目の前から ヴェールが取り除かれれば 景色はよく見える。日本の近代史 古代史を見えにくくしているものに 天皇制をどう歴史上にあらしめたいかというお上の思惑がある。 それとともにサンカという漂白民 山のひと あるいは朝鮮からわたってきたひと 被差別の問題がある。めんどうなことは隠すにこしたことはない。いずれ風とともに消え去るとお上は思っているのだろうが 隠されれば隠されるほど なにかあるなと 調べたくなるのが ひとの本性でもある。 サンカについて調べているひとが多いのに驚いた。柳田國男のサンカ研究は脅しによって止められた。「日本人の1/3はサンカである」 .... なぜ 止められたか? その後 他の学者の研究で....
①サンカは古代から存在する漂白民か? まつろわぬ 原・日本人 縄文人の末裔?
②それとも 中世 動乱のつづいた南北朝時代の職能集団がもと?
③それとも 江戸時代末期の飢饉で 山に逃げたひとたち
サンカの起源には諸説あるようだが どれも それらしく また若干あやしくもある。.....
渓流釣りの名人清石氏の「最後の山窩」を読んだ。なんだか泣けてきた。
http://www2.biglobe.ne.jp/~ufodo/seiseki/doc01.htm
朝 シアトル酋長のメッセージをひさしぶりに読んだので 載せておく
http://www16.ocn.ne.jp/~tana5020/siatoru.html
どこか共通点があるように思う。それは自然を敬い 自然に抱かれて生きるということ。わたしたちがうしなってしまったこと。
語り部として わたしは昔話を語る気にながいことなれなかった。それは直感といったらいいだろうか。ウソくさく つくりものめいて感じられた。そのなかで 伝説にちかいもの だれかから耳で聴いたものがたりは語ることができた。手白の猿 おつきさま 金の鎖 巡礼堤の伝説....。実際に生きたひとの息吹が感じられるものがたり。
西洋でも東洋でも 時をほぼ一にして 三人の宗教的指導者が生まれた。キリスト 仏陀 モハメッド ...... ほんとうのところ 三人の聖なる指導者の教えとされるものは 何百年を経て 弟子たちがまとめたものである。少なくとも キリスト教については教会宗教に堕してしまい 生き生きしたイエスの教えは変質してしまったとわたしは感じている。イエスの教えの息吹が芳香のように感じられるのは トマスの福音書 マリアの福音書 いわゆる死海文書からであった。 もちろん教会にいくことで心の平安を得られるひとはそれでいい。
しかしながら 中世は暗い時代だった。ひとの生き生きした自然な振る舞いは抑制された。ものがたりの世界でもどうようである。むかしからつたわっていたものがたりはゆがめられ 変貌を余儀なくされた。グリムのもとはパンタローネであったが 底辺のひとったいが語りついだいのちに沿った 生き生きとしたものがたりは 良家の子女のものからつたわったとされ 版をかさねるたびに 女性は家で しずかに 男の訪れを待つものに 次第に力をそがれていったのである。ヨーロッパの文化の源泉のひとつ 憂愁と幻想にみちたケルトの森でも キリスト教伝道者によってものがたりは作り変えられていった。
日本の昔話にも お坊さんの出場がふえ 動物たちが聖なる力を失い そして オニ をわるものして駆逐するものがたりも生まれたようである。サンカについてはこれからすこしずつ調べてゆこうと思う。そして サンカの息吹 インディアン アイヌ=ひと 人間が自然のなかで 苦闘しながらも 調和して生きてきたものがたり 精霊とともにあったものがたりをさがして語ろうと思う。.......六地蔵 蓑傘つくり....サンカの匂い 地蔵と合体 鬼女房 サンカの匂い さがしてみれば 今語っているものがたりにも 片鱗は残っていた.....。

だから 白い人よ。
わたしたちが 子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもに 伝えてほしい。
大地は わたしたちの母。
大地にふりかかることは すべて
わたしたち大地の息子と娘たちに ふりかかるのだと。
あらゆるものが つながっている。
わたしたちが この命の織物を織ったのではない。
わたしたちは その中の 一本の糸にすぎないのだ。
生まれたばかりの 赤ん坊が
母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている。
もしわたしたちが どうしてもここを立ち去らなければならないのだとしたら
どうか 白いひとよ
わたしたちが大切にしたように この大地を大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を 受け取ったときのままの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもたちの そのまた 子どもたちのために
この大地を守り続け 私たちが愛したように愛してほしい。いつまでも。
どうか いつまでも。