遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  ストレスとは必ずしも悪いものではない。環境の変化に立ち向かおうとする力であり わたしたちを前に向かわせてくれる力ともなる。だが過度のストレスは心身を蝕む。過度のストレスに直面したとき ひとは逃げようとするかさもなくば闘おうとする。若いころのわたしはひたすら逃げていた。今のわたしはひたすら闘う。...それが正しいと思っていたし 子どもたちにも闘うことを求めつづけた。

  脱力に気づいたのはつい先ごろなのだが それでもなにかことあれば野生動物のように髪は逆立ち身体は緊張する。あえて脱力する。深い呼吸をする。.....ひとは からだがほぐれていくとこころもほどける 空気のようになる...語っているとき ものがたりに身をゆだねているとき わたしはわたしでなく よりわたしである。からだはやはらかく 跳ねたり自在にうごく。

  これはいったいなんなのだろう。意識が遠くはっきりして 澄んでくる ふだん見えないものが見え 聞こえない音が聞こえる....首を自由にする それだけでも呼吸は深くなる。緊張を解いたとき ひろがってゆく 意識もからだも....他者との隔壁もあわく溶けてゆくようだ。


  恐れることも怯えることもないのだ....深淵が眼前にあぎとを開けていようと....ともかくうけいれよう...身体が緩やかに息づいていれば大丈夫だ。ひとは身体から癒される....マッサージをうけてこころがリラックスするのは筋肉の緊張がほどけるから....神経や筋肉に記憶されたつらいこと哀しいことが解けてゆくから...とか。ホメオスタシー アレクサンダーテクニーク 石川先生のインプルーブ....根のところでは同じなのかもしれない。

  緊張しきっていた身体が受容することによって変容が促され身体とこころと魂がひとつになり語り手の自在な身体となるのだろう。その身体から発するいのちが息であり声である。...

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   一昨日のこと 西荻の奇聞屋にトルコやギリシャの民族楽器 サズとウードのライブに行った。12.3名の聴き手だったが そのあとの交流も含めて価値あるライブだった。協演がまだうら若いフルーティストで その音色がとてもアジアンというか日本的で驚いた。風の音色のようだった。飛び入りの共演は先生でイランのたのしい昔話をトークを交えて語られた。そこにいた方々はこうした語りをご存知ないようだったし なかに朗読をしておられる方もいて...話ははずみ 舞い いづれ落ちた種子からなにか咲き出でるに違いない。学校などばかりでなく 趣味のいいおとながあつまるこんなところあんなところで すこし洒落たおはなしができたら それもたのしいことだなぁと夢見るように思った。まだまだ先のことである。

   客のなかにキプロスから来日しエンジニアとして働いているアレクシスがいた。なかなかの美形であった。キプロスは美の女神アフロディテが泡から生まれた島である。アフロディテの神殿があるそれは美しい島で、ベネツィアに統治されていたことから街並みはベネツィア風であるという。ギリシャ系とトルコ系(22%くらい?)の人々が暮らしているがお定まりの民族紛争でベルリンの壁のような隔壁があるらしい。美しい島にさぞ不似合いなことだろう。

   キプロスでは伝統音楽が盛んだそうだ。帰りに奏者の大平清さんに尋ねたところ60000円から90000円で楽器が買えるとのこと...とてもつくりの美しい弦楽器だった。弦楽器はもとは弓だったのでしょう?..と尋ねるとそうですと応えられた。なぜ古今東西の吟遊詩人たちは弦楽器を携えたのでしょうね?...と尋ねると それは効果的だからでしょうね...と至極もっともな答が返ってきた。わたしが聞いたなかには...弓鳴りの音で語り手、歌い手の意識を飛ばすのが目的だ..という説があってわたしにはそのほうが魅力的な答に思える。

   塩野七生さんのベネツィアとトルコの確執のものがたりを思い出したりして遠い海の都に想いを馳せた。ついでにいうとアレクシスという名はアレクサンダー大王に因んだ名前だそうだ。とどまることを知らず..オリエントを駆け抜け戦いの旅をつづけたアレクサンダーは21世紀のいまでもその名を広めていることになる...わたしはアレクシスという名がとても好きなのだが 大島弓子さんもそうだ...とつい最近知ってひそかに頷いた矢先でもあり...アレキサンダー大王や彼のシーザーのことなども物語りにして語ってみたいと思ったことだった。英雄はベッドのうえで安らかには死ねない。悲劇こそ彼等に相応しい。されどときに愚かに見えるほど自分を貫き通した男たちのなんと魅力的なことか...。

   我が夫もアレクサンダーやシーザーには較ぶべくもないが とどまることを知らぬ男のひとりである。足は不自由になり隻眼となってもなお夢にむかって歩き続ける。わたしは夫の見果てぬ夢につきあい 力の限りを尽くして支えたいと願う。晩年 安寧の時間をともにしたいと希む。...わかってはいるが...そうした安寧などより たとえ這いずってでも 5センチでも10センチでも最後の最期まで望みに近づくことしか考えはしないことをわかってはいるが...。


                            (会社にて)


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  西のそらにあかるく 半月が浮かんでいた。そらへ旅だつ舟のように希望に満ちて浮かんでいた。

  インプルーブで石川先生から施術をうける。首と背が緊張していてガチガチなのが自分でもわかった。なにかあったのですかと先生が尋ねる。...たしかにこの7日は登りつめ転げ落ち、生と死に立会い、さまざまな選択を迫られ 選択した激動の7日だった。からだはそれを受け止め鎧のように身を覆うとしたのだろう。

  感情とは脳の産物だそうだ。怒り 哀しみ 闘争心などは交感神経のなせるわざであり 血管が収縮する。嵩じてストレスとなる。ストレスは成人病などの原因となることはよく知られているが、癌患者の白血球数の値は10パーセント位であるそうな...。安らぎ 癒しは副交感神経の領域である。こちらが嵩じると鬱になる。バランスが大事なのだそうだ。...といってもストレスの要因は現代社会に蔓延しているし 闘い(自分とのあるいは他の環境との)は生きるうえに必要なものであるのだから どうやってリラクゼーション を生活に取り入れていくかである。

  石川先生からそれを聞いてさまざまなことを思った。たとえば 語りの会においてのプログラムのたて方、たとえば これからはじまる障害児クラスに向けたおはなしやエクササイズについて 当然情緒障害児と知的障害児のクラスでは内容が変わってくるであろうということ...緊張、弛緩、のリズムとどちらに力点を置くかということなどである。

  わたしにとってながらく文学とはカタルシスを求めるものであった。カソリック文学といわれる領域にことに惹かれたのもそれゆえである。音楽についてもクラシックでもジャズでもある浄化作用...魂の甦りがうながされるものが聞きたかった。それは単に透明だったりやさしい軽いものではない。悲哀も激情も起伏もあってさいごに安寧の岸辺にはこばれる...といったものである。カタルシスに涙はつきものである。それも安易なセンチメンタルな涙ではなく 文学ならシムノンやル・グインなどであり 当然語りの目的ももカタルシスをとおしての魂振りであったのだ。

....ここでカタルシスについて書かれた2006年4月のブログを見てみよう。

カタルシス2 2006.4.9

 この二日間に10000字 原稿用紙25枚分もブログに記していた。...というのも 語り スピリチュアルなもの カタルシス 療法としての語り はわたしが語り手として求め続けていたものだからである。

 6年前 櫻井先生にお会いして  はじめて語ったのが ちょうど今頃 ラフカディオ・ハーンの乳母桜だった。 この話と雪女 を語ること 過去に遡ることでわたしのなかの 長いあいだの母との確執がほどけ 心の表層で拒絶していたにもかかわらず わたしは わたしが母をこどものころからずっと 愛しつづけ求めつづけていたことを覚ったのだった。母とわたしのあいだは前にもまして和やかになった。浦和の妹弟たちがいまだに引き摺っているわだかまりを わたしは語りの力で洗い流すことができたのである。今 ふと気がつけば 母と子の物語を わたしはその後そうは語っていない、語る必要がなくなったからだと思う。これが一番はじめに書いた物語 母、雪、櫻である。

 語り手は語りの現場からの要望と必要性に応じ さまざまなものがたりを語る。けれども 一回二回で語らなくなってしまうお話も多いのではなかろうか。ベリットさんが 「聞き手に必要と思われるより あなたの語りたいものがたりを 」と言ったのは意味がある。もちろん ベリットさんも他の語り手も固有の聞き手に必要なものがたりを感知したら語っているであろう。だが、ことに語りをはじめて間もない語り手は自分の心のほしがる物語を語るのがよい。そこに自分を解く鍵があるのだから。そして その思いが強いほど 聞き手の心にも届くのだから。

 個人的にわたしは 美しく整えられた 耳にこころよい物語を聞くよりは たとえ 八方破れでも 未熟でもその人の持っているあこがれとかそのひとのエッセンス、欠落や苦渋でさえにじみ出た物語を聞くほうが好きである。なめらかなやさしいきれいな 物語をなぞっているだけの心にひっかからない語りだったら、それがたとえ創作の語りでも聞いても仕方がない。聞きたいのは語るひとの魂の乗っていることばであり ものがたりである。

 ブックトークは必要だが 語りはブックトークではない。 語り・ストーリーテリングは魂の食べ物になり得る、魂を癒し 生きやすくすることができる。 ただベリットさんと異なるのは フェアリーテールがすべてではない..と感じていることだ。フェアリーテールは、受けとめがたいものがたりを 象徴としてうつしだすにはよいと思うが受けとめることができるなら事実のほうがインパクトがある。

 アリストテレスによれば物語を聞き 登場人物の悲しみや苦悩に共感することで、心の奥底の感情が揺さぶられたり涙を流したりし、その結果開放され、癒され慰めを得ることができる...この作用をカタルシスと呼ぶ。わたしはそのうえに聞き手が自分の過去の生にかさね合わせ追体験するということもあると思う。生きなおすことでかっての苦悩や悲しみ、後悔の念などが洗い流されてゆく。

 それは明るい・楽しい物語では到達できない地点であり、「悲しみの物語」が呼び起こす浄化作用なのだ。 わたしが楽しい...より心に響く ずんとくる物語にこだわるのは まだわたし自身がそうしたカタルシスを必要としているのかもしれまない。

 アリストテレスは悲劇のカタルシス作用しか 述べていないが 喜怒哀楽のどの感情を表に出すことでもカタルシスは起こり得る。たとえば参加型のおはなしでいっしょに冒険し 苦難を乗り越え 目的地に到達すること。笑い話で笑いころげること、演劇のエクササイズのように怒りを爆発させること..でもカタルシスは起こる。

 ポイントは聞いて 物語を共有することで得るカタルシス(浄化作用)より 物語を語ること 聞いて受けとめてもらうこと・表現によって得るカタルシスの方が大きいということだ。 わたしは語ることで 癒され 甦ることができた、それゆえ わたしは聞き手の方々にも語ることを伝えてゆきたい。療法としての語りは ベリットさんが1対1でなさっているように病気の子どもたち自身が聞くだけでなく、主体的に語り 聞いて受けとめてもらうことにあったという事実に注目したい。

 ベリットさんの話をうかがって 語り(ストーリーテリング)を大学教育レベルで学べるということがとてもうらやましかった。日本では理論として伝承文学は学ぶことができようが 実践は教えてはもらえまい。心理療法として サイコドラマや話を聞くことはあっても フェアリーテールの語りかえのようなことまではしていないだろう。わたしたちは理論と実践を自ら学ぶしかない。

 しかし個人でするには膨大な時間がかかり 若いひとはなかなか育つまいと思う。願わくは 語り手たちの会が 語り手を養成することを今後とも続けてほしい。そしてどこかの大学で 語りを体系的に学べるところをつくってほしいと望むこと大である。ベリットさんの声は澄み 口跡は美しかった。学校がわたしたちの時代にまにあわなくても とりあえず頭をあげて より深い語りを求め 魂を磨き 技術を練磨し 志は高く 歩いてゆこう、星はそれぞれのこころに潜む。


.....こうしたことから このあいだのリサイタルでは まだ語られていないライフストーリーのなかから「 母 雪 桜」をまた「立っている木」を語ったのだ。語り手の個人的な魂の旅...は聴き手の魂の旅と響きあい 重なり合う。そこにカタルシスが生まれる。...来年に向けての旅はパーソナルストーリーのような実際にあったものがたりではなく嘘構のなかでそれができるかということ...虚構のなかに真実は潜む....シムノンの雪は...もルグインの闇の...も虚構である。それらのものがたりはわたしを打ちのめした。...語りにおいてそれがわたしにできるだろうか。




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   昨日は一日だけで700の閲覧があった。わたしはまたびっくりした。つれづれは日記である。語りについての考察その他18のファイルはみな閉じてしまったけれど つれづれは書きつづけてゆくつもりではいる。ミクシィに書くこと このブログに書くことはおのずと表現の方法が異なるからだ。この場の力は読む方の支えもあって大きく、思うことが自分の軸を中心に思わぬ方向に展開してゆくおもしろさがある。

   リサイタルより一週間 まだ感覚がひらいているのか幻影(実は真なのかもしれない)をよく見る。

   花がひらくように回転しながらひかりがほどけてこぼれてゆく。波のように渦をまきながらひかりがおしよせてくる。天から煌く金の煌く銀のようにひかりのしずくがふりそそぐ...はっきりとは見えない。曇りガラスを透かしたように....というか他者の意識からのぞいているように..見える。突き抜けるようなよろこびがわたしを幾度も幾度も岸辺にうちあげる...はるかな星雲の岸辺に....

   きのうはいささか不幸なできごとがあった。捨てていかねばならないかもしれないものがある。捨てたくはないけれど...捨てたくなくば 自分がもっと強くなるしかない。山奥の間道をつかれたひとを負ってなお目的地にむかうだけの力を持てるようもっともっと強くならなければならない。さもなくば置いてゆく勇気か...どちらにしても...。


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   朝 ある小学校の障害児クラスにおはなしにでかけた。子どもたちがあまりおおぜいいるので わたしはちょっと躊躇いだ。知的障害と情緒障害の子達が今日はいっしょだったのだ。Mちゃん Kちゃんがかけ寄ってくる。

  手袋人形からはじめる。それからソーディーソーディー...きのうも感じたのだが集中がすこし足りない。リサイタルで極度の集中がつづいたので張り詰めた糸が緩んだ状態なのかもしれなかった。それから仮想のボールをつかってまるくなってゲームをした。あとはインスピレーションで..まるくなったりとじたり あぶくたった..のゲームをしたり...手遊びもした。なんとなく落ち着かないなぁ...と申し訳なく思い 次回はもうすこし打ちあわせをしましょうか?と先生に申し上げたら先生は真顔で「こんなことはめずらしいんですよ わたしもびっくりしているんです この子たちはつながれない子たちなのに つながっている みんなでなにかしようとしている..わたしも忘れかけていたものを思い出しました なにかできるような気がしてきました」...そうですよ きっとできます この子たちのために...わたしたちは抱き合った。

  今日人数が前回より多かったのは 自発的にあまりそういうことはしないという子どもたちが...わたしがくるというので待っていてくれたのだそうだ。子どもたちは傘を持ってきてくれた。おはなし小道具がはいっているバスケットに中身をつめてくれ蓋をしてくれた。昇降口まで送ってくれた。わたしもこの子たちになにか贈ることができるかもしれない。つながること 自分をひらくこと..そうできたらどんなにうれしいだろう。

  
昨夜はR125をひた走り病院に向かった。一昨日奈落の底からのような暗いTELがあったからだ。きのうより友人は元気だった。わたしは語り手の前に癒し手でもあったから 必要とされればこれまでも出かけていくことはあった。なつきのものがたりもそうしたものがたりのひとつである。稀には病さえ改善することもある。ベリットさんが少女を癒したように。わたしの語りの場は本来 そうしたところにある。学校 幼稚園 病院 そしてその他の求められる場所。癒し 勇気づけること...いのちが再びかがやくように手伝うこと....語りの本源の意味はそこにあるとわたしは信じている。

  ライブをするのは以前にも書いたように 自分の今を確認するため...ライブといえば学校でのおはなし会もライブなのだが...特別な場をつくらないと語れないもの・がたりはあるからだ。わたしはわたし自身を癒し且つ開き よりつながる力の強い深い癒やし手・語り手になることを目指したいのだ。もうひとつは これからの語り手へオファーしたかったから...語る場を自らつくらないとわたしにはその場がない。

  

   実は一部を除いてブログのファイルを閉じると書いて つれづれ以外のファイルを閉じてしまったあと1200以上の閲覧があった。わたしは驚いた。ファイルを閉じたのにはふたつ理由がある。考えることは日々先に進む。読み返してみるとそれがよくわかる。このブログを見る方が検索して今より以前のものそれだけを読まれ判断されても困る。もっと困るのはただ技術的なことだけをとりあげられることだ。たとえインプロを試みようと...本質的なものに気づかなければ意図することとは別の方向にいってしまう。ミクシィと違ってブログは読んでくださるみなさまの顔が見えない。疑問があれば答えもする 語りもするが一方通行で情報だけがひとり歩きするのはよいこととは思えなかった。



  わたしもまた 語りの会が仲間うちのコンテスト、カルチャーの発表会であるなら寂しいと思う。 技術のあるなし 新奇な物語を提示する場でなく 誇る場でなく 洗われる場所 投げかける場所 問いかけの場所 交流の場所 癒やされてまた歩き出す場所のひとつでありたいと思う。けれども あなたの手紙にあるようにひとりではないのだ。星を抱いて語るひとはそう多くはなくとも かならずいるに違いない。もっとも寒さ厳しく闇のいろ濃い夜明け前 風のなかを足音が聴こえる。

  


  

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   小学校で語ることとステージで語ることは まったく別と考えてさしつかえないように思う。

   いままで客席のライトは顔が見えるように明るめにしてきた。それは客席の聴き手とのアイコンタクトや交流がなくては語りとして成り立たないのではないかと思ったからなのだが 今回それは必須ではないと感じた。ステージの設定をしてくれた浄土さんも他のひとももっと暗めがよいというし 私自身そう感じた。

   ステージとは異空間である。そこになにが降りるかである。おだやかなあたたかい交流の場所にしたいという願いは適ったものの それももう要らないとも感じた。もっと大きなものを渡せれば それだけでいいのだ。ステージに立つ者は媒介者である。S先生はあたたたかく見守ってくださったのだがアーティスト2.3名が関わったため 相当気を遣った。次回はより媒介者・パフォーマーに徹するため なにもかも自分でするという流儀はやめようと思う。質的に高いものにするためである。



   研究セミナーを終えたとき 心にさだめたことが石の上にも三年...ひとつひとつかたちになってゆく。この地に語りの種を蒔こうと祈りをこめてカタリカタリが発足した。二年たって 読み聞かせの技量向上のために入会したひとたちが去ってゆき 語りに一本化したことから 一歩も二歩も前に進んだ。最初からテキストは一切用いなかった。それで即興で語れる語り手に育ちつつあるのだろう。あとは身体的な訓練及び場数を踏むことと実践...今日 当地で語りカフェをひらくため ライブができる格好のお店をさがした。どうかカタリカタリのメンバーそれぞれがそれぞれの内なる声に気づきますように それぞれのスタイルを確立できますように。

   わたし自身の目標はS先生の提唱されているクリエイターとしての語りとパーソナルストーリーを聴き手の魂そのものに届けることであったが 17日のライブでひとつの到達点には達したと思う。千の昼、千の夜そしてこの遠い森 遠い声で長く暗い夜 想いを馳せ想いを織り歩いてきたことが懐かしく甦る。ながらく自己開示をつづけてきたけれど 今日一部を除いてブログのファイルを閉じた。いずれあたらしい語りのための実践的なノートとしてまとめてみたいし より積極的にファシリテーターとして関わってゆけるよう自分を磨いていきたい。

   ブログは書きつづけてゆくが 明日からは 語りを聞いていただくことがわたしの答である。日々あたらしくありたい 源流を遡る旅でありたい。敬愛する方々と内なる声にしたがい より高みを目指し芸・アートと呼ばれるに相応しい語りを目指すと希望とすこしの哀しみをもって心に決める。




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  ビウエラの水戸先生

   昨日はじめて ひとりの語り手として認めていただいたのだった。わたしは一夜 ストーブの前で呆然と過ごした。七年の長くて短い時間がたゆとうて走って流れた。


   語りをどう捉えるか なにをめざすかはそれぞれである。昨日の語りを重いと感じられたか それともあたらしい季節の兆しと感じられたかはその方の感性・生き方による。きのう伝えたかったのは生きること...その痛みとそれでもなおあまりある共感...。

   わたしにしたところでただ美しい語り ただやさしい語りができないことはない。笑い話もできないことはないのだ。だが痛みを伴わない美しさややさしさがあるというのだろうか。 その裏に痛みがあり それを耐えなおひとの痛みを担うからこそ ひとはやさしく美しい。せつない..というはそういうことなのだと思う。自分が魂のレベルで語りたいこと伝えたいことを伝えるしかない それが託されたことだから。夕べはメッセージやブログやミクシィのコメントをとおして受け止めていただいたことに想いが溢れ 涙が止まらなかった。

   マチネのテーマは母である。ソワレのテーマはひと..である。雪女も雪 母 桜も 立っている木も...母である。ほうすけもおさだおばちゃんも白い花..もひととしてどう生きてゆくかがテーマである。ある方はマチネを癒しの語り...と捉え ソワレを励ましの語りと捉えた。はじめから終わりまで涙が止まらなかった...という方もいたし 空と海と大地の話!で泣いていらっしゃる方もいた。(わたしもキャシーの語りを聞いたとき 泣いたけれど)だが おさだおばちゃんでずいぶん笑いも出た..聴き手の方々は思いもよらぬところで笑う。(このごろそれを受け止めて つぎを語れるようになった) 櫻井先生の語りに心癒された方もビウエラに心癒された方もいた。コカのカメでみんなはじけた。ひとは自分にそのとき必要なものを受け取るのだろう。

   送られたあわくあまやかないろあいの春の花々 心尽くしのお菓子に囲まれてなお わたしは波間に揺れている あこがれがわたしを充たし 哀しみがわたしを揺さぶる...この道はわたしを彼方へいざなう これから変わってゆけるかわからない.... だが、ただあこがれを知るものだけが...。



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 そらと...の衣裳
 染色家 浄土喜久子さんと


   ひとつのことをすべて自分がプロデュースする....というのはたいへんなことだった。企画 ちらしチケットプログラムのデザインと作製 送付 挨拶 ゲストとの打ち合わせ ステージの設定 資材の調達 和三盆やケーキの発注(マチネの方にケーキをお出ししないで終わってしまい申し訳なかった)ゆきおんなの衣裳は出発まじかに娘の手で縫い終わり ホテルでアイロンをかけた。忙しくてファンデーションもしばらく塗っていなかったので伊勢丹で買い求めた。飲み物 紙コップ 砂糖 ポット ランプの台 たった一日のステージにかかることは限りなく多い。ささやかながら そこに異空間を招きよせようというのであるからそれはあたりまえの努力なのだけれど、仕事や生活をつづけながら 一枚の手紙を出す それだけのことが実に堪えた。それはわたしが実際的な人間ではないからなのだが。
ふつうであれば何ヶ月も前から準備され 案内も二ヶ月前には届いていなくてはならない。だがこれらすべてが20日足らずのあいだに起きたことだった。呼びかけに応じて 思ったよりずっと多くのお客様がきてくださった...それは望外の喜びである。

  しかし、よくも重い衣桁を車に積んでプラネットに運び組み立てたものだと思う。ランプシェードは背よりも高いし スタジオに着いて てきぱきひとりで段取りしている自分がひどく不思議に思えた。もちろん救いの手はこれも不思議なほど差し伸べられて そんな不可思議が重なって ライブははじまったのだ。

  ライブの目的はあたらしい語り手たちにわたすこと 他のお客さまにはそれとともに楽しんでいただくこと わたし自身は次なるステージに飛び込むために7年間を総括しリセットすることだった。いささか望みが大きすぎたがわたして空っぽにしなくては杯にあたらしい酒を満たすことはできない。

  そのために語りを聴き手にどこまでなげかけるか...がひとつの課題だった。前日 ホテルで17の次女の前で 雪女と一本の木 白い花をあなたにいっぱい...を語ってみた...雪女は全開で...異形異界の雪女の葛藤を....娘はたじろいだ。...おかあさん わたしは雪女はもっと透明がいい....そこで当日は6.7分にとどめたのだ。わたしは娘の感覚を信じた。抑えてどこまで伝えられるかそこに賭けようと思った。立っている木で娘は号泣した。わたしも泣いてしまって 当日は淡々と語るように読んだ....だがテキストとおりではなく即興で入れたエピソードもある。白い花を..は前日まったく語れなかった。


  先生や友人の話ではものがたりによって声の大小に差があったという。すでに何度も聴き手との交流があるものがたりは声を投げかける...永実子さんによれば飛ばすことができる。だが あたらしいものがたりは声がちいさくなる。これは単に自信の問題....大きな意味ではその範疇だが...ばかりではない。語りと朗読はどう違うか...朗読は作品と対峙する....もちろん聴き手を前提にしてだが....けれども語り..わたしの語りは自分の魂から相手の魂に文字をとおさず直接わたそうとする、だから はじめのうちはおそるおそる 一歩一歩確かめながらなのだ。

  ひとつのものがたりは聞いてもらうことを重ねるたびに普通は成長してゆく 輪郭も骨格もはっきりして生(なま)ではなくなる。それを重ねていないものがたりは語るほうにもまだ痛い。やはらかい魂のようにナイーブで傷つきやすい。
今回 ことにマチネで魂と心と身体が一体のものであることをトークや詩で伝えようとした。それはわたし自身の実体験に根ざしたものである。

  語るうえで朗読するうえでそれがどう関わってゆくかといえば、魂と身体..発声に関わる諸器官...がひとつであると意識されているなら ことばに魂が乗るのは当然のことなのだ。わたしはどちらかといえばシンガーソングアンドライターに似た語り手であって 既成の作品を語るよりは魂に刻まれたことをもの語っている。だから問題はそれをどうよりエンターテインメントとして提示できるかである。泣かせ笑わせ真実を伝え得るかである。そのために磨きをかける技術は努力しても得たいけれどそれが必須のものではない。香りや真実のきらめきがなければ精緻な造花である。もっとも野の花よりそのほうがいいと思うひとがいてもそう不思議には思わない。

  著作権の問題は語り手にとって より大きな一歩を踏み出すためのチャンスと捉えることもできよう。先祖帰りをするきっかけになる。本来の語り手 古代からの語り手に連なるための....。.


.....朗読者の友よ、これがわたしの答のひとつです。いつかまた飲み明かしながら語りましょう。今わたしはたぶん あたらしい段階への産みの苦しみのさなかにいます。はじけることができるかはわからない、だが不可能としても果敢に挑戦をつづけたい。一回はどこかで壊したい。今回はチケットを買っていただいたこともあって わたしにはそこまでの冒険はできませんでした。いつかどこかで場が許されたなら...わたしは真に自分を解き放ちたい...と思っています。


追記

....浄土さんにお礼のTELをかけ 話しているうちにはっとしたのだが 巫女は聴き手のことなど考えない 神降ろしの器になってしまえば結果として伝わる...それとも伝えようとして神が降りるのか.....語り手と聴き手の交流...そこに主眼を置くと天とのつなぎが細くなってしまうような気もした。 

  わたしは幾度か自分の手を見た。とても細かく震えていた...だがほんとうにそうなれば 立っているのが不思議なほど足も手もガタガタと震えるのだ....放つということ....身体のこと....声のこと...解ったことはいくつかあるけれど・・・解ったことでより大きく使われるようにならないと意味はないのだ。

....清く正しく美しい語り..そこから一度は離れる...混沌に投じる...それができれば。....ライブを重ねたい...場所があるなら。...この飢餓....充たされることを知らない語りたい...伝えたい想いはどこからくるのだろう。






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   桜吹雪のなかにいるような..雪の舞い散る空を眺めているような気がする。ライブの案内状を投函して二週間...時間が急速にまるで映画のコマを最速でまわすように目くるめく過ぎていった。新幹線に乗ってトンネルをいくつも潜り抜けたようだった。

   遠いところ お忙しいところきてくださったみなさま 先生 ビウエラの水戸先生 不昧流のお茶を点ててくださった富永さんステージをしつらえてくれた染色家の浄土さん カメラマンの宮沢さん 雪女の衣裳を縫ってくれたまり カタリカタリのみんな  ほんとうにありがとうございました。

   もうすぐ..春のコンサートで気がついたことは追々書いてゆくことにしよう。今はただ眠る...

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  ...すべてわたせますように。...自爆するかもしれないけれど。
こころ温まる会でありますように さまざまな輪が生まれますように。

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....春一番が吹いたそうです。ほんとうにもうすぐ春です。冷たい雨が降っています。こんな夜 みなさまはなにをなさっていますか?...今日はバレンタインデーだったのですね。わたしはすっかり忘れていて..夫にも息子たちにも板チョコ一枚 用意していませんでした。末娘が焼きチョコレート?をこしらえてくれました。白いチョコで ありがとう..と書いてありました。上の娘は衣装を縫ってくれています。

子どもたちがいて 夫がいて ともに仕事をする社員さんたちがいて 語る仲間がいて 師がいて 友人がいて わたしはこうして生かされている....沁みとおるようにしあわせです。...わたしももっとこころを籠めよう ひとつひとつのことばに ひとつひとつのしぐさに おこないに...笑顔に....乾いた砂地にひたひたときよらかな水が沁みこむように あなたを想います。 ここにいるしあわせを想います。

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   朝 書き出した白い花をあなたに...がお昼に終わった。これでライブのテキストがみな上がってわたしはまだライブがすんでいないのに解放感でからだが弾けるようだった。遅れたが王子の北とぴあの 語り手たちの会30周年企画第二弾 「語りの歴史」講座に出かけた。

   電車に乗って座れてほっとしたところに白髪の紳士が乗ってみえた。足元が覚束ないようすである。わたしはすこし躊躇ったが ...いつかもう一度席を替わってあげられる立場になりたい..と願ったことを思い出し また父が存命であったなら..という想いも掠めて どうぞお座りになってください...と声をかけた。わたしの足が達者でないとその方は見てとられたのだろう...どこまで行くのですかと尋ねられた。赤羽まで参ります というと わたしは上野ですから あなたが降りたら座らせていただきます とおっしゃった。そこでわたしは わかりました。お疲れになったら替わりますからおっしゃってくださいね..と答えた。

   すると すこしして高校生くらいの若い子が黙ってすっと立ち上がった。あぁ これがこの子の表現なのだ...とまだ気づかないその紳士に若い方が譲ってくださいましたよ と声をかけた。なんだかしあわせだった。自分がゆずるよりしあわせだった。手渡してつなげられたことが。

   北とぴあにはちょうど休憩時間に着くことができた。たいへんな盛況でたくさんのなつかしい方々とつぎからつぎへ挨拶を交わす。わたしは不思議なことに気がついた。毎日ではなくても このブログを読んでくださる方はわかるのだ。やはらかいなにかが伝わってくるのだ。こうして書いて伝えて なぜわたしがやむにやまれずそうしているか オファーし続けているか 受け止め理解してくださる方がいる..そしてつながってゆく...それはなんて素敵なしあわせなことだろう。

   今日の第一回目は古代の語り...ここに語りの原点があるとわたしは思う。櫻井先生の問いかけのなかに...。わかりやすくしかも適切なことばで伝える..それは簡単なようで 実はとてもむつかしいことと思う。段階も想いもさまざまな方々がここにいて それぞれがなにか掴んで帰られるように 先生のことばが祈りのように思われた。

   語り手のためのワークショップに昨日今日とTELで申し込みがあった。72歳の会員の方が こういうワークショップを待っていたのですと申し込みをされた。担当冥利に尽きることばだった。会場での申し込みもあり一応定員にはなったが 止むを得ずキャンセルなさる方もおいでだろうからあと3名くらい枠を広げさせていただこうと思う。

   終了後打ち上げがあった。語り手たちの会には大きな使命があるとわたしは信じている。そのためには曖昧さを少なくし 旗印をもっと明らかにしていいのではないかと思っている。そして忌憚のない意見がいえるより開かれた場所であってほしいと願っている。このたびの30周年企画で運営委員や世話人のメンバーひとりひとりがひとつの目的のために それぞれが自分の持分に誠意を込めそのうえに足らざるところに手を添えようと一生懸命なことに頭が下がる。それを和気藹々としていることに動かされる。

   この30周年企画 そのあとにどうつなげてゆくか そこにこそこの会の行く末 ひいては本来の語りの命運さえかかっているとわたしは感じているのだけれど 未来は必ずや耀るいに違いないと今日心から思えた。ひさびさに晴れ渡るようにしあわせだった。



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   ライブのための語りを聴いていただいた。その方は半端ないプロだから 心臓に剛毛が生えたわたしも いささか上がった。雪女とほうすけと....視点が明らかにわたしとは違っていた。こころの一点に焦点をしぼり自分がしだいに透明になってゆくことで聞き手に届かせるわたしとは...。

   たぶんエンターティーナーとしての語り...を示唆してくださったのだと思う。はだかの語りに衣装を着るすべを教えていただいたのだと思う。視点は自分のうちから彼方まで無限にあるのだった。ことにパーソナルストーリーにおいては その視点を自在に操るというか自然にそうなるように意識換えをしなくてはならない。そうしないと自分のうちに沈潜してしまうからだ。

   雪女などの場合はどうすればより明確により美しく届けられるかである。また ことばのプロとは書いても訳しても 韻を踏んでいるのだとも気づかせていただいた。テキストさえ手をつけられずじりじりと焦燥感に苛まれていた白い花..のことでも 的確な提案でできるかもしれないとこころが踊るまでになった。わたしは語りを芸術だと思ったことはないのです...というと あなたの語りは芸術ですよ わたしはそれに磨きをかけているだけです..と言ってくださった。励ましてくださったのだろうが わたしには身にあまることばだった。

   ふわふわと駅に向かって歩いた。昔 夏樹と出会った街 相変わらず猥雑な街 美しい男たち 美しくない男たちがたむろしている。むかしのように泳ぐようにはいかなくて足を引き摺って歩いた。30年前 わたしが自分の足で歩き出すきっかけとなった「ケルン」夏樹と一夜語り明かした「ケルン」がもうないことは知っていたが いつしか眼は求めて彷徨う。マクドナルドのあたりか串焼き屋のあたりだろうか。

   夏樹のことや浦和にまつわる話をいくつか語るのも これも縁なのだろうと思う。どこまでできるかわからないが 語りが芸術たるかいまだにわからないが聴いてくださ方々と語るわたしのあいだに花がさきますように・・・・ゆたかな時をともにできたらこんなうれしいことはない。




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   もう書かないといいながら いまだに書き続けている...おかしいとお思いでしょう? 自分でもおかしいと思うのだが 伝えずにはいられない。一昨日から彩の国ビジネスアリーナに通いつめている。埼玉県の広域商談会 主に製造業中心のたしか600のブースに県内外の会社が出展していて うちの会社も昨年どうようブースを一コマ確保した。パネル作成 ちらし作成 段取りこれはわたしの領分なので三日間 ろくに寝る間もなかった。

   来年はもうやめようと考えていた矢先 出会いがあった。そのひとは旗を背中にくくりつけて 広い会場を練り歩いていた。ただ者ではないなと思ったとおり、ただ者ではなかった。その開き具合は180度開脚なんてものではなく 損を損と思わず自分の苦労して集めたノウハウを惜しげなく手渡すものはすべて手渡してしまうという見た目にはおばかだけれど 実はビジネスの王道を知っているひとだったのだ。

   なにとなく意気があった。彼とであったことでわたしは多くのヒントをいただき なお且つ 自分がまだ開ききってはいないこと 若干の姑息さもいまだ持ちつづけていることに気づいた。からだは疲れきってはいるが これからわくわくすることが待っているような気がしていまは充足している。リサイタルが終わったら ビジネスに邁進しよう。そして語ろう すべて手渡そう。

払暁 朝のおはなし会のために  ネットでペルーの昔話をさがした。6年生にはペルーからきた子どもがふたりいる。その少女は6月からおはなし会のたびごとにまっすぐなそれでいて夢見がちなひとみで瞬きもせずわたしの語るものがたりを聞いてくれた。わたしが彼女とクラスメートのために今日選んだのは お月さまに恋した狐のはなしだった。それからおさだおばちゃんを語った。命日が過ぎて間もなかった。女の子が三人男の子がひとり泣いていた。わたしもこの話を語ってはじめて泣きたい気持ちになった。泣きはしなかったけれど。

   余計なことだが つけくわえた。 たとえどんなつらいこと 苦しいことがあってもあきらめないでください。のりこえられないかなしみやくるしみはないのだから...。




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   お手紙 拝見しました。あなたのことを不遜なやつだなんて思っていませんよ。語りをはじめて七年 わたしもあなたとおなじようにずうっとあたらしい語りを求めつづけてきました。ですから おはなしのろうそくから覚えてそのままというような語りはしたことはありません。テキストのとおり語って そのなかになにを籠め得るかは大きなチャレンジですが より多くオリジナルに向かっていったのもそのあらわれと思っています。

   わたし自身は 語りを芸術だと思ったことはないのです。(芸と芸能と芸術はどう違うのでしょうね)ただ めざすものは不遜といえるくらい高くあります。聴くひとにオファーをあたえる語り手になりたい。より生き生きと生きるよすがとなるような語りをしたい。これから生きてゆくひとの根を揺り動かすような語りをしたい。いつかは聴くひとの魂が再生 活性するような語りがしたい。まず癒しがあって癒されて それはそのつぎにくるものではないかと思うのです。それこそほんもののjoy..だと思うのです。

   とても重い 荷の勝ちすぎる課題です。ですが 語り手となった以上 そこまでめざしたい。それは自分との不断の闘いになるのだろうと思います。霊 心 身体 を磨きつづけることでしか なしえないことでしょう。そしてそれはわたしの今 考える人生の目的とも重なります。自分を磨くこと 与えつづけること 楽しむこと 繋げてゆくこと。

   ひとにはそれぞれ より良く生きるための自分の課題を果たすためのそれぞれの方法がゆるされています。わたしの手に託されたのは語ること 会社のこと そして家族でした。わたしはいったいなにをしてきたのだろう。思わず背筋を伸ばさずにはおれません。...でも実は与える以上にいただいてきたような気もしてきて 申し訳ないなぁ ありがたいなぁ しあわせなことだなぁという想いでふるえるようです。

   このたびのライブは今までの自分をリセットして 前にもっと進むためにするのです。どうぞあなたも今までのように懇親の力をこめて 楽しみながら語りつづけてくださいね。そういう仲間が地上のあちこちでこころを熱く燃やしている...それはどんなに心強いことでしょう。そらの高みからどなたかごらんになっているとすれば 昏い地上に星がほのかにかがやいているように見えるかもしれませんね。あなたの旅もわたしの旅もそれからおなじ夢を持つ友の旅もどうかよい旅でありますように。


                                luca


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