遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



pollyちゃんことタエコさんは歌手でした。タエコさんはヒーリングボイスの持ち主だったそうです。「ロックも神さまに通じるってわかった」コンサートのあとこんなことを書いていました。 わたしは実はpollyちゃんの歌を聴いたことはないのです。会ったのも二度だけ。

2009年6月28日 そして7月24日の二度だけ。たったそれだけなのに タエコさんの印象は水に映る春の緑 ゆれる花々のようにすこぶる鮮明です。そのタエコさんが亡くなっていたのを 今朝知りました。

7月24日は タエコさんの家で福井幹さんとBUNさんのコンサートがありました。黒犬シグルスが迎えてくれました。コンサートは光の洪水のようでした。そして素晴らしいご馳走の洪水。

6月28日は 彗星キャッチャー 木内さんの講演会 木内さんは病院で医師から「ご臨終です」と死を宣告され その後 生き返ったひとです。木内さんは生き返るまでのあいだ お姉さんの乗るタクシー や未来の いくつかの”時”を視ていました。とある神社の本堂で 学生たちに講義しているシーンを視ました。30年後 同じ場所 そこにはなにもありませんでした。 けれども うっすら視える 時 もあったそうです。陽炎のように。
生き返った木内さんはある年 幽体離脱? のとき視たと同じ場所で同じように学生たちに講義したとき 臨死体験で視たことの意味を悟ったそうです。”わたしたちの日本は消滅してしまうのかもしれない”のだと。でも もしかしたら未来は変えられるのかもしれない。その0.01%に賭けようと思ったのだそうです。

2009年07月01日 09:45 polly

「ありがとう!るかさん

私は木内先生の 0.01% の希望を失わず生きて、
実践していらっしゃる姿に感動しました。

悲惨な未来もみてきたのに、
決して絶望していない、諦めない。。
凄いよね。
私もなにかがんばりたいよーと心から思いました。

。。。まず生き残ろう 笑

そして、講演会よりもっと
ルカさんに会えたことの方が、
わたしにとって大事だった。

わたしはうたう。
あらためてそう思った。思えた。

るかさん
ありがとう。」

るか2009年07月01日 12:36

「そうだ、生き残ろう!!
生きたい...としみじみ思った(ワタシも)。」

pollyさん
聴かせてね うた。
わたしも きのう 語った。
これがわたしの語り、いまのわたしの....

それでいい それしかない
今のいのちだから。

静かに ゆっくり みなもとにかえってゆこう
と思ったの。
わたしもあなたにあえてうれしかったよ。 」

pollyちゃんはガンでした。pollyちゃんはもう歌えません。ひとはいつか歌えなくなるときがくる。わたしも語れなくなるときがくる。でも まだ 今は語れるのです。

pollyちゃん ありがとう 忘れないよ。みなもとに帰ったんだね。ゆっくりやすんでください。きっとまた会えると信じています。

それにしても わたしはなぜ もっとあなたのところに行ってあげなかったのだろう。そっとうしろからヒーリングしたとき pollyちゃんはすぐと気づいてくれたのに。そして あたたかくなった、楽になったって言ってくれたのに。わたしは おかしな人って思われないかと そんなことを心配していた。ごめんね。ごめんなさい。








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茨城 泉神社 瀬織津姫を感じる神社 赤いお社に弁才天.....こんこんと湧く澄んだ泉 すぐちかくに アマツミカボシ あるいはミカボシカガセオが封印された大甕神社があります。


長野 守屋山 長野も神在す地


今日の空  電磁波の干渉?による ケムトレイル特有の空

夕べのこと 「あれが甕輝(照)山 ミカテルヤマ ですよ」と教えてもらっている夢をみました。なだらかな緑の山が指し示されていました。目が覚めて すぐネットで検索したところ ミカテルヤマ という山は見当たりませんでしたが甕輝 甕照 という名前はあるようでした。そして ミカソという縄文の一族があったというサイトにたどりついたのです。

以下まとめ

みかやま という山がある。
「みか」とは 天皇家の根幹に直結する語句。

垂仁天皇に、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を献上した者が、丹波の国を支配していた甕襲(みかそ)
甕襲(みかそ)は、古代において、製鉄の出雲に並ぶ、特別な玉造の部族だった。
「八尺瓊勾玉」は、三種の神器の一つに数えられ、今でも宮中に大切に保管されている。

出雲大社の御祭神大国主大神の別名もまた櫛魂神という。
物部氏の祖と伝えられるニギハヤヒも、櫛玉饒速日尊という。
大国主に強引に国譲りさせたあと、ヤマト朝廷の最大の敵は天津星(あまつみかほし)・天香香背男(あまのかかせを)だった。

文献が少ないのは、あるいは大和朝廷によって消されたということも考えられる。

日本古代の神聖な言葉は「か・き・こ・ひ・ま・み・め」の組み合わせでできている。
古代のヤマトコトバにおいて、「か」と「は」が対になる。

三輪山 ミハヤマ ミカヤマ
埼玉の山奥や大阪府岸和田に「三ヶ山」九州・福岡県、三輪町の北にそびえておる「三箇山」「三輪(みわ)町」とセットになっているなら、古代では「みかやま」と呼ばれていた.....神山と崇められていたのではないか......

古代に、大物主大神(大国主神)を祀った三輪山に「みわ」と名付けた人々は、それ以前に「みかやま」を知っており、一段格を下げた意味で「みわやま」と名付けたのではないか。
(大物主 = 櫛甕玉饒速日尊 とも言われています。現御皇室でも大物主 あるいは 櫛甕玉饒速日尊を祀って?おられると聞いたことがあります。千とちひろで 名前を失った ハクは櫛甕玉饒速日尊がモデルかも)

蝦夷 土ぐも 隼人 熊襲 どうよう 甕襲の襲 とは ヤマト朝廷が ばかにしたことばであったのではないでしょうか。本来は ミカ という一族であったのでしょう。インスピレーションを待ちましょう。隠された古代の神々を語らせていただきたく想います。

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