす地平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 梢をゆする風の中に
 流れ下る河の歌声が

 さあゆこう仲間たちよ
 ふりそそぐ日の光を背に
 若草もえる岸辺のはてへ
 聞こえるだろう ほら
 川面をわたる風の中に
 はるかとどろく潮鳴りが

 われら草の根をまくらに
 旅を住処とし
 久遠の郷愁を追いゆくもの

 さあゆこう仲間たちよ
 うずまきさかまく大海原を
 残照輝く水平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 あれくるう風の中に
 自由と愛のほめ歌が


死んだ男の残したものは    谷川俊太郎


死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
捩れた足と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
壊れた銃と歪んだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない





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子供は縄文時代が好きなのでhあ....と思います。狩猟による暮らしが日本にもあった。 古墳という古代の墓などわくわくするのではと思います。しかし 数年のあいだ 教科書から正式には縄文時代の記述が消えていたのです。

........

小6社会の教科書は「ゆとり教育」に伴い、1998年の学習指導要領改訂で、最も古い時代の記述について「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること」と規定。2002年度以降の教科書からは、農耕が始まったとされる弥生時代から記述が始まり、旧石器時代と縄文時代は原則として消えた。

これに対して日本考古学協会は強く反発、記述の復活を求めてきたが、08年の学習指導要領で授業時間が増加したため、「狩猟・採集や農耕生活の始まり、古墳について調べ」などと改訂。検定を経て、2011年度から 縄文時代の記述が復活した。 ただし、旧石器時代をくわしく取り上げた教科書はなかった。

世界でも例を観ない 1万5000年前~1万1000年つづいた 縄文時代を消すなんて いくら ゆとり教育だって もともと無理な話でした。では 消されたほんとうの理由は.....

縄文時代を消そうとした本当のねらい

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/joumonjidai.html
 勅使河原の小論は、その学習指導要領の改訂の「意図」にまで進んでいく。たんに「ゆとり」をうたった内容厳選だけではないだろう、というわけである。

 勅使河原によれば、98年の改訂の土台には89年の改訂があり、このときに指導要領に〈天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること〉(指導要領)などの項目が入り込み、日の丸・君が代の強制とあわせて〈小学校の段階で国民の思想統合をはかろうと意図したものである〉(勅使河原前掲)としている。

 勅使河原の推論では、指導要領において〈農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと〉(指導要領)とあるように、米づくり―神話―国家というトリニティを子どもに植えつけ、神武即位などの神話と矛盾する縄文の記述を削ったのだ、ということになっている。

〈記紀の神話と考古学による歴史とは、たとえば記紀で第一代とされる神武天皇が橿原宮で即位した紀元前六六〇年は、まだ石器時代であったというように、真っ向から対立するものであることから、神話を教科書で取り上げさせるためには、考古学による歴史叙述を教科書からできるだけ締め出す必要があるからである〉(勅使河原前掲)
以上

すなわち 天皇制 むかしはおおきみ....だったそうですが ...から日本ははじまったことにしたいわけだし 縄文を掘り下げたくない意図もあるということではないでしょうか? 日本は単一民族でないし、2000年前には200あまりの国がありました。豪族たちから歴史を買い取りあるいは奪って編集し 国内外に朝廷の正当性を喧伝したのが古事記であり 日本書紀なのですが  現皇室の先祖以前に 少なくとも近畿地方を統一した王朝があったと推測されます。それが 三輪山・オオモノヌシ は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) あるいは大歳の神です。

この大三輪には深い意味があるようですが それはのちにお伝えするとして 考古学的発見や オオモノヌシ 豪族のたたかい アテルイのことなど また 日本の黎明の時代こそ 古どもたちにしっかりつたえたい。また心身にかかる日本の古い知恵なども紹介していただければ こどもたちはもっともっと 心身ともに耕されるのではと思います。


 



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気になるヴォイストレーナーさんがいたので 特別にエクササイズを見せていただくことになりました。 デモと踊りすぎたのとで ひざのぐあいがよくなくて遠回りの鈍行で 参宮橋は遠かった。3時間かかって着いたときにはもうだれもいません。夏休みのため 高校生でごったかえしておりました。 なつかしのカフェ FRIENDで昼食 研究セミナーの頃は喫煙コーナーがあったのに隔世の感があります。個人的にはかくも激しき煙草へのバッシングはWHOの陰謀だと思っております。人体に激しく有害なワクチンをあのようにひろめる WHOが世界の人民の健康をさほど考えるとは思えませんもの。

午後は朗読のクラスがあるというので挨拶にうかがったところ 受講者は青年一人で ついでに朗読させられました。青年の声はすばらしかったです。深みのある倍音成分たっぷりの声でした。地の文は淡々と...せりふは立てて 8.9人のせりふを明確に語り分けられるのです。すこし気になることがあり 共鳴区はどこまでつかっているのか 尋ねたところ 口腔内だけという答えでした。気持ちを切り替えるのではなく 口腔をひろげる 口をゆがめる など機械的に声をかえるのです。

けれども技術的にたいへん高度なので ほとんど違和感はありません。なかでも小泉八雲の 漁師が難破して仲間の幽霊に助けられるという紙芝居は圧巻でした。波の音 叫び声 呼吸がしっかりしているので間髪を入れずアタック音が出る 地の文はまったく揺るぎません。じつによくコントロールされています。.....ところが三作目であきてしまったのです。いくら上手くても みな同じテンション 緩急も間も考慮されず....これらは本来自然にでてくるものですね。......うまいのだけど精巧なつくりもの...のように感じました。.....しかし 声はすばらしかった、もったいないなぁ.... ヴォイストレーニングは受けてみたいと思いましたが 遠いのと高額の入会金で二の足を踏んでいます。



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ツイッターから①

ヤマザキは海外でも使用禁止になっている猛毒の添加物「臭素酸カリウム」を2006年から使用しています。これは自然界には存在しない強力な発ガン性物質で、中国でも使用を禁止しているのに、ヤマザキは「生地にする段階では影響は出ないので、安全を確認した」として使用を独自再開。

えーっ⁈ ヤマザキパンの社長が試作品のパンの味見をお願いした社員に「おれを殺す気か!」…ヤマザキパンの社長もヤマザキパンは食べないモンサントの社員食堂では遺伝子組み換え食品を食べない http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=261403"

独り言:良かったと思えること。沖縄にはヤマザキパンはない。中国でも使わない発ガン添加物使用パンを見なくてすむ。

スーパーの魚から検出され続ける放射性セシウム -スーパー販売鮮魚放射能汚染 http://www.best-worst.net/news_aaOcrqCwdw.html

不買するべき原発推進企業①食品系列+スーパーのみ抜粋●セブン&iホールディングス【セブン11、イトーヨーカドー、ヨークマート、ヨークベニマル、ザ・ガーデン、そごう、西部百貨店、デニーズ】●イオングループ【ダイエー、マルエツ、マックスバリュ、ミニスト、オリジン、東秀、いなげや】

自分や家族が食べない物を売る人がいる。同じ食を職とする者として悲しい。でも消費者の方々にも分かってほしい。安全で美味しくて手作りで安い物なんて無い。一度始めから全て自分で作ってみるとどれだけコストがかかるかが分かる。それに店舗運営費や人件費がかかるのだから…考えれば分かるよね。



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http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

以下 抜粋

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。最近では6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。



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日本の家庭のごくふつうの献立 こんなあたりまえのしあわせがなくなっちゃったのね。

3.11で 買いためた食べ物もそろそろ賞味期限切れ そんなことかまわず 食べてしまいますけれど。生協のコンソメの素やお蕎麦やお麩 とても高級なとろろ昆布出してきました。うどん 小麦粉 お豆類はまだありますが 秋から先の食料調達たいへんですね。小麦大麦も汚染 ビールもパンもうどんも、放射能汚染をとるか 遺伝子組み換えをとるか 究極の選択です。あとは自分でつくるしかありません、買って食べるというやわな生活が身についてしまったから 覚悟ができません。

すっかり飼いならされてしまいましたね、彼らはわたしたちを教育し 便利な生活を選ぶことをしむけ わたしたちは生殺よだつの権利をかれらにわたしてしまったのね。自分のくらしを取り戻す その基本 食を取り戻す事は容易なことではありません。でもそこが分かれ目でしょうね。自分の運命を自分の手でにぎるには 闘い まずはやわな自分との闘いしかありません。この先のことは ひとそれぞれ相応に起きるので 不満を言うべくもないのですが もやもやしていることがいくつか......

ひとつ 天皇制はいったいなんなのか.....今の現実の日本の元 近代史も国の成り立ちを知る古代史も 皇室がふかくかかわっています。私は縄文人の末裔と16のときから思ってきたのでもちろん 大陸からのシベリアからの南方からの渡来人の血をひいているわけですけれども 芯にあるのは森の文化です。ですから とうぜん ヤマト朝廷は滅ばした敵ですが 御皇室への尊崇の念も消しがたいものがあります。

教科書から消されている古代史があります。それらはある程度学者によって 読み解かれているのでしょうが表にはでてきません。推し量るしかありません。ま歴史を知るためにひとつには皇室につたわる祭祀があります。歴代天皇の墓所には歴史のなぞをとく品々が眠っているといわれます。御皇室にとってだしたくない歴史もあるのでしょうが それをあきらかにすることは 日本という国に国民が誇りを取り戻すことになると思うのです。万世一系などこだわる必要があるのでしょうか。すでにそれがほころびていることを多くのひとが知っているのでは。万世一系だから尊いのではないと思います。皇室というものが世界の平和に寄与するのであればいい。過去はどうであれ。

アメリカに従属する起こりはすでに幕末にあったといわれます。幕末の英雄のなかにすでに日本を売り渡した人間がいたというのは驚きです。そして 戦後アメリカとの密約のウラになにがあったのか.....こうしてみると TPP 原発事故 官僚支配 日本の闇の根は深く 日本の隠された歴史 そして皇室の歴史ともあたりまえながらからみあっています。

江戸幕府は300年  武士の時代はあらっぽくいえば 平安 渡来人 ヤマトの手から もののふが実権を奪い返した時代でした。新政府になってわずか150年弱 このあたりで歴史の総括を試み 日本がどのような国かどうしてこうなってしまったのか これからどこへ行くのか 考えることはあたらしい時代を迎えるにあたって 意味があると思うのです。

孫崎さんのツイートですが いったいどんな内容でしょうね。

『戦後史の正体』:明日発売です。内容にびっくりするでしょう。本当?、本当です。日本国民が知らなかっただけです。出版社社長さん「”よほど売る確信あったな。でないとこんな値段つけられない”と同業者に言われる」1575円。写真等入れて386頁。紙も工夫。お買い得商品ですー本日営業努力中



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大津中の事件もそうなのですが 日本という国を考えると どうしても 被差別 在日 サンカ ....縄文 天皇制 を素通りにできないのです。サンライズブルース のあと アシタカ王(仮題) 縄文のものがたりにすすもうと思いましたら やはり サンカにあたりました。日本人のルーツを考えるとき  まだいくらか カケラが残っている 縄文....サンカは古代史にむかうひとつの入口です。 古代日本人のルーツは秦氏や日ユ同祖論より ずっと時代をさかのぼるように思います。 シュメール スメル の時代にさかのぼるのです。

http://ameblo.jp/hex-6/entry-10730045504.html

ユダヤは世界最古と自称するが、ヘブライはB.C.1700頃から出現  B.C.722 ⇒ この時から10氏族が行方不明
シュメールは更に古く都市文明期のウルク期でBC3500~3100 農耕が始まったウバイド期(ウバイド人)でB.C.8000ごろである。最古の文明とも言われるシュメールは、農耕が始まったウバイド期でB.C.8000ごろである:都市文明期のウルク期でBC3500~3100だが、B.C.2000年には消えてしまう。エジプトの古代王朝でB.C.3500頃、鉄器生産がB.C.3800頃
ところが、青森県の大平山元遺跡で発見された縄文土器は、なんと1万6500年前のB.C.14500で世界最古の土器(ただし縄目が無い)
長崎県北松浦郡吉井町から福井洞穴より12000前の土器、長崎県佐世保市の竜泉寺洞穴より13000前の土器が発見されていてこれらも世界最古級。

日本にもペトログラフがあった。
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/petoro.html

日本のペトログラフにCIAが興味を持っている いわゆる ワンワールドとかかわりがある。げに 原発と縄文はおおいなる連環のなかに存在します。日本の民俗学の祖 柳田國男と折口信夫のただならぬ関係はつとに有名ですが もしふたりが男色ではなかったら 日本の古代史はもっと解明されていたかもしれません。権力のやり口はいつも同じ。弱点をみつける。脅す 懐柔する。さもなければ消す。

http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/sanka.htm

『さて、柳田国男氏とその弟子の折口信夫氏らが「日本の全人口の三割はサンカだ」と発表して、タブーに果敢に挑戦しました。つまりオカミの歴史に対して常民史観というようなことを言い出しました。しかしその存在を許さぬサンカが、全人口の何割も今に到るも生存している等とは以ての外であるし、その歴史探究など言語道断という事だったでしょう。

当時、今とは違い男色が最悪の不道徳とされていた時代「折口信夫との間を公表すれば如何となす」と特高に引張られ、脅されて「弟子の彼が可哀そうだ」と「あれは誤りだった」とやむなく訂正の評論を書いて、民俗学の方へ転向してしまいました。現在柳田の研究書は沢山在りますが、こうした深い所ろへの視点が欠けているように思うのは独断と偏見でしょうか。

彼は非常に頭脳明晰な人だったと言いますから、あのまま研究を続けていれば、日本原住民史は、当時はまだ資料は残っていたでしょうから、随分と今とは違った形で解明されたでしょう。次に手がけられてやめた、白柳秀湖氏の場合も、一人娘さんがやはり人質みたいになって、男親って娘が可愛いから、結局彼も折角いいところまで行ったんですが、やむなく中止して右翼の評論家として亡くなってます。
全く日本のオカミのやる事は、昔から汚く陰湿です。』

古事記とシュメール語

http://www42.tok2.com/home/oaksnet/kojiki2.htm

以上

日本というのはほんとうに不思議な国。滅びるわけはないのです。ひとりひとりが この国のルーツを知る 自分のルーツを知ることで この国はもっと輝く。

なんだかふっきれたので アシタカ王 は「名草姫」 「星の神 ミカボシカガセオ」「奴奈河姫」 とは違い 史実はあまり考えず 翼をひろげ自由に語りたく思います。もともと 史実がほとんどみつからないのだから あとはインスピレーションだけ。 うしなわれた過去のものがたり これが いま いちばん 求められている感じが.....だれから?......それは謎。



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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-96.html

以下抜粋

我が国で太古から使われていた言葉、すなわち大陸から列島に漢語の波が押し寄せてくる前のことばをやまとことばという。やまとことばからは、今を生きる我々がとうに忘れてしまった本当の祖国、それを造った先祖たちの生き方を伺い知ることができる。

やまとことばにおいてクシの音をもつものはまず「髪-クシ」、これは頭髪のみを指す。「頭-クシ」は頭部と頭髪の両方を意味する。ちなみに「頭-カシラ」は「クシ」の美称である。髪と頭は「カミ」の音も共有している。「首-クシ」というものもあるが、頸部ではなくそこから上すなわち頭部のことをいい、「頭」とほぼ同意である(すでに身体をはなれてしまった頭部を指すことが多い)。

そして今では完全に忘れ去られた言葉、「奇し-クシ」は、不思議な、霊妙な力をたたえた状態を示す形容詞である。

終わりのある「現世-ウツシヨ」、つまりこの世での命をながらえるための「器-ウツワ」である人の、その「空-ウツ」なる「「内-ウチ」側が「うつ」であると書いた。そこに霊妙なる、奇しき力を宿した人はもはや「うつくし-ウツ・クシ」さを隠すことなどできまい。

ひとのうつくしさは言葉や振舞い、そして顔に現れる。その根源はその人の内側にある魂であり、そこにやさしさや強さや厳しさが具われば口をついてよい言葉となり、よい行いとなり、いずれはよい顔をつくる。見た目の整ったうわべの麗しさとはそもそも源を異にする。奇しき力とは向こうから歩いて来はしない。櫛で梳いた髪も如く、鋤で鋤いた田の如く、つとめて整えられた心の内にこそはじめて降り立つ。

人のみにあらず、それは森羅万象すべて同じく空も、海も、草木も雪も月も花も鳥もみなうつくしい。山河はもとより路傍の石とて人がこの地を踏むはるか昔に生まれ悠久の時に形づくられた姿を呈している。裸でこの世に生まれた我々の暮らしを支える道具もまたうつくしい。日々精進し技を磨いた職人の作り出す道具は用に徹し微塵の隙もなきにしてそのうつくしさは時として人の心を奪う。一枚の画は人の目を楽しませるだけの色と形の組み合わせに非ず、画工の魂から溢れるものをその腕によって紙に写したものである。見るものの心がそれに打たれ画工の心と邂逅したときにうつくしいと思うのである。しかしそれを見る側の心が鈍っていればなにも感じることはできない。

いま、大量生産された粗悪品に囲まれる日々は我々の心を鈍らせる。経済に重きを置くあまり、ありもしない需要をひねり出しありあまる供給をなし無茶な消費を迫る。無駄が無駄を呼ぶ。ありもしなかった需要に存在の価値があるはずもなくすぐさまゴミとして彷徨うことになる。うつくしき山河は土に還らぬ骸で埋められようとしている。
音楽や絵画など凡そ芸術と呼ばれるものは全て商品化されたであろう。作家の魂には値札がつけられ見るものの心はその数字にのみ打たれる。目と舌先を喜ばせるだけの華美な食卓は病巣を育てる。いかがわしい原料から作った物の悪臭を隠すために香料を添加し、あるいは見目よく着色する。おなじく見た目の麗しさを追いかけるのみの美容は異性の目を惹きつけるか同性との競いに勝つためのものでしかない。見ばえのする姿態と見ばえのする暮らしを維持したいと願うものは子を産み育てることから逃げたがる。放射能や遺伝子組み換え食品が不妊を招くといくら喚起したところで馬耳東風、このような人たちと次世代の話する術など、どこにあろう。

日本人が目先にとらわれ心の内側をこれほどまで置き去りにしてしまったのはいつからか。

原発という巨悪に対し立ち上がる動きは日に日に大きくなる。原発を擁護する世論はそれに押され弱まりつつあるかのようにも見える。

しかしここに掻き消せない一抹の不安がある。

それは危険極まりない原発も目に見える表層の現象でしかなく、その内側にははるかに大きな悪が控えていようそのことである。かりに日本から原発がなくなったとして、その後の日本をどう造るのかが如何に語られているのか。いまの生活、いや経済水準を維持するために必要な電力を何かしらの方法でひねり出すことが解決なのだろうか。原発の内側にある本当の問題に気づく者がこの先増えていくのだろうか。

現状、原発の是非の問答は経済にはじまり経済に終わる。ただでさえ不況を抱える今、原発による電気の供給がなければ経済が落ち込むという恐怖が人を捕らえて離さない。それを言い換えれば競争に負ける恐怖である。
周囲から引けをとっていないかに気を揉み、相手を出し抜く方法を教え込まれ、目の前の相手の価値を収入と肩書きで値踏みする。自らと競争相手だけで構成される集団の中で生きている。我々がこの競争に勝つことに生きる意味を求めている以上何も変わりはしないだろう。原発をなくしたところで原発よりもさらに危ういものを作り出すだろう。国とは人の集まりである。人同士の繋がりが競争でしかないのなら、それが集まった国とはいったい何なのか。国同士の繋がりが競争でしかないのなら、この世はいったい何のためにあるのか。

原発はなくすしかない。なくなるしかない。だが本当に戦う相手は原発や原子力村などではない。魔物は我々一人ひとりの内にある。それは見せ掛けの豊かさを手放せない弱さである。他人への妬みと嫉みである。飽くことのない欲である。もとより人に備わる穢れではあるが先祖たちはこれをよく戒め、手懐けて生きていた。それが近代の幕開けとともに競争原理がなだれ込み、勝ちたいがためにこの力を解き放った。鎖を解かれた獣は自由放蕩に暴れ周り我々を競い合いへと駆り立てる。

人々が常に誰かと競い、走り続けるこで経済の車輪が動く。立ち止まることは市場の持ち主たちにとって許しがたい行為である。だから脅して賺して走らせる。脱落するものは踏み潰されそして誰一人として勝者になれない。なぜなら輪を描いて走り続けるだけなのであるから。

外にとらわれ心の内側をこれほどまで置き去りにしてしまったのは、それは無理矢理に外を向かされたそのとき、近代を迎えたときからである。道を誤ったのであれば辻まで戻って行き直すしかない。

心の内側に巣食う魔物をねじ伏せることができさえすれば、原発などはその後ろ盾を失いたちまちに消えて失せる。そして心の内に奇しき力をふたたび呼び戻すことができるだろう。そしてうつくしき人に戻り、うつくしき国を立て直すことができよう。



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