遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



..........今年五月、最後の無頼派といわれた天才棋士藤沢秀行さんが亡くなりました。秀行(しゅうこう)さんは、飲む、打つ、買うという放蕩三昧の明け暮れのなかで棋聖戦を六連覇し、66歳で史上最高齢で王座をかちとりました。それだけでなく、胃癌、悪性リンパ種、前立腺癌、いずれも末期と診断されながら、いつのまにかがん細胞が消えてしまったというエピソードの持ち主です。その破天荒な生き方は多くのファンに愛されました。

    ご冥福を祈りつつ、今日は著書”野たれ死に”棋界の米長名人との対談”勝負の極北”から秀行さんのことばを紹介しようと思います。碁や盤面を語りに置きかえるとそのまま、語り手への贈ることばとなるように思います。

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    「碁は芸なのだと私は思う。芸に勝ち負けはない。素晴らしいか拙いか、人の心を動かすかどうか、という格の違いはあるけれど。.......碁には、恐ろしいほど自分が出る。個性、生き方、碁に対する姿勢など、その人のすべてが凝縮されて盤面にあらわれてしまう。」

......いかがでしょうか。語りにもものがたりの向うに語り手がみえます。知識、修練だけでなく、生き方、ひととなり、語りになにを求めているか、すべてが見えてしまう。ひとまえで裸になるようなものだと思います。語りのしくみがそうなってもいるのです。ただ立て板に水のようにものがたりを述べるのでなく、自分の魂と身体をとおったことばがひとのこころに響くのですから....。役者もそうである....とよくいいますが、まとっているものがよけいにあるように思うのです。


......それではひとの心を動かす碁をするために秀行さんはどうすればいいと語っているでしょう。


「日々、これ戦い、毎日の一瞬一瞬の積み重ねが、良くも悪くも、私の碁、私の芸を作り上げてきたのだ。どの芸事でも同じだと思うが、一定以上のレヴェルに達することはもちろん、そのレヴェルを維持するにも、実にたいへんな努力が必要になる。努力をしなければ、腕が落ち、さらに上を目指そうとしたら、それこそ粉骨砕身の努力をしなければならない。そうやって日頃から一心不乱に勉強していると、天からなにか降ってくることがある」

「芸のレヴェルを高めるためには、芸の修行だけではだめだとも思った。人間自体のレヴェルやスケールをアップしなくては芸は育たない。宮本武蔵は絵をやり、彫刻をやり、庭もやっていたそうです。剣だけではなかった。碁だけ、将棋だけ、ひとつだけしかやらずに強くなっていくのはむつかしいのだと思います」

「.......棋譜を見て、穴があったら入りたいほど恥ずかしくなるのは、「勝ちたい」という自分のだらしなさが感じられるときだ。碁は正直だから、ある譜全体やある一手にそれは如実にあらわれる。隠すことができない......勝ち負けは後から自然についてくるものではないか....こだわるべきは自分にしか打てない碁を打つことなのだ......今どんな芸ができるのか、それがすべてなのである。終わりのない芸の道は厳しい。そして、だからこそ、おもしろい。」


.......秀行さんは教えを乞われれば、誰にでもわけ隔てなく同じように教えました。秀行塾と呼ばれる全く無償の研究会からは、大竹英男、林海峰、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙 治勲という碁界のキラ星が巣立っただけでなく、中国、韓国の碁のレヴェルアップにも秀行さんの遠征が大きく関与したといわれています。....秀行はなにを考えているのか、教えて強くなった若手に負けてタイトルを取られたら損をするだけじゃないか...と嘲笑されても、それ以上に強くなっていけばいいと笑ったといいます。

   このあたりは胸をうつのです。なぜなら実際に秀行さんは教えた若手にタイトルを奪われ七連覇ならなかったのですから....。そしておなじことをかつてわたしもある方に申し上げたことがあったから......なおそのうえに教えながら心胆震え上がるような語りを聴いたことから、正直どこまで伝えるのか教えるのか、悩んだこともないわけではなかったから.......お金と時間をかけて学んだことを無償でみな教えて自分を越える語り手を育てようというのか........なんとちいさい心もちだったことでしょう。

    ですが三年前RADAで考えが変わりはじめ、昨年本気で思いました。知っていることはすべてわたそう、手放そう。.......わたしが考えた語りの学びのシステムがどこかでつかわれていると友人が心配して連絡をくれました。語り全体のレヴェルが上がるならいいのです。このブログも自分自身の気づきのため、そして語りの魅力にとりつかれて同じ無限の森を歩いているひとのために書いています。...どこまでいけることでしょう。

   
   秀行さんはほんとうに碁がすきだったのだと思います。こうして秀行さんのことばを書いてきて秀行さんの強さや弱さ、ことばのうらにあるものも見えてきたように思います。いままで秀行さんの立派なことばかり書いてきましたが、3年も家に帰らず、中野や江古田の女性にも子を産ませた夫を支えたのは妻のモトさんでした。最後に秀行さんのひとこと、


「バカになって本物になる。」


藤沢秀行

野たれ死に

勝負の極北
    

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時の鐘


.......日曜日、友人たちと川越...NHK朝ドラマ、つばさの街....にいきました。目的は観光にあらず、酵素玄米の講習会です。旧254と254のバイパスを間違えて、彷徨いました。254といっても地元のひとには通用しません、川越街道という昔ながらの名がとおっていました。

   川越の由来は川越氏が治めていたせいですが、名のとおり、川の多い町です。入間川、新河岸川、不老川、高麗川....そして太田道灌が築いた川越城址のお堀....その昔小江戸と称せられた川越は美味しい名店がたくさんあります。講習会のあと、なつかしのカフェレストラン、”小麦市場”へ....

   ランチをたのんで、一目見てはっとして、一口食べてぎょっとしました。......美味しいけれど......「シェフ 替わりましたか?」訊いてみると、やはりそうでした。美味しいのです、標準以上だと思います......けれど美味しい...と絶妙な...のあいだには大きな川が流れています。”冴え”というのか透徹した....というのか、常ならざる、見て、食べて感動を呼び起こす一皿というものがあります。それをあらしめるのはもちろん、ワザ....そしてその底に自分に妥協をゆるさない気持。

  
   語りや読み聞かせもそうなのでしょう。ワザを支えるのは”これでよし”としない想念.....楽しければいいじゃないとか、みな違うけどそこがいいのよねとかの気持では到達できないレベルがあるのです。プロだからとかボランティアだからというのではありません。個々人の思いの持ちよう、それは他者がとやかくいうことではないけれど、自分の今を越えようとする意志をひとは感じる。それがアスリートや歌手でなく、一介の主婦だとしても川を越えようというその意志はまわりのひとを熱くします。わたしはそういうひとを知っていることをうれしく思い、自分もそうありたいと願います。

   

.....小麦市場のシェフの神がかり的スウイーツやサラダがもう食べられないのかと、意気消沈して歩いていた川越の街には素敵なカフェが何軒かありました。和菓子、うなぎ、豆腐、美味しいもの満載の街です。おからドーナツ、芋羊羹をおみやげに買いました。菓子屋横丁には昔の駄菓子屋さんのラムネやス昆布、紙せっけんもありました。

  NHK効果か、夕暮れ時になっても人の流れが耐えません。車で観光に来る方のために街中には有料駐車場がいくつかあります。バスでまわるのも一興です。入間川を夕陽が染めていました。昼間の熱暑とは打って変わった涼しい風に吹かれてわたしたちは川越をあとにしました。


 カフェエレバート(トイレはないそうです)
ほかにも一軒屋の名物カフェ”バチャンガ” ベーグルカフェ、カフェtricycleなどなど....

蔵の街川越散歩




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   ”日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著
を読みました。首をかしげるところもないわけではありません。著者の言う”発音体感”は日本語のみにあるのではなく、英語にもあるように思うからです。たとえば日本語のラ行のことばは流転、輪廻、のように回転や螺旋を意味することばが多いのですが、英語でもringとかrollngとか回転にかかわることばが多く見受けられます。けれども全体としては読み応えがありました。著者は子どもたちが早期に英語教育を受けることは母語喪失の危険があると説いていますが、今日は語り手としての立場で紹介しましょう。

    その①
日本語は世界でもめづらしい母音を主体に音声の認識をする国である。

    その②
風土と意識と身体感覚とことばがしっかりむすびついた母国語(日本語)はことばに込められた情感が深い。ひとびとが暗黙のうちに情感で共鳴しあうので意味ではなく”感じ”で伝え合うことが多くなる。   

    その③
母語は親が子へ、息遣いやまなざしまでもつかって、全身全霊で伝えるもの。わが子にことばを与えるということは、宇宙を授けるのと一緒なのである。

    その④
ことばを構成しているのは音韻であり、音韻を構成しているのは発音体感である。発音体感はことばの本質である。
例 おおきい ちいさい ぬくぬく ひえびえ さらさら ころころ
ことばは音韻のならびであり、、その発音体感が、潜在脳にしっかりとことばの象をつくりあげる。ソクラテスはこのことばの象と、実体の事象が合致する言語こそ美しいといった。

    その⑤
わたしたちは.....事象に似た発音体感をあじわうために、言い換えれば魂の共鳴を感じるがために、ことばをしゃべっているのかもしれない。わたしたちは対話によって、意味を超えたより深いものを交換しているのだ。ソクラテスの論を借りればそれのできる言語とできない言語があり、それができる言語こそ美しいのである。

   
    いかがでしたか?
音韻のひびき、ひびくのは母音だけですが、そのひびきで共鳴しあう、親子が交感する、語り手と聴き手が交感する......とてもうつくしいイメージが浮かんできます.......意味を超えたより深いもの......それはいったいなんでしょうか。







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.......会社にも行かないで娘たちと買い物に行きました。そのあと車を走らせてひとのいない公園に....櫻木立のしたはクローバーが絨毯のよう......シートをひろげて、チョコレートアイスバーをたのしんで、おもむろに届いた二冊の本をひらきます。

忘れられた日本人
「美しい日本語」

   今日は”忘れられた日本人”について書いてみます。著者の宮本常一さんは昭和14年来、日本をくまなく歩き、各地の民間伝承を記録された方です。わたしが宮本さんを知ったのは、友人にさそわれ ひとり芝居「土佐源氏」を観にいったときでした。土佐源氏は宮本さんが土佐の山中、檮原村の橋の下のむしろ小屋に棲む乞食から聞き書きしたはなしです。

   宮本さんはできるかぎり話し手のことばに忠実に記録されたということですが、この名もない盲目の乞食の語り口がすばらしい。おそらく文盲であった...のではと思いますが、生き生きと情景が目に浮かぶのです。そのままひとりの自由奔放に生きた男のライフストーリーになっています。

......どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな。とうとう目がつぶれるまで、女をかもうた。.......わしはなにひとつろくなことはしなかった。男ちう男はわしを信用してなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。........銭ものうもうけるはしから女にやってしもうた。別にためる気もなかったで.....それで一番しまいまで残ったのが婆さんひとりじゃ。.....女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってやりなされ.....どの女もやさしいええ女じゃった。


   土佐源氏は出色ですが、その他のエピソードにも、日本のうしなわれた原風景がきざまれています。田植えは女のするものだった...お祭で.....苦しい作業というよりみんな楽しみにしていたのだそうです。田植えをしながら女たちは誰からともなく”語る”のです。ひとびとは山や川、井戸、狸や亀やミミズ、自然と呼吸をあわせて暮らしていました。そして田植えのときだけでなく、暮らしのなかにそのまま語りが、音頭が、くどきがありました。

「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるいことをしておらねば、みんな助けてくれるもんじゃ。日ぐれにひとりで山道をもどってくると、たいてい山の神さまが守って、ついてきてくれるもんじゃ。ホイッホイッというような声を立ててな」

   これは宮本常一さんの祖父が幼い孫に語ったことばでした。たくさんの昔話をのこし、孫にかたりかけ、民謡をうたうことをたのしみに、死ぬるまではたらいてぽっくりと去っていったお祖父さん.....孫に語りつづけたそのことが、宮本さんのしごと、そして著作につながったように思われてなりません。


   若いころは外に目が向かいます。七色の童話集 ラング....やギリシャ神話、世界文学全集に夢をかきたてられ物語の世界を知り、そのままヘッセやシュトルム、トルストイ、スタンダールを濫読しました。日本文学を知ったのはそのあとで、柳田国男もずいぶん昔に読んだのですが、とんと忘れていました。民俗学などというものは紙魚のついたしょんぼりした古書のように思っていました。

   今になって、つくづく日本の文化の土壌の奥深さにおどろくばかりです。なぜもっとはやく気がつかなかったのだろう。フィールドワークをするにも、わたしの足はもう萎えてしまいました。けれども、まだ時間はある、古きものに目をとおし、できるかぎり歩いて、わたしがまだ知らないこの国が内包している豊かな秘密を、源泉を知りたいと思います。



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