朝 おはなし会 午後から板倉打ち合わせ 加須によってお誕生日のルイと対面 だっこして 夜宝塚へ行く。和央ようかさんと相手役の花総さんのお別れ公演なので 披露宴なみの盛装でいったら駅の階段で何度もスカートの裾を踏んでしまった。
スペイン内戦、報道カメラマンが内戦の真実を伝えようとする。彼は「あなたと同じものを見たい」といってくれた女性劇作家とスペインで戀に落ちる。 自らを根無し草(デラシネ)と自嘲していた彼だが スペイン人におまえたちは外からきて写真をうつしまた帰ってゆく人間だと詰られ 最後は銃をとってともに闘い 死んでしまうというおはなし。
よくできているのだが 内戦のどろどろを宝塚的小綺麗さでやるのは無理がある。宝塚は歌舞伎とおなじ「型」の芸なのだ。男役がどうすれば端正に美しく、女役がどうすればたおやかに美しく見えるか 極限まで考えられている。それはジャニーズのみなさん方の比ではない。 和央さんときたら8等身どころではないし、決めの立ち姿の一瞬一瞬が目を見張るように美しい。しぐさのひとつひとつ髪をかきあげる 視線をそらす 肩をそびやかす...そして手の表情がこよなく美しい。花総さんもこれほどうつくしいひとはそうは出ないだろうと思われる娘役なので、できればこのような中途半端なりアルな話ではなく大ロマンで終ってほしかった。
宝塚でリアルな芝居をすると嘘っぽく見えるのだが うそにうそをかさねたような大悲恋はぜんぜん嘘には見えない。不思議な空間である。これはテレビやDVDなどの映像ではだめで 実際の舞台でしか起きないのは観客の夢を見たいという強い欲望も介在しているのかもしれない。テレビでは等身大のスターだが 板にあがったときのオーラのすさまじさは後光が射しているといってもいいくらいだ。美の美 なんの役にも立たない美 ただ観る者に日常の憂さや疲れを忘れさせ また歩き出す力を与えてくれるという大衆芸能の原点。語りだって高尚な芸術があってもよいが 見るひとがしあわせになる 猥雑な笑い話だってもっと復活してもいいのだと思う。
いろいろ書いたがわたしが和央さんを好きなのはじつはその聲にある。男役なのにソプラノ のびやかな澄んだ聲がどこまでもどこまでひろがってゆく。空や風を感じる聲。
ウソの嘘については また後日 考えてみたい。
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