遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



......は→コチラです。

かわいい!ですねぇ.....放送日がたのしみです。

女子フィギュアスケートの歴史を変えた選手・浅田真央さんとこのかわいい真央ちゃんのギャップにくらくらします。気をつけて韓国に遠征してください。無事おわるまでなんとなく心配.....ロシアであたらしいショートプログラム......こちらはもっと楽しみです。

    

浅田真央7年間の軌跡 中京テレビは→コチラ

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    アンドレ・ジイドは自分の小説をレシ(récit)、ソチ(sotie)、ロマン(roman)の三種に分類しました。レシは回想 日記など一人称の伝統的な小説、ソチは風刺性のあるもの ロマンは大河小説のようなものでしょうか。漫画を論じるにも分類があると便利ですね。

    しかし、ここでむつかしいことに気づきました。ひとりを主人公にしたものがたりにも長編もあれば短編もあります。連作短編の長編もある....たとえば”綿の国星””ポーシリーズ”

    ここでは単発のもの、前後編を短編、3回以上の連載について長編、単なる個人史の段階を越えて、集団や時代、更には人類全体を視野におさめた歴史を描いたものを大河(連載)とします。

    内容について喜劇的ストーリー、コミカルなハッピーエンドで終わるものをコメディ、「不幸や悲惨な出来事を題材とし、人間や人生を悲壮さ・崇高さの面からとらえ、受難とそれへの闘いの過程を厳粛に表現したもの...大辞林」をロマンとします。(ドラマとどちらがいいでしょう、ドラマのほうがリアルになりますね)

    ジャンルについて 1 恋愛 2 ファミリー(親子や家族をテーマにしたもの 3 学園 4 ファンタジー 5 SF 6 心理(トラウマなどを扱ったもの)7 スピリチュアル 8 怪奇 9 芸道 10 歴史 11 社会派  とします。

たとえば、「スターレッド」はSF大河ロマン......「日出る処の天子」は歴史大河ロマン......「柳の木」はスピリチュアルファミリー短編ロマン?

    こんなことを考えたのも萩尾望都さんの作品は ウラが見えない....それだけ創造的ということなんですが.....そのうえジャンルが広大です。少女まんが史をわたしは簡単に考えすぎていました。......さまざまな作品を反芻しているうちに 気がついたのですが まんがの根っ子には”癒し”がある......語りとおなじでした。娯楽というものの根っ子はすべからくそうなのでしょうね。作者(語り部)はものがたりをつむぎながら 自らを癒してゆく.....読者(聴き手)はそのものがたりをうけとめて 味わい ともに生きることで自らを癒してゆくのではないでしょうか......少女まんがの場合 それは岡田史子、西谷祥子のあたりからはじまったのです。「私」を意識すると 孤独と向き合う闇の夜がはじまる......

    あとがきみたいになってしまいました。それでは本編はもうすこしお待ちくださいね。



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バンクーバーでキム・ヨナさんの有り得ない点数を見たあとの”鐘”

   

月の光

MURMURさんの別館で浅田真央さんのビデオを見ていました。......一番涙がでるのは二年前のシーズン.....です......わたしの場合は。.....静謐、清らかさ、純粋さが信じがたいことに生身の人間に宿っている.....それは奇跡のように思われます。

......いつもにこにこ微笑んでいた少女は目に見えない圧力や悪意のようなものにさらされるようになりました。オリンピックや選手権で正当な評価を受けないばかりか、(フィギュアファンは真央さんを支持しても)、国内でマスコミは浅田真央さんが本来うけるべき賞賛をしませんでした。

浅田真央というアスリートのすばらしさは、そうした内外の闇にさらされても 客観的にみつめ 損なわれないことにあります。......いいえ 浅田真央さんがどんなに苦しんだか たぶん わたしたちは知らないのでしょう。昨年のシーズンはじめの不振は、国内でのいじめにもにたマスコミの対応にあったと解説している方がありました。

その内外からの評価という価値基準を浅田真央さんは「自分を超える」というなにものにも左右されない価値基準に換えた.......だから、バンクーバーの銀メダルの涙は自分が完璧な演技をできなかったという まさに自分自身に向けた涙であり その真摯さがわたしたちの胸をうったのです。

他者との比較とか毀誉褒貶のことばで自分を評価したり、おとしめたりしない......ひたすら 今の自分を超えようとし続ける......それはむつかしい、そして潔い。

......あぁ なんだか がんばれそうです。6/12、「弥陀ヶ原心中」と「仏蘭西窓から..」 静謐、うつくしさ、きよらかさ......を語りにこめたいと思います。

MURMUR別館は→コチラ

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    「白い霧の物語」をはじめて見たときの衝撃は一種独特のものでした。那羅原伝説と題されたものがたりはわずか26Pでしたが、濃密さがハンパではなくて、二時間の映画を見たような気分になりました。はるか時を超えてまや姫のさまよう那羅原の白い霧に封じ」こめられたようでした。精緻な絵 斬新な構図は44年の年月を経ても古びてはいません。ヒロインは星百合子さんに似ているような気がします。

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     あすなひろしさんは商業デザインをしていたそうです。そのせいか扉絵が実にシャープ、映画のポスターのようでした。タイトルのレタリングも独特でした。職人わざといえるのはこの方くらいと思うほど、こだわりをもって仕事をなさっていたようです。花と十字架、しろがねの雪はなかよしの増刊でA4サイズなのですが 大胆な構図と精緻で丹念な描線は息を呑むほどうつくしい。

     水野英子さんとの共作 ミルタの森は覚えているのですが、無いところを見ると捨ててしまったのでしょう。惜しいことをしました。あの頃は水野英子さんの熱狂的なファンでしたから、たとえあすなさんでも共作がゆるせなかったのでしょう。ビビデバビデブー 水色の花も捨てたみたいです。乙女心というのは過ぎ去ってしまうとよくわからないものです。

     あすなさんは叙情性のゆたかな少女漫画とともに青年誌にはハードボイルドも書きました。また人情ものも味わい深かった。ラメのスゥちゃんという一杯飲み屋のおばちゃんを描いた読みきりもよかった。市井の生きているひとを描ける漫画家でした。

     少女漫画においては圧倒的な画力で叙情的な恋とコミカルなコメディを書き分け、後続の漫画家たちに大きな影響を与えました。モノガタリのモチーフをつくったのです。.....たとえば 冬の水車....逃れてきた兵士が少女を助けて撃ち殺されるというものがたり.....このモチーフは数年後 後述する飛鳥幸子さんが「フレデリカの朝」でリメイクしますし、ほかにもこのかたちを踏襲した漫画家が2.3人はいます。

     また、文学の漫画化にもセンスがあって 絵物語では「悲しみよこんにちわ」「黒猫」など他の漫画家の絵物語とは一線を画していました。漫画では「嵐が丘」を堂々ジュニアコンパクトの創刊号に書きました。「赤と黒」それからもうすこしあったような気がします。男性作家全般に言えることですが、構築力とか背景 メカなどに優れている反面 登場人物がどうしても地味になってしまうという欠点があります。それが後年 男性誌に活動の場をうつすことにつながったのではないかと思うのです。


     あすなひろしさんは2001年3月肺がんで逝去されました。追悼ウェブサイトがあります。一部が復刊されたようです。

追悼ウェブサイトは→コチラ






所有している作品


1964 白い霧の物語 花と十字架 妖精の白い花  さざんかの咲くころ 冬の水車 しろがねの雪 雪のはなびら おとうの貝 コレットの白ばら むらさきのゆめ わたしのジャック キャシーといっしょに! 秋風のうた 星空のかなたに (全4回) クリスマスばんざい! リムのおっちょこちょい ブローニュの少女 さようなら王子さま 1967 嵐が丘  拝啓ジュリーです! リリオム 1968 恋のサンモリッツ 300000KM/sec 「三つの恋の物語」リリオム サマーフィールドから来た少年 北極光 (全3回) 赤と黒 (全2回) 1969その日、ノースビルは雪 悲しみよこんにちは 黒猫 ビリー・タムタムは空へ! 1971 寒いから早く殺して  以上 雑誌からはずしたもの 嵐が丘(ジュニアコンパクト)赤と黒 三つの物語(りぼんコミック)は本のまま 単行本 サマーフィールド(虫プロ商事)




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ヴォーグ7月号は5/28 発売 

渡辺三津子ブログは→http://www.vogue.co.jp/blog/mitsuko-watanabe/2010-02/2010-05-21 

真央ちゃんはモード系の衣装よりリンクの上が似合っていますね...

仮面舞踏会は→コチラ

見ていると泣けてしまいます。

なつかしいみどりさんの声 思い通りにならないので干されてしまった伊藤みどりさんの解説をもう一度!!



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    岡田史子が群青を切り裂く彗星のようにあらわれたとき、漫画を描いていたもので嫉妬しないものがあったろうか.....岡田史子はらくらくと文字の呪縛を超え コマについての暗黙のしばりも超え 絵柄さえ脱ぎ捨て ペンをわりばしにかえさせした。そして 見るものたちを瑞瑞しく綺羅綺羅しいコトバのコダマする迷宮に置き去りにし 囚われたわたしたちをひそかにわらっていたのかもしれない。......けれども自ら用意周到に張り巡らした虹色にきらめく蜘蛛の糸の迷宮に岡田史子自身もとらわれ、たいせつなものはなにかを見失ったような気がしてならないのだ......。

    才能というのは不思議なものだ。拙い才を血の滲むような努力と うつくしいものに向かってゆこうとする身の程を知らない歓びでもって磨きぬいてゆくものがいる。デビュー当時山岸涼子はヘタだった。実際 恥ずかしいくらいヘタだった。 今の色彩の洗練をだれが予想しただろう。伽藍のごとく構築されたものがたりをだれが予想しただろう。

    岡田史子の項垂れるヘルマプロディトスや阿修羅を視ると、わたしは今でも戦慄する 焦燥に駆られる 暗い灰色の不安にゆびさきまで染まりそうになる。......ヘルマプロディトスも阿修羅もほかの人物も永遠に呪縛から逃れられはしない......岡田史子はかろやかに蝶のように飛翔してゆくように思われたのに ものがたりからひとつだに糸口は見つからないのだった。書くこととはなんだろう 語るとはなんだろう...自らを縛める呪縛からひとつずつ鎖をはがすように自由にしてゆくことではなかろうか.....まず自分を....そして読者を聴き手を。.....岡田史子にとって漫画とはいったいなんだったのだろう.....おそらく試すことであり....ひとつのステップに過ぎなかったのだろう。

    それにしても なんとうつくしいこの残骸.......日に灼かれガラスのように結晶化した白い骨..... 春の夢の、希みの哀しみの残骸.......けれども 此処からはじまったのかも知れないのだ。......そこにあるのは見えない吐息......見えないけれど立ちのぼるかげろい......聴こえない音楽。

    耳を閉じ 眼を瞑り 受け継いだひとたちが それぞれのコトバにして解きはなし手渡していったとしたら....これこそ再生......  55歳で逝ってしまったあなたの若き日の贄はたしかに受け取られたのです。


所有している作品 すべてCOM ファニィ から
1967 太陽と骸骨のような少年 フライハイトと白い骨 最終ページが行方不明だったので、前のページを最終ページとして発表された。夏 ポーヴレド 天国の花 1968 ガラス玉 サンルームのひるさがり 春のふしぎ いずみよいずみ 胸をだき 首をかしげるヘルマプロディトス 赤い蔓草 PART1 赤い蔓草 PART2 1969 夢の中の宮殿 ピグマリオン 死んでしまった手首 阿修羅王 前編 死んでしまった手首 阿修羅王 後編  愛の神話 - 絵物語。連載作。私の絵本 イマジネイション 邪悪のジャック 死んでしまったルシィ ほんのすこしの水 PART1  ほんのすこしの水 PART2 1970 墓地へゆく道 トッコ・さみしい心 いとしのアンジェリカ

岡田史子の好きな漫画家 手塚治虫 水野英子 西谷祥子 大島弓子
影響を受けた漫画家 永島慎二
好きな文学作品 チボー家のジャック 楡家のひとびと

ウィキペディアは→コチラ

岡田史子インタビューは→コチラ
2005年10月30日 1000の昼と夜に書いたこと

........岡田さんが漫画を書くようになったのは「人間はいつか死ぬのに、どうして生きていかなくちゃならないんだろう」という疑問に取り憑かれて、それを漫画にぶつけて、読者に問いかけたのだそうだ。その根底に12歳で母上をなくされた深い喪失感があったという。なぜ生きるか、なぜここにいなくてはならないか.....この不条理この不可解な世界を耐え忍ばなければいけないということ.....永遠の謎 .答のない命題を岡田さんはいともやすやすと漫画紙上にのせてしまった。もちろん それまでだって 試みをした漫画家はいたのだけれど 岡田さんはその象徴性 美 難解さにおいて神話そのものだったのだ。

 わたしは同じ世代だった。そしてわたしは岡田史子という漫画家を正視できなかった。その世界が美しすぎて 痛ましくて 答えがでないとわかりきっているのに.....夢に溺れている感じがして.....どこにも逃げる場所など在りはしないのだ 汚れたってここで生きるしかない......とどこかで思いつつ 羨ましかった。破滅さえも。途中までしか知らないがわたしの知っている岡田史子の作品にハッピーエンドはない。


 「喪失感を埋めてくれる人を探し求めて、漫画を発表していたのです。、だけども、誰もいなかった。わたしががそういう人を求めているということに気づいた人さえいなかったから。」岡田さんはのちにそう語っている。1990年岡田さんはペンを折った。そしてクリスチャンになって 4月3日亡くなった。晩年は穏やかな顔をなさっていた。求めていたものを 手にされたのだと思う。

 なぜここに岡田さんのことを書いたのかといえば....わたしは絵が書けなくてついには断念したのだけれど漫画家になることを夢みていた。.....あきらめたのち長いことかかってペンのかわりのものをみつけた。わたしが声に託して語りをしているのは、そういうわけなのである。なぜ生きているのか....なぜここにいなくてはならないのか......それをずっと問いかけたかった  わたしのものがたりを伝えたかった  語りをしているときは ここにいることを許されていると確かに感じとることができたから。

 そして今は .自分も他のすべてのひとびともここにいることに意味がある.....(どんなに悲惨な状況であったとしても) と信じている。そしてよきこと美しきことのためなにかを生すことができると信じてもいる。アートとか芸術をわたしはフェルメールやダヴィンチの...はるかな高みにある世界のことと思っていた。そうではなくてごくふつうのひとたちが自分を回復するための試みなのだと気付いたのはおとといの電車のなかだった   歌うこと 踊ること 弾くこと 奏でること  創ること 芝居をすること 描くこと  書くこと  わたしたちの語りもそういうものなのだ。自分を知ること  この世の秘儀を知ること 復活と甦りの試み。

 成熟とは受けとめること 逃げないこと この手に世界の闇の一部をひきうけなお あかりを灯そうとすること。しかしわたしは愛惜する。薄青い闇のなかでかすかな苦痛と予兆に眉根を寄せながらなおまどろんでいたあの頃 岡田史子という漫画家が光芒を放ち 夏樹が未だ生きていて 日本がまだ若く わたしたちの足音が建築さなかの新宿の地下通路に響いていたあの頃のこと。



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    少女まんが中興の祖、西谷祥子は水野英子が「白いトロイカ」を執筆中 アシスタントをしていたそうです。好きな漫画家は石森章太郎 水野英子。

    はじめての連載「リンゴの並木道」1965

......ジェーンは都会から家族と父の赴任地に移り住みます。芳しいりんごの並木道でジェーンは印象的な少年ビルに出会います。けれどジェーンが心を惹かれたビルはなぜか村のひとたちからつまはじきにされていました。村の名士の息子 ロバートはジェーンと友人になりたがっていたました。彼には車椅子の妹アンナがいました、ある日ロバートはジェーンとビルが親しげにしているのを見て嫉妬し 「これ以上家族を不幸にするな」とビルを追い出してしまいました。

    ビルがアンナを故意にかたわにしたのだというのです。その夜ジェーンの家にアンナが自分の足でやってきました。なんとアンナは立つことができたのです。「みんなわたしが悪いの、ビルを助けて!!」アンナの怪我はビルのせいではありませんでした。アンナは二年前から立つことができていたのですが、ビルを失いたくないばかりに歩けない振りをしていたのです。やがて、ビルは発見され ビルがアンナを見守りつづけ、愛していることをジェーンは知るのでした。

   西谷祥子の連載まんがにはシリアスなものと軽いコメディタッチのものがあります。けれども テーマは双方とも主人公のあるいは青春群像の成長です。彼等はあるときは喜び ある時は悲しみ おとなへの階段を上ってゆきます。家出、罪、あるいは死によってものがたりは展開します。「献身」も大きなテーマです。特徴的なのは、地の語りの文章がなく、ふきだしのない心情的なモノローグが多いことです。手紙も多用されます。

   白鳥の歌 バレー漫画

.......でも いちばん好きなのは一番目の世界よ そこでは あたしはあたしにもどるの ほんとのあたしになっちゃうのよ.....「ジェシカの世界」より

   短編は喪失のものがたりが多い。主人公の心の成長はあるのですが それとひきかえにたいせつなものを失うのです。それが長編より一層リアルになります、たとえば「風花」では....たしか友人の裏切りによって「愛」を失うという少女向きとは思えないすじでした。「わたぼうし」では、儚げな難病の少女が死にます。「いしだたみ」では日本画の大家であった父が亡くなり、少女が京都で芸妓をしているという腹違いの姉に遺産をわけようと 出向くのですが 姉たるひとは凛として お嬢さんにはお嬢さんの世界がある、自分はこの世界に生きてゆくと伝えるのでした。姉妹の名乗りもできなかった妹のモノローグ.......ねえさん......京の街はさびしいいしだたみがどこまでもつづく街ですね.....

   絶大な支持を得た「マリィ・ルゥ」はアメリカのジュニア小説にヒントを得たのではないでしょうか。その頃、プロムのドレスやデートに少女たちは胸をときめかせました。つづいて「レモンとさくらんぼ」「われら劣等性」「ジュンの結婚」などでは日本の青春群像が比較的リアルに描かれています。西谷祥子は学園漫画の扉をひらき、無国籍まんがと揶揄されまばゆいばかりの虚構の世界から等身大の日本の少女少女たちが活躍するようになりました。西谷祥子は少女たちを熱狂させ、多いときは月に3000枚の原稿を書いたそうです。もうひとつ見逃せないのは「ポーの一族」や「風と木の詩」以前に、「学生たちの道」ですでに少年を主人公にしていたことです。「ジェシカの世界」でも青年ハリーの目線でものがたりは語られています。

   レモンとさくらんぼ 「学園もの・群像もの」というジャンルをつくった

    わたしは西谷さんの短編がこよなく好きでした。そこには”ゆらぎ” ”諦念” ”無常” がありました。ひとが生きてゆくうえで失ってゆくものへの切ないまでの想いがありました。読者や出版社に媚びない西谷さんの思いと力のこもったものを短編で受け取れたことはしあわせだったと思います。多作さゆえもあって、作風から”あやうさのような””香りのような”ものが消えたあと わたしは西谷祥子のファンであることから遠ざかりました。それは西谷さんが漫画上で飛鳥幸子が自分の絵を模倣していると非難なさったころとかさなるかもしれません。

   岡田史子が西谷祥子のアシスタントをしていたのは1966年頃でしょうか。オリビア 白ばら物語 いしだたみ わたぼうし を描いた 西谷祥子がもっとも充実していた年ではなかったかと思います。そして翌1967年岡田史子はCOM2月号で衝撃的なデビューを飾ります。タイトルは「太陽と骸骨のような少年」西谷祥子の存在が岡田史子の作品にどの程度影響を与えたのか、それ以前の作品を読んでいないのでわかりませんが 岡田史子の登場は既存の漫画家にとっても、コアなファンにとってもノヴァに等しいものでした。


所有作品

長編 リンゴの並木道(別マ総集編)  白鳥の歌(別マ総集編) マリィルウ  白ばら物語 レモンとさくらんぼ  ジルとMr.ライオン 学生たちの道  ジェシカの世界 ギャングとお嬢さん ジュンの結婚 われら劣等性 花びら日記 すべて雑誌からはずしたオリジナル
   
短編 (風花  オリビア いしだたみ  わたぼうし クレアお嬢さん 行ってしまった小鳥  夏ものがたり  金色のジェニィ ぎんなんの涙 麻巳の湖)以上 まちがって燃してしまいました。一生の不覚です。 のこっているのは朝顔さんのみ
      
西谷祥子ファンクラブは→コチラ
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       セシリア

    水野英子は1939年の生まれ、手塚治虫の漫画に驚愕し漫画家を志したといいます。....少女まんが史上に燦然と輝く水野英子は伝説のトキワ荘の住人でもありました。トキワ荘に住んでいたのは手塚治虫 寺田ヒロオ 石森章太郎 赤塚不二夫 藤子不二雄 水野英子 鈴木伸一 森安なおや よこたとくお つげ義春 .......多くが鬼籍に入られました。

    水野英子は少女小説の匂いを色濃く受け継いだ母子、友情、バレーものなど揺籃期の少女漫画から近代の少女漫画の扉を開いた先駆者です。最初の長編 「銀の花びら」には長編手塚治虫の絵の影響が見られますが、北欧神話などからインスパイヤされたと思われる「星のたてごと」で華麗な水野英子のスタイルがほぼ完成.....のちにつづく少女漫画家に多くの影響を与えました。出版社からの要請もあったようですが、再話者でもありました。「白いトロイカ」には原作(映画があると、水野英子のアシスタントをした方から聞いたことがあります。「ローマの休日」「奇跡のひと」は映画からの描きおこし、「セシリア」はネイサンの”ジェニィの肖像”をモチーフにしたものです。映画もあったかもしれません。

    わたしが水野英子さんの熱烈なファンになったのは「白いトロイカ」(1964年連載開始)の頃です。このものがたりはロシア革命(実態とは異なる)を縦糸に農奴の娘ロタ(実は皇帝に刃向かい殺された貴族フョードル伯の娘ロザリンダ)とロタを愛する貴族のレオ、コザックのアドリアンの恋を横糸に織り成した歴史ロマンでありました。水野英子こそは 少女まんがに男と女の”愛”を描いた最初の漫画家でした。さながら運命の糸に結ばれたふたりは自分たちの運命をうたがうことなく一途に求め合うのです。

    ロザリンダを愛するレオは金髪、皇帝を狙う黒い鷹・アドリアンは黒髪.....この構図は木原としえの「エメラルドの海賊」を思い起こさせます。少女をめぐる黒髪のナイーブな青年と麗しい金髪の若者、ふたりの青年の間には信頼と尊敬があります。皇帝の台詞に....「ロザリンダは幸せな娘よのう...このように男らしい男たちから愛されるとは....」とありますが、これは読んでいる少女たちの夢でもありました。ロザリンダのようにうつくしくありたい、強い男たちに愛されたい....というほのかな夢.....。

    もし「白いトロイカ」がなければ、「ベルサイユのばら」の存在もなかったのでは....と思うのです。というのも池田理代子さんは貸本漫画でデビューしたのですが、「祖国に愛を」1973年........構図が「白いトロイカ」そっくりでドレスの模様だけがマーブル模様になっていました。

     当時は絵柄を真似することはそうとがめだてされることではありませんでした。ロシア革命→フランス革命 黒い鷹→黒い盗賊 ロザリーの髪型は髪をおろしたロザリンダにとても似ています。インスピレーションを受けたのかもしれませんが、それは「ベルサイユのばら」の価値を損ねるものではなく、水野英子が多くの少女漫画家に影響を及ぼす華麗さ、ストーリーテラーとしての力、開拓者精神をもっていたことにほかなりません。

     もうひとつ1967年の「ブロードウェイの星」をとりあげて見ましょう。....少女・ステファニア・ロウがスターへの階段を上ってゆくものがたり.....母親は娘の夢のため身を粉にして過労で亡くなりスゥはひとり夢を抱いてブロードウェイに向かいます。そこでスゥは自分の出生の秘密、白人と黒人のハーフであることを知ります。演出家ノーマンはスゥと友人でスターをめざすジーンに”熾火”の演技をするように命じます。黒人の大プロデューサークラウンはスゥが自分の娘であったことを知り、ミュージカル「マリー」の主役に抜擢します。

     スゥは断り、オーデションを受けなおし、自分の力で役を勝ち取ります。マリーは混血の少女のものがたり.....役つくりに悩んだスゥは南部で肌を黒く縫って 黒人の苦しみを知り みごとに期待にこたえます。熾火のエチュード、ドレスが届けられるところ、姿を変えて役をつかむところなど 身内すずえは「ガラスの仮面」のヒントを得たのではないでしょうか。
    
    水野英子は”麗わしのサブリナ”をベースにした「すてきなコーラ」で少女まんがにおけるラブコメを確立、ハロードク ビーナスの夢 赤毛のスカーレットと描きつづけ 「ブロードウェイの星」で人種問題、「ファイヤー!」「シモンの夏」で60年代のロック世代、70年代のヒッピーの風俗を描き、自らも未婚の母になりました。ジャンルとしては①神話、伝説 から想を得たもの ②映画の再話によるラブコメディあるいはドラマ ③ 60年~70年代のアメリカをベースにした創作 ④ その他.....今までの少女漫画家になくジャンルを問わない作家でした。こうして振り返ると水野英子は神話・ファンタジーから一気にアメリカのポップカルチャーに飛んで行ったようです。わたしは事故で片腕を失った青年が日本アルプスを縦走する....その途中で見た幻影と山へのぼったことで再生してゆく「旅」という作品がすきです。テーマは一貫して”愛”男と女の恋を少女漫画にとりいれた漫画家でした。今 気がついたのですが 終盤になって 作品の向こうに”母性”が見えるようになったように思います。水野英子の人生にリンクしたものがたりをもっと見たかったなぁと思います。

        川の向こうの家  少年は盲目になるのも間近となったある日 貯めたお金を握り締めて川向こうにわたります。川向こうには娼婦館があって 少年はそこにいる水色の眼の娼婦マドレーヌに会いたかったのです。マドレーヌは川のあちらであこがれていたときとは違って見えました.......梳いてない髪 眼の周りのしわ....けれど その眼はうつくしく.....


少女漫画の中興の祖、西谷祥子も好きな漫画家に水野英子をあげています。水野英子は画力も文章力もありましたが、どちらかといえば視覚的な漫画家でした。水野英子の少女漫画におけるヒロインの「生」はプリミティブで骨太。運命に翻弄されながら原初の力強さを失っていません。考えるというよりは本能や感覚に従って生きるタイプです。

  .....西谷祥子にしてはじめて少女まんがの主人公の少女は、あるいは少年は人生にたじろぎ おぼろげながら「生」とはなにか考えるのです。主体としての自分から客体としての自分、視点の転換が起こります。ことばをかえれば西谷祥子は少女漫画に文学性を吹き込んだ漫画家です。その影響を受けた岡田史子がいて、萩尾望都は岡田から多大のインスピレーションを受け 少女まんがはサブカルとして絢爛たる花園となったのです。

        星のたてごと
    
所有作品 

長編...「銀の花びら」「星のたてごと」以上単行本「すてきなコーラ」「白いトロイカ」「セシリア(総集編)」「ハロー、ドク」「グラナダの聖母」「ハニーハニーのすてきな冒険」「ブロードウェイの星」「ビーナスの夢」「赤毛のスカーレット」「ファイアー」連載された雑誌からはずしとじたもの

短編....「ふたつの太陽」少女フレンド版 「ガラスの天使」「月とベニスと白いばら」「エリの窓」「トゥオネラの白鳥」「にれ屋敷」「三つの愛の物語」「川の向こうの家」「10月のセラフィーヌ」「エレクトラ」「シモンの夏」「旅」「ローマの休日」「奇跡のひと」その他ぶーけ コンパクト 別セブンティーン収録作品本のまま所蔵
そのほか 紫色のドレス他 絵物語多数。そのうち画像をUPします。

.....次回は西谷祥子、つぎに岡田史子 萩尾望都 大島弓子 山岸涼子を本流として あすなひろし、牧美也子、武田京子、八代まさこ 樹村みのり 飛鳥幸子諸氏のことも書いてゆきたいと思います。

水野英子の部屋は

ウィキペディアは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E8%8B%B1%E5%AD%90

※少女漫画史① 男性作家と母物の時代はあとで書きます。



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     日本オリンピック委員会は浅田真央さんをJOCスポーツ最優勝賞の受賞者に決めました。まことにめでたいです。浅田真央さん! がんばった甲斐がありましたね....絶えざる努力もそして涙もむだではなかった......国や組織からたくさんの表彰がありましたが、一番の喝采はおかあさんからのもの......そして、あちこちのかたすみで息をつめ、祈るような想いで浅田真央さんをみつめていた名もないファンの応援だったと思います。わたしたちもあなたといっしょに生きていました。

     その他の受賞者は....優秀賞 高橋大輔(フィギュアスケート、関大大学院)古賀淳也(水泳、稲泳会)内村航平(体操、日体大)上野順恵(柔道、三井住友海上)▽新人賞 羽生結弦(フィギュアスケート、宮城・東北高)村上佳菜子(フィギュアスケート、愛知・中京大中京高)▽特別功労賞 村上幸史(陸上、スズキ浜松AC)小平奈緒(スピードスケート、相沢病院)穂積雅子、田畑真紀(以上スピードスケート、ダイチ)▽トップアスリートサポート賞最優秀団体賞 日本電産サンキョー


(日本の新聞ではない)毎日新聞の記事は→コチラ

産経スポーツの記事は→コチラ

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........ひさびさに明るいニュースです。

    文部科学省は10日、東京都内のホテルでバンクーバー冬季五輪の成績優秀者への顕彰、表彰式を行い、フィギュアスケート女子銀メダルの浅田真央さんが代表して「誠に光栄に思います。表彰を励みに今後も好成績を残せるように日々精進してまいります」と謝辞を述べました。タチアナ・タラソワコーチもスポーツ功労者として表彰されました。

    もうひとつ、ISUはルールの改正を行い、ジャンプ、4回転やトリプルアクセルの基礎点があがりました。トリプルアクセルは0.3点だったかな.....キムヨナさんはTOP選手で唯一ダブルアクセルを3回プログラムに入れていました。それに大幅な加点がされていたのですが、ダブルアクセルは2回しかできなくなりました。加点幅も少なくなりました。ジャッジの匿名性排除はロシアの反対でできませんでした。

    100%満足のいく改正ではありませんが、これで実力と順位が今までよりはリンクするようになるでしょう。2010世界選手権、バンクーバーオリンピックの結果、多くのクレームがISU に寄せられたこと、このままにしてはフィギュアスケートが競技として成り立たなくなること、選手たちが難しい技に取り組むより安易に点をとる方向にいってしまう危険性などから、今回の改正になったと思われます。ジャッジの匿名性排除と「芸術性」という曖昧で個人的な感覚でどうともなり、不正ジャッジの温床ともなる部分をどのように位置づけ、採点するかは残された課題です。

    けれども、たとえば、007の狙え 撃て! バチンのようなプログラム が芸術性が高いと評価されるにしても、これまでのありえない高得点は不可能になるでしょう。2009-2010年のシーズンはフィギュア界の汚点として長く後世に語り伝えられることになるでしょう。 桜子さん 感謝

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献杯のことばは→コチラ

先日 お葬式でとてもうつくしい心に沁みる弔辞を聴かせていただきました。市井のひとの弔辞は空気に溶けるように消えてしまいますが、心に響くのは愛...なのですね、逝ってしまったひとの深い愛があって、身近にいて故人の闇も光も見てきたひとの愛惜の思いがある.....言葉には尽くせぬ思い、悔いもすこしはあるのだろう....それをいっぱいの感謝に換えたとき深い感動が生まれます。

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弔辞は→コチラ

はじめて見たタモリをわたしは忘れられません。イグアナとか歌謡曲分析講座とか最初のころは破天荒におもしろかった。そのタモリを世に出したのが赤塚さんでした。

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とても疲れていました。ひとの闇と向きあって、怒りをもつと 取り込まれてしまうのだと.....今 気がつきました。仕事には落とし穴がたくさんあって、さらりと流すところは流さないとつらくなる。この写真を見ていたら....なぜかわからないけれど、涙があふれとてもしずかな気持ちになりました。ありがとう......

ネイティブアメリカンの方たちは日本人に似ていますね.....セージを炊いてもらったとき、紫のセージがひろがっているのを夢に見ました。ほのかな香りにつつまれて静謐で心満ち足りていました。セージなど見たこともないのにあとでネットでみたら夢とそっくりでした。



大きな写真は→コチラ



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.......たとえば、ある方はどうしても身体の不調が治らず、次から次へと医者を替え10人目のお医者さんの”ひとこと”で快方に向かいました。ある夫人は家事一切ができなくなるほど体調が悪くなり、原因がわからず、よくよく考えたところ、愛娘の”ひとこと”から具合がわるくなったことに気づいたのでした。またある方は膠原病にかかり手足は冷え固まり動かなくなりましたが、身体を癒すことから、徐々に軽減、今まで自分が家族のために人のために身を粉にしてきた、そのことが自分の深層のなかで澱のように固まっていたことに気がついたのです。三人の方々の症状は自分の心に”気づいた”ことで、それを他者に”伝えること”でどんどんよくなってゆきました。
  
    病というものは”社会””環境”などの外部要因と”遺伝””生活習慣””ストレス”などの内部要因によって起こると言われますが、根本は”ため込む”ことから起きるのではわたしは思っています。そのときどきの悲しみや怒り、衝撃、不満、恐れなどの負の感情を処理できないでいると、身体はそれを蓄積してゆきます。筋肉の細胞は感情を記憶すると3人のホリスティック医療の関係者がおっしゃるのを聞きましたが、バランスセラピーを受けたときに起きたこと、自力整体での4名のひとびとの変化を見、わたしはそれを実感しました。そして筋肉とは腕や足だけにあるのではありません。

    ちなみに”ため込む”のは感情ばかりではなく、疲労もそうですし、食べ物に含まれる農薬や添加物、大気や水に含まれる科学的薬品もそうですね。

    近代医学は検査と手術と投薬で成り立っています。投薬の無い治療は皆無といっていいでしょう。いつのころから医療そのものが”サービス産業”と位置づけられるようになりましたが、”産業”のなかでも薬品は大いなる比率を占めています。個人病院でも大病院でも見ていますと.....薬品メーカーがのべつ訪れています。薬品は不要とはいいません。クスリによって痛みが解消されたり、症状が軽減されたりもします。

   しかし、クスリには弊害があります。医者の口から「抗生物質は腎機能を落とす、造影剤を使いたいが腎臓に負担をかけるので使えない」と聞き愕然としましたが、事実投薬の結果、腎機能の低下が認められました。昔から肝・腎・要といいますが、これは肝臓、腎臓、関節という意味だそうです。肝臓腎臓は体内に入った毒素を処理する役目を持っていて、ここが機能しなくなると人間は終わります。がん・糖尿病なども最終的には腎不全で亡くなりますし、飼われている小鳥も小動物も死ぬ間際にまるく太ったようになるのは腎不全なのだそうです。

   近代医学は「毒をもって毒を制す」という宿命を持っています。それに対してホリスティック医療の必要性がこもごも言われるようになりました。ホリスティック医療、代替医療を受けたことが一度もないというひとはほとんどいないと思います。あんま、マッサージもれっきとしたホリスティック医療ですね。

   ホリスティック医療とは.....

①人間の生を「いのちの営み」として、ありのまま全体を見つめ、限界や欠如も含めて尊重する医療。
②人間をまるごと(身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた)全体で考える医療。
③健康や癒しを病気だけに限定せず、人生の中の生老病死というステージを考え、あらゆる分野の「癒し」も大切に考える医療。  
④ 『 精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な医療。

ホリスティック医療とは→コチラ

......問題がひとつあります。日本では代替医療は”禁止されていない”が”保険は利かない”場合がほとんどなので、よいことはわかっていても高くつくのです。

③へつづく...





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連休最後の5/5 、朝6時半 出発しました。霧はたちこめ渦をまき.....真っ白の闇から新しい世界が生まれ出てくるよう.....目的地はただひとつ ”海” へ。


    50号線に飽きたころ 気になる森が.....そこは公園でした。しんと鎮まった公園にはひとひとりなく うぐいすが啼くばかり......八重の桜からはらはら花びらが零れ落ちます。そのうつくしい公園の紫陽花の下に小鳥のお墓をつくりました。鳥もうさぎもえさと水さえあれば生きていられるものではないようです。きのう死んでしまった小鳥は桜の花びらにつつまれて春になれば花になるでしょう。

    

      ワイルドのわがままな大男を思い出しました。花びらが降り積もっておりました。

   
    みちこさんのカフェに寄って再会をよろこびお茶を飲み、柏餅をごちそうになりました。黒猫ビーは以前ほどのしなやかなつややかなうつくしさはありませんでしたが健在。みちこさんとは昨年か一昨年 はじめて会って意気投合しました。

    それから教えていただいたように、新緑の山を越えて下って、ハッとするところで止まります。地図のない なにかに導かれる旅.....といえば聞こえはいいが 犬も歩けば....かもしれません。


    朱のつつじと朱の鳥居....ちいさなお社に手を合わせ、走ってほどなく わたしは心臓が飛び上がるようになって車を戻しました。......ふるびたお社「鹿島神社」....本殿の彫刻がみごとでした.....が、導かれたところ...本殿の真後ろに石のちいさな宮があって 木のおふだには”石尊”......ずっとお読みくださった方 覚えておいでですか?(カテゴリー・知られざる日本)そう....石神...シャクジン.....ヤマト朝廷の神々以前に祀られていた神です。もう一体”桧戸”と書かれたお札を祀った石の社もありました。古(いにしえ)より、神は桧に宿ると言われているそうですが 調べてもでてこないのです。

     


      本殿....この真後ろに後戸の神 シャクジンがおわします。

      石尊....一叢のすみれが訪なうひとも少ないいにしえの神を寿いでいるようでした。

       桧戸の神

     そして、この神社の宝物は悪路王....アテルイの顔面彫像.....アテルイとは縄文・蝦夷の最後の英雄でした。坂之上の田村麻呂に破れヤマト朝廷に処刑された英雄の首はここ茨城でミイラとして祀られていたらしい。その後彫像がつくられたそうです。

      城里町には鹿島神社が4つあります。おいなる方は気をつけて....

アテルイの時代は→コチラ

     海にたどりついたのは1時半.....松林.....白い浜茄子が風にゆれ 甘い香りをただよわせ、松林の下の絶壁は海。潮騒が遠く低く響いていました。あまり寝ていなかったわたしは疲労困憊してシートに突っ伏しておりましたが、娘たちに介抱されているうちに思い出したのです。今日は”海”でなにかを開放するために捨てるために やってきたのだと.....。

    五臓六腑、五体をつぎつぎに大地にゆだねてゆきました。頭上には松のこずえ、うす青の空 わたしは語るとも無く語り 呼びかけるともなく呼びかけました。身体は土より来たり 土に還る 魂は天から来たり 天に還る この身の血潮は海から来たりしもの 呼吸..いき...脈も鼓動も繰り返すは海の韻き.......身体中の血管が耳の奥から足の先まで 潮騒の響きに呼応して満ちては引いてゆくようでした。

       松林の向こうは海、下は断崖

     

     

    いつのまにかわたしは眠っていて、すこしたって目覚めたとき疲れは消えていました。不思議なことに帰り道 目の前に泉神社の立て札がありました。こんこんと清い水が湧くところ 泉神社の小さな赤いお社に祀られているのは瀬織津姫...とわたしは固く信じております。今日は素通りしてしまいましたが、ミカボシノカガセオ....が封じ込めれている大甕神社はすぐ近くです。カガセオもヤマト....と最後まで戦ったこの地の王でした。なんとなく....わたしはカガセオと泉神の関係に心惹かれています。火のような王、慕われていた王カガセオにとても惹かれます。

      滾々と溢れる泉   

    川の傍に心そそる森がありました。川沿いの道をゆくと....稲荷神社...農耕の守り神と お近くの方が教えてくださいました。

     ひとびとの暮らしを見守ってきた鎮守の森

.......こうして 今日は5つの川を渡り、五つの神社に詣でました。新緑と花々が溢れ目に沁みました。日本はうつくしい国です。

調べてみたら茨城県には.....

同じ城里町 石船神社は→コチラ

鹿島神社常陸大田市 春友町..は→コチラ

石尊山は→コチラ

茨城県の山岳信仰の山は→コチラ
古代は山そのものが御神体でした....それは大地のエネルギー、(もしかして天のエネルギー)とも関わりがあったのかもしれません。

茨城県の神社一覧は→コチラ

ほーっ。。すごい数です。城里町には鹿島神社が4つもありました!!



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