遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   新聞を読まない暮らしはどんな味気ないものだろうと思いましたが、物足りない気がしたのは一日だけで、あとはさっぱりしたものでした。テレビもNHKのほかは見ないようにしていましたが、ゆうべフジテレビで松本清張「駅路」を...ひさしぶりに食い入るように見てしまいました。いいドラマでした。

   まず、原作...松本清張原作の映画やドラマはなぜ役者さんが生き生きといい演技をするのでしょう。点と線、古くは鬼畜や張り込み(わたしは加藤剛 八千草薫主演1970版が忘れがたいです。)砂の器(これも加藤剛)など名作ですね。ドラマの骨格が明確で時代や社会と登場人物のかかわりが密接であり、主人公の目的がリアルであるので役に没入しやすいのかもしれません。

   なぜか脚本もいいんですね。原作から触発されるものが多いのでしょう。今回は向田邦子さんでしたが、端役にいたるまでくっきり台詞が造形されていました。役者さんたちが原作と脚本と演出に応えアンサンブルがみごとでした。女優陣では、失踪した夫の妍高い妻を演じた十朱幸代さん、ひさびさに拝見しましたが目線のうごき、取り繕っていたのが豹変するシーン、さすが大女優の貫禄でした。ヒロインの従姉を演じた木村多江さん、取調べ室で犯行を告白するシーン、横顔のみの相手のいない独白が凄絶でした。ヒロインの深津絵里さんをうつくしいと思ったのははじめてです。どこかなまなましい女優さんだと感じていたのですが、目千両ですね。なにも動作をしないときに光る不思議な役者さんです。


   刑事呼野を演じた役所広司さんはもちろん素晴らしかったのですが、終盤すこし溢れ過ぎたな...と思いました。定年後失踪する銀行員、小塚を演じた石坂浩二さん、ほとんど後姿だけなんですが、よかった。最後の佐藤春夫の詩 ”よきひとよ” の朗読は深かったです。姫さまのおかげで脚光を浴びたのに姫君浅丘ルリ子さんを棄てて、若い妻と人生の日常の幸福をとった...という、これは勝手な思い込みかもしれませんが、どこかで許しがたく思っていました。それが、役に重なる.....けれど、そうした我執を底によどませながら、自分の人生の夢をどうしてもかなえたいという主人公の情念、秋の終わりの空のように寒々と透いた情念をフィルムに焼付け、見る者の心にも焼き付けるのはなかなかできるものではありません。そのほか脇役ひとりひとりに実在感がありました。演出は北の国から...の杉本成道さんでした。


    原作、脚本、役者、演出  そして、最後に時代なんですね。昭和に今焦点があたっておりますが、あのなつかしい昭和....薄暗くすすけた、けれど耀きと希望が残っていたあの時代、....ユニクロはあったのだろうか 100均はあったのだろうか....アナログの仕舞いのまだモノに手触りがあった、一枚のセーター、一本の鉛筆にも固有のたったひとつのイキサツ(ストーリー)があった、もう帰らない昭和が、ドラマの背景にあるのでした。今はモノにストーリーがない、あったにしてもストーリー性が薄い時代なのかもしれません。


   わたしは語り手ですから、なんでも語りとむすびつけて考える習い性です。語りにはドラマと、ドラマでないものがあります。わたしはドラマを語ることが好きなのですが、その場合主人公の目的と目的をさえぎる障害をどう乗り越えてゆくかがテーマになります。たとえば、「駅路」では主人公の刑事・呼野の目的は失踪した男、小塚の探索です。小塚の生き方その謎が呼野を駆り立て、障害をひとつひとつクリヤ-してゆくことでその男小塚が胸の底深く長年抱いていた人生の目的が見えてくる.....これが圧巻です。彼は定年後ゴーギャンのように家庭をすて社会をすて自分の人生のためだけに生きたいと望みました.....刑事には娘がいます。その娘は妻子ある男を愛しその男が亡くなったことで苦しんでいました。その娘と小塚の相手である深津絵里が重なります。こうして呼野の探索は人生の探索になってゆきます。


   語りがテレビドラマや演劇と異なるのは、脚色、ナレーション、役者、演出、効果、音楽を基本的にすべてひとりでこなすのだということです。(ひょっとして宣伝や集客も)そこが語りの醍醐味ですが、そのために多くの登場人物の目的と障害が重奏してからみあうような展開まで語るのは不可能...せいぜい3名くらいでしょうか...になります。

    障害が社会的背景と結びついているとある意味かたりやすくなる....でもそれだけじゃつまらない、主人公が最終的にはうちなる障害を超えてゆく.....”自分の人生と和解してゆくこと”がわたしの語りの最近のテーマです。死と生そして愛、それが聴き手のみなさんの人生、わたし自身の人生とかさなったならそんな幸福なことはありません.....。


   あれほど練習をしなかったのが、このごろ語らないではいられなくなりました。野原で語る、部屋で語る....草原で突然主人公の隠された気持ちに気づいてぎょっとしたりします。主人公が生きて歩き出すのです。語るたびに光と陰影がはっきりしてゆきます。


......
   さて、リセットのためのおおそうじをまたもしていて、本棚の上に埃まみれの折口信夫著「死者の書」をみつけました。欲望にさからえない弱いわたしは、そうじをさておいて今読み終えたのですが、本を読んでひさびさに慄きました。語ることばが見つかりません。





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.....一昨日は一歩も家を出ませんでした。きのう、うちあわせで外に出たとき、満開の桜のあまりのうつくしさに泣いてしまいました。今年の櫻はうつくしい....。わたしは櫻がすきなのですが、数年前までは櫻の季節、外に出ることができませんでした。なぜか苦しくて.....

.....鳥がさざめいています。満開の櫻...舞い上がり、舞い落ち、散りしだかれる、花、花....このように美しくせつないもにがあるでしょうか.....ほのかな香り....揺れるはなびら.....この世のものとも思えぬ霞のような櫻並木.....早く蘂の雨よふれ、はやく青葉となれ...と思いつつ、櫻を、櫻とともにいってしまうひいやりした春を思うのです。

   きのうデイケアに行きました。昨年夏以来の高齢者のみなさんから、先生、別人みたい、若返った...といわれて自力整体を伝授しました。先日は昔手伝ってくださったKさんとHさんからきれいになったといわれ、酵素玄米を紹介しました。これは間違いないとご紹介できるものがあるのはうれしいです。

   けれども、まだわたしはブレることが多いのです。軸、センターが確立していないからでしょうね。ことに古代史観について、なにか読むたびにふらふらしてしまいます。きのうある古代史研究家にお会いしてそのことを指摘されました。とりあえず竹内文書を軸にして...先代旧事本紀、旧事本紀、帝紀を読んだらとのことでした。古事記については戦前出版されたものがよいそうです。絶版の聖典という本を薦められました。

   ...蘇我と物部との戦いは実は漢字をとるか神代文字をとるかという戦いでもあったそうです。古神道は物部まで...といわれますが、物部とて十種の神宝とともに天降ってきたわけで(物部の始祖はニギハヤヒ)....わたしはそのあたりで混乱するのです。タタリは仏教伝来によるものです。しかし禊祓いも伝来したもので、もともとの古神道には祓いの観念がなかったと読んだ記憶があります。

   そういったら出典をあきらかにしなさい..といわれました。書かれたものはすべてが正しいわけではありません。読んで、なにを正しいと判断するかは直勘によります。古神道とはなにか、縄文に....さかのぼるとはどこまで?....やはり現場に足を運ぶことしかないなぁ....六月には奈良方面に行くのですが、古事記研究会に働きかけて大神神社に行くことも決まりました。お神楽なども見せていただけるそうですが、実地に勉強するのはお金がかかる...ここが問題です。真実の歴史が突然遺跡から発掘されないかしら。。。死海写本のように

   その方はオオクニヌシとは職名であるとおっしゃいました。スサノオもオオクニヌシ、トクガワイエヤスもオオクニヌシなのだそうです。天地をつなぐ役目なが必要です。統治ではなく、治す...シルスとは天の声をひとに伝え、ひとの声を天に伝える....という意味なのだそうです。すると天はこれと決まった器にそれを託すのでしょうか....。しかし、これはわたしが語り手に持っているイメージと重なるのです。語り手は天地のつなぎ目、我..ガを入れてはならない....

   最後にその方はこういいました。「気をつけてくださいね。結び目になることと憑依されて語るとは根本的に違うのですよ」.....客観的視野は持ち続けるということでしょうか。ガはとるとしてもカラになった自分に乗り移られるなということ? シャーマンとしての語りとは器としての自分を差し出すことと違うのか....わたしは違わないと思うのですが、次回、お会いしたときに聞いてみましょう。

   いってしまえば、古代は空気も水も大地も食べ物もひとの心もピュアだったし、添加物も農薬も二酸化硫黄もなかった、タタリもないのだから、禊祓いも必要ないわけです。しかし今を生きるわたしたちには身も心もデトックス、浄化が必要ですね。それはよりよくより健康に生きるために必要なことだし、語る器になるために不可欠のことです。

   ともかく、先に進もう。よく考えて。


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  さて、いよいよ 重い腰をあげて11月の出雲の旅行について書こうと思います。10月の青森につづく出雲の旅はおなじようにひょんなことから参加することになったのです。今思えば、日本のルーツ、自分のルーツをさぐる旅、語り手としては、自分の役目を果たさせていただけるかどうか知るための学びの旅でした。実際はまだ自分のなかで整理されてはいないのですが、なにかが変わり、不思議な力を感じました。

  さきごろから、パワースポットということばをよく耳にしますが、自分の身に実感として感じるようになったのは昨年の5月のことでした。筑波山頂 男体山本殿(御祭神イザナギノミコト)と女体山本殿(イザナミノミコト)のあいだで畏れながら神さまがお辛くていらっしゃる...という波動を感じたのです。わたしはとても驚きました。アンテナのせいではないかと感じています。ケーブルカーで降りるとき新緑のお山が溶岩に変わり平地が溶岩に呑み込まれていく幻影もはっきり見ました。

  その後皇祖皇太神宮の参拝では強烈な霊威にしばらく動悸がおさまりませんでした。そして神代文字の展覧会で神代文字を前にしてそこから発せられるエナジーに立っていられませんでした。普段は無意識のうちに防御しているようなのですが、意識をはずしたり、或いはあまりに強力なパワーだと飛び込んでくるものがあって、良きものばかりではないので悪しきものは防ぐように 身体の軸を確立したいのはそういう意味もあってのことです。

  パワースポットといいましても、ひとによって相性というものがあるようです。また御神統にも深く関わっているように思います。ですからただ参拝すればよいものでもないようですし サワリを生じる場合もあるかもしれません。それを踏まえていただいて出雲の旅で感じたいくつかを聴いてください。

  
まず出雲大社、

  御祭神は大国主大神
出雲大社・拝殿で参拝し本殿に向かって拝殿のうらに回ったときのことです。心臓が飛び上がるような...というかうまく形容できないのですが、かぁっと血が滾るくらくらする感じで畏れ慄きました。今、思い出してもドキドキします。平成の大遷宮ということで御神体が拝殿に御安置されていたと聴いたのはあとのことです。ブログを書くために配置図を見たのですが、もし本殿とおなじように御安置されているなら、オオクニヌシノオオカミの御神座のおそばあたりで飛び上がったのでした。ほかに客神として天之御中主神、高御産巣立日神、神産巣立日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が祭られておりますがこの五柱の神さまは人格神(人と同じような姿や人格を有する)ではありません。創造主です。


本殿

出雲大社....

出雲大社構造

発掘されたうづ柱
3本の杉を一本にして巨大な空中神殿を支えました。島根県立古代出雲歴史博物館で模型を見ることができます。そのほかタタラを踏む(もののけ姫に出てきましたね、製鉄は古代を読みとく鍵のひとつです)体験などもできますよ。ところでアシタカは蝦夷の族長の名まえです。蝦夷ほか先住民族は足がながく彫りが深かったようです。土ぐもは子どものようにちいさかったとか...といってもこれらの名はヤマトがつけた蔑称です、....さて道草を食ってしまいましたね。


   つぎに日御碕神社
   日御碕神社はひのもとの夜を守る日沈の宮(昼を守るのは伊勢神宮)、神の宮があって神の宮には素盞鳴尊(スサノオノミコト)が日沈の宮には天照大神(アマテラスオオミカミ)が主祭神として祭られています。白壁に赤が映えてとてもうつくしいみやしろのたたずまい、摂社末社すべてにおまいりしました。日御碕神社から帰る途中、あたり一帯のお山からつよい気が発せられているのに気がつきました。神社にはトイレがありませんから近くの島根ワイナリーにバスは立ちよったのですがその駐車場に立つとくらくらするようでした。お山のあたりから虹がたちのぼったのですが、写真にとることができなかったのが残念です。


全景


神の宮

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日沈宮


ワイナリー駐車場から見たお山、この山だけでなくあたり一帯から感じた。

日御碕神社


   三度目は玉造温泉に泊まった翌朝、散歩に行ってなにかに引かれるようについた玉作り湯神社、ご祭神は櫛明玉神、大名持神(オオクニヌシ)、少毘古那神(オオクニヌシと国つくりをした)此処の霊気も素晴らしかったです。お山全体からつよい清清しい気が漲っていました。


玉に願をかけるようです。美しい女性がいました。
玉造湯神社

   四度目は神魂神社、由緒ある古い御社で神気も格別でした。ご祭神は伊弉冊大神(イザナミノオオカミ)伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)、主神がイザナミさま...女神なので千木が水平です。ヒモロギのようなもの(竹)が立っていてそこにつよい霊気がありました。あれはなににつかうのでしょう。近くに穴があり、根の国 黄泉へつながる穴とか....皇祖皇太神宮にもおなじような穴があったのを思い出します。出雲大社で祭神オオクニヌシノミコトが正面ではなく西を向いていることについて諸説がありますが、黄泉の国の方角という説があります。


 
千木とは屋根から出ている角のようなもの。切り口が水平なのは女神様のお社です。一番上の出雲大社の千木は垂直ですね。

  
ヒモロギ? 灯篭の向う側に穴、本音はこわかった。。です。写真はUPしないでおきます。

神魂神社


   日本の神話を語ろうとすることから旅ははじまりました。ただ本に書かれたものを語る...というわけにはいかない、と思ったからです。神話とは民族の拠り所であり歴史であり、神とつながるものです。自分の目で耳で確かめられることは確かめたかった....。そこで青森、白神に行き縄文をたどり、謎めいた国譲りの地、出雲をまわってみた。知らないことばかりでした。不思議な、目くるめく、心踊る学びでした。神社とは古代と現代をつなぐよすが、歴史庫のようなものです。客人神、摂社、末社、狛犬、額 すべてが語っています。山や大地が呼びかけてきます。そして古代から大地の山の?それともどこからかやってくる力のアクセスポイントであるようです。わたしたち人間はただの生き物ですが確かになにか大きな尊いものとつながっているようです。

   とても書ききれるものではなく、あまり膨大にすぎて、入り口にさしかかっただけで語ることまで行けるかどうかわかりません。それでもいいかな...いやいやそうはいきませんね。御守護を願いつつ、瀬織津姫、名草姫伝説につづくものがたりを語っていきたいと思います。瀬織津姫についてはまだ端緒についたばかり、祓戸大神、水の神、櫻の神であるだけでなく男神天照大神、あるいはアラハバキ神、あるいは大歳の神、あるいはオオモノヌシの后神であったといわれた瀬織津姫神のものがたりをいつか語りたい。


   神在す地の空はうつくしい....です。海も大地も汚してはならないと思います。他の神社についてはのちのち書いてみたいと思います。



宍道湖から


皆生にて




神社参拝マナー

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   ケーキの写真をUPしようとして、昨年11月の出雲旅行の写真を眺めていたら不思議な映像をみつけました。


出雲神楽のなかから"スサノオノミコトのオロチ退治" 古事記研究会で特別におねがいしたようです。




クシナダヒメの父母アシナヅチとテナズチが娘の危難を訴えます。




スサノオとオロチの闘い
舞台上方に小さなオーブ(たまゆら)右上方に大きなオーブ




スサノオはオロチを仕留めます。
(センターに大きなもの 小さいオーブ多数)




オロチ退場




めでたしめでたし
無数のオーブが降っています。

たまゆら(オーブ)とは

   青森でも二枚にオーブが映っていましたが、こんなに多くはありませんでしたね。お神楽の音色からくるのか。それともスサノオさまにくるのでしょうか。

   出雲はオオクニヌシノミコトの地とそんな風に感じるのですが、実は出雲風土記にはオオクニヌシのことはあまり書かれていません。出雲の一の宮は熊野大社でもともとは熊野大社のほうが格式が高かったそうです。出雲は圧倒的にスサノオのミコトをお祀りする神社ガ多いのです。熊野大社の祭神はスサノオノミコト....出雲大社はオオクニヌシノミコトですが、なぜか横向きです。オオクニヌシは実在ではなくヤマトにつくられた架空の神だという説があります。またオオモノヌシ→オオクニヌシ→オオトシ(ニギハヤヒ)という説もあります。ヤマトは武力によって奪い、正当性を示すために建国神話として、記紀を編んだのです。


   一説によればスサノオとは須佐の男からきているとか.....旅行では出雲大社、熊野大社のほかに、日御崎神社、白兎神社、須佐神社、八重垣神社、佐太神社そして神魂神社、玉造湯神社に参拝させていただきました。個人的に4箇所でとても強い力を感じました。次回にご案内しましょう。

   
   うつくしい鳥取の海と空の写真をUPしますのでごらんください。



立ち枯れた木



鳥取砂丘










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