遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   わたしが引かれるように行ったのは栃木県の岩舟山と、茨城県の岩船ですが、岩船という地名は新潟県岩船郡あるいは大阪の河内磐船、島根県安来市岩舟(岩舟古墳)、長野県中野市岩船などにあり、また岩船神社は20ほどあるようです。

   天の磐舟とは神武天皇以前に大和を支配していた饒速日命(ニギハヤヒのミコト)がそれにのって 河内、河上の哮峰(たけるがみね)に天降ったといわれる舟です。「日本書紀」にはつぎのように記されています。
「饒速日の命は、天の磐船に乗り、太虚(おおぞら)を翔けり行き、このくにを見て天下った。」

   この磐舟は樟の木でできているそうですが、ほんとうに空から降ってきたのでしょうか? .....どうやらそうとはかぎらないようです。出雲神社の神事で 神は海からやってきますが、アメの磐舟とは海...アマのイワフネだったのかも知れません。神武天皇の一族よりすこし前に日本に渡来したようです。

    ニギハヤヒのミコトは10種の神宝...トクサノカンダカラとともに天降られた物部氏の始祖でもあります。ニギハヤヒのミコトはナガスネヒコ(エミシ)の妹を妻にするのですが、神武天皇に脅されナガスネヒコを殺して神武天皇に下ります。....子孫物部氏はその後しばらく天皇家の神事をつかさどっていましたが、仏教の伝来によって崇仏派の曽我氏との勢力争いに破れ、逃れて日本中に散らばります。その逃れた先で興したのが岩船神社であり、ゆえにご祭神はニギハヤヒノミコトなのです。

    余談ですが、物部の祝詞がやがて大祓いの祝詞となりました。どこがちがうかというとスサノオノミコトが犯した大罪.....アマテラスを怒らせた例の.....が大祓いの祝詞にあって、農耕民族らしく稲がからんでいる罪が多い。わたしは物部祝詞のほうが好きです。祝詞にでてくる祓戸四神のうち瀬織津姫、速秋津姫、速佐須良姫の三人の姫神が乗ってきたといわれる岩船が石上神社の山の上にあるというのも興味をそそりますね。瀬織津姫は祝詞以外ではイザナギが黄泉から戻ってきたとき 禊をする場面に出てくるだけの封印された神ですが、とても惹かれる神さまです。以前 うたをうたいものがたりを語ったことがあります。

    封印されたというと 最古の神社、大神(おおみわ)神社=大三輪神社 .....ご神体が山で遥拝所から参拝する.......を思い出します。こちらで祭られているのが大物主ですが、大物主神はニギハヤヒノミコトと同一だという説もあります......どうでしょう?  大神神社 奈良市桜井周辺は先住民エミシの住んでいたところといわれます。そうだとすると......わたしはオオモノヌシはニギハヤヒとはベツモノだと思います。.....実は今度11月頃、大神神社への旅に参加します。

    瀬織津姫だけでなく。以前、スサノオさまの后神をご祭神にしている氷川女体神社に10歳のころとても惹かれていたこと、ことに好きだったのが今はもうない神事をしていた堀であったことをお話しました。偶然 岩船にいってしまうのも、なにかに吹き寄せられているような気もします。わたしの友人の姓 穂積は調べてみると物部系の姓で古代の神官がそのルーツでした。わたしも物部となんらかのかかわりがあったのでしょうか。

    わたしは遠い昔に思いをはせます。渡来した神々....物部系、神武系を含めて.....以前の神々についてもっと知りたいと思っています。....覚醒の時期は近い??...といいのですが....。それでは、今日はこのあたりで。




大神神社は→コチラ

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    きのうは老人クラブの”遺言書書き方講座”のあとのゲーム指導に行きました。思ったより高齢者が多く、足の不自由な方、目の不自由な方がいらっしゃるので、いすにすわってできるゲームに急遽 内容を変更しました。演劇をつかったゲームをしたのですが、みなさんたのしかったとのこと よかったです。


    遺言書を遺す方は多くなったようです。財産の分与もですが、お墓やお位牌をだれかに守ってもらいたい....という切迫した必要もあるようでした。家を継ぐ、血筋を守るとはそういうことも含まれる、それぞれの事情のなかに、かつて堅固だった”家”がすこしずつ崩壊していることがうかがえてさみしいような寒いような気がしました。


     久方ぶりに"O"に行きました。これから忙しくなりそうなので 戦闘型にヘアスタイルを変えたのです。待ち時間に手に取った”CUT”という雑誌、業界誌かと思いきや、映画音楽関係, マイケル・ジャクソンとウタダヒカルへのインタビューが興味深かった。道は通じていますから”語り”に置きかえてみてください。.....マイケルはこんなことを言っています。

     「僕は楽器として生まれたんだよ。音楽と愛とハーモニーを世界に与えるために、子どもに、おとなに、ティーンエージャーに、すべてのひとに.....」

     「僕は自分の芸術にすべてを賭けている。どんな芸術も究極のゴールは、物質と精神との、人間と神との統一だと思う。それこそ、芸術の存在する理由だと思うんだ。」


     ウタダヒカルさんはこんなことを言っています。

     「メロディーは誰かの心の原風景、懐かしい場所からのメッセージ、リズムは死に向かう生命の行進の音、うたは祈り、願い、誓い、音楽は慈悲.....」

またウタダさんは、メロディーも歌詞もすでにあるもの、つくるのではなく、(自分のなかから)さがしてくるのだ....と言いました。それはまったく本質的な答だと思います。よく引用しますが ミケランジェロはこう、いいました。「すでにあるものを掘り出すのだ」  ウタダさんはこのようなことも言っています。......自分はロウトのくびれのいちばん細いところのような気がします。天から受け取ったものを自分をとおしてひとりひとりに届けるのです。北欧の語り手ベリットさんは ”つなぎ目”になると言ってましたね。

      まさに そのとおりなのです。つなぐこと、わたすこと、仲介者になること、芸 とは自分の表現というような卑小なものではありません。今日はいい一日になりました。




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........真喜子先生が9/9に亡くなられたそうです。お嬢さまからのメールに迂闊にも 今朝 気づきました。.....この春 倒れられて 奇跡的に復活し 8月にワークショップをなさったのでした。わたしは忙しさにとりまぎれて、申し込みをしませんでした。新宿の都庁前、高層ビルのその場所が苦手だったこともあったのでしたが......

    真喜子先生にお会いしたのは昨年の6月12日、大倉山でのことでした。満喜子先生はヴォイスヒーリングの先駆者、自分の声で自分を癒す......大地や宇宙と共鳴し、うちなる女性性、男性性を解き放つ.......真喜子先生とのセッションでわたしは母性をもとめていたことを知りました。うちなる女性性が傷つき喘いでいたことを知りました。

    師を失い、彷徨っていたわたしに 真喜子先生は勇気と自信を取り戻させてくださった、......わたしはすこし離れて、真喜子先生についてゆこうとそのとき思ったのです。........あまり深く入ったり、近づくのはもう怖かったから。「あなたはストーリーテラーね」 即興のグループによるパフォーマンスのあと、そう言ってくださいました。......「......いつか、コラボしましょう。」 わたしは内心ぎょっとして 曖昧にお返事したように思います。


    青森にご一緒した旅は終生忘れません。津軽のあおいうつくしい空、ベンセ湿原でいつまでも風に吹かれていたかった......縄文の気配が大地に森にかすかに残っております。あの旅から名草姫伝説は変わりました。これから生まれるものがたりもありましょう。


    真喜子先生 先生はたくさんの女性が自分の声によって回復してゆく......そのための助力を惜しむことがありませんでした、たくさんのひとびとをつないでつないで、声の持つ可能性に向かって走って 走って 最後まで走り抜けて、空に還ってゆかれました。ありがとうございました。感謝とともに、ご冥福をお祈り申し上げます。


真喜子先生の至高体験は→コチラ

世界に自分の声を響かせるヴォイスヒーリングは→コチラ



  歌い踊った埋没林の岸辺


  その空


   満喜子先生を囲んで


   椿山
  

   はまなすの実


    白神のマザツリー



.........今日は朝から泣いてばかりいる日です。満喜子先生が亡くなられたことがこんなに悲しいなんて思いませんでした。.......わたしは母と慕うひとをふたたび喪ったのでした。偉大な太母、マザはふたつの顔を持ちます。慈しみ育てる母、成長を阻害しときに喰らおうとする母、母とはふたつの振り子を揺れながら子を育てるのです。満喜子先生はときに厳しい方でしたがひとりひとりが今なにを必要としているか知って、手を差し伸べる方でした。.......わたしは、もう 母を求めるのはやめにしよう、わたし自身が母になろうと思います。語りもまた自分の声で自分を癒し、聴き手を愉しませそして癒すのです。その語りをめざすひとにどこまで与えきれるか、どこまで厳しくなれるか........そしてわたし自身どこまで磨いてゆけるか、今日はその誓いの日。






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     マイケル・ジャクソンは最高に成功したエンターティナーであるとギネスは認定したそうです。ギネスが言っても言わなくてもマイケルは卓越した歌い手であり、踊り手でした。そして彼自身最高のエンターティナーのひとりでした。そのマイケルが「最高のエンターティナーは語り手だ」と生前語ったそうです。

     マイケルは歌だけの紹介だったプロモーションビデオをはじめてストーリー仕立てにしたアーティストで、その後のプロモを文字通り”劇的に変えた”のです。1982年、リリースした"スリラー"は、14分にも及ぶホラー映画風のショートフィルムであり、マイケル本人がスターリングをしました。特殊メイクによるマイケルの狼男やゾンビが話題となり、彼の演技、ダンスがともに高く評価され1億5000万ドルを売り上げるヒットになりました。マイケルもまた”ストーリーテラー”だったのです。


     マイケルのいう最高のエンターティナーである”語り手=ストーリーテラー”とは、もちろん、本をそっくり丸のまま暗記して語るという語り手ではないと思います。独創のあたらしい世界をつくる語り手、わざと力で観客を自分の構築した世界に惹きこみ、笑わせ、驚かせ、泣かせ.....感動させる”語り手”です。

     大きな場でも、ちいさな場でも 語り手はたったひとりで 身ひとつで ものがたり世界を綾なし織り成す.....その声でいざなう。ときに轟かせ、ときに愛撫するように、風のようにひそやかにふれるように........そのような語り手になりたいとは思いませんか?  語り手としてのまことのステータスは世間的な地位でなく名でなく、巷のひとびとの心を一瞬でも満たし震わせ 生きる力を呼び起こさせることではないでしょうか?

     わたしは もうひとつのことばを 思い出します。 ....いい語りってのはね、語ったひとの名前は忘れちゃう.....ただものがたりだけがね、残るんだよ.......だれかのこころに遠い春の日の野の花の香りのようにふとよみがえるような語りを一期一会のそのときにできたら.......窓の外の朝焼けの空、白い月を仰ぎながら祈りをこめて思います。









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空につづく道


........空は晴れわたり、ふわふわした真っ白な雲が浮かんでいます。ここ、2.3日は妙にびっしりとした鱗雲も、奇態な二重三重の筋雲もなく、昔からの空を取り返したようで....心ものびのびしてきます。

    娘たちと日曜日の探検にでかけました。...道の駅”思い川”で地元産の牛乳などでつくられた、おいしいおいしいジェラートを行列にならんでいただきました。それから 50号線をどこまでもどこまでも水戸方面に向かいました。....なぜかわからないのですが、50号線がいつもと違うように感じられて不思議でなりません。ここ ホントに50号線? いつもくる圧迫感がない......それでも岩瀬を過ぎた頃には、飽きてしまったので はじめての道、県道?1号線を左折、すぐ ビーフロードにはいります。国道沿いって......お店はたいてい全国共通チェーン店だし、風景にしても面白みがあまりないんですよね。

    奥に入るとリスクもあるけど、発見もある...。 あった!! なるで高原のような緑にそまった道路を風に吹かれてひた走ると......こんな山の中にカフェ!!  それが”シャンピニオン”でした。まず、うつくしい黒猫のびーちゃんがお出迎え、それからミチコさん.....ミチコさんはオーナーさんからお店をあずかっているのだそうです。.....ドアをあけるとジャズ、明るい店内....ハーブティーは300円、アールグレーを濃い目に淹れてクラッシュアイスにそそぐといい香り......アイスティは400円。ホットサンドが美味しかった!! おいしそうなモーニングもランチタイムサービスも間に合わなかったけれど、素敵な3:00のお茶をいただきました。

    営業は朝8:00から夕方5:00まで。すてきなお店をみつけました。この道をどこまでもゆくと東海のほうに出る近道のようです。きのうは城.....までゆきました。素敵な図書館がありました。本屋もない地方の町には「図書館」は文化の砦ですね.......次回はもっと遠くまで....秋の海までたどりつけるといいなぁ.......

    
ミチコさんとシャンピニオン


    
ビーちゃんの息子 ゴンは生後三ヶ月 貰い手をさがしています。   
 

      


秋は日に日に深まってゆきます。山の奥でヒグラシがカナカナカナシと鳴いておりました。




マイケルのSmileは→コチラ





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.......真夜中、隣の部屋から流れてくるテレビの音楽が胸を掠めていった.......懐かしさと微かな痛み.....それは稀にしか聴くことのない精度の高い上質な響きだったので、夫のベッドの端に坐って その調べを待っていたら、再び流れてきたのは Michael Jacksonの "Smile" だった。はじめて聴くマイケルの"Smile" はナットキングコールのとはぜんぜん違っていた。

   わたしは二階にあがってユーチューブを検索して、"Smile" を聴いた。何度も何度も繰り返して聴いた。聴くたびに涙が溢れて泣きながら聴いていた。うまいのかどうかわからない。ただその歌声は無防備ではだかで痛くて傷ついていて、そしてやさしかった。さまざまなようすのさまざまな年代のマイケルの映像があった。マイケルはうつくしかった。黒いときもうつくしかった。なぜ 白くなろうとしたのだろう。

   子どもの声が魂に飛び込んでくるのは、無防備ではだかだからだと思う。やはらかなみずみずしい葉は爪を立てれば樹液がにじむ.....やはらかさと傷つきやすさはうらおもて。傷つくのはいやだから、ひとは外側に幕を張り、内側に膜を念入りに撒きつける。はだかの声はその切っ先でひとの魂を切りさき忘れていたものを思い出させ血を流させる....文明人はそんなことをしてはいけないから、声を装う。

   すると 真実らしく聞こえないので、芝居のときや朗読や語りのとき、それらしい気分とそれらしい声をつくる、こうしてひとの魂をたたく声、心臓に張りついた白い脂肪の膜を切り裂く声は遠ざかる。ただ痛みを甘んじて引き受けるものが切り裂く声、魂の奥に届く硬玉の声を持ち続ける......。





   

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