.....一昨日は一歩も家を出ませんでした。きのう、うちあわせで外に出たとき、満開の桜のあまりのうつくしさに泣いてしまいました。今年の櫻はうつくしい....。わたしは櫻がすきなのですが、数年前までは櫻の季節、外に出ることができませんでした。なぜか苦しくて.....
.....鳥がさざめいています。満開の櫻...舞い上がり、舞い落ち、散りしだかれる、花、花....このように美しくせつないもにがあるでしょうか.....ほのかな香り....揺れるはなびら.....この世のものとも思えぬ霞のような櫻並木.....早く蘂の雨よふれ、はやく青葉となれ...と思いつつ、櫻を、櫻とともにいってしまうひいやりした春を思うのです。
きのうデイケアに行きました。昨年夏以来の高齢者のみなさんから、先生、別人みたい、若返った...といわれて自力整体を伝授しました。先日は昔手伝ってくださったKさんとHさんからきれいになったといわれ、酵素玄米を紹介しました。これは間違いないとご紹介できるものがあるのはうれしいです。
けれども、まだわたしはブレることが多いのです。軸、センターが確立していないからでしょうね。ことに古代史観について、なにか読むたびにふらふらしてしまいます。きのうある古代史研究家にお会いしてそのことを指摘されました。とりあえず竹内文書を軸にして...先代旧事本紀、旧事本紀、帝紀を読んだらとのことでした。古事記については戦前出版されたものがよいそうです。絶版の聖典という本を薦められました。
...蘇我と物部との戦いは実は漢字をとるか神代文字をとるかという戦いでもあったそうです。古神道は物部まで...といわれますが、物部とて十種の神宝とともに天降ってきたわけで(物部の始祖はニギハヤヒ)....わたしはそのあたりで混乱するのです。タタリは仏教伝来によるものです。しかし禊祓いも伝来したもので、もともとの古神道には祓いの観念がなかったと読んだ記憶があります。
そういったら出典をあきらかにしなさい..といわれました。書かれたものはすべてが正しいわけではありません。読んで、なにを正しいと判断するかは直勘によります。古神道とはなにか、縄文に....さかのぼるとはどこまで?....やはり現場に足を運ぶことしかないなぁ....六月には奈良方面に行くのですが、古事記研究会に働きかけて大神神社に行くことも決まりました。お神楽なども見せていただけるそうですが、実地に勉強するのはお金がかかる...ここが問題です。真実の歴史が突然遺跡から発掘されないかしら。。。死海写本のように
その方はオオクニヌシとは職名であるとおっしゃいました。スサノオもオオクニヌシ、トクガワイエヤスもオオクニヌシなのだそうです。天地をつなぐ役目なが必要です。統治ではなく、治す...シルスとは天の声をひとに伝え、ひとの声を天に伝える....という意味なのだそうです。すると天はこれと決まった器にそれを託すのでしょうか....。しかし、これはわたしが語り手に持っているイメージと重なるのです。語り手は天地のつなぎ目、我..ガを入れてはならない....
最後にその方はこういいました。「気をつけてくださいね。結び目になることと憑依されて語るとは根本的に違うのですよ」.....客観的視野は持ち続けるということでしょうか。ガはとるとしてもカラになった自分に乗り移られるなということ? シャーマンとしての語りとは器としての自分を差し出すことと違うのか....わたしは違わないと思うのですが、次回、お会いしたときに聞いてみましょう。
いってしまえば、古代は空気も水も大地も食べ物もひとの心もピュアだったし、添加物も農薬も二酸化硫黄もなかった、タタリもないのだから、禊祓いも必要ないわけです。しかし今を生きるわたしたちには身も心もデトックス、浄化が必要ですね。それはよりよくより健康に生きるために必要なことだし、語る器になるために不可欠のことです。
ともかく、先に進もう。よく考えて。
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