遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    きのう 津軽三味線の会に行きました。3/17 高橋竹山さんの三味線を聴きにいくつもりだったのですが 10日前友人から誘いがあり こちらにうかがうことにしたのです。

    三越や三愛のすぐちかく 小料理屋さんで 20名少数限定の会 お客さまも面白い方が多かったです。歌手霧島昇さんの娘さんとか作家さんとか.....わたしは一番前で 30センチ離れていない場所での演奏でした。奏者山中信人さんは15歳から青森で三味線の修行をなさった方でした。わたしは酩酊しました。脊髄から脳天まで三味線の響きに貫かれ あの世とこの世をいったりきたり 疾走したかの感がありました。有名な津軽じょんがら 旧節 新節 新旧節 と聴かせていただきました。

    終演後 山中さんに こそっと「どちらがお好きですか」 とうかがいましたら すこし困った顔をなさって「実は旧節です」とおっしゃいました。.....わたしもそうだったんです。今 ジャンジャカジャンジャン ロックみたいな新節がもてはやされておりますが 旧節は つややかな音は波のように重なって とても豊かでした。.....津軽三味線とコラボしたらおもしろいだろうな.....と思いました。インパクトのあるものがたりがいいですね。たとえば 雪女とか 鬼女房みたいな.....。 

    3.11から1年たちました。4号機が燃料棒にしかるべく安全な措置を施すまで持つだろうかということはさておいて これから3.4年後 起こるであろうパニック 中期的に見て 日本の人口の激減は避けられないことのように思われます。限られた時間をまざまざと目の前にして パソコン屋さんがくるのでとり散らかった部屋を片付けながら しみじみ考えておりました。山なす書籍 書き散らした草案や資料 わたしはいったいなにをしているのだろう。あれもこれも手をつけて 残された時間のなかでなにができるのだろう......

     「原発」をなくすためにできるだけのことをする。
     
    それは変わらない、けれど ふと あたりまえのことに気づきました。それは 自分しかできないことを優先的にするということ。家族のしあわせのためにすることももちろんです。それから まわりをあつくあったかくあかるく する.......なんですか 声に力が無くなった人が多い。たたかわずしてあきらめちゃっているひともいる。うちの弟なんかそうですね。すっかり洗脳されて 自分で処理できる範囲の外は 拒絶 受け取ろうともしない。

     腹がたつけど そこで怒っちゃいけないんだな あきらめてもいけないんだ.....わたしができることといったら語りしかないのだから それで 元気が出るようなことやってゆく。場所をあたためてから 大事なことも話してゆく。昨日聴いたことば 入る は 出る の返り....できるだけ自分から出す 愛 呼吸もそうだし 人間のいとなみはみなそうです。できるだけ 出すこと わたすこと あたためること...... まず場があったまらないと 語りだって伝わらない。

    それから 語りをきりひらいて前に進むということについても 他の語り部さんがやっていないことを優先的にしようと思います。それは神がたりだったりパーソナルストーリーですね。いにしえの神々を語る神がたりのためには調査が必要です。それから身体も心も魂も清めてゆくことが必須.....

    パーソナルストーリーって 自分やまわりのひとのおはなしだけではないのです。たとえば ヒロシマ たとえば南方戦線 たとえば フクシマ たとえば戊辰戦争の一兵卒 たとえば ..... 巷のひとびとのいのちのものがたり それはパーソナルストーリーです。生きるということはたいへんなこと 笑い泣き 懸命に生きたひとびとのものがたりを語る そのことに力を注いでいきたい。

    神がたりとパーソナルストーリー いはば 天のものがたり 地のものがたりですね。........でもそんなこと考えるまでもなく 子どもたちが目をきらきらさせて 参加型に興じるときとか おばあちゃまたちががはがは笑うときとか そこに神さまがいらっしゃるんだと思います。全国の 語り部さん ストーリーテラーさん 日本をあっためましょう。あかるくしましょう。

        



 

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 あなたは広島と長崎への原爆投下をきっかけに政治への意識を持つようになりました。福島で起きた大惨事は、あなたにとって広島や長崎と同様に重要ですか?

ある日、広島から来た新聞記者が私にこう尋ねたことがありました。

「広島への原爆投下の後に起きた人間の悲劇を、世界は記憶し続けるでしょうか?」

彼の問いは、ずっと私の心に刻まれています。福島での事故が起きて最初に思い浮かんだのが、原爆投下の後で亡くなった何万人もの人々の姿、そして生き延びた被爆者たちの際限ない苦しみのことでした。日本を占領していたアメリカ軍は原爆被害者たちの検査はしましたが、治療はしませんでした。彼等はただ、核兵器の破壊的な威力を知りたかっただけなのです。私たちは後に放射能被ばくの影響を、個々の民間団体が行った調査の結果から初めて知りました。被ばく者に癌が生じていること、そして病気が時に遺伝する性質のものであることを知ったのです。

福島での原発事故が起きた後、広島で被ばく者を治療した医師たちが、事故で汚染された地域の住民たちを放射能の危険から守るべく先頭に立っています。これから何年もの間、私たちは福島原発事故の後遺症に直面することになるでしょう。現在に至るまで、核兵器の廃絶は私にとって重要な関心事でした。でも(今の私は)原発を止めることが、一人の市民として、そして作家としての自分にとって最も重要なことの一つだと考えています。

問 今回の原発事故は自然災害によって引き起こされた面もありますが、それ以上に備えが十分でなかったことが主な原因と考えられています。日本人は、民主主義よりお金もうけを優先させる経済発展モデルの悪弊に気づくでしょうか

今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです
ぼくたちは問題に声を挙げることができるでしょうか。それとも、このまま黙ったままでいるのか。今から10年たてば、日本が「民主国家」の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう。こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありませんでした。今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?

問  日本人は世界で初めて被ばくを経験した国民です。それなのに、なぜこんなにたやすく原子力エネルギーが安全だと言う言葉を信じたのでしょうか。

広島と長崎に原爆が落とされた時、僕は10歳でした。終戦の後、安心した気持になったのを覚えています。戦争が終わったからこれで学校に行ける、と。でも年齢を重ねる過程で私は、日本が戦争を放棄する憲法を持っているにもかかわらず、沖縄をアメリカに渡してしまったことに気づきました。こうして(米軍の)核兵器を沖縄に設置し、「原子力の平和利用」に向け突き進んで行ったのです。私は当時、こうした流れを批判すべく、『広島ノート』と『沖縄ノート』を書きました。1947年にできた憲法のもう一つの重要な柱である「民主主義」は、福島での大惨事の発生によって明らかに揺らぎました。私は、市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め、地震学者たちの警告に耳を傾けるよう求めることを望んでいます。

問  ヒューマニズムが破壊されてゆく中で、文学はどのような役割を果たすのでしょうか

私が(『群像』に執筆中の)『晩年のスタイル』の中でずっと心に留めているミラン・クンデラの言葉にこんなものがあります。
「小説家というものは皆、自分から行動を始める時、一番大切な物以外は全て切り捨てなければなりません。自分自身と自分以外の人に対して、根本的なモラルの重要性を強く説かなければなりません。」

日本人の作家としての私の役割は、原発をなくすためにたたかうことです
日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」を完成することに成功する日、私の仕事にはやっと意味が与えられるのです。これは国民の意志が、おそらく歴史上初めて勝利するということに他なりません。「大惨事」という言葉には、私にとって二つの隠れた意味があります。一つは、今日日本が経験している(原発事故による)大惨事。そしてもう一つは、人生の黄昏時にさしかかった全ての作家が経験する大惨事(注)です。



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......きのう ふと 水晶を手にしました。12ミリくらいの全体にグレーがかった水晶の玉 ジーっと見ていると夜明けの空のような藍色がたちあがってくる....光をおびた深い青 その青に吸い込まれそうでした。青はどこまでも広がってわたしは藍のそらを仰ぎそのなかにいました。この石ともうひとつのまろやかな透きとおった水晶をくださったひとは遠くに去りました。.....わたしはそのひとが石屋でひとつひとつ手にとって石を吟味している姿をうしろから視て愕然としました。

   その石にこめられたあたたかなきよらかなこころに気づいていないわけではなかったのですが わかっていたからこそ赤い錦につつんで茶のバッグに入れて そのままにしていたのだということもわかりました。その石の青にただ引き込まれていたあとバッグのなかの本に気づきました。それは 渡邊真喜子さんの本でした。読んでいるうちに 声が出したくてたまらなくなり、天とつながる声 地とつながる声をだしてゆきました。 

   わたしの声は思ったより細く 最初息も切れていましたが しだいに真っ芯をとらえ 声がほとばしる一瞬もありました。ひとしきりうたったあと.....娘が おかあさん 「さっきの声はなに 頭の中でビンビン響いたよ」といいます。たぶん 天とつながった声のときなのでしょう。

   声は光なのです。これはほんとうですよ。だれの声も光なのです。よいナビゲーターがいればなおのことよいのですが 声は宇宙にさえつながります。渡邊真喜子さん と天音。さんはすばらしいナビゲーターでした。真喜子先生は亡くなり 天音さんはリハビリ中です。わたしは天音さんの個人レッスン..で 自分の声が緑と紫のオーロラのようにかがやきながら そこにあるのを視ました。天にのぼるというより そこは宇宙だった.....内在する宇宙と大宇宙はつながっている 。....そういうことなのだと今はわかります。

   ハープシコードの天板のウラに描かれた鮮やかないろあいの花々が空中に咲きこぼれて ひらひらはらはら 空気に溶けてゆくのも視ました。天音。さんのあまりきれいだとはいえない部屋はクリスタルのきらめきに充ちそこでは幾度か奇跡を視ました。.......そんなことをおもいだしているとき 声と宇宙がつながるように 石もなにかとつながる.....もしかしたら石 とくに水晶系は増幅器....という感じがしました。それから 食べもの.....

   つながるために 肉食はよくはないのでは という感じがしました。わたしは しばらく体調がわるいのですが 3.11以降の食糧事情で 野菜おさかなが品薄となり 我が家はもともと肉を食べなかったのに 肉の割合が増したこととかかわっているように感じたのです。

   スピリチュアルなことは 身体とは別物と考え勝ちですが 実は食べものはとても大事なのです。食べものは即わたしたちのからだをかたちづくるので 不純なものを多く入れると響かなくなります。身体は魂のうつわであり 天とつながる魂をいただく神殿であり 身体があるゆえにこの世の行をさせていただけるたいせつなものです。戦後の日本人の(意図的になされた)食の変化は 日本人の精神性の劣化を招かなかったでしょうか。語りの会のある朝 わたしはものをいただきません。大きな会の前は 本能的に3日くらい肉食をしませんでした。たぶん 身体はわたしたちが思うよりずっと わたしたちのことを知っているのではないでしょうか? 

   パパがでがけに「今日はぼたもち 食えるかな」と言ったそうです。22年度のあずき お水に浸しています。あずきたった煮ったった ♪ うたいながら あずき炊いて きなことごまもよういしましょう。今日のそらはとても静か お彼岸びよりです......そうだ 考えてもみませんでしたがここ数日 亡くなったなつかしい方々のこと 子どもらに語らっておりました。今日は父祖 はるか祖霊を想い感謝する日でもあるのでしょう。彼岸とこちらはつながっています、どうぞよき一日を。



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    きのう 午前中は買い物とカフェ 午後は自主上映会にゆきました。多くの知人と会いました。10年ぶりの再会もあり 語りの会にきてくださったおかあさん方から声をかけていただいたりしました。ユニットの仲間とも会えて楽しい日となりました。

    大田さんは 家永教科書裁判で、30年にわたり家永教授を支え 教育内容に対する権力の介入が日本の教育荒廃の病根であることを訴えました。教育とは教え諭すという上から目線のものではなく 子どもが自ら学んでゆくことをささえてゆくことだ....という視点、それはあたりまえのようで とてもあたらしいものにわたしは感じたのです。

    その根っこに 太平洋戦争で 輸送船を米軍に撃沈され 漂流しジャングルをさまよった経験があるといいます。なすすべもなかった東大のいわばエリートだった大田さんに比して 農民兵 漁民兵は生きる力を身につけていた、それを目の当たりにした大田さんは いままで学んできたことはいったいなんだったのだと自問したそうです。

    戦後 大田さんは 居場所のない農家の次男坊三男坊たちと青年学級をひらきます。そのなかに弟妹の面倒を見る必要から 高校にもいけなかったうらわかい女性がいました。青年たちは詩をもちより悩みを共有し ガリ版を切って機関紙も印刷するまでに成長してゆきました。ところが、女性は父親から 青年学級への参加を禁止されてしまいます。仲間たちは彼女を支えました。そして ある日 娘は思い切って 父に語りかけるのです。「とうちゃん かあちゃんとおなじようになるのはいやだ」と.......「オレだって話せばわかる」 娘は父の許可を得て小躍りします。そして大田さんの紹介で幼稚園の保母さんになるのです。その充実したしあわせそうな顔......彼女は自分で運命をきりひらいたのでした。わたしは その方に いつしか母のおもかげと長女のおもかげをかさねあわせていました。涙があふれました。

    大田さんは毎週 一週間分の新聞の折込広告の重さをはかっています。その重さは欲望の重さなのだそうです。現代社会はなんとかしてモノを買わせようとします。そこでわたしはハっとしました。新聞をやめて2年 テレビをやめて9ヶ月 すっかりモノを買わなくなったことに気づいたのです。やっぱり知らぬ間に洗脳されていたんですね。わたしたちはいつのまにか国民・市民・人間から 消費者にされてしまいました。消費者は労働を金に変え金をモノに変えます。そのシステムのなかで次第に孤独になってゆくのだと太田さんはいいます。

    では どうすれば わたしたちは孤独から逃れゆたかに生きてゆけるのでしょう。太田さんは考えます。基本的人権とはなにか.......それはいのちだ。ではいのちの本質とはなにか.....
① いのちはひとつひとつがちがう。
② いのちはじぶんから変わってゆく。
③ いのちはここちよくかかわる。 ひびきあう。

いのちは自然の摂理とともにある。太田さんは地域のミュージアム化をめざしてゆきます。ひとびとがよりそう場を模索してゆきます。ゆめとあこがれをで自分やまわりのひとをあたためながら......

著書を買いました。ぱらぱら めくったなかに あることばを見ました。柳田國男が 語ることは かかわること といっているというくだりです。...... ひびきでつたえる語り部としてはとても意味深いことばですが ネットで検索してもでてきませんでした。

ずっと 低調だったのですがなにか吹っ切れたようです。わたしの夢 あくがれる心持をかたちにしてゆきましょう。多くのひとのたくさんの夢 あこがれとひびきあって補いあい 助け合って生きてゆきましょう。



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抜粋

『できれば、大量の石鹸と水を使ってシャワーを浴びて、放射能汚染を取り除きます。皮膚をごしごし洗ったり、引っかいたりしてはいけません。 』
『シャンプーまたは石鹸、そして水で洗髪します。コンディショナーを使うと、放射性物質が髪の毛に結合して簡単に洗い流すことができなくなるので、使ってはいけません。 』


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助け合いと感謝の心をわすれない ともに手をたずさえ 復興に向かう。.....野田首相

東日本大震災から1周年 ここに一同とともに震災で亡くなられた多くのかたがたに哀悼の意を表します。 思いもかけない地震 津波で二万人あまりのひとびとの命が失われました。...このなかには消防団員をはじめ 危険を顧みずひとびとの命を助けたり 防災活動にたずさわり命を落とした多くの人々がいたことを忘れてはなりません。 放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。このたびの大震災にあっては国や多くの市町村や多くのボランティアが被災地に足を踏み入れ、さまざまな支援活動を行ってきました。このようなことは 被災地の人々の心をなごませ被災地の未来に向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に被災地や被災者のために働いてきたひとびと また原発事故の対応に尽力してきたひとびとを深くねぎらいたく思います。世界各地のひとびとから被災地に向けられた厚情に感謝しています。国民みなが被災者に心をよせて被災地のようすがたゆみなくかいぜんしてゆくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく子孫に伝え 今後ひとびとが安全に生活してゆく国土が築かれてゆくことを一同とともに願い、御霊への追悼のことばとします。.....天皇陛下のことば抜粋

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ネタバレなので 未見の方は 見ないでください。おもしろい映画でした。

.....あらすじ.....
月刊誌“ミレニアム”の発行責任者、名探偵カッレ君というあだ名の敏腕記者ミカエル・ブルムクヴィストは、ヴェンネルストレムの悪行を記事にしたが 逆に名誉毀損の裁判で敗訴し、“ミレニアム”から離れることになる。

警備会社の調査員リスベット・サランデルはミカエルの調査を依頼された。

リスベットに調査を依頼していた大企業ヴァンゲルグループの元会長ヘンリック・ヴァンゲルはミカエルにの面会の申し込みだった。突然のことに戸惑いながらもスウェーデン北部のヘーデビー島を訪れるミカエル。

ヘンリックは彼に姪ハリエット失踪事件の調査を依頼する。

1966年9月22日、ヴァンゲル一族の家族会議の日、“会って話がしたい”とヘンリックに告げていたハリエットが忽然と姿を消した。捜索の結果、彼女は何者かに殺され、遺体は遺棄されたという結論になったが、ハリエットがヘンリックの誕生日にプレゼントしていた押し花が、今でも毎年贈られてくるという。ヘンリックはハリエットを殺した犯人が送ってくるのだという。

ミカエルの前に、次々と明らかになるヴァンゲル一族の隠された過去。ハリエットの父は、ナチに加担していたヘンリックの弟。両親の酒浸りが問題になったことで、ハリエットはヘンリックのもとに引き取られていた。その後、ハリエットの父は海岸で溺死する。

ミカエルはハリエットの残した日記帳から、謎のメモを発見。このメモが未解決連続女性殺人事件のカギであること、ハリエットが犯人をつきとめたらしいことを知る。

ミカエルはヘンリックの弁護士に紹介され リスベットを助手にし 共同で調査を進めるが 猟銃で撃たれ ケガをする。


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上田でハリウッド版 自宅で スウェーデン版 映画を観ました。両方観る事で立体的にわかったような気がします。ハリウッド版 はスタイリッシュでリスベットがスーパーウーマンに描かれています。スウェーデン版のリスベットはちょっと老けている感じはするが 等身大に感じます。

ハリウッド版では 聡明なハリエットをヴァンゲル財閥の総帥に望んでいたヘンリックがハリエット事件にのめりこんだことがヴァンゲル者の衰退につながったことが示唆されていますが スウェーデン版ではそれはなく ヘンリックがわが子のように愛していたことから捜索をつづけたということらしい.....あまり語られていませんが.....

ミカエルはハリウッド版のほうがかっこいいが スウェーデン版ではリスベットをくるみこむようなあたたかさがある。

このものがたりでは

①ミカエルの物語 ヴェンネルストレムとの確執 共同経営者エリカとの関係 娘との関係
②リスベットの物語 暴力的な父との過去 後見人の弁護士との関係
③ヴァンゲル一族の物語
④連続殺人事件

が平行して語られているのですが すべてをつなぐ ④ について ハリウッド版は畳み掛けるようなスリルがあるのだが 膨らましすぎて 解決への展開がよくつかめない。スケールはちいさいがスウェーデン版のほうがまとまっています。人間に寄り添うならスウェーデン版 美男美女 スペクタクルをお望みなら ハリウッド版をごらんください。どちらもお金を払う価値はあります。

ひさびさに長野で見たテレビ 日曜の午後なのに 再放送 バラエティー番組のばかばかしさ 某宗教団体が番組の提供をしていることに唖然としました。



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今日は 254号線を走り 松本方面 三才山(みさやま)独鈷山にいきました。頂上付近は雪が残っていました。

御射山 三才山 は古代信仰であるミシャグジ信仰に由来するともいわれます。三社山 美射山という地名も長野県にあります。長野はふしぎなところです。諏訪大明神(オオクニヌシノ息子であるタケミナカタノカミ)がこの地に来る前から 他には無い神事が多数あったようです。なかでも名高い「御射山御狩神事」が終わるとき、日月星を同時に見ることできると言われ、諏訪大社の七不思議の1つ「穂屋野の三光」(ほやののさんこう)と呼ばれるそうですが 三射 とは日月星の三つの光の意味もあるのでしょうか? 三光とは太陽 月(三日月) 金星・・・・ 長野の神社の灯篭は三光をかたどったものが多いように思います。

三才山トンネルを抜けると骨董屋をそなえたカフェがあります。以前から気になっていたのですが、今日はじめてはいってみました。丁寧に入れてくれるコーヒーは380円 とても美味しかった。地元の方にうかがっても 三才山や独鈷山についてあまりご存知ないのが残念です。三才山はとてもパワーを感じます。つよくてすこし怖いくらい・・・わたしが感じる場所は 美鈴湖に入る道 一之瀬橋 山ノ神橋 など。今日は時間の関係でそこからUターンしました。

途中 左 独鈷山に折れて 車を降り 独鈷山にのぼりました。ぬかるみの九十九折を息を切らしてのぼってゆくと 走ってきた254号線が眼下に 雄大な冬景色のパノラマがひろがってゆきます。もうすこしで頂上だったのですが 心臓がパクパクしてきたので戻りました。山にのぼるのはひとりではすこし心細いです。ガレ場?に黄色っぽい石がころがっていて 気になったので 山の神さまにおねがいしてふたついただきました。車のそばで 即興で独鈷山のうたをうたいました。とてもうたいたくなったのです。そのあと 車にのったら とても懐かしい波動につつまれ泣きそうになりました。ふもとには虚空蔵様が祭られているお寺がありました。虚空蔵菩薩はわたしの守り本尊ですが やはり三光を司っていらっしゃるようです。

→ こちら 

長野はほんとうに不思議なところです。春になったら 諏訪を中心にいにしえの神々をたずねる旅をしたいと思います。





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