遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 




みなさま おひさしぶりです。1週間もおやすみしてしまいました。おかげさまでケヴィンはクリスマスに突然元気になりました。老犬なのに走り回っています。ついでに発情しまくっています。ケヴィン最強!!

こんなにながくおやすみしてしまったのは 体調もわるかったのですが イブの日 小松左京の”日本沈没”を読み直したからです。小説のなかで 日本列島の沈没が発表されたのは3月11日 アメリカ時間の午後2時でした。小松さんは予見していた? 小説の中で 政界のフィクサーの「学者にとってなにが一番大切か?」という問いに 日本列島の異変に一番最初に気づいた学者に小松左京は「直感です」と答えさせています。直感.....だったのでしょうか それとも。

小説「日本沈没」のつづきをざっと述べてみましょう。日本政府は各国に呼びかけ 日本国民を難民として受け入れてもらうよう必死の努力をつづけます。関係各庁のひとびとの同胞を救おうとする超人的な努力によって 日本国民は世界中に散らばり 帰る故郷を持たない流浪の民となるのです。けれども三千万あまりのひとびとが 火を噴き鳴動しのたうち震え咆哮する断末魔に苦しむ竜のような列島と運命をともにし 海中に飲み込まれます。なかにはあえて愛するうつくしい国土とともに滅びる決断をするひとびともいるのでした。

今読んでみるとかなりショックでした。 それから もういちど 阪神大震災について見直すことにしました。....すると 阪神大震災も東日本大震災とおなじ複合地震だった。すっかりわすれていたのでした。阪神大震災でも9.11のイスラエル企業 とおなじように 外国人たちがあっという間に現場から逃れ去っていました。詳細はリンク先をごらんください。

→ こちら

阪神大震災も人工地震だったのでしょうね。人工地震といえば 決まって出てくるのがベクレル社とちきゅう号です。ベクレル社が工事で掘削したところとちきゅう号が海底をボーリングしたところに核が埋め込まれているらしいということです。ちきゅう号については いままでにもいくつかのリンク先をおつたえしましたが 今回はこちらをごらんください。

→ こちら

日本列島のまわり中をちきゅう号は探索しています。おそらく火山と地震の国 日本の海のいたるところに火種は埋め込まれているのでしょう。このことで 彼らは日本政府を脅しているという面もあるのかもしれません。そうと考えなければ 日本国民をすべて放射線の実験台にするような数々の施策はあまりにも悲しい。個人的には1月には大規模な地震はおきないような気がしますが 事態は刻々と変化するのでわかりません。

放射線によるじわじわとした日本人の衰退 いつ襲ってくるかわからない地震 無能としか思えない政府 このような絶望的な状況のなかでわたしたちはなにをすればいいのか。

マスコミによる洗脳がありながら それでも50%以上のひとが食べ物に気を遣っているという調査結果がありました。一見 なにごともないような 自己催眠にかかったような 日本人のありようはもしかしたら 生きるための知恵なのかもしれません。東京はすでに子どもの住める場所ではないと各国の識者は見ているようですが、移住できるひとばかりではありません。

できることは十二分に対処すること。アンテナは伸ばしておくこと。あとはあかるく元気に暮らすことだと思います。悲観したり恐れたり 不安にさいなまれたりすることは彼らの思う壺です。........そして祈ること。祈りには力があります。自分のため家族のためだけでなく この国のために 世界のために 子どもたちのために どうか祈ってください。初詣でも.......。わたしは思い出します。ホピの予言でも そうでした。祈りをわすれないひと 心正しいひとたちがつぎの文明の担い手として残りました。

わたしたちはあかるく元気でいましょう。準備をととのえ 言うべきことは言い やるべきことに力を尽くし 祈りつつ 知恵と工夫と笑顔で乗り切りましょう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




123便についてコメントがありましたので ここはUPしないわけにはいきません。123便の事故にも暗い暗い闇がありました。そして それは 今 につながっています。わたしたちの国はいったいどこへ。わたしたちの国をわたしたちの手に。

→ こちら

→ こちら

ボイスレコーダーの記録
→ こちら

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )





→ こちら

以下抜粋

日銀の正体
「日銀」の株はジャスダック市場に公開され株主構成は55%を政府が、45%民間が所有していますが、民間株主が誰なのかは一切公表されていません

戦前の「日銀」は天皇家とロスチャイルドと三井財閥が大株主でしたので、現在45%の民間株主の中に天皇家とロスチャイルドが別名義で入ってい ると思われます。「日銀」は1881年に三井銀行の為替方を廃止して創設されましたので、最初から三井銀行のパートナーであったロスチャイルドと の関係が深かったのです。

現在の白川日銀総裁に至るまでの歴代総裁と最高責任者達は、時の政府ではなくロスチャイルド国際金融資本や米国FRB(ロスチャイルド系銀行が 100%株を所有する民間銀行)の戦略に従って日本の金融政策を決定してきたのです。「日銀」は「紙幣印刷」と「金利決定」の「信用創造特権」が独占的に与えられている銀行の中の銀行です

中央銀行である「日銀」は「信用創造特権」と「金融政策」と「窓口指導」を通じて、景気の浮沈、バブルの発生と崩壊、為替レートの決定、政府財政 の黒字・赤字化、銀行と企業と個人の生殺与奪権を勝手に左右できる、政府や国会を超えた「超独裁」機関になっているのです。

「日銀」1997年の「日銀法改正」によって、政府から「完全な独立」が保証され政府は日銀総裁の首を切れなくなりました。「日銀」は表向きは政府の金融政策に従うような顔をしていますが、実際は政府からの干渉を受けず自分たちで勝手に「金融政策」を決定して実行しているのです。

「日銀」は政府や国会よりも強大な決定権をもつ「超独裁」機関であり憲法41条の規定「国会は国権の最高機関である」に明白に違反しています

政治家も裁判官も官僚も大手マスコミも学者も評論家も誰も「日銀の正体」「日銀の違法性」を語りませんので「憲法違反」が容認されているのです。

「日銀の正体」は「通帳マネー」に並ぶもう一つの「大タブー」であり完全に隠されています。国民は「よくわからないが超エリートが集まって政府の 都合に左右されない客観的な金融政策を決定する第三者機関」のように思わされていますが大きな間違いです。

日本を実質的に支配しているのは「日銀」と言っても過言ではないでしょう。

この20年に起こったこと

1985年9月22日ニューヨークの高級ホテル「プラザホテル」に集まったG5(先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議)はアメリカの貿易赤字特に対日赤字を削減するために円高ドル安に誘導する「プラザ合意」を発表した。123便事故の翌月

発表の翌日ドル円レートは1ドル235円から約20円下落し1年後には150円台と急激な円高となったため、た政府(中曽根首相・竹下蔵相)と日 銀(澄田総裁)は「円高不況」が起きると懸念し低金利政策を採用したのです。その結果不動産や株式に対する投機を促進され1986年から1990 年までの4年間「平成バブル」がもたらされたのです。

しかし「平成バブル」発生の真の原因は「低金利政策」ではなく、日銀が「信用創造特権」で「紙幣印刷」して銀行に供給した「金融緩和政策」だった のです。

日銀は銀行と大企業に対して強力な「窓口指導」を実施して、有り余った資金を無理やり借りさせて史上空前の土地と株への投機を扇動して「大型バブル」を発生させたのです。

澄田智日銀総裁は、「プラザ合意」による急激な円高・ドル安で日本の輸出産業が苦境に陥り「円高不況」に陥る危険に対処したのはなく、明確に「大型バブル」を発生させ頂点に達したら崩壊させる「ユダヤ国際金融資本」の戦略に従い積極的に動いたのです。

「大型バブル」を発生させ頂点まで加熱させる役割を与えられた澄田日銀総裁(1984年ー1989年)は、日経平均株価が最高値(38915円) を記録した1989年12月に日銀総裁を辞めすぐにロスチャイルド系の投資銀行ラザール・フレールの顧問に就任しています。これほどわかりやすい ことはありません。

澄田智氏の次の総裁には、三重野康氏(1989年ー1994年)、松下康雄氏(1994年ー1998年)、速水優氏(1998年ー2003年)、 福井俊彦氏(2003年ー2008年)そして現在の白川総裁と続きます。

「平成バブル」は三重野氏が日銀総裁に就任した1989年12月がピークで1990年3月の大蔵省銀行局長が各銀行に出した「総量規制」通達で一気に崩壊を迎えます。

「失われた20年」は5人の日銀総裁(三重野、松下、速水、福井、白川)が意図的に作った!

その後現在までの20年間は「失われた20年」と呼ばれ、先進各国が2-4%の経済成長を達成する中で日本だけが「デフレ不況」が深刻化して「ゼ ロ・マイナス成長」を繰り返す「異常な状態」が続いているのです。

何故日本だけが「デフレ不況」から脱出できないできたのか?

それは歴代の日銀総裁(三重野総裁、松下総裁、速水総裁、福井総裁)と現在の白川総裁が揃いに揃って「デフレ不況」突破のために不可欠な「紙幣発行」による「信用創造」を市場に供給して来なかったからです。

なぜ日銀は「紙幣発行」による「信用創造」を市場に供給せず「デフレ不況」を20年間も継続させてきたのか、その理由は以下のとおりです。

一言で言えば、歴代の日銀総裁は日本の景気や国民生活などどうでもよく、彼らはロスチャイルド国際金融資本とFRBの世界戦略に従って日本の金融 政策を決定し実行しているからです。

1991年にソ連が崩壊した時点で米国にとっての最大の脅威は「日本の経済力」であり、米国防総省は総力を上げて「日本経済破壊作戦」を展開したのです。

作戦の一つは、「日本の財政」を破綻させるために米国は「内需拡大」を名目にして自民党政権に対して1989年から1999年の10年間に総額 620兆円の税金を「無駄な公共事業」に投資させたのです

2つ目の作戦は、米国が首相に押し立てた小泉純一郎首相(2001年ー2006年)に「小泉・竹中構造改革」を強行させて日本社会の「セーフテイネット」を破壊させ日本人を弱体化させること、そして日本の株や不動産を底値にして米国金融資本に買収させることを実行したのです。

「小泉・竹中構造改革」によって貧富の差が拡大し「大格差社会」となった日本は、2009年8月30日の「総選挙」で「新自由主義」を拒否して 「国民生活が第一」の小沢・鳩山民主党を選び「政権交代」を実現させたのです。
しかしながら米国は小沢・鳩山民主党政権を「反米政権」とみなし東京地検特捜部を使って小沢一郎民主党代表を狙い打ちにした「国策捜査」と、大手 マスコミを使った「小沢バッシング」をくり返して小沢一郎氏を抹殺したのです。

2010年6月2日の鳩山首相と小沢幹事長が同時に辞任した「6・2クーデター」で新たに首相となった菅直人氏は「対米従属」と「消費税増税」に 方向転換し米国と財務省の支配下にくだったのです。今年9月30日に就任した野田首相は菅前首相以上に米国と財務省のポチに成り下がり、「消費税 増税」「TPP参加」「社会保障切り捨て」を主張し「国民生活が第一」の公約を完全に捨て去っています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




→ コチラ 

以下抜粋

 師走の冷たい北風が吹き付ける銀座「検察と記者クラブによる冤罪作り」に反対するデモが18日、行われた。



 80歳に手が届こうとする女性(板橋区在住)は心臓の持病を押して参加した。「マスコミへの怒りを表明するために来た」と話す。女性は配達される「朝日」と「東京」の2紙を隅々まで読むのが日課だ。

 「新聞を読むと小沢(一郎)さんと鈴木(宗男)さんが(検察とマスコミに)狙われているのが、よく分かる。東京新聞はさほどではないが、朝日がひどいので電話で抗議したこともある」。女性はこう話して特に嫌いな論説委員の名前を挙げた。

 「朝日新聞の購読を止めたいのだが、配達の少年が気の毒なのでしょうがなく取り続けている」という。

 女性の持論は「世の中悪くするも良くするもマスコミ」だ。「小泉政権の郵政民営化が示すように、マスコミが一斉にひとつの政策を支持する時はロクなことがない」と憤慨した。

 消費増税に突き進む野田政権は、12月4日付けの新聞各紙で「増税キャンペーン」を打った。政府広報費として総額3億円が広告代理店を通じて新聞社に払われたとする報道もある。政府広報費は国民の血税で賄われる。消費税が上がって苦しむ庶民の負担での「増税キャンペーン」。皮肉を通り越してブラックユーモアという他ない。

なぜ小沢が目の敵にされるのか

 ①「増税よりも先ず行政の無駄を省くこと」と口を酸っぱくして繰り返し訴えてきたのが鈴木宗男前議員と小沢一郎・元民主党代表だ。行財政改革をまともにやると既得権益の崩壊につながる。このため、2人とも霞ヶ関と記者クラブから目の敵にされてきた

 ②小沢氏は検察による法務省支配にメスを入れようとしていた。そのため検察はなりふり構わず、小沢氏を屠りにかかったのである。

 記者クラブも検察同様、小沢氏を目の敵にした。小沢氏はいち早く記者会見のオープン化を打ち出していたが、それ以上に記者クラブメディアの逆鱗に触れるものがあった。

 ③小沢氏が「クロスオーナーシップは『集中の排除』の観点からしておかしい」との見解を示していることだ。新聞社がテレビ局の株を支配するという奇妙キテレツな経営形態を認めているのは、先進国のなかで日本だけだ。ここにメスが入ると新聞社はテレビ電波利権を独占できなくなるのである。新聞社によるテレビ局の支配は、日本の世論を単一化してしまった元凶とも言える。

 原発事故直後、小沢氏は「先ず避難区域を広く設定して、安全が確認できれば帰したらいい」と述べていた。補償を一円でも少なくするために避難区域を狭くした菅、野田政権と逆である。北海道出身のデモ参加者は「宗男さんが政界に戻って来ないと北方領土交渉は一向に進まない」と嘆く。

 「日本を守ろうとした人が捕まり、日本を売ろうとしている人間がのうのうとしている」。茨城県から駆け付けた男性が、真相を言い当てていた。

以上

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    夕べ 攻殻機動隊を見ました。伝説的な日本のアニメのひとつなのですが 今まで見ていなかったのです。2029年 第3次核大戦とアジアが勝利した第4次非核大戦後、脳をネットに直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加したサイボーグ(義体化)技術が発展、普及し 科学技術が飛躍的に高度化した日本が舞台。電脳化され義体化された人間が人間たりうるモノはなにか がテーマのようです。ストーリーはテロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活動を通して展開します。

    おもしろかったです。作者は人間が限りなくロボットに、そしてロボットが限りなく人間に近づいた時代、そのふたつを決定的に分けるのがゴーストと定義していたようです。ゴーストとは 自分が、自分自身であるために最低限必要なモノ、又はその境界に存在するモノであるのと同時に あらゆる生命・物理・複雑系現象に内在する霊的な属性、現象、構造の総称であり、包括的な概念......つまり個のなかに存在し 個を個たらしめているとともに森羅万象のなかに存在しすべてが大河の一滴のようにつながっている? とわたしは解釈したのですが どうでしょうね。

    少佐こと草薙素子さんの声が魅力的 コントロールされた 過不足の無い それでいて微妙なニュアンスのある声 かなりはまりました。このアニメがなかったら ハリウッド映画「マトリックス」は生まれなかったでしょうね。日本のアニメはすごいね。ハリウッドでスピルバーグ?が実写化とか。


素子さん

  タチコマというロボットたちがかわいい。思考を獲得してゆく 助け合い、思いやりとか自己犠牲まで体現してゆく.....機械に過ぎないのですが 霊性をもってゆくんですね。


タチコマ

    この作者さんはサリンジャーがお好きなのかな? 攻殻機動隊にでてくる”笑い男”は九つのものがたりのひとつにあったし 「あなたは世界中で起こる何もかもがインチキに見えてるんでしょうね」という”ライ麦畑でつかまえて”のせりふもでてきます。ちなみに少女漫画家はサリンジャーファンが多いです。すぐ思い出すのが 名作「バナナフィッシュ」そして大島さんのミモザ館でつかまえて.....ついでにわたしが一番最初にプロデュースした語りの会のタイトルは”九つの物語”そのままでした。主人公の少年のように 子どもたちが落ちないように? 見張っていたいと若かったわたしも思ったことがあります。

    攻殻機動隊 → コチラ

名せりふ

世の中に不満があるなら自分を変えろ!!。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!。

我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。

バトー、忘れないで。貴方がネットにアクセスするとき、私は必ず貴方の傍にいる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






真央さんのおかあさんが亡くなって 知らなかったことをいくつか知りました。フィギュアスケートをつづけるのは実にお金がかかること。おかあさんが 日本人がきらいだったタラソワコーチのもとにみずから出向いて 真央さんのコーチをたのんだこと。タラソワコーチクラスだと年間1500万円くらい指導料がかかること 一曲 振り付けしてもらうだけで100万円 大会についていってもらう費用 等 年間3000万くらいとあるのを読み ただただ驚きました。

ふつうのサラリーマン家庭ではとてもできないことです。そういえばテニスの錦織くんのテニス留学もたいそうなお金がかかったと聞いたことがあります。スポンサーを探すなど 世界に名をのこすアスリートになるには才能と幸運と努力ともっとなにかひつようなものもあるのでしょうね。

おかあさんのお話では 天分は姉の舞さん 真央さんは努力型とか...そこでわたしは 最近語りにしてみた 泣いた赤鬼の一節を思い出したのです。村人と ともだちになりたくてしかたがない赤鬼に青鬼は 自分がわるものなるから赤鬼がこらしめてくれるようにいいます。そうすれば村人は赤鬼を味方と信じるだろうと....赤鬼は
「あれじゃあ 青くんにすまないよ」というと青鬼はさびしげにわらって
「なにか おおきなことをしようとするなら だれかの犠牲がひつようなんだよ」といいました。

わたしはすこし覚りました。フィギュアに情熱と努力を注ぎ込むこと、時間とたゆまぬ努力をささげ ケーキや甘いものなどおよそ少女のたのしみに目をくれず ひたすらすべること。それだけでなく家族の愛と時間とお金をささげること いわれないバッシングや不公正に耐えること........そこではじめて ひとの魂を揺るがす 天使の粉が舞い降りるような.....と形容される真央さんのフィギュアスケートの数々が生まれたのだと.....

真央さんはおかあさんが望まれたように おおぜいのひとから愛されるスケーターになりました。なんとおおくの”贄”がささげられたことでしょう。究極の捧げものは 愛するものの死にほかなりません。きっと 真央さんは これからもっともっと輝くことでしょう。暗い闇の世を照らし 希望をもたらすひとつのひかりになることでしょう。

さて あなたはなにを捧げることができますか。あなたのたいせつなもののために。わたしはなにを捧げられるでしょう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






12/12に撮影され話題になった写真です。雲が切り取られたようにみえますが ケムトレイルを追いかけているひとのなかでは 雲が消えてみえるのは有名な話でした。ただの戦闘機ではなさそうですね。

→ コチラ

→ コチラ

空を気をつけてみていると 雲が切り取られたように見える航跡をみつけることがあります。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   「質屋」を観た。この映画はわたしのベストワンだった。次に「すきなのが怒れる11人の男たち」.....40年ぶりに観て驚いた。わたしは たしかに青い空.....を見たと思ったのに 映画はモノクロだった。白い雲 蒼い空 草原のピクニック うつくしい妻 子どもたち 両親......そこへナチスがやってくる。男はすべてを失った。目の前で妻がドイツ兵に犯された。どうすることもできなかった。ニューヨーク 教授だったユダヤ人の男は質屋のオヤジになっていた。週一度木曜日 所轄の刑事が金を取り立てにくる。貧しいひとたちがひきもきらず 質草を持ってお金を借りにやってくる。フラッシュバックのように過去がよみがえり男を苦しめる。やさしい妻。幼い息子 家族を守れなかった自分。男はなにも信じてはいなかった。正義も愛も芸術もなにもかも......お金だけだった。その金も実は売春宿の上がりからくる不浄の金と男は知る。質屋は暗黒街のボスの事業の隠れ蓑になっていたのだ。

そんな男を慕っていたのはジーザスという若い店員だった。.....が 彼は 強盗の手引きをしてしまう。仲間が男に銃を向けたとき ジーザスは男を守ろうとして 銃で撃たれ 血にまみれて死ぬ。男は自分のためにジーザスが死んだことを知り メモ刺しの鉄の針でわが手を刺し貫き おもての雑踏へふらふらと出てゆく。

若かった わたしは この映画を 回心をテーマにした映画と思っていた。わが子を失った男が 息子のような......生きていたらそのくらいになっていたであろういはば 息子の身代わりのような店員の無償のわが身を投げ出す愛で 蘇生した 甦った男のものがたり 再生のものがたりとずっと思っていた。

だが 別の見方もできるのだった。わが罪で キリストを殺した男の贖罪のものがたりと そう見ることもできる。衝撃だった。.......それは 今 わたしが 自分のうちの罪に気づいたからかも知れなかった。ものがたりはこんなにも変容するのだった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






→ コチラ

浅田真央さんコメント

「応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

 この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

 帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

 しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

 でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

 この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

 私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

 生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

 皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。

      浅田 真央 」







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 → コチラ

 → コチラ

2011年12月10日、長崎出身の脚本家 市川森一さんが肺がんのため亡くなられました。

手がけた仕事は多彩でしたが 忘れがたいのはウルトラマン 傷だらけの天使 太陽にほえろ・・・・

ウルトラマンシリーズ 「最後の願い」から

「優しさを失わないでくれ。弱い者を労り互いに助け合い、どこの国の人とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも。それが私の最後の願いだ。」

今 日本のひとにとてもたいせつなきらきら光ることばです。

そして 市川さんは こうも言いました。

「芸能はみな神に捧げられたものだ」

わたしは亡くなってはじめて 市川さんがそうおっしゃっていたと知ったのですが おなじことを12年間 おもいつづけてきました。語り部として ものがたりを生むものとして・・・・・今年は  自分のなかのささやかな神性をとおして 聴き手のなかの神 に・・・・・ということに気づきました。市川さんは人間を信じる作品をたくさん残されました。 もしかしたら そんなこともおもっていらっしゃったのではないかと思います。

ご冥福をお祈りもうしあげます。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    パトリック・チャンのフリー演技 4回転 2回 ミスして 内容もイマイチで それで 173点だって 審判はなに見ているんだか ・・・・ 高橋くんも羽生くんもほんとうにいい演技でした。魂のこもったフリーでした。ありがとう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 

   真央ちゃん どうか間に合いますようにと祈っていましたが 間に合わなかったのですね。でも 帰ってきてほんとうによかったと思います。今日は悲しくて悲しくてなりませんでした。匡子さんの死を心から悼みます。

   わたしは小学生のころから新聞が好きでした。我が家では 朝 新聞の争奪戦が繰り広げられたほどです。毎日を20年 そのあとは朝日でした。浅沼委員長暗殺も安保闘争もベトナム戦争の終結も新聞で知りました。教育の森 を愛読していました。新聞に書かれていることはみな真実 社会の木鐸と信じて疑いませんでした。

   その信頼に疑念が指した最初が 浅田真央さんのことでした。フジテレビなどの不可解な報道だけでなく新聞もおかしかった。当時 毎日新聞をとっていましたが 記事も写真も浅田選手の扱いがおかしかったのです。なぜ おかしいかわかったかといいますと わたしはフィギュアスケートを50年近く見つづけてきました。まだこんなにもてはやされるまえ 真夜中近く NHKでひっそり放映されていたときも見ていました。歴史に残る ”ボレロ”も見ました。

   浅田真央という選手が不世出の選手であること 技術だけでなく美しさという点においても類稀であり 音楽とほんとうの意味でひとつになるというごく限られた選手にしかゆるされない翼を持っていると確信できたからこそ 報道の奇妙さに気がついたのです。絶対的なスケールに照らしあわせれば 小手先のごまかしなど白昼のイルミネーションのようなものです。

   それでは 浅田選手はどのようにしてその輝きを自分のものにしたのでしょう。天分があったかもしれない、間違いなく血のにじむような努力もしただろう.....けれど 浅田選手が他の選手にも大きな影響をあたえ フィギュアスケートを変えるまでの選手に成長を遂げたのは おかあさんの力なしには考えられないと思います。

   「決めたことを最後までやりとおす」ことを子どもたちに求め 山田コーチに娘たちを炊くし 毎日長いときは20時間の練習をさせた母でした。毎日 娘の足をマッサージする母でした。オリンピックのころは競技場に行くことはおろか実況さえ見られなかった母でした。

   匡子(きょうこ)さんは真央さんの力をよく知っていたはずです。ですからいわれなきバッシングや ジャッジに いやというほど傷ついていたと思います。親というものは自分が叩かれるより子どもが叩かれるほうが何十倍もつらいものです。どんな思いでわが子をみつめ 守ろうとしてきたか 察するにあまりあるものがあります。

   真央さんはカナダのオリンピックのあと「メダルをとります」と天真爛漫にはいわなくなったように思います。かわりに口にすることばは”できることを精一杯やる””ベストを尽くす” .......それはアスリートとして自分を乗り越えてゆくという絶対無比の目標です。....... でもうらを返せば メダルが必ずしも努力と実力に対して与えられるのではないことを骨の髄まで知ってしまったという切ない一面もあるのではないでしょうか。

   日本中でおおぜいのひとが今夜の月をみたことでしょう。そして多くの方が匡子さんの死を悼んだことと思います。匡子さん あなたが丹精こめて愛情こめて育て 守った真央さんは フィギュアスケートを超えて 多くのひとの希望になりました。多くのひとが勇気付けられ 明日へ向かっていく力をもらい 多くのひとが真実に気がつくきっかけをもらいました。わたしもそのひとりです。ほんとうにありがとうございます。おつかれさまでした。やすらかにおやすみください。

   

    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




おかあさんの病気で 浅田真央さん グランプリファイナル欠場だそうです。表にはでないで真央さんを支えつづけたおかあさん 毎日 真央さんのマッサージをしたおかあさん 真央さんは自動車の免許をとって おかあさんの病院にお見舞いに通いました。おかあさん がんばってください、どうかよくなりますように。

もうすぐグランプリファイナルです。浅田真央さんを少女のころからずっと見守ってきました。そしていつからか勇気と力をもらっていることに気がつきました。2008年も2009年も2010年も素敵だったけれど 今年のあなたはことにうつくしい。日に日に余分なものを削り落としてうつくしく透明になってゆく。そしてあなたの笑顔 貼り付けた笑顔ではなくて 心のそこから浮かび上がる花咲くような笑顔......なにがあっても乗り越えてゆけるような気がしてきます。

シェーラザード  
→ コチラ

ジュピター
→ コチラ

ハウル・人生のメリーゴーランド
→ コチラ

風の谷のナウシカ
→ コチラ

トトロ 風の通り道
→ コチラ

仮面舞踏会
→ コチラ

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )






ついにこの雲が日本にも ......名前がついているのですが わすれてしまいました。おひまがありましたら ”ケムトレイル”をめくってみてください。









うつくしいですね。おそろしいけれどうつくしい。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )