終わってもう21時間も経つのに まだ ぼぅっとしています。
不思議だ……語るって こういうこと?もちろん かなり調べもしたが 書かれたもの 今までの情報 を語るためのことばに置き換え 想像し アテルイの想いや田村麻呂の術策とか そのひとの身になって考え 思いをめぐらせて 音の響きにしてゆくと繋がってくる。
今まで 縄文とか 国つ神 天つ神 古神道 こんがらがっていたことが 糸がほどけるように 見えてきた。
日本には 原日本人がいた。 蝦夷 熊襲 土蜘蛛 をはじめ ツガル 佐伯 ミシハセ
クマビト 国栖 八束脛 日の本 …… アテルイの頃には 120くらい 国があった。その人たちも 概ね オロチョンや 東南アジアから 丸太舟かなんかで 氷の海 南の海を渡ってきたのだ。生きるために 新天地を求めて。
この島々はきこうもよく 水と森がゆたか どんぐりも 小動物も 多く それぞれの部族 それぞれの国は のどかな縄文時代を生きていた。日本列島ほど 狩猟採集文化がながくつづいたところはなかった。
ヤマト 弥生人は中東からシルクロードをとおって 山を越え 半島を経由して 渡来した人たちではなかったか。最新の研究では 日本人のDNAには 中国や韓国にはほとんどない 中東や地中海のDNAがあるそうだ。その人たちは 国を追われ 辛酸を舐めた知恵も行動力もズルさも持つひとたちだった。中国や韓国に痕跡がないとすれば 強い意志をもって混血さえ避け 日本を新天地として渡ってきたのだろう。
のほほんと生きてきた縄文人の敵ではない。最初に渡ってきた人たちは 現在の奈良に落ち着いて 王制を敷いた。これがニギハヤヒ 大物主 そのあと来たかいっしょに来たか同族のある若者が王の娘と結婚 王が死んだあと お家をのっとった。これがニニギ? それともあとから辻褄を合わせたのか。
かくて ヤマトは 列島を統一すべく 原住民を駆逐する。 狩る。 森 野山 生きてゆくのに不可欠であり 神住まうところでもあった 森を ヤマトは奪ったのだ。そ の方法は物量と分断化と文化の搾取。なんのことはない分断による統治を明言したヴィクトリア女王と同じ その後の植民地経営と同じ。
中国の歴史書によれば 670年頃 倭は 日本国という小国を併合 名を簒奪 その後 日本を国名としたという。
俘虜として 都に来た原住民とヤマトは混交する。イスラエル建国時 アルゴンキンは世界中のユダヤ人に 乳と蜜との流れる地に集まれと号令をかけたが だれも来なかったそうだ。それだけ 混血が進んだのだろう。
だが そんなことはどうでもいい。日本は開国して すっかり絡め取られてしまったのだから。ロシアのユダヤ人 を救うため 皇帝のちからを弱める必要があったユダヤは日本に戦費を貸し 日露戦争を戦わせた。そして 革命を起こさせた。革命家たちの多くは ユダヤ人だった。
ソ連が滅び ロシアが復活したのはいいことだ。
さて 日本は なぜか イスラエルに目のカタキにされている。三回の核攻撃。原日本人と混交したから? いえ そうではない。今のイスラエルに古代ユダヤの血は希薄だ。目にクマのある青白い顔は 国ごと ユダヤ教に改宗したハザール人のものである。日本人と イスラエル人は とおーーーーい縁戚みたいなもの。
返って 憎しみさえあるかもしれない。
わかったこと。
現在の日本人は 征服者ヤマトと非征服者 奴隷 だった原日本人の末裔だということ。
今も 分断化により 植民地化されている 奴隷だということ。
神道とは もともと ユダヤ教 であったのではということ。
神社と幕屋との類似性 籠目紋あるいは 五芒星 ユダヤ語と日本語
の類似性 籠神社の神官のことば マンナの壺 剣山 イスラエル大使だった
コーヘンのことば 本宮 前宮の祭祀 葵祭 すべてがつながってくる。
本当は 分かっていたのに 認めたくなかっただけだ。
ユダヤ教 イスラム教 キリスト教 神道 みんな 元はひとつだった。
原日本人の自然宗教とこちらも混交したのでしょう。
原日本人の神は 山 川 湖 生き物たち 自然 そのものだった。
そして
日本の支配者 ご皇室 物部氏 蘇我氏 藤原氏 秦氏 みな 渡来人だった。
では 今の日本の支配者は………
それにしても アテルイは強かった。ハンニバルよりすごかった。10000 対 1500で勝った! ヤマトに。
渡来人の子孫 田村麻呂 は正面切って戦わなかった。
蝦夷を懐柔し 農業技術をおしえ へこへこするものには きまえよく 土地を与え 元々 蝦夷の土地なんだけど…… 酒 女 行きたがる者は都まで連れてゆき……ひとのいいというか 騙されやすい 蝦夷の長 なんだか 公 たちは ひとりまたひとりと寝返るのである。
こうして 五年かけて 田村麻呂は仕掛ける。アテルイの本拠地の目の前に 700mもある 胆沢城を築造。
その一年後 アテルイは副将モレ とともに 500の兵を引き連れ 投降。
アテルイは 降伏するような男か? あきらめるような男か?
田村麻呂は 助命嘆願したというが 信じられない。
それに ヤマトの遣り口は熟知していたでしょう。
自分が投降して 仲間が助かるなんて思うまい。
なにが あったんだろう。
歴史は勝者のもの。敗者の記録はない。アテルイとモレは 河内で処刑された。
頸まで地面に埋められ ノコギリ引きにされたそうだ。
よほど 憎かったのだろう。
そのあとはどうなっただろう。
ヤマトがよくやるのは祟られないように 五体をバラバラにすることだった。
そのあと 祀るという 用意周到なやり方。正直 えげつない遣り方。
きのう 語っていたとき 後ろで眼鏡を外し 目を拭っている年配男性がいた。
顔を上げない 若い男の子もいた。
アテルイは 男性の琴線に触れるのだろう。