きのうは老人クラブの”遺言書書き方講座”のあとのゲーム指導に行きました。思ったより高齢者が多く、足の不自由な方、目の不自由な方がいらっしゃるので、いすにすわってできるゲームに急遽 内容を変更しました。演劇をつかったゲームをしたのですが、みなさんたのしかったとのこと よかったです。
遺言書を遺す方は多くなったようです。財産の分与もですが、お墓やお位牌をだれかに守ってもらいたい....という切迫した必要もあるようでした。家を継ぐ、血筋を守るとはそういうことも含まれる、それぞれの事情のなかに、かつて堅固だった”家”がすこしずつ崩壊していることがうかがえてさみしいような寒いような気がしました。
久方ぶりに"O"に行きました。これから忙しくなりそうなので 戦闘型にヘアスタイルを変えたのです。待ち時間に手に取った”CUT”という雑誌、業界誌かと思いきや、映画音楽関係, マイケル・ジャクソンとウタダヒカルへのインタビューが興味深かった。道は通じていますから”語り”に置きかえてみてください。.....マイケルはこんなことを言っています。
「僕は楽器として生まれたんだよ。音楽と愛とハーモニーを世界に与えるために、子どもに、おとなに、ティーンエージャーに、すべてのひとに.....」
「僕は自分の芸術にすべてを賭けている。どんな芸術も究極のゴールは、物質と精神との、人間と神との統一だと思う。それこそ、芸術の存在する理由だと思うんだ。」
ウタダヒカルさんはこんなことを言っています。
「メロディーは誰かの心の原風景、懐かしい場所からのメッセージ、リズムは死に向かう生命の行進の音、うたは祈り、願い、誓い、音楽は慈悲.....」
またウタダさんは、メロディーも歌詞もすでにあるもの、つくるのではなく、(自分のなかから)さがしてくるのだ....と言いました。それはまったく本質的な答だと思います。よく引用しますが ミケランジェロはこう、いいました。「すでにあるものを掘り出すのだ」 ウタダさんはこのようなことも言っています。......自分はロウトのくびれのいちばん細いところのような気がします。天から受け取ったものを自分をとおしてひとりひとりに届けるのです。北欧の語り手ベリットさんは ”つなぎ目”になると言ってましたね。
まさに そのとおりなのです。つなぐこと、わたすこと、仲介者になること、芸 とは自分の表現というような卑小なものではありません。今日はいい一日になりました。
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