遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

今日 BSをみました。埼玉稲荷山古墳から出土した ワカタケル王の名が金でゾウガンされた 鉄剣 の話。

ワカタケル 雄略天皇 (欽明天皇という説もある ....ヤマトタケルの息子 )⇒ こちら

この方が 伊勢外宮をつくられたそうだ、ついでに古事記もこのあたりからなのだそうだ。

毛人国 55国 蝦夷..? 65国 を滅ぼす。

頭がよく 戦に強く 残虐で 女好きで 新奇なものもすきで 徳がある....  女好きのほかは信長に似ている....

とても魅力的な王である。 たまには 敵の視点で古代の物語を語るのもよいかもしれません。

けれど本命は そのあと のアーカイブでした。

YOU カメラマンになるには.... の冒頭で わかき日の糸井重里さんと......さんが

憲法って いま 流行りだよね

人権ってあるの知らなかった

なくなっちゃうかもしれないから大事なんだよね

あの戦争で多ぜいのひとが亡くなったから この憲法になった

わたし 憲法 読んで 泣いちゃった.....

........

まさに この 時に ぶつけてきたのかな NHKの良心はまだ残ってる....

NHKのお偉いさんやチームセコウは読まないでね。



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よかった....

 こちら

JR京浜東北線南浦和駅でラッシュアワー時、ホームと車体との隙間に落ち込み腰がつかえて抜けなくなった32歳女性を救出するべく駅員・付近の乗客40人が力を合わせて救出するという一幕があった。



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⇒ こちら

ロケットカフェでワッフルと想いましたがお休みだったので......

ところが メリーさんち よかったです。

プロの味 セミプロとプロの違いはありますね。プリンスホテルにいたのだそうです。

主菜もパンもおいしかったけど デザートのジュレ が絶品。ローズヒップウオーターも美味しかった。



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ゆうべ レイトショウに息子とゆきました。

冒頭から飲み物のカップとパンを握った手がこおりついてしまいました。うつくしい映画でした。

うつくしい飛行機をつくりたかった男と愛した女のものがたり......日本の技術立国への道のものがたり 

モノつくりへの静かなる情熱......平和への叫びもメッセージもない。

ひとの生き方 立ち居に 日常のことばのなかに明確なそれがあった。うつくしい日本 うつくしい自然 景色をみているだけで息を呑むようだった。

関東大震災の映像 とよもす地鳴り がリアルだった。なんどか音にハッとした。庵野さんの二郎の声がよかった。

舞う雪がこよなくうつくしかった。青い空に白い鳥のように舞う九試単戦がうつくしかった。涙が流れた。

 

堀越二郎 ⇒ こちら

漫画 ⇒ こちら

キャスト等 ⇒ こちら

七試の製作で挫折した二郎が泊まった草軽ホテル であった 謎のドイツ人カストルプの台詞

「ここは魔の山だ。国連脱退なかったことにする、支那の侵略なかったことにする........」 TPPなかったことにする 放射能なかったことにする .....

イタリアの飛行機設計技師カプローニのことば

「技術がない?.....技術よりセンスだ。....技術はあとからついてくる。」

「設計でも 芸術でも ほんとうにうつくしいものを? 生み出せるのは10年だ、君はその十年をたいせつにしなさい」

堀越二郎のことば

「ぼくらは二度と無い時間をたいせつに生きている 」



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それにしても 最近 アメストを吸うひとが増えましたね。それが ちょっと心配(連中にわるさをされないかなと)なんですが。

愛煙家のみなさま マナーを守って紫煙をくゆらしましょうね。ただし 煙草の添加物は毒ですから気をつけて 自分で巻くのがいいみたい。

こちらは過去記事 ⇒ こちら

これは今日の記事 ⇒ こちら

 以下抜粋

この期に及んで何を言うか!とWHOにも怒られそうですが・・・「百害があって一利もなし」と言われる「タバコ」のメリットをざっと挙げておきましょう!

 ○アルツハイマー病を防ぐ

○パーキンソン病を防ぐ
○気管支炎、ぜんそくに効く
○めったに風邪やインフルエンザに罹らない。
○注意力や学習能力、記憶力、情報処理能力など脳の機能を高める
(※ つくられたウィルスにかからないかもしれない)
と、にわかに信じられないと思いますが、実はこれは「ニコチン」の効能なんです。

現在、世界の研究者やバイオテクノロジー企業は密かに、植物由来のニコチン(ナイアシン)の新薬の開発に取り組んでいます。

この新薬ができますと、脳、腸、血管から免疫システムが強化されます。また、ビタミンや脳の活性化に欠かせないアセチルコリンの代用となることから、アルツハイマー、パーキンソン病、そして脳の機能向上がもたらされるようです。

ということで、タバコは元来薬草であり、人類史上3千年にも渡り、廃れることなく、連綿と受け継がれてきた「タバコ」の本当の凄さがここにあるわけです。

つまりタバコは万病に効く世界最強の薬なんです!

 

害毒とされるているのは、依存性を利用した企業利益と、病人をつくり薬で儲けようと考えた製薬会社のタイアップでタールや一酸化窒素、アンモニアその他の有害添加物を混入させているからなんです!

え? じゃなぜ世界的に禁煙ブームや規制が厳しくなってるかって?

それはもちろん、どんな病気も治ってしまう“ニコチン効果”があることがわかってしまって、慌てふためいた連中らのネガティブキャンペーンでしょう・・・

以上

わたし? わたしは日に2本くらいは嗜みます。 大仕事のあととか あとものがたりが生まれ? テキストにするときは必須です。



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ニギハヤヒ 天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命が日本を統一した王だと思っています。今の皇室のご先祖 ニニギ天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊は天照大神の孫であり、天照大神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたと古事記ではされていますが、古事記も日本書紀も1300年前 女帝持統天皇の命により 皇室の正当性を内外にPRするために編集されたものなのです。

古事記では 兄に天火明命(あめのほあかり)がいる。『日本書紀』の一書では天火明命の子とする。⇒ こちら

剽窃されたながれがなんとなくわかりますね。

一説には ニギハヤヒの后神が瀬織津姫 瀬織津姫は水の神であり 熊野三社の隠された主祭神ではといわれています。

わたしは 古い神社に池がかならずあり 水神も祀られている(宗像三姉妹なども)のは 日神と対になる水神を祀っているからなのだろうと考えていました。

ところが 伊勢の旅で感じたのは.....。

本伊勢 .... 伊雑宮(まことの伊勢神宮という考えがある)の神は蛇....古代は龍=蛇

先日伊雑宮の記事で「先代旧事本紀大成経」のことをあげました。(天皇家の始まりを聖徳太子が編纂させたものとされ伊雑宮の正当性が述べられています)。忌部(いんべ)氏とト部(うらべ)氏から、太古から神の魂霊として密封されて御神体となっていたという50個の土簡(はにふだ・タブレット)が持ち込まれ、その中には初期の天皇は龍蛇族の特徴を備えていたと言う記述もありました。

そして近くに川  瀧原宮にも川..... 伊勢神宮のもとといわれる五十鈴川に祀られている古代の神は瀧まつりの神.....

神様が龍族だから 川や水がそばにある。龍は火(日)神であり 水神であるのでは.....

いまでも 天皇のお身体を龍体というのはその名残ではないのか......

そして 天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命の墓所が 大三輪山  すなわちオオモノヌシはニギハヤヒ 最初のころはこのお山で天皇の即位式がおこなわれていたそうです。

もうひとつの本伊勢 籠神社の主祭神は彦火明命 相神は天照大神 豊受大神

伊勢神宮には1600年の間 天皇は行幸されなかった。 古代は大三輪神社 石上神宮 大和神社に参拝された。(昨年 語りで奈良 和歌山をまわったとき 引かれるようにこの三社のお参りをしました)

石上神宮 祭神

     布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ) - 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊

     布留御魂大神 (ふるのみたま-) - 十種神宝に宿る神霊

     布都斯魂大神 (ふつしみたま-) - 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊

     宇摩志麻治命 (うましまじのみこと) ニギハヤヒの子

大和神社 祭神

     中央に大和大国魂大神  ニギハヤヒか

     左に八千矛大神(オオクニヌシ) 

     右に御年神(ニギハヤヒの子)

天照大神と大和大国魂大神を宮中にいっしょに祀ったところ タタリが起きて 倭姫がご神体のお供をされて 神の安息の地をさがす旅に出たという。

? 天照大神 もとはといえば ニギハヤヒ それともこのとき女神なのか?よくわかりません。

大和大国魂大神もニギハヤヒ.....

そうだとしても そのとき 二神 ごいっしょに とは わたしには考えにくい。だって タタリがあったのだから。

どの神のお供をされたのか? 

斎王のやくわりは...... という 謎 ....   巫女 なのか 

そして もうひとつ 五十の謎

伊勢神宮は 磯の宮と呼ばれていたそうだ イソ 五十 五十鈴川 五十 伊雑宮 いざわのみや 地元ではいぞうさん イソ 五十 五十のタブレットがあった。

50音 ことたま 一音一音が神という考えがある。天皇陛下は即位の大嘗祭で四方八方に向って アイウエオン カキクケコン....とことたまを発せられるそうだ。

ア......ン はじめとおわり 阿吽

文字とはことたまが眠った状態......ここで語りとつながるのです。

ふたつの本宮 籠神社と伊雑宮の神文はダビデの星 ..... イセ とは イスラエル なのか ......

 

 

 

 



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伊勢にいって..感じたものは あたりまえのことながら 縄文があり 原始的な根源的な 古・神道の世界の痕跡がいまだに残っているということでした。

ずうっと昔 神とは山であり川であり自然そのものでした。石に神が降り立ったことから 石 が尊崇の対象となり かたわらには 木 がありました。 そして その地に祠が建てられ 権力者たちは 土地の力を利用して大きな社をつくりました。そのむかしのにおいが伊勢にも隠しようもなく残っています。(瀧祭神 饗宇治川橋姫.....五十鈴川の神 土宮.....土の神 ほか)

中世 お伊勢参り(お蔭まいり)は庶民のものでした。

当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮であった。特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあったから、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていた。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていたという。 ⇒ こちら

一方 すでにUPしたように 明治天皇以前 天皇はだれひとり伊勢に参拝されませんでした。明治天皇が伊勢に参拝されたのには特別な理由があったのでしょう。明治5年といえば 明治政府が発足してまもなくであり不平士族は一触即発という状態であったことでしょう。そのなかで国家護持のうしろだてとして 神 の存在が必要だったのではと思います。ハゲタカのごとき欧米列強にむしられないように守りつつ 一方で一刻も早く欧米に追いつき追い越せと無理に無理を重ねた明治時代。時代をひっぱり 民衆の不平不満をねじ伏せ 国をひとつの方向に持ってゆくためには 天皇は神でなくてはならず 式年遷宮で古代をそのまま引き継ぐ 伊勢神宮はうってつけの存在であったのでしょう。

⇒ こちら

国家神道とは明治政府により「日本民族」の統一という求心的政治イデオロギー的使命を負わされ天皇家ゆかりの伊勢神宮を頂点として作られたピラミッド型組織に絡めとられた宗教的思想体系と権力構造のことを言います。

...........

さて わたしが感じる 氣 は 

い 多少の湿り気を含んだ 包み込むような 氣 

① 男性的な あるいは女性的な

② あたたかな あるいは ひんやりしたというか しめやかなというか

ろ (乾いている感じが多い)一方向 の 氣

① 地の底からズズーンととよもすような (下から)

② 刃で突き刺すような (ご神体のほうから)

③ ときになにかで増幅されたような

ヴァリエーションはありますが....このように大別されます。

わたしがすきなのはもちろん い の自然のエネルギーをもっと大きくしたような 氣 です。御社とおなじくらい木もエネルギーをもっています。交流しただけで(もらうだけではいけなとわたしは思うのですが)...涙があふれてきます。慈愛でつつまれるような....それは至福です。..... (いつか そのような 氣 がにじみでるようなヒト になりたいと思います)

これは わたしにとっては ヒントになります。ここから感じるのは たとえば 大神神社と出雲大社は 氣 が異なる 大神神社と石上神宮の 氣 はにかよっている などなどですが これはあくまでも自分のためのものです。大斎原 玉置神社 瀧原宮 伊雑宮 ..... 前宮 なぜだか とてもなつかしく思出だすだに 胸に溢れくるものがある。......それは日本の山や川や瀧 天然の事物の凝縮したものなのです。....わたしはこの国がすきです。....だから 安倍さんとはまったく違う意味で日本を取り戻したい。....そのためにできることは..... 清めること 火を灯すこと。 ささやかながら 日々 つづけること。

 

 



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宇治橋をわたり 右の奥 いすゞ川ちかくに瀧まつり宮があります。社殿はありません。石畳を設け、玉垣をめぐらして祀られてきたのです。

なんとなく石段をのぼるのが憚られました。しんとした霊妙な氣 女性的な氣....

瀧祭宮にはさまざまな伝承があります。

瀧祭宮は倭姫命が伊勢神宮をここへ遷す前からあったとされる。蛇(龍)を祀っていたと言われる。

瀧祭宮の地底に、常世の国や龍宮があり、水神=龍神説が定着すると、天の瓊矛(ぬほこ)の鎮座地とみなされるようになった。

つぎに風日祈宮橋をわたって....脚がもう限界でようやく橋をわたりました。

風日祈宮の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)ご夫婦の神さまです。本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となりました。このみ社はぎょっとするほど 氣 が強かった。泣きたくなり あたまがガンガンいたしました。忘れがたいお宮のひとつです。

そして とうとう 正宮 長蛇の列 思いもかけない強い 氣 わたしがいままでご参拝した神社のなかで もっとも強い氣は出雲大社でありました。もっともそれは遷宮の前でご神体が拝殿に鎮座しており(あとでわかった)その真裏を通ったせいもあったのでしょうが 心臓が止まりそうな 思わずよろめくほどの 氣でした。お伊勢さまの 氣 は増幅されたように強く 切っ先が鋭い刃のようにも感じました。

荒祭宮は「荒魂を祭る宮」の意味だそうで 瀬織津姫をお祀りしているという説があります。あまり長い列なので並ばずに端でご参拝いたしましたが ぼうーっとしていたのか よく覚えていません。

脚がいたんで ヤマツミの神さまはお参りできませんでした。今回は短時間のあいだに 正宮とほとんどの別宮に参拝させていただきましたが 倭姫神社と饗宇治橋姫あえどばしひめ神社にご参拝できなかったのが残念です。饗宇治橋姫神社について書こうとすると消えてしまいましたのでやめておきます。

今回の旅で 謎が ほどけると思いきや 今はまた霧のなかです。少なくとも龍神の気配はそこここに感じさせていただけた....太古から存する大地と水とひかりがあり  しめやかな 慈しみの氣があった 木々が語った。それだけで今は充分です。

氣 について書きましたが どう感じるかはそれぞれの方の霊籍によるのではないでしょうか。ですからわたしが感じたからといって そこにいかれた方がすべて感じるものでもないと思います。すべてよし...です。帰り道 日本の野や山はうつくしかった....清流は澄み 輝いていた .... この国はうつくしい この国にふさわしいヒトになりたい。としみじみ思いました。

 

 



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外 宮

外宮へのご参拝ははじめてでした。わたしは元伊勢が主たる目的の旅でしたから 申し訳ないことに お伊勢さまには さほど期待してきたのでもなかったのです。けれども 参道のどのあたりであったのだろう 氣 が変わった。正直のところご正宮のことはぼーっとしていたのかあまり覚えていません。戦慄を感じたのは 風宮 土宮でした。とくに土宮の氣はとても強かった。外宮の千木が水平に切られているが、雄々しいといいますか凛々しいといいますか力強い氣を感じます。お山にのぼって多賀宮 このたび遷座する場所がすばらしかった。もちろん今のお社も。それから駆け足で月夜見宮にお参りしました。月夜見宮から感じたのは女性的なやさしい氣でした。

月讀宮

神明つくりの神殿が向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮.....と並んでいるのは 瀧原宮と似ています。月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順にお参りいたしましたが 月讀さまはとても濃やかなやさしい氣  伊弉諾さまは剣のような鋭い氣でした。

一言主神社にお参りした折 境内の片隅に 苔むし雨風にあらわれて文字の判読も難い石碑があり そこに 日讀 月讀 と読めました。日月と称し、三光といい 参道の灯篭には 日 月 星の穴がうがたれていることが多い。それなのに日本では月神の神話がほとんどありません。(星も)月讀さまはどのような神なのか やはり隠されてしまった神なのか ...... スサノオさまが古事記に組み込まれたため そのご神威が 天域 海 夜の国 と曖昧になってしまったのか....... アマテラスが女神にされたため 性別がかわってしまうこともあったのではないか......とか 妄想をたくましくしました。

 ⇒ こちら

 ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる.例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち日読み=カヨミであるのに対して、ツクヨミもまた月を読むことにつながる。

「読む」は、『万葉集』にも「月日を読みて」「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると、月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生したのである。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、時の測定者、暦や時を支配する神格であろうと解釈されている。その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある。

 



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語りをしていて しみじみ思うのが 身体の大切さ ほぐす ゆるめる 脱力の大事さです。 つながるためにはちいさな自己を棄てなければならない。語るためのよい器となるために身体に濁りがない 緩んでいる ことが必要です。もちろん魂も濁りがないほうがよいのですが 身体が変わること 天地とつながってゆくことで魂も変わってゆく。語りは表現などという皮相なものではない。 身体のゆるみは 語りだけでなく すべてにつながる しあわせに生きるための奥義でしょう。(筋肉が固まると骨格にも影響をあたえ、身体がゆがみます)

⇒ こちら

〔もっとも固まっているのが首と腰のつけ根〕
大人は赤ちゃんと比べると、全身あらゆるところが固まっているが、もっとも固まって岩のようになっているのが、首のつけ根と腰のつけ根である。これは全員共通していて、外国人でも同じ。赤ちゃんは生後1年後、「首が座る」ころ首のつけ根が固まり始め、「お座り」ができるころ、腰のつけ根が固まってくる。さらに「這い這い」や「あんよ」で一層強固になっていく。
大人になっていくと、芯はより強く固まり、その「芯」がだんだん広がり体積も大きくなっていく。首のつけ根と腰のつけ根にあったものが、背中全体、肩全体、腰全体に広がる。そして、下腿は脛骨という太い骨と腓骨という細い骨であるが、その腓骨まわりの筋肉へ飛び火したりする。中年期以降になると、それらの拘束がみなつながってきてしまう。

特に背骨まわりと肋骨まわりの小筋群、深層筋は、早くからじわじわと固まってくる。背骨まわりが固まると、脊髄神経全体が圧迫される。脊髄神経は心臓、肺、肝臓、胃、小腸、大腸などすべての内臓を支配しているから、それらの働きが全部少しづつ少しづつ衰えていくのだ。肋骨まわりが固まってくると、呼吸がしづらくなり、息苦しくなってくる。これも背骨まわりと同様に少しづつ固まってくるので、ほとんど本人にも気づかれることはない。

〔日本人の身体が固まるようになった理由〕
 (維新後、政治家たちによって日本人の身体が変えられてしまった。身体が固まると脳の機能も衰える。また、温泉やマッサージでは芯までゆるまない、としている)

〔身体をゆるめると脳に何が起きるのか?~身体がゆるむと脳が活性化し若返る〕
 筋肉が凝って固まりっぱなしになるということは、筋肉を支配している脳の領域の活動水準が下がる。もう動かない筋肉になってしまうと、脳の支配領域も活動を停止する。そのように、必ず筋肉と脳は対応している。(めぐり巡って)前頭前野までもが衰えてしまうとこになる。身体が固まると心まで動かなくなる

〔目覚めた身体意識は「気」の流れを導く〕
 本当に実力のある人は、本領を発揮するときに笑えるほど身体がゆるんでいる。ゆるんだ身体と一緒に働いている生命エネルギーである気が、とてつもないパワーと勢いで回っているのです。最も大切なことは、身体を鍛えるのではなく、ゆるめるということ。

〔ゆるめば新陳代謝が活発になり気分までよくなる〕
 ポンプ機能というのは、筋肉の伸縮を繰り返す中で酸素と二酸化炭素を交換したり、栄養素と老廃物を交換したりしながら新陳代謝を行う。強い筋肉が悪いということではなく、ゆるめずに鍛えるのがよくない。全身をあらゆる部分にわたって最もゆるませてポンプ機能を高め、新陳代謝をよくすること。これがすべての土台となる。

〔幸福とは身体、意識、気が活性化している状態〕
 古来、中国で言われてきた「意至れば気至る」という気功理論の根本法則があるが、この「意」こそ私がいう身体意識だということが分かった。身体意識の土台となるセンターは大地を貫く無限のライン。上方向は成層圏や太陽系を超え、天の川銀河やアンドロメダ銀河を超えても成り立つ。
 一方、下方向のラインも地球中心(「地芯」)を貫いて、どこまでも続いている。地球の中心というのは、地球が生まれて以来の重力場が集中的、積極的に働いている。つまり、何十億年という歴史を重ねて、地球の中心に地球の外側の宇宙空間の気を集めているということも考えられる。
 地芯まで自分のセンターが到達すると、突然下から猛烈に凝縮した天性の気が、まさに噴出するように、時にレーザービームのように、またあるときにはニュルニュルとしたコンデンスミルクのように、滾々と湧き出すように上がってくることがある。私の実体験ですが、その気のパワーは言葉では表現できないくらいすさまじいものです。

 幸福とは、「身体」をゆるめ、「意」を鍛え、「気」を導いて、「心」を放つことだと言える。これらは、それぞれに連動し合ってスケールアップする円環構造になっている。私自身は、50歳くらいを境にして、センターの形成が非常に進み、その後もどんどん進んで、日常生活の中でもいつもここに紹介した状態に近い状態にある。センターが発達していると、毎日の生活が壮烈とも言うべきほどに快適そのものになります。

{幸せはゆるむことから始まる〕
私は10代後半から延べ何万人もの体に触れてきて、その中で掴み取ったことがあります。それは、なぜ多くの日本人が心の底から幸せだと感じることができなくなっているか、ということ。そして本当に幸せだと実感できる人生を歩むにはどうすればいいか、ということです。結論を先に述べると、「幸せが感じられない根本原因は、あなたの身体が固まっているから」で、「幸せを手に入れたいならはゆるむこと」です。その原理は、「身体をゆるめ、意を鍛え、気に導き、心を放つ」生き方こそが、何ものにも拘束されない、自分らしい本当の幸せを手に入れることだからです。

〔ほとんどの人の身体は固まっている〕
昔は、優れた職人のことを「腕がいい」と言っていた。それは前腕から上腕が固まっていなかったから、指先も非常に柔らかく器用に使えたため「腕がいい」と表現していたわけ。それに比べると、今の人は腕が固まっていて、指の可動性が悪く、腕のいい職人もどんどん少なくなっているのです。
さらに腰の中、股間接を中心とした腰の横あたり。この二つの骨の間の筋肉を中殿筋といい、ここの筋肉が固まっているのです(結果、ガニ股やO脚になる)。この状態は必ず歩きにくさを伴うので、歩き下手になる。日本人は海外では、「歩き方が世界一汚い国民」と見られている。結局は日本人の身体の硬さ、全身の筋肉が硬くなっていることが根本原因で、身体の芯からカチカチになっている
 一般的に、肩こりは僧帽筋の過度の緊張だとみられているが、実際にはもっと奥に問題がある。(表層筋の奥深くある)肋間筋、その筋肉が固まっている。この肋間筋がひどく凝っていると、その人の肩こりは何をやっても決して根治しない。身体が固まれば、脳の機能も衰え、心の柔軟さが失われる。それは「老化」である。加齢現象の中心、最たるものが「身体が固まる」ということ。

〔日本の国力の未来が危うい〕
 現代社会は、否応なく身体が固まるような仕組みになっている。身体も心もガチガチになるような社会現象は根深く、年齢とともにひどくなっていく。結局、それが1億2千万人集まれば、日本の国力にまで影響してしまうほど深刻な問題である。
 経済力だけでなく、幸福感や生きがいといった人間にとって最も根幹となる生きる力や意欲まで喪失する。しかし恐ろしいことに、大半の人がそれだけ問題が根深いことにまだ気づいていません

・屎尿くみ取り屋にも達人たちがいた/高岡英夫
 http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/474.html

 



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内宮前にバスが着いたので 三交タクシーにTELし迎えにきてもらいました。運転手さんは栗須さんというとても親切な方でした。道中たのしくおはなししてまいりましたが なんでも 伊勢にお参りにくるのは女性が圧倒的に多いそうです。それも パワースポットにとても詳しいとか....その方々はどこがお勧めでしたか?と聴くと 「月讀宮」とのことでした。

伊雑宮 いざわのみや いぞうぐう から 五十鈴宮 磯宮ではなかったかともいわれています。

シンとした霊気 なかへ進むにつれ 神気がみなぎるのを感じます。男らしい包み込まれるような  氣です。拍手が響きます。ただただ感謝のみでした。 もはや「日の元の国をおまもりください」 のことばも必要ではありません。守っていてくださるのだから......あとはわたしたち次第なのです。

先日 伊雑宮 についてはUPしましたのであとはそちらをごらんください。

伊雑宮について

伊雑宮の御田植えの祭りの日には7匹の龍が、的矢湾から川をさかのぼって伊雑宮の大御田橋まで上がってくる。

木を切ったところ 倭姫のお墓が出てきたので 倭姫神社に祀った。

この神さまは蛇 (龍蛇)神である。

この伊雑宮にもともとあったご神体である、「草薙の剣(天叢雲剣)」は、 現在熱田神宮のご神体となっている。

騒がれるまで 灯篭は六ぼう星 いわゆるダビデ紋であった。

ご神体はなんだかわからない。箱に入っている。

この地の海女さんは、六芒星の印をつけた額当てをしている。

⇒ こちら



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今回の旅の発端となったのは いつものようにひらめき そして友人からお土産にいただいた倭姫命ものがたりでした。ページをひらいたときキーンと眩しいものがつらぬいたのです。偶然といいますか 千葉の友人からそんなこととは関わりなく 6月28日に瀧原宮と伊勢の弾丸ツアーに申し込んだと連絡があり 即申し込んだというわけです。

早朝5時到着 白い霧が深い原初の森からしのびやかに涌いてくる しっとり湿った空気が身にまとわりついてくるけれど それはまるで精霊に....きたのだね...とうとうここまできたのだね....と迎えられているようでありました。御手洗..みたらしは神社の脇を流れる清流でした。さらさら流れる清い水で口をすすぎ 手を浄め 奥にすすむと しだいしだいに濃密な 氣がたちこめる 細かい微粒子が降ってくるかんじ....どこだっただろう 玉置神社で感じたような それから近江楽堂でマリアム(マグダラノマリア)を語ったとき 天上から降ってきた七色の微粒子もこんな感じだった....と思うまもなく 視界がひらけた。

なんといったらいいだろう。白の玉石 黒の玉石に区切られて古色蒼然としたお社が整然とならんでいるさまを.....ことばもなく 誘われるように おずおずと瀧原宮に進み出た。感謝の想いしかでてこなかった。こられたこと 国土がお守りいただいていること その御礼だけ.....

......ずっとここにいたかった。大木がたっている。見るだけで熱いものがこみあげ視界がぼやける。いつまでもそこにいてください。夜も昼も.....時の流れのなかに変わらずにいてください 人の世のうつりかわりをお見守りください。わたしたちは一生懸命日々を送っていきます いのちをつないでまいりますから......

 

以下は(lucaの)ものがたりです。

とおいむかし あまてるくにてるおおみかみがこの国をひとつにまとめてくださいました。おおみかみさまは男らしいあたたかなご気性で 家臣やくにびとたちにしたわれておりましたが とうとうみまかられてしまいおおみわのおやまが墓所となりました。それから歴代のすめらみことは即位の儀式をおおみわのお山でおこなうようになったのです。.....ところが時がたち代がかわるにつれて あまてるくにてるおおみかみだけではなく もうおひとはしらの神をたいせつにするようになり 宮廷であまてるくにてるおおみかみとアマテラスという女神 ニ柱がいっしょにまつられるようになったのです。......すると都で疫病がはやるようになりました。ご神意を占ってみると 神の思し召しは宮廷からもっとひろやかな場所にまつられたいとのこと そこで やまとひめが御杖代となり 神の安住の場所をさがす旅に出られたのです。やまとひめは旅をかさねて....とうとう宮川の支流におおかわのたきはらのくにといううつくしいくにをみつけ 神を祀られました。

 

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倭姫命世記によると、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流大内山川の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てたが、その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったとされる。神宮ではこの説を採るが、一般には伝説上の話であり、起源は明らかでないと考えられている。

804年(延暦23年)の皇太神宮儀式帳及び927年(延長5年)の延喜太神宮式には、天照大神の遙宮(とおのみや)と記述されており、それ以前からあったと考えられている。皇太神宮儀式帳では瀧原宮1院1号で、延喜太神宮式では別号とされているため、創建当初は瀧原竝宮は瀧原宮に含まれ、804年から927年の間に独立したと考えられている。

太神宮諸雑事記の771年(宝亀2年)12月条に651年(白雉2年)9月の神嘗祭に瀧原宮祭使が洪水の難によって遙拝したとあることから、651年には神宮別宮であったとする説があるが、他の史料がないことから確実視はされていない。

続日本紀の文武2年(698年)の記事に現れる多気太神宮を瀧原宮と考える説がある。



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金曜の夜 伊勢に向かいました。以前から伊勢神宮とはなにか知りたいと思いわたしには確認したいことがいくつかありました。それは「氣」です。ご祭神によって氣は異なります。その神社の由緒もひもとけるのではないかと感じたのです。もちろん これは自分のための確認に過ぎません。しかし そのまえに奇妙なことに気づきました。それは1600年ものあいだ 天皇が伊勢を参拝されなかったという事実です。明治天皇が伊勢神宮を始めて参拝されたのは明治5年、そして明治22年の式年遷宮は特別な年であったのでした。

式年遷宮と 憲法

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「古代の姿を寸分違わず保っている」という、現代の伊勢神宮「神話」である。この「神話」に信憑性をあたえているのが、式年遷宮という慣行だ。20年に一度、宮を建て替えて皇祖神が新殿に遷る神宮最大の祭である。飛鳥時代末期、女性天皇・持統の下で690年に始まり、今年10月に第62回を迎える。目の前に古殿があるのだから、そっくりそのまま造り替えることができる、だから「古代のまま」そこにあるといわれれば、だれしも納得しよう。

 だが調べてみると、事実は大きく違っていた。ひとことでいえば、当初に比べて驚くほど立派になっているのである。そこには〈成長-停止-復興-過剰-修正〉という、長期中断を含む変遷の大きなうねりがあった。伊勢神宮といえども、歴史の時間をまぬがれることはできなかったのである。そうした過程の全てをひっくるめて、伊勢神宮の現在があることがわかった。

 考えてみれば、当然のことであろう。しかし、こと伊勢神宮に関しては、「古代のまま」という神話が罷り通ってきた。この伊勢神宮「神話」は、記紀神話とは別種の、もうひとつの「神話」なのである

 式年遷宮に着目することによって、もうひとつ、現代につながる思わぬ発見があった。それは、欽定の大日本帝国憲法が式年遷宮の年に合わせて発布されたことだ。これには一瞬、わが目を疑った。思ってもみなかったことだからだ。その後、あたう限り文献を渉猟したが、これを指摘する論書はまったく見当たらなかった。調べてゆくなかで、驚きはさらにひろがった。この年、明治22年には皇室に関わる重要事案が目白押しなのであった。たとえば、宮中三殿に皇祖皇霊が遷座する、皇室典範が制定される、歴代天皇陵の指定作業が完了する、(のちの大正天皇の)立太子礼が大幅に前倒しして挙行される……。

 憲法は紀元節に合わせて発布されたが、この日取りは明治天皇自らの発案なのであった。発布年を式年遷宮の催行年に合わせたのも、天皇の意思であった可能性が高い。皇祖神が遷座する日、明治天皇は東京から伊勢に向って遥拝するのであった。皇祖をまつる伊勢神宮は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と謳う欽定憲法の内実を担っていたのである。「古代復興」を旗印に、この年の式年遷宮において伊勢神宮は大いに「改正」されたが、同時に、欽定憲法の発布を最大限寿ぐのであった。

以上

そして 式年遷宮の今年 明治憲法に戻ったような自民党の憲法改正案が取りざたされている、これは偶然の一致でしょうか?

なぜ 歴代の天皇は伊勢神宮を避けたのか 参拝しなかったのか?

参拝する必要がなかった..?  ....祖霊ではなかった? 

明治時代に ある意図をもって伊勢神宮は利用されたのではないか?



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