人を愛そう。
一緒に分け合おう。
働こう。助け合おう。笑おう。
遊ぼう。教えあおう。習おう。
楽しく暮らそう。
愛されなくても。遊べなくても。
助けられなくても。
愛そう。守ろう。
憲法前文 14歳女子
これは2003年5月3日 朝日新聞の憲法前文の特集に寄せられた 14歳の少女の”前文”です。池田香代子さんはじめ多くの識者が書かれたなかでこの前文がことにわたしの心に沁みました。
もともとの日本国前文後半部分です。
.....
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに 生存する権利を
有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の
責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげて
この崇高な理想と
目的を達成することを誓ふ。
今から62年前戦争は終わりました。井上ひさしさんの本によれば当時の日本人の平均寿命は男性が23.9歳 女性が37.5歳だったそうです。男たちは戦地で戦いましたから寿命がこんなに短かったのですね。しかし死因の2/3は餓死だったそうです。満州に開拓に行ったひとも背後からロシアがせめてきて32万人のうち8万人が亡くなったそうです。やはり死因は餓死が多かったようです。道中 おなかがすいたと泣く子の顔を手ぬぐいで隠し 川に投げ捨てるという悲惨なこともあったようです。
ヒロシマナガサキでは多くの方々が生きながら焼かれました。沖縄では多くの民間人が亡くなりました。東京大空襲ではひとびとは火に追われ逃げ惑いました。わたしが行っているデイサービスのおばぁちゃまの話では鉛色の死体が何千体も並んでいたそうです。....それだけでなく戦争はひとを鬼畜と化し 近隣の国のひとびとをもまきこみました。
日本国憲法はあの長い悲惨な太平洋戦争という闇ををくぐりぬけてきた日本人が手にした光であったと思うのです。アメリカから与えられた憲法というひとがいます。....けれどもこの憲法をつくるにあたっては日本人も参画しています。武器を持たないと宣言することを明言した憲法は今までどこにもありませんでした。世界を数十回焼き尽くすことのできる武器が各国に配備されているという今 日本の憲法はひとつの希望ではないでしょうか?なにがあったにしろ憲法(国のきまり)があったからこそ 日本という国は国の名のもとに直接的に他国のひとの生命を奪わずにすんだのでした。
戦争を体験したひとたちはしだいに年をとってゆきます。今 路上で憲法を守ろうという運動をしている方々がみなお年を召していることにわたしは驚きます。実際に戦争を飢餓を抑制と専制を経験し,たいせつなひとを失くしたりその苦しみを見たひとたちはやむにやまれぬ思いで炎天下また雨のなか路上にいらっしゃるのでしょう。
日本国憲法を変えようという動きがたかまっています。そしてそれはアメリカの意向でもあるのです。自民党は民主党の分裂を画策するでしょう。こうしたなかで全国で憲法の前文をかたる 憲法9条を語るつどいがひらかれていることは小さな希望のあかしのように思われます。この憲法をうしなうことはおおきな希望をうしなうことになるからです。
わたしは語り手はカナリアのようなものだとも思うのです。わたしたちの生命やしあわせをゆるがすようなことを察知して 歌声で知らせるカナリアだと.....語り手は神話を語ります。太古の語りとともに繰り返し繰り返す神話のモチーフを語ります。太平洋戦争という闇...その嵐のなかにさえあった あたりを照らすような ひとの心 光をも語ります。そしてわれらの勝ち得た希望日本国憲法を語ります。
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